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「出来ないかもしれないけれど・・・」


   


     1月 18th, 2012  Posted 12:00 AM

週末は京都に出かけることが多くなりました。
自宅から45分ほどで京都に入ることができます。
そして、車椅子の私には結構バリアが少なくて移動が楽です。
なんといっても、映画を観るには京都が最適です。
東京はまったく駄目です。
映画館が不親切であったり、車椅子席が最悪な所が多くて
ついつい喧嘩腰になりそうな嫌な映画館が多過ぎます。
大阪は映画館がなんとなく不潔っぽく清掃が行き届いていません。
金沢も親切で席もいいです。
が、なんといっても京都は
車椅子席が一番良い場所にあり、スタッフみなさん親切です。
だから映画をよく観るようになりました。
映画についてはコンテンツ産業として
日本は間違っていることが多いように思ってます。
いづれ書くことになるでしょう。
さて、この正月はビーズ工作に熱中したこともあって、
周囲からもブレスレット欲しいと言われてしまったので、
それなら、部品もオリジナルをデザインし自作して
プレゼントしようと思いついてしまいました。
それで、「よし、京都行くぞ」てな具合で、
夜に出かけて、深夜は真剣に一冊だけ熟読メモづくり、
翌日は、映画を2本観て、
それからビーズ屋ですべからく観察しビーズを買いためてきました。
ビーズ、きらきらしていてとても綺麗です。
綺麗なことって、
見ていても純粋というよりは単純にうれしくなります。
そう言えば、最近の商品デザインや企業が美しいとはとても思えず、
ただ、安価なモノづくりは
世の中に「ゴミをばらまいている」と腹立たしくなります。
ともかく、ビーズはきらきらしていてそれだけで十分綺麗です。
買いためましたが、出来るかどうかわかりませんが、
ブレスレットを作ってみようと小さな決心をしています。

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「カーオーディオはもっと進展するはず」


   


     1月 17th, 2012  Posted 12:00 AM

おそらくもう車も生涯では今の車が最終かもしれません。
そう思いつつも人生最後の車種はこれにしたいという願望はあります。
先般も、友人デザイナー達と夕食をしながら、
最後にはどの車に乗るか、乗るべきかという話で盛り上がりました。
基本的には工業デザイナーは
すべからく「車」には人並み以上の欲望があると思ってます。
ところが最近、工業デザイナー志望の若者には、
「免許すら持っていない」という話もあります。
カー・カメラ・オーディオ・オートバイなどというのは、
工業デザインを志望する者のどうしても
物欲とデザイン嗜好の対象だったはずです。
ということもあってか、
車そのモノはデザイン対象にしてきませんでしたが、
男の子として乗りたい車には乗ってきたと思います。
一時は4台所有していたこともありますが、
今、たった1台=ベンツのSL500だけです。
ベンツのSLはSLKからSLも3台目と乗り継いできました。
私の場合は、車椅子ゆえに制御系を改造してありますが、
これも日本では独特の規制があって、
海外仕様には出来ないという不満があります。
いつか本当のことを書きとどめないといけないとすら思っています。
そして、車はある種「局部音場」ですから、
オーディオ空間としては車そのものを改造しています。
特に、iPhoneやiPodの時代になってからは、
FMで音を室内にFM音として飛ばして聴くことが可能になりましたが、
そのカーアクセサリーがなんとも進化していません。
だから、すでにいくつかのアクセサリーを使用し
それがすべからく試用になっています。
ようやく現在落ち着いているのは、Belkin TuneBase FM Liveです。
しかし、満足しているわけではありません。
いづれカーオーディオからカーナビもすべからく
iPhoneのように変貌するでしょう。
そうなったときには、カーオーディオも進化すると思います。
ただし、この場合、車のオーディオシステム、
特にスピーカーシステムそのものが変革する必要があると考えています。
たとえば、
今乗ってみたいと思っている車種のオーディオが変更になりました。
それはカーブランド・カーイメージそのものを
台無しにしていると評価しています。

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「ここから教えれば・・・」


   


