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『「創育」と「想育」の中心はやはり恐竜の存在だ』


   


     9月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

以前も恐竜をこのブログで取り上げました。
それは想像力の問題として、
どこまでこの存在に興味を抱くだろうかということでした。
自分のふるさと福井は、恐竜の街として、
すっかり有名になろうとしています。
勝山市には福井県立恐竜博物館があり、
この博物館は小学生の聖地になっている、そんな話も聞くほどです。
自分デザインの対象にしてすでに5年目になる「羽二重」ブランドでも
この恐竜をデザインパターンとして、あるいは新たな商品化に向けて
恐竜、それも勝山市で発見された4種を先般も、
ブランド設立のデザイン指導で仲間たちと話をしていたら、
日本で発見された恐竜は7種あり、
勝山近辺では5種目が発見されたという話を聞いてびっくりしました。
また、福井県出身の恐竜学者もいます。
そしてまだまだ不明なことは恐竜の身体は羽毛であったとか、
始祖鳥の進化であり、恐竜絶滅論にも様々な想像力が生まれていることです。
今、自分デザインの「羽二重」ブランドと恐竜パターンの組み合わせを
再考しなければいけないほど、
恐竜の情報が一段と詳細になってきています。
恐竜への想像力が大切ということでは、
「想育」と「創育」という発想回路づくりを考えています。
そういう意味ではやはり、恐竜の存在は大きなテーマだと思い、
またあらためて恐竜を持ち出しました。

* 『布、なぜシルクロード、シルクボイスだったのか』
* 『素材産地のダブルブランド・「羽二重」HUBTAE』
* 『ふるさと福井はまだまだ恐竜の聖地になれる』
* 『「羽二重」ブランドの発表を決定する!』
* 『想像力が及ばなくともこの存在は追いかけたい』


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『商品価値のための特徴と特長のイコン=アイコン』


   


     9月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

自分の記憶が曖昧なのですが、
「アイコン」をパソコンで知ったときに
ある小説と、もうひとつはロシアの美術学校で伝統的なイコン制作を
TVドキュメントで見たときでした。
したがって、今なお、イコン=icon=アイコンを連鎖させているのは
ロシア正教やカトリック教での正教像、そこから画像や図像、イメージで
パソコン画面上でのアイコンに結びつきます。
この源は似姿、印象、イメージが米国での哲学用語として、
ピクトグラムがアイコンとなって、一目でわかるということになりました。
改めて、正教画であった図像では平面図表現に透視図法までの歴史は
アイコンとして、コンピュータ画面上での動画に変化していくことに、
とても似ているように思います。
自分デザインでは、あるメーカーの16×16のアイコンは16進法で制作し、
やがてこの手法から32×32のアイコンづくりをした経験があります。
ところが、コンピュータ画面上でのアイコンは、
今ではすっかりとブランド商品の
「特徴と特長的なかたち」表現になっています。
昨夜は、万年筆でモンブランとペリカンを取り上げましたが、
このアイコン、すなわち、「かたちの特徴=特長」の明確さが
商品価値になっていることを日本のモノづくりはすっかり忘れています。
TV-CFであろうが、単なる応答商品や回答商品であっても、
アイコンの重要性をあらためて、こうした正教画像とともに再認識が
とても大事と思っています。

* 「人形・ワイフのコレクションにみる『ブランド価値』」
* 「健康自己管理としての血圧計の見直し」
* 「手旗信号、モールス信号、子供の頃から現代まで」
* 『忘れるなかれ、デザインは正面にあらず』
* 『デザインは解である』


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『イコン=アイコンが明解なモンブランとペリカン』


   


     9月 7th, 2016  Posted 12:00 AM

作家にとって万年筆は商売道具です。
はっきりと明言すれば、万年筆は一般的には、
モンブランかペリカンかどちらが優れているのだろうということになります。
これには自分が様々な作家の結論はペリカンがいいということです。
そしてさらに万年筆の「アイコン」性がこの二つのブランドにはあります。
モンブランにはいわゆるモンブランマークがあり、
ペリカンの軸には縦縞があります。
これを今では「アイコン」と呼ぶようになっていますが、
アイコンというのは、本来は「イコン」のことでした。
元来は宗教画の「図像」、ピクトグラムの源流になっていますが、
これがGUI=Graphical User Interfaceが生まれると
イコンがアイコンになりました。
そして現代商品にとってかたち=図像イメージがブランドを決定しています。
モンブランとペリカンは万年筆では筆頭のよく知られたメーカーであり、
メーカーとしての性能は作家たちにも好まれ、道具機能の代表的なモノです。
ブランドとしての効能は商品のイメージすなわちアイコン性を決定しています。
このアイコン性が認識されない限り、機能的な商品価値としては、
ブランド価値が無いということになります。
それこそ、かつてはスーツの胸ポケットに万年筆というのは
野暮なファッション、
これが定説でしたが、今では胸ポケットに挿します。
その時、万年筆のキャップトップにアイコン性が必要なことです。
残念ながら国産の万年筆にはこのアイコンがありません。
性能は極めて優れていますが、アイコンが無いこと、
すなわち元々のイコン性が大欠落しているのです。

