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『万年筆のミュージックタイプとインクで筆跡品格が可能』


   


     1月 5th, 2017  Posted 12:00 AM

今年最初のモノ、随分と悩みました。
なぜなら、ここで語りたいのはどうしても趣味やコレクション。
文具やオーディオや鉄道模型などもはやコレクションもここまでなのです。
となると、もう通常最も使用していて、それも最近の時流が進化しているモノ。
こうなると、万年筆もまずその典型はモンブランとペリカン。
しかもいわゆるミュージックタイプと言われている、
本来は楽譜記述用になってしまいます。
これでカリグラフィーが可能というのは私には理解できません。
なぜならカリグラフィーならこれは絶対にペンであるべきというのが、
自分流の決定事項なのです。それはペンと身体のトレーニングに
最も自分なりの訓練が身体化しているべきだと思うからです。
この典型的で日常的な万年筆ならば、
モンブランとペリカンという選択には全く冒険心はないのです。
そこでディポンの「ベルサイユ宮殿」ともなれば、
これを差し出せば、万年筆コレクターとは深い話が出来ることになります。
そしていよいよ最近は一段と進化しているインクになります。
このインクは日本の伝統色が基本になっていて、
知る人ぞ知るインクだと断言できます。実はこれは友人からのプレゼントです。
さて毛筆タッチとカリグラフィーの関係は絶対に身体化された訓練が必要だと
私は絶対に主張しておきたいと思います。
カリグラフィーであれ、毛筆であれ、
このトレーニングをマスターしたモノは
まだ見たことがありませんが、毛筆、いわゆる書道とカリグラフィー、
この訓練こそ今は絶対に必要であり、それを成し遂げるインク、
この会話が出来ることほど、古風と言われようが、
実は筆跡の品格だと私は確信しています。

* 『黒板を集団の発想道具としての未来ボードデザインへ』
* 『毛筆も万年筆も細軸だから可能になる運筆がある』
* 『硯箱を整理しながら・・・』
* 『イコン=アイコンが明解なモンブランとペリカン』
* 『ペンホルダーある組み合わせの筆記具は自分表現』


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『漢字象形の二つの解説には二人の学者がいた』


   


     1月 4th, 2017  Posted 12:00 AM

私は造形要素、デザイン要素として「ことば」に強い関心があります。
「ことば」、それも「漢字」、特にその象形性です。
今年の十二支では酉年です。
不思議なことはこの「酉」という漢字の解釈です。
私は小学時代に転校をしていて、その体験には講演を聞いたことがあり、
それも藤堂明保氏の講演は、二度聞いていてその記憶は明解です。
今、おそらく私のこの体験には大きな漢字への興味動機になっているようです
なぜなら、なぜ、二つの小学校で藤堂先生のを聞いたかということです。
漢字にはその解釈には偉大な二人の学者がその基盤に関わっています。
藤堂明保と白川静、この偉大な二人それぞれの解釈学説です。
なぜ、藤堂先生は福井県で私は二度も講演経験があるのだろう。
そして漢字学説では、藤堂派(東)と白川派(西)があったことです。
自分の推測では、白川静先生は福井県出身であり、今も偉人として
彼の実績とその展示は大きく賛美されています。
今回、「酉」の開設では、ほぼ同じ解釈であり、
「酉」は壺や瓶の注ぎ口の細いことを意味しています。
ところが、「酉」の解説が詳細なのは白川静先生でした。
おそらくこの二人の学説論はライバル関係であったと思います。
その解説では「酉」解説は、酒・酌に深く白川静先生が詳細だったのです。
ひょっとすれば、福井県=白川先生のふるさとでは藤堂先生の講演を、
私は二度も体験することで、今もって、漢字、特にこの二人の解釈を
必ず見比べて、自分の解釈を決めています。

* 『10年ぶりに書庫奥で見つけ出した日本語辞典』
* 「松岡正剛『ち』の根源=漢意による決定」
* 『象形の姿形に潜む意味の吟味』
* 『思考の「考」は思うことを経験が判断する』
* 「ハングル=表音文字・その根幹にある意味性」


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『基幹産業化すべきハニカム構造』


   