     1月 16th, 2012  Posted 12:00 AM

LPレコード盤はすでに相当整理してしまいました。
この玩具のようなプレーヤーはほとんど骨董品です。
僅かに残してあるドーナツ盤をワイフは初めて見て、
「どうして音がするのか?」とか、
回転数の話やレコード針の話をしていたら、
ローリングストーンズのピンク盤を発見しました。
やっぱり出てきた言葉が「かわいい」です。
ワイフとは相当に歳の差があるので(すいません)、
この玩具的なプレーヤーの音がいいらしいのです。
そうかも知れないと思います。
アナログの音はどこか暖かみがあって魅力が届くのでしょう。
「いや、もっと上質のアナログのプレーヤーがあるから」と。
(そうだ、ここから教育をすればイイ・・・買う許可でるかも)
オーディオ、それもアナログプレーヤーから
オーディオシステムの話で講義をしていけばいいのだと気づきました。
と同時に、ドーナツ盤も初めて見たらしくて、
パチ・パチ・・・という音が、ダストが盤に残っているからとか、
それを防止する方法とか、かなり興味が出てきているようです。
この骨董品的な玩具的なプレーヤーから、
もう一度、ゆっくりとアナログのオーディオ世界を開いていこう。
そんな企みをしています。
「このピンクのレコード売ったら、結構高価じゃないの」
(やばい、話はそこに行ってしまったら・・・)
懐かしい音ですが、何かがあります。
アナログのオーディオを学生やスタッフにも聴かせたいと思います。
そういえば、韓国のKAISTでも、ある教授の部屋には、
学生にアナログの音楽を聴かせる高級オーディオシステムがありました。
彼も言ってました。
「このシステムの音を聴かせること絶対に必要です」と。

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「Skype=グローバリズムツールだろうか」


   


     1月 15th, 2012  Posted 12:00 AM

「TV電話システム」は登場初期から種々使用してきました。
福井から名古屋に移住していた頃には、
鯖江市で毎土曜夜の社会人のためのデザイン講座、
SSID(Sabae School of Intelligence Design)を
名古屋からTV電話システムで講義をしていました。
このSSIDは17年間やり遂げました。
約250名の修了生が今も一つのローカルコミュニティになっています。
そして今はUstreamやSkypeがとても役立つツールになっています。
Skypeの使用機器も様々に試してきて、
現在はこれらを使用しています。
映像も音も随分と進化したと思います。
したがって、研究室とデザインスタジオはいつでも会話が可能です。
国内外とも図面や企画書も見ながら会議を済ませることが可能です。
パソコンを核として映像と音響、
それは電話方式や放送形式を簡便なことに変貌することが、
ネットワークの進展によって可能になったわけです。
そこで、私たちはこの簡便さが、
まさしくグロバーリズムのツールと思われています。
しかし、私はグローバリズム、
この世界観的な経済主義の正当性を疑っています。
グローバリズムがあたかも理想主義、
その一つの形式ということを再熟考する必要があります。
TPPもグローバリズムへの推進論と慎重論でとの対決で語られています。
これは国家論としての今後の方向を決定づける一大事です。
私はSkypeを使うときに、
きっと次のような幻想が取りついていると考えます。
Skypeのカメラに自分が写り、
そしてネットワークは限りなくグローバルに広がった世界が映っている、
そんな想いが、確かに現実感ですが、
実は大きな幻想・幻覚・大誤解のweb、
すなわち蜘蛛の巣に現代人は呪縛されてしまったのでしょう。
あらためてネットワークとグローバリズムを
Skypeという現実ツールを前にして再考する方法がありそうです。

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「泣くということ・喜怒哀楽の基礎感性行動」


   