* 『神仏像をもっと知っておきたいと考える』
* 「丸ポスト・街角のアイコンから貯金アイコン?」
* 『赤・この色がブランドを決定づけている』
* 『「ブランド」論を語る無知なコンサルタント信ずるなかれ』
* 「コンピュータを強く認識したときの人物と試作デザイン」


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『iPad ProとApple Pencilで臨書が出来る』


   


     9月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

出来るだけ毛筆で手紙を書きたいと
思っています。
そして、今ではなるべくiPad ProとApple Pencilで、
その練習、臨書もしながら可能になってきました。
Apple Pencilでの練習も、毛筆をグリップするように
垂直に立てて行うということに気づきました。
もう一つは、手紙には季節に相応しい詩を選びます。
夏は中原中也でしたが、
島崎藤村には秋にまつわる詩が多くて、
しかもできる限り、その一節、三行ぐらいがとても綺麗だと思っています。
これは、「秋に隠れて」という初恋の詩ですが、
島崎藤村の詩はとても日本語の語調と文体が美しいと思います。
初恋という「戀」という漢字がときめいて美しいと思います。
島崎藤村の詩には決まって花が登場することも、
文体や調べを美しくしているのかもしれません。
毛筆であれば、硯石に向かって墨をすりますが、
iPad Proのアプリでは紙を選ぶことが可能です。
しかし、紙のバーチャル的な存在はあまり好ましくはありません。
それでも、簡単簡潔に練習、デジタル臨書ができるのはこの時代だからです。
かつて、まだApple Plusの時代にサンフランシスコのMacWorldに、
(記憶は定かではありませんが)
日本から唯一の日本の企業がブースを出していました。
まだMacも白黒の時代でしたが日本人としてなんだかとても嬉しく思いました。
演算星組の「Mac書道」というソフト。
すでにMacでは書道が可能になっていました。

* 『毛筆も万年筆も細軸だから可能になる運筆がある』
* 『書き忘れていた手紙に取り組むという癒やし』
* 「手紙、そして私自身の肉筆は大事」
* 「『きれい』にすることが『美しい』こと」
* 『書の手本は王羲之と藤原行成を選びます』


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『藤原行成の書体との出会いは先生からの指示だった』


   


     9月 4th, 2016  Posted 12:00 AM

車イスの身体になり、
父からの要望と、すでに東京で体調が最悪で、
福井にUターンしました。 一年ほどの療養から、
自分は福井県下の伝統工芸にインダストリアルデザイン、
その導入を目指している時に、美大の教授であった故・小松芳光先生と
偶然にお目にかかりました。その時に、先生に質問をしました。
「先生、伝統工芸にデザイン導入をしたいのですが?」、
「それなら、君は古今和歌集と新古今和歌集から
もう一度マルセルデュシャンまでをやり直しなさい」と指示を受け、
(古今和歌集?新古今?マルセルデュシャン?)
(何だ?それ?)でしたが、
「素焼きで杯をつくるだろう、それを割ると破片が出来る」
(んーーー?)「まさに、マルセルデュシャンだね」(?)
「その破片に漆を塗って、それを硯にして書をしたためる」
このような指示を受け、ともかく古今集、新古今から
後拾遺和歌集に出逢ったのです。
その残されていた書の文字は判読が出来て「美しい書体」でした。
それが自分で探していた書体で藤原行成でした。
彼の書体では、ウ冠、辶、氵、にんべん、扌、などの書体に
自分はこれを臨書したいと思っています。
藤原行政が生きた時代は平安時代であり、そんな時期の書体を
「美しい」と感じ取ることができるというのは、
まず、これを感得出来る幸運さと
書体部位に潜んでいる漢字形態=漢字部位の美しさを
自分デザインの部位、「寸は尺よりも長し」を生涯携える
表現者として、大切に大事にしたいと思っています。
小松芳光先生からの指示が今では自分に染み渡っています。

* 『花嫁と独身者たちへのデジタルアッサンブラージュ』
* 『伝統工芸産地を補助金漬けから開放し法律の改正が必要』
* 「生涯最も使うアルファベット『K』」
* 「ヘルベチカは文字の結論になっている」
* 「六古窯・越前焼ー若い才能が復元から再興を始めだした」


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『先鋭的なマガジンという美しい情報集約性を読む』


   