     1月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM

確認もせずにうる覚えですが、こんな記述があったかと思います。
蜂は優れた建築家を赤面させる構造の家=蜜蜂の蠟房をもっている、
このような記述が、以後にはダーウィンとマルクスの、
自然素材と労働との関係で、学術的な言説を巻き起こしていました。
蜜蜂の蠟房というのは、いわゆる「ハニカム」構造を意図していました。
自分の作品で商品化に使用したのは車椅子「CARNA」でした。
あの車椅子の車輪はアルミ素材のハニカム材を使っています。
実際には、軽飛行機・セスナの羽翼、その製造方法での蒸着接着なのです。
今、「基幹産業」とすべき素材構造にこのハニカム構造を思いつき、
昨年末から私がデザイン案としてこのハニカム構造を追い求めています。
最も、このハニカム構造を何のためにと問われると、
それはまだ告知することは差し控えますが、
これから、日本の基幹産業の大きな一つになることは強調しておきます。
昨年末最後に研究室での実験で、ある素材のハニカム構造ならば、
この実験で、いよいよハニカム構造化の確信を持ったのです。
日本が貿易立国としては、ウィーンの万国博から、
日本製、日本製品、日本の商品を世界に届けてきました。
繊維、鉄鋼の基幹産業がやがて、重厚長大は軽薄短小となり、
バブル経済の崩壊とともに、「基幹産業」を失ってしまったのです。
自分のデザイン活動の基軸がやっとこのハニカム構造に一つの最適解を
見つけ出したのです。
そして、何よりも未だ誰も「基幹産業」を言い出していません。
これこそ、デザイナーゆえに見いだした問題解決だと宣言しておきます。

* 『「哀しみにデザイン」そろそろ車イスデザインを書こう』
* 「資本論が引きずっていることから早く解放されるべきだ」
* 「表現としてのデザイン、その構造」
* 「デザインは問題解決!・この本質の再整理」
* 「*準から外れ始めた日本のデザイン解*」


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『「酉年」シンボルにモダンデザインの名作がある』


   


     1月 1st, 2017  Posted 9:23 PM

日本には十二支という暦があります。
昨年は申年であり、この年、世相はめまぐるしい事件が多発しました。
さて、今年ということなると昨年以上かも知れないと聞きます。
毎年、この年十二支「酉年」のシンボルを探します。
「酉年」となると私には鶏が思い浮かぶと同時に、
美大時代には、生きている鶏を2人が一組になって、デザインストロークで、
B3サイズでまず、徹底的なデッサンをし、それから平面、そして
立体にするという「スタイライゼーション」を
ほぼ一ヶ月間厳しい訓練を受けました。徹夜の連続。
最後はこの鶏をさばいてコンパをして食べましたが、現代では無理でしょう。
さて、今年の「酉年」、そのシンボルはいくつか見つかりました。
特にモダンデザインでは著名な作品がありました。
そしてこの二人のデザイナーの仕事は「エッ」て思うほど、
ある素材に拘っていたのです。
ものすごく驚きました。昨年末に入ってようやく日本の基幹産業を発見、
「KK適塾」で発端を紹介し、今年からその詳細に入るとともに、
「基幹産業」の創成、その詳細を伝えていくつもりで、
昨年末もその実験を招聘教授と確認しました。
そうしたら、今年「酉年」シンボルを名作にした二人のデザイナーも
とても大きな興味を持っていて、まだそれらを実現したモノや、
新たな提案はありませんでした。
(そうか、やっぱりここに!)これが年頭の私の想像力になっています。
ついでながら、若いデザイナーは名作を覚えていない風潮があり、
そこで平然として、ジェネリックプロダクト、
これは盗作だということに無頓着になっています。
私は厳しく、こうした風潮に立ち向かう覚悟です。

* 『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』
* 『ジェネリックプロダクトの盗用悪用が始まっている』
* 『ハーバート・バイヤーを忘れた「デザイン風」の闘争』
* 『「造形思考」はイメージの表現=造形への音楽的理論がある』
* 「手を頭脳化するトレーニング=デザインストローク」


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『謹賀新年・2017年新春あけましておめでとうございます』


   


     1月 1st, 2017  Posted 12:00 AM

新しい年をむかえます。
すでにこのブログを書き出して11年、それも毎日、
しかし、最近は時々休筆します。
そうすると、「病気?」と尋ねられますから、
無理をしていたこともありました。
また、そんなに厳密に書こうとも思っていませんから、
国語作文にならず、誤字脱字などはお許しください。
初期には2000文字だった時もありますが、文章が長文だと、
あまり読まれませんから、800文字と写真も、
慌ててその場雰囲気ゆえ、車椅子姿勢での写真失敗もホントに多いです。
ただ、私としては、問題意識や時代を「徒然=つれづれに」、
あくまでもデザインに拘っています。
おそらくテーマは、デザイン・文房具・オーディオ・趣味、
そしてファッション系になるでしょう。
「基幹産業」での日本復興を目論見ます。
本年はもっと気楽に休筆もたびたびと思いますが、
ご笑読をいただきますことよろしくお願いします。


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『基幹産業の目星をつける今年最後の実験』


   