     1月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

基礎感性行動、なんと大げさなタイトルでしょうか。
しかし、「泣く」というのは最大に重大な行為です。
正直、大泣きしたのは幾たびかあります。
母との死別。
車椅子訓練のつらさに耐えがたくて恋人の前で。
大学人になって悔しさでどうしようもなくて。
これが大泣きせざるを得なかったことです。
母との死別は、独りっきりで河原で大泣きしました。
車椅子になるという医師からの宣言では決して泣きませんでしたが、
当時、恋人の前ではリハビリトレーニングが苦しくてつらくて。
大学人になってからは、恩師に電話口で、
この恩師はもう逝かれてしまいましたが、
最近も、もう唯一の恩師の期待に応えられなくて、
還暦も過ぎたというのにこれも電話で泣きました。
子供の頃は、「泣いて帰ってくるな、
男子は泣くな」と教えられていましたから、
それはどこかで泣いて帰宅したことがありました。
「涙壺」、これはアラブ地方で、
兵士になった夫の帰りを待ち望んで、
妻がこれだけ泣いて待っていたというシンボルのオブジェです。
私は、「喜怒哀楽」はきっちりと
人生を四等分している感性だと思っています。
だから、喜んで、楽しすぎても泣きます。
無論、大声で笑いこけます。
同様に、怒り狂っても笑えて済ませることができます。
つまり、「笑うこと・泣くこと」これは人間感性、
いや感情の表れです。
「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」という心理説もあります。
今、日本は「泣きたいほどの苦境にあります」。
だから早く「笑える日」になってほしいのです。
泣くことを強いられたら、笑い飛ばせる自力が必要です。
そのためには、喜怒哀楽と泣く・笑うを対照的にできる感情制御が
感性を鍛えてくれるでしょう。
感謝のあまり、涙が流れること。
憤りが過ぎて、涙が流れること。
涙と泣くという感性の構造を
自分の心の一番大きな引き出しにしたいと思ってきました。
心の表情が、泣いたり、笑ったりすることだと思っています。
心が折れそうになることなんて、日常的に襲ってきます。
だから、自分を鍛錬するには、泣く・笑う、
これは、感性を行為化する基礎だと思っています。

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「カートリッジデザインのフィニッシュワーク」


   


     1月 13th, 2012  Posted 12:00 AM

おそらくカートリッジと言ってももう不明でしょう。
LPレコードを再生させるレコード針のことです。
写真は、東芝で最後の商品であるイコライザーアンプ用の、
エレクトレットコンデンサーのレコード針・C-400と、
フリーになって、
「ナガオカ」=レコード周辺アクセサリーメーカーの仕事です。
もう「ナガオカ」は消滅しましたが、
元社員の方々で「レコード針』販売は続いています。
「ナガオカ」の商品は今も専門店で販売されています。
「ナガオカ」は最初に私のパトロネージュになっていただいた企業。
だから、このシリーズは私にとって作品ですから、
全製品買い求めたいのですが、
おそらく100万円ぐらいになるほど高価な商品です。
もはや、レコードプレーヤーは使っていませんから、
持っていたレコード針はもうこれだけです。
ピッカリング、オルトフォン、シュアなど再現音が懐かしいです。
LPレコードファンは今なおマニアックにおられます。
私も「糸ドライブのプレーヤー」そしてその周辺機器で、
たっぷりと「アナログのレコード演奏」を聴いてみたいと思っています。
だからLPレコードもきっちりと100枚だけ残してあります。
今、CDもリッピングして整理、100枚だけ残して整理をしている最中です。
この写真の「ナガオカ」商品は、パッケージデザインでは
当時、肉厚成型で今はもう出来ないかもしれません。
Aurexはエレクトレットコンデンサータイプだけれど、
ヘッドシェル(カートリッジを取り付けている)は、
マグネシウム合金で一体成型、
よって、針先への振動を可能なだけ遮断することをめざしています。
車椅子になる直前と直後の仕事です。
つまり、性能を出来るだけ完成度を求めるために、
素材や成型加工に至るまで、本当に丁寧な仕事をしています。
パッケージ、ヘッドシェルいづれも、時々取り出して眺めていると、
現代の「モノづくり」は手抜き仕事に思えてなりません。
デザイン・生産設計・商品化まで、徹底的に性能から機能を求めました。
やはり、徹底的な「仕上げ」=フィニッシュワークはデザインの本質です。
デザイナーである限り、決して忘れたくありません。

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「健康は失い薬づけだが幸運なり」


   