     9月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM

雑誌ということばは好きではありません。
マガジンと呼ぶべきだと思っています。
雑草・雑木林など雑ということばでまとめられることは好んではいけない、
自分はこれをひとつの信念にしています。
そうしたマガジンを若い頃は30〜50冊は月に読む、あるいは眺めていました。
最近も女性誌から男性誌、さらには関係があまり無い領域も
20誌程度は読んでいると思いますが、
iPhoneやiPadでマガジンからwebsiteが連携をして、
一段といわゆる自分の周囲、その情報環境は進化をしています。
そんな中で、これはカーマニアなら絶対に興味深いマガジンでしょう。
とりわけ、自分の教え子にはカーデザイナーになった彼らは全て、
企業留学させていて、現在も一名がフランスにいます。
そういう意味では、このマガジンはアストンマーチンのユーザーのみの
マガジンですが、おそらくマガジンのアートディレクションも最高です。
カーデザインもマガジンも「美しさ」は自分デザインの手本です。
現在いわゆる雑誌出版はとても産業的、経済的には厳しい状況にありますが、
クレジットカード関係や住宅関係、保険関係などの広報誌的マガジンは
ことさらに充実度を増しているようです。
自分はデザイン教育として、雑誌記事の切り抜きを薦めています。
それはアートディレクションとして、レイアウト、イラスト、写真を
自分のセンス錬磨のためには必須だと考えるからです。
これで5冊程度の切り抜きを続けるとデザインの基礎能力はアップします。
それよりもこの「AM 」というマガジン情報には、ブランド価値と
デザインでの高級品のあり方がよくわかります。

* 『わが人生最期の車は美しいデザインを』
* 『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』
* 『新作007・ボンドカーでも確認できた曲線美』
* 『造形デザインがレジリエンスデザインを具体化解答』
* 「人形・ワイフのコレクションにみる『ブランド価値』」


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『ペーパージュエリーという新しい提案に美しさ』


   


     9月 2nd, 2016  Posted 12:00 AM

次世代のアーティストやデザイナーを見つけると
なんだかとてもいい経験をしたと思います。
紙での装身具を提示する作家の作品、
その商品を京都のデパートで見つけました。
とても繊細なFC女史のとても新鮮な作品でした。
そしてもう一つは、いつも誰かへのプレゼントを探しています。
特に海外の友人や来宅者へのささやかなプレゼントです。
次世代のアーティストやデザイナーの作品では、
新たな「美しさ」を見つけ出して、その商品流通の作法までが新鮮だと
とても感心させられることは人生では絶対必要条件だと考えます。
インターン生だった彼女にもこのペーパージュエリーを贈りました。
紙の切り抜き、この新鮮さと繊細で緻密な手法は賞賛に値します。
そして販売手法もよく出来ていると思いました。
心配なのはこのこの物真似、盗作が現れないかということです。
デザイン界ではジェネリック・プロダクトとかをまるで中国人のように
平然としているデザイナーは見過ごせません。
そんなことよりも今は次世代作家やデザイナーの新しい提案を知ることは、
自分が今まで様々なデザイン活動をしてきたからこそ、
飛び込んでくるアイディアに驚愕するのです。
若かった頃は先人の芸術家や工藝作家、
そして目標としたいデザイナーがいました。
そして現在は、若い陶芸作家、次世代の新しいデザイン活動を
自分の眼差しで見詰めてことばとかたちを語りたいと思っています。

# Papar Jewelry

* 『羊と鋼が調律の要だった、それを実証した友人』
* 『伝統の革新は新素材開発と情報エンジニアリングを図る』
* 『いけばな、日常の美しさは大切さを決定している』
* 『物真似を超えデザイン評価をグローバル化すること』
* 『正しいデザイン手法としてのオマージュを熟知せよ』


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『インターンシップ・短期間でのデザイン実務と専門統合』


   


     9月 1st, 2016  Posted 12:00 AM

以前、韓国のあるX企業から
10数名が来日し研究室での講演依頼がありました。
その時は1日みっちりと「発想手法の企業展開」を紹介しましたところ、
インターン生を送りたいとの話を受けました。
企業では「企画部門」の担当者で、まったくデザイン実務は未体験でした。
しかし、パスポート有効期間3ヶ月に製品企画から商品展開とデザイン実務を
最終プレゼンテーションと帰国後の企業目標と目的も持参で帰国しました。
そうしたら、今年も一人引き受けてほしいとのことで、同様に3ヶ月間、
研究室研修だけでなく、私の出張や他大学での講義、
そして日本では休みには、広島や自分が選んだ美術館なども小旅行。
彼女は企業では生産管理部門のエンジニアであり大学も生産管理でしたが、
次世代の企業目標に力点をおいたInternet of Thingsから
IoX=Internet of X商品、
そのスケッチからモックアップで3D-Printingという技術と
3D-Printerも基礎から実務をマスターしてもらいました。
3ヶ月だけでは不十分ですが、毎週のカリキュラムで、
時にはSkypeでのやりとりもしました。
昨日、すべての帰国時に持ち帰るプレゼンテーションを
画面とポートフォリオ、モックアップモデルまで、
検証して帰国することになりました。
生産管理エンジニアから、企業の次世代開発の目標と目的が明解になり、
帰国後、彼女の活躍が期待できます。
これで、韓国の教え子は4名になります。
大学教授になった教え子もいます。