     12月 29th, 2016  Posted 12:00 AM

今年最後の実験を大学で終え、ある目星をつけました。
多分、エッ!、それがデザインって言われるだろうと推測します。
今、私のミッションは「基幹産業」を見つけ出すことです。
そして、既得権で固まった領域に切り込んでいくことだと思います。
幸いにインターン生(来春から防衛省のキャリアになる)が加わり、
アイディアが出てきていますから、ともかく日本が牽引するこれからの
基幹産業となるある領域開発をデザインで追いかけています。
まだそれが何かは明言を避けておきます。
ともかく、私のデザイン=コンシリエンスデザインは、
Back to the future、つまり、将来、明日は目の間には無いのです。
歴史から引きずり出してきます。
それは「適塾」が何をつかみ取り倒幕を推し進めたかを再現するのです。
これまで確かに京大も東大もアイディアとその実現らしき提案はありました。
しかし、だからそこからの産業としての手順は?、というのが皆無です。
デザイナーだから、この手順から既得権益を破壊して、
新たな制度設計に入っていくつもりです。
ヒントは「パリ協定」を主先導するのがこの日本だからこそをめざします。
安倍首相がハワイでの声明に「Power of reconciliation」と発言しました。
これはConsilience Design、
古語となり死語化したsiliennce=隠されている知恵、
conciliation=寛容なる和解を発言したのです。
まだ「基幹産業」の明言は控えます。

* 『吟遊詩人の的確な叙事詩はロックにまで至った』
* 『匿名的な知恵=silienceである』
* 『コンセプトで「美」、その創出は不可能である』
* 『デザイナー能力の格差が拡大している』
* 『ある効果とある理論を実際に問題解決=デザインへ』


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『スマホは使用感だけでは技術進化は見えない』


   


     12月 28th, 2016  Posted 12:00 AM

ケータイ、スマホ、という日常道具の使用感の進化は、
目を見張るべきです。
しかしスマホの進化はいわゆる使用料の廉価競争に巻き込まれていて、
進化技術と日常道具感、さらに所有感に大きな差異性が出てきました。
その使用感は電話使用料の企業競争にかき消されています。
友人がスマホの使用料廉価性で使用感どころか、
所有感を失っているコトを見て、私は厳酷したほどです。
なぜなら、
もはやスマホの使用感はおそらく私の選択が最も的確でしょう。
まず自動車制御、時計制御、メモ制御、サイフからカード制御、
そしてオーディオ制御にまで及んでいることです。
とりわけ電話通信の使用量ほど不明点が多くて、
結局、自宅WiFiまで、全てを変革させましたが、
自宅のシステム対応は完全に無理でした。
つまり、どこまでWiFiや赤外線対応で、
TV、照明、オーディオ、電話、だけで無く、
デジタルアッサンブラージュはまだ制御システムに苦労をしています。
自動車制御、時計制御、クレジット制御には、まだ自動車も時計も、
結局は所有感を超越した進化はしていないと指摘しておきます。
無論、オーディオでのWiFiはとてもHiFiには及んでいません。
残念ながら、
使用感だけでのファッション性はアイデンティティを欠落させ、
時代の進化技術を見失わせることになります。
それは所有物としてのスマホで確認することができます。
所有感が使用感を決定させているのは、
残念ながらすべて海外の著名ブランドに支配されていることを
打ち消すデザインが絶対に必要だと確信しています。

* 「スタートレックという未来考古学のメディア」
* 『ファッションも完全完璧な信用・信頼・安全・安心だ』
* 「C.I.デザインの源流としての思想」
* 『改めて自宅玄関のデジタルアッサンブラージュ』
* 『電子ペンはすっかり日本開発が海外に負けている』


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『行学の士ならば、基幹産業は絶対に見つけ出すべきだ』


   


     12月 27th, 2016  Posted 12:00 AM

最近、日本の歴史が様々に塗り替えられています。
1192=イイクニつくろう鎌倉幕府って暗記したことも、
すでに、実は違っていたなどです。
そんな歴史学術的なことよりも、小説での歴史物語ほど、
日本人の知識を歪曲させていることにこそ、大きな過ちがあります。
特に明治維新ともなると小説での物語り=歴史というのはとんでもないです。
明治維新、その筆頭が坂本龍馬なんて、とんでもない間違いです。
「適塾」の存在、蘭学の医学校よりもむしろ、この塾で育成された人物たち、
彼らこそヒーローとして様々に幕府転覆を図っていました。
しかし、「安政の大獄」で処刑あるいは獄死した人物たちを忘れています。
「適塾」が大阪大学の源流ゆえにこそ、自分は大学人としてよりも、
福井県、越前藩士の橋本左内への傾倒こそ行学の士であることの憧憬です。
私は「適塾」のサポーターでもありますが、橋本左内については、
最も知っている人間であり、語り継ぎたくて「KK適塾」までやっています。
そしてその基本は「公益資本主義」であり、その著作の一つ、
「新しい資本主義」をデザインで語り直すことをめざしているのです。
それが、ポストIT、パソコンやインターネットから逸脱した基幹産業、
これを「KK適塾」でやっと発見し、紹介を徐々に始めています。
行学の士、そのデザイナーとして新しい公益資本主義としての
基幹産業が「コレだ!」と、極めている人はまだ居ません。
ちなみに、「適塾」が蘭学だった時期はとても短かったのです。
これがやがて大きな問題にぶち当たります。