     1月 12th, 2012  Posted 12:00 AM

28歳交通被災で車椅子生活。
交通被災時に心臓も直撃されたために心臓障害。
これが私の宿命でした。
絶望だけはせずに、自分を諦観の中で生きてきました。
ところが、幸運だったのは大学人になってさらに、
名古屋市立大、大阪大でもそろぞれの附属病院で、
詳細に体調管理されていることです。
入退院、手術は幾たびも、しかも敗血症まで、
こんな重篤も乗りこえることができました。
これは幸運なことだと思っています。
だから、「幸不幸」はコインの裏表みたいなものです。
「幸不幸」から幸運や幸福をつかみとらなければなりません。
毎月病院で診察を受けます。
これは体調が良いときです。
体調が悪いと診察にも行けないのです。
敗血症から生還してきたとき、
病院の待合室で大勢の患者さんを見ていてこう思いました。
「病苦で自死を選ぶ」というきもちがつくづくわかりました。
毎月毎月、死ぬまで病院通いなんていうのは耐えられないし、
常時食前食後就寝前に服用しなければならない薬を見ると、
きもちはすこぶる落ち込みます。
ICDを入れる前に比べると、格段に薬の種別も激減しましたが、
それでも常に万一を考えると、薬づけの生活です。
だからこそ、「薬」の形態や色彩のデザインが不可欠です。
そして薬の形式をもデザインで変えてしまうべきと考えています。
なんとしても「ドライパウダー化」して経肺吸引が目標です。
現在は、ワクチンをミスト吸引するシステム開発が進行しています。
機能食品という名の「健康維持のサプリメント」ブームです。
しかし、サプリメントととの最適性などは、
もっと確実にしていく必要があると考えています。
いづれ、私の常備薬がドライパウダーになってくれたらと思っています。
自分のための造形された、デザインされた薬が必要です。
デザイナーとして、
こんなことに気づかせてくれたのは「幸運」だったと思ってきました。

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「月齢表示・ムーンフェイズが暗黙に指示しているかも」


   


     1月 11th, 2012  Posted 12:00 AM

名古屋にいる時、
ドロボーに入られて、時計をすべて盗まれました。
名古屋ではワンフロワーに一世帯一家族だったので、
ドアがバールで壊されても
誰にも気づいてもらえませんでした。
全ての時計といっても12個ほどでしたが、
50万以上の時計投資はしておらず、
それぞれの時計には、一つの仕事をやり終えた記念でした。
そしていわゆるデザインされたモダンデザインの時計も
随分持っていましたが、
ドロボーは見事にいわゆるブランドモノを持ち去りました。
如何にモダンデザインの時計は見捨てられているか知りました。
だから一年以上暗ーい気持ちでワイフとペアで持っていた時計だけでした。
それから1949年(私の生年)に製造された当時ゆえステンレス筐体の
パティック・フィリップス(毎年値上がり)を手に入れてから、
またともかく美しくて気に入った時計を持つようになりました。
このところは、「ムーンフェイズ」をともかく徹底して見ています。
それは太陽暦だけではなく、
太陰暦・グレゴリオ暦が絶対に時間・人間・自然には関与している
そんな直感があるからです。
時計に月齢表示機能があるのは、
本来は20世紀以前の船員向け潮の満ち引きの手がかり表示機能でした。
月の満ち欠けは単純です。
朔=新月という月の見えない時、
望=満月、
そして上弦と下弦の半月の四種類だけです。
この四種類の計時変化は、人間と自然には大きく影響していると考えます。
よって、ある種のバイオリズムを制御しているのは、
月と関係があるかもしれません。
私の体調もなんとなく最近は月の満ち欠けと関係しているかも知れません。
なぜ、日本は太陰暦に重きをおいていたのでしょうか。
グレゴリオ暦の歴史を追いかけていくとき、その神秘主義とともに
明らかに景気から地震に至るまでのある影響が確実にあるようです。
もう少し私なりの知識と直観がまとまれば、
太陽暦と太陰暦をムーンフェイズとは異なる形式を見いだして、
新たな「腕時計」性能をデザインします。
日本でも「トゥールヴィヨン」を自作しているデザイナーがおられます。
彼から聞かされたのは、まだムーンフェイズの精確性は未完成とか。
すでに日本では、クリスタルガラスすら製造出来なくなっています。
バーゼルの時計見本市と対抗できる『腕時計見本市」が必要です。
今、私はあるブランドに特別発注したムーンフェイズが楽しみです。
「腕時計」は時刻という見えない事を視覚化したツール、
そして、自己証明のメディアでもあるのです。

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「無我夢中での手先仕事から・・・」


   