* 『日本戦略は二つある。3D-Printerと3D-Printing』
* 『3D-Printingで伝統工芸産地へのサーキット戦術開始』
* 『アップサイクリングの真のリサイクルとは!』
* 『何がデザイン思考かは終わったのだ』
* 『デザインは解である』


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『書の手本は王羲之と藤原行成を選びます』


   


     8月 31st, 2016  Posted 12:00 AM

あらためて、自分は草書の書文字が美しいと思います。
そこで、手本は王羲之、藤原行成、そして電子辞書は
手放さずにいつも持ち歩いています。
最近はiPadにいつでも王羲之の文字は書き順とともに見直すことが出来ます。
ただ、余りにも草書体では、もうほとんど読解不能です。
祖父からもらった手紙は草書体が多くてなんとか読み取れる文字でした。
しかし、草書体の文字、本当は平安時代の女性文字の繊細さは美しいけれど
現代はほとんど読解できません。
藤原行成の書は筆使いが最も似ていると自分勝手に決めているだけです。
これまでは黒板とチョークでなければ書を伝えることができませんでした。
つまり、ホワイトボードでは無理でしたが、
今年の文具大賞では思いがけずホワイトボード用の顔料インクが出ました。
これでホワイトボードでも書道が出来るようになったのは
とても凄いことです。
自分の講義や講演ではそのまったく新しいホワイトボードが使えそうです。
それは、やがて王羲之を手本にして、書き順も確かめながら書が書けます。
電子辞書の書き順をそれぞれ草書で見ていると、
ここまで省略したら絶対に読めないだろうと判断して、
行書的でありつつ草書にしたい気持ちがあります。
ところで、夏を表すには中原中也を選んでいましたが、
秋なら、島崎藤村の詩が美しいのです。
そして、島崎藤村の詩などを読んでいると、
あの美しい日本語はどこに行ってしまったのだろうと思います。
そこで今は、懸命に藤原行成の書を集めているところです。

* 『黒板メーカー・馬印が実現してくれた「価値」』
* 『硯箱を整理しながら・・・』
* 『享保の手帖から私が学び直したこと』
* 「お盆・精霊馬の風習は願いを込めて、今年も!」
* 「『盆栽』・・・人生で多分し忘れたコトだと思う」


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『墨汁が護っていてくれた文字=言葉の伝統文化』


   


     8月 30th, 2016  Posted 12:00 AM

小学校1年生でした。書道の筆はやたらに太く、
祖父や父が使っている筆より太くてこれで練習?不思議でした。
そして、明日書道の時間があれば、
母に手伝ってもらい墨をすり、マヨネーズのガラス瓶に入れて、
学校に持っていきました。
書道ではなくて「書」をやりなさいと教わったのは、
禅宗第一道場の吉峰寺の住職からでした。
道がつくのは命をかけるものゆえ書に命をかけることはないとの教えです。
まだ、インクほどの知識はありませんが、今では墨汁が各種一杯あります。
現在は墨をするきっかけに、自分はこれら3種の墨汁を使っています。
簡単に書を書くなら矢立を使っていますが、矢立の筆の軸その長さは、
通常のボールペンと同じ140mm程度ということで、
筆記具の軸長さとの関係に驚きます。
識字率が武士は100%であり一般庶民が江戸後期には45%だったらしく、
このことは日本民族が筆文化、矢立を持ち歩いていた素晴らしい、
書の伝統が現在もひきつがれているということです。
墨汁というのは、実際は、墨をするといういう硯石と硯ですが、
この文化は菜の花から生まれて、菜の花の黄色が?=墨色になるという
その美しさの見事な反映だと思っています。
自分の墨汁には全くの光沢ある墨色、茶系の墨色、紫系の墨色です。
今では日本のインクは顔料が万年筆に入る時代にまで進化しました。
日本の墨、墨汁は矢立とともに日本のことばを引き立ててきたと賛美します。

* 『毛筆も万年筆も細軸だから可能になる運筆がある』
* 『森羅万象悉紙也』=ペン先メインテナンスの紙
* 『万年筆で顔料インクがありえるのだ』
* 『ブロッター・インクと吸い取り紙の関係』
* 『黒板メーカー・馬印が実現してくれた「価値」』


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