* 『2016ワールド・アライアンス・フォーラム会議に出席』
* 『製品から商品へのデザイン投資のサインカーブ』
* 『「KK適塾」は日本からのデザイン思想と実務の発信』
* 『1800年代安政の頃・「適塾」を最も語り継ぎたい』
* 「ふるさと福井の偉人たちへの敬愛あるのみ」


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『ポケットブックになる「造形思考」が出版』


   


     12月 26th, 2016  Posted 12:00 AM

新人のドクターがよく診察着のポケットには、
薬剤のポケットブックがあります。
デザイナーとして、ポケットブックに相応しい書籍を探していました。
そうしたら、なんとパウル・クレーの「造形思考」が文庫本として出版。
本来の邦訳「造形思考」は最早入手は高額で困難ですから、
この出版を私は高く評価しています。
母校で非常勤講師をしているときに、ある優秀な学生から、
デザインには基礎的な書籍が無いから、
もし、持っていて完読するのは?、と
このような質問を受けたことがあります。
私はすぐに「造形思考」上下巻、「無限の造形」、
いづれもパウル・クレーを推薦したことがあります。
それ以来は、大学人としてこの書籍は定本として推薦してきました。
しかし、これらの書籍は書棚用でしたが、この文庫本は持ち歩けます。
「パウル・クレー?」、こういう質問がデザイン教育界は勿論、
デザイン教育者でも完読し、それを適用させているプロは本当に減少です。
それこそ、最近のグラフィックなどからwebsite表現を観て、
即座に「造形思考」でのある種の表現定理=これは私勝手の定理ですが、
円形・四角形・三角形、リズム、カオスでの秩序感性などは
この定本ですぐに確認ができます。
「この下手くそな造形だな・・・!」と、私が非難するときには、
その下敷きには「造形思考」での造形定理的な正否判断があります。
無論、「なぜこれが?」という彼の言説もありますが、
基本的にはほとんどは納得しています。
ともかく、定本が文庫本になっていることは共有したいと考えています。

* 『手稿は宝物である』
* 『バイブルとテキストでは著作権と商標権は闘えぬ』
* 『「造形思考」はイメージの表現=造形への音楽的理論がある』
* *「造形思考も数理思考も、『手』に集約します」*
* 『正しいデザイン手法としてのオマージュを熟知せよ』


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『「恐竜」、このシンボル性のイメージ訴求デザイン』


   


     12月 25th, 2016  Posted 12:00 AM

恐竜は私の生涯にとって重大な存在になっています。
それはわがふるさと福井県のシンボルでもあるからです。
それもあってか、米国の自然史博物館で世界で最も巨大な恐竜を観た、
その感激はとても大きなことでした。と同時に、福井県勝山市に、
恐竜博物館があり、今では世界でも有数の博物館どころか、
新たな恐竜がそれもフクイナントカという名辞されたのがあるほどです。
それだけにとどまらず、福井駅構内から駅前には実物大があります。
ところが、先般、京都のデパート、その中で著名なファッションブランドが、
「恐竜」をメインシンボルとして、商品だけではなく、
展示シンボルとしました。
先日、東京銀座の同じブランドショップでも、この一環したイメージ戦術が
見事に展開されていました。
福井県の恐竜イメージ展開とブランドイメージでの恐竜イメージ展開は
どうみても、福井県がどれほどのマーケッティングデザインを展開しても
明らかにイメージの訴求力はファッションブランドに負けていました。
つまり、シンボル化された一方は行政でのイメージ展開力と
ファッションブランドでのデザインによるイメージ訴求力を比較できるのです。
福井県人の一人、しかもデザイナーとして、
恐竜の知識だけでなく、恐竜イメージのデザイン価値づくりにはそれなりに
自分なりのデザイン展開とイメージ訴求手法を考えぬいていたのです。
が、明確にこのファッションブランドとの差異化が厳然としてきました。
これは差別化戦略では無いとだけ記述します。
もっとも、地方行政にブームとして展開した「ゆるキャラ」でのイメージ、
それは数体の「ゆるキャラ」以外は全てイメージ訴求は全くデザイン皆無です。

* 『恐竜の里になっていたふるさと福井』
* 『ふるさと福井はまだまだ恐竜の聖地になれる』
* 『「創育」と「想育」の中心はやはり恐竜の存在だ』
* 『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』
* 「『マーク+ロゴタイプ』が経常利益を決定している」


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