     1月 10th, 2012  Posted 12:00 AM

今年の正月は無我夢中でビーズ工作をして過ごしました。
いつか作りたいとか思っているプラモデルなど、
ただ買いためているだけで、本当にできませんが、
このビーズ工作では、マイブレスレットづくりに夢中になりました。
ワイフが京都出身もあって、京都にはよく出かけます。
休みには結構「寺町通り」を散策し映画を見たりしていますが、
ビーズ屋さんを覗くのも大好きです。
さてビーズ工作は、もうすっかり老眼の私にはきついのですが、
手先仕事は得意ゆえに、自分用やワイフ用にもいっぱい作りました。
もう夢中になると歯止めがきかずに、
気がついたら30本ぐらい作ってしまいました。
そして、このような部品では限界があるとついつい考えてしまいます。
結局、イメージは膨らんでこんな部品や素材をなんとかしなければ・・・
だから、
結局はデザイナーとしての思考回路に閉じ込められてしまいました。
子供の頃はまだプラモデルが無かっただけに、
自分で工夫をしてモノづくりに夢中でした。
高校に入っても、
明日は試験というとなんだかモノを作りたくなってしまい、
試験準備の勉強どころではなくなってしまったこと、しばしばでした。
こうしたことに無我夢中になっている手先仕事も、
いづれは不可能になるかもしれません。
この器用さをいつまで保持できるのだろうか、
そんなことを考える正月でした。
63歳にまもなくなります。

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「想像力と直感あれど『東京ラリア』具現化出来ず」


   


     1月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

1994年にギャラリー・間で個展をすることができました。
「プラトンのオルゴール」という個展をしました。
その個展の作品・インスタレーションは、
2006年に金沢21世紀美術館に永久収蔵されました。
その個展で一つの作品を提示展示しました。
「東京ラリア」という名のラジオです。
これは災害用を意図して、電源無し・振って発電し、
NHKだけが聞こえるラジオ=受信機能と
発信には笛をつけました。
その笛の吹き方は、表面に触覚マークがついています。
「・・・ーーー・・・」というだけのものですが、
これはモールス信号のS・O・Sを表しています。
フッ・フッ・フッ・フー・フー・フー・フッ・フッ・フッで
SOSになります。
これを個展と同時に草月会館での講演でも見せました。
そうしたところ、東京消防庁と東京都から具体化の話になりました。
しかし、様々な経緯で可能にはなりませんでした。
そして翌年1995年に阪神・淡路大震災が起こりました。
(来るべきことが起こった!)
私の想像力と直感が当たった気がしましたが、
咄嗟にこの「東京ラリア」が出来なかったことを悔やみました。
こうした体験を何度してきたでしょう。
新潟県中越地震前に「佳設住宅プロジェクト」を
ある住宅メーカーと進めていましたがトップが倒れてストップ。
この「夢」も本当に間に合いませんでした。
中越地震直前にあった出来事も書き残したいと思っています。
この時は、日本の原子力技術学会・大学人と大喧嘩しました。
これは、本当に今回の原発事故での原子力専門学者、
特に御用学者の態度をすでに私は体験していました。
いづれも、デザイナーという職能の悲しさです。
デザイナーはデザイナーでしかなく、
具現化する投資やその具体化推進の経営者がいないのです。
だから、私自身の経済的な投資力を持たなければなりません。
製品開発のアイディアは「夢」となる想像力と直感ですが、
これは「夢」というより必然的などうしても実現を急務とする義務です。
残念ながらその力量が私に無いことが悔しくてたまりません。
先般、Facebookでこのラジオのブログを紹介したら、
覚えておられた方、やがて私の連載の編集者さんが
詳細に説明を投稿していただきました。
そこであらためて、ブログアップしておくことにしました。
まもなく、私は昨年の3.11から取り組んできた「夢」というより、
デザイナーの義務としての「復興計画」の企画提案をします。
万一、これが受け入れられなければ、
それは私に「説得力」というデザイナーとしての基本能力不足だと判定し、
残された時間の使い方を再熟考し直す覚悟でいます。
たとえ、想像力と直感でデザイン対象を見いだしたなら、
それはそれなりに「社会化」することが、
デザイン職能の義務だと考えます。
これは私自身の存在証明ですから、それが無くなったなら、
私の存在価値は自分で決定する必要があるでしょう。
「東京ラリア」の基本的な動機とその考え方は、
iPhoneアプリ「HELP CALL」に連続させていることを追記しておきます。

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