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「北京だから夢中になれたこと」


   


     6月 28th, 2011  Posted 1:00 AM

中国といえば当然ながら、
「文房四宝」。
硯・筆・墨・紙という古典的な知的道具。
これまで中国からのお土産は、
私が好きだからということで、
この文房四宝から、筆と墨はしばしばいただいていました。
紙は、ふるさとには越前和紙がありますから、
その製法は無論知り尽くしているつもりです。
ちょっと舐めてみれば和紙素材を的中できます。
もう見て触れてみたかったのは、「澄心堂紙」です。
北京の観光地にもなっていますが、
ほとんど観光客無し。
文房四宝の街筋に出かけてみました。
硯を見て回りました。
端渓の硯には見事なモノをいっぱい見ました。
外車が買えるほど高価なモノにはびっくりです。
私なりに小ぶりのモノを二つ、かなり値切って手にいれました。
端渓の硯はどこを確認するかを教えてもらいました。
ふと見ると、「青金石」=ラピスラズリの印材を見つけました。
私にとって、このラピスラズリは大好きな青色。
加賀藩・成噀閣の「群青の間」です。
EIZOのFORIS.TVに適用した「青色・ラピスラズリ」です。
今回招聘していただいた同伴の方々の値切り、
そして朱文と白文の篆刻を発注し、作成方法を観察しました。
実は、篆刻をやりたくてその道具類は集めましたが、
相当のトレーニングをしなければならないことや方法が不明でした。
じっくりと観察しました。
弟子入りして20年はかかる技術だそうです。
じっくりとその作業を見守り、エッと思える技を知りました。
そうだったのか・・・・納得、納得の連続でした。
これから「紙墨相発」にこの篆刻、
北京での大収穫でした。
もっともっと毛筆に自分を溶解したい気持ちでいぱいになりました。
ラピスラズリはアフガニスタン産だそうでした。
この溶け込むような群青色は本当に美しい。
これからこの篆刻と端渓硯が私の文房四宝では主役になるでしょう。


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「北京活況との対比」


   


     6月 27th, 2011  Posted 12:43 AM

北京国際空港を見ると、
あの当時のこの国が、とても巨大な力を感じます。
大理石を見ればこれは確実に本物であり、
日本のような見せかけではない床、柱、壁面に触ります。
北京・上海にある大学などや文化センターからは、
これまで何度もお話を受けていました。
「ある躊躇」と「私の健康条件」を考えて控えてきました。
したがって、初めての中国です。
いつも、海外に招聘されると現地の方々に支えられるので安心。
今回は、若手経営者が自分の秘書の方を付けてくれました。
彼との出会いやその企業の発展ぶり、
私の教え子=博士号取得もいてくれる話はいづれ書きます。
ベンチャーのあるべき手本は、企業とデザインの関係です。
さて北京にて、まずは父を思い出しています。
20歳で徴兵されて満州・日華事変に加わりました。
終結とともに青島で、帰国船に乗ると、「再上陸進軍」。
大東亜戦争の勃発とともに、蒙古から中国を南下し、
インドシナ半島、そしてベトナムで投降。
フィリピンでの抑留生活まですべて8年間でした。
帰国し、結婚し、私は彼が30歳の時に生まれました。
70歳で、社会と決別して「晴耕雨読」9年で、
晴天の日に散歩途中に倒れてそのまま逝きました。
70歳を迎える前年に私に、「社会での活動は終了」と断言。
周囲は、とても70には見えない容貌からも反対されました。
まだ、50歳後半に思われると自慢(=私もそうですが・・)
「老兵には決着の時がある」と言っていました。
私も彼のような生き方を選ぶ覚悟です。
9年間、彼に与えられた自由時間だったのでしょう。
中国を観てくると言って旅行もしてました。
「あの国はやがて・・・」とも言っていました。
空港でいきなり、警官と怒鳴り合う市民、
クラクションを投げつけ合う交通に触れつつ、
大阪の自宅マンションは15%節電で、共有部分は暗く暑い。
国難の日本の日常には不安が胸を締め付けます。
ふるさとの「もんじゅ」に底知れない大きな不安、
「原発」をどう終息させていくか、
あるスマートグリッドの会議を済ませてやってきました。
「設計・改変社会的力量」が私へのテーマです。
中国は、デザインの果たす国際貢献手法に気づきました。
産業経済からさらに国際文化構築のデザイン、
今、次第に具現化していることを紹介するつもりです。


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「みる・きく=正確さと曖昧さが同居」


   


     6月 26th, 2011  Posted 12:00 AM

「みる」という行為。
視覚的に見る・視るという感覚、
さらに、観る・診る・看るまで
それは感覚から行為にまで及びます。
「みる」ことが行為から行動というのは、
感覚的な行為が確信的な認識行動だということです。
それは、その感覚を支援する帰納性から演繹性までを
「きく」ということでの認識性と対照化することが可能。
私はそのように思い、考えてきました。
抽象的な表現かもしれませんが、
「音をみる」ということを代替するには、
音質とか音色とか音場をまさに診ることと看ることです。
オーディオファイルと呼ばれているマニアックな人、
私もその一人ですが、常に、音を診るのです。
やや高音が高すぎるとか、低音の響きが不足気味だとか、
このようなことに耳を澄まして聴いているわけです。
結果、アンプとかの機器だけではなく、
コードだとか、その機器の設置方法にまで、
いわば診断して音響システムを看護するようなものです。
だから、一旦信じ込めば、ある音響ブランドなら、
絶対に確実というイメージが音感を支配します。
私が東芝でオーディオブランド「Aurex」に関わった時、
家電を造っているメーカーなど信頼できないという
まさに風評に取り囲まれていました。
いわゆる「目隠しテスト」をすると、
ブランドや外観の印象が不明なために、
オーディオ評論家でも、「Aurex」の新製品を合格とし、
伝統的な有名ブランドを不合格にすることが増えました。
ということは、
聴覚というのは、正確であったり曖昧でもあるわけです。
したがって、オーディオには信仰心が重なっています。
私などはどっぷりその信仰心で、
自分の音響システムを崇めていると自覚しています。
しかし、この信仰心は常に揺らいでいますから、
「みる」ことも「きく」ことも、
正確・曖昧が感覚と認識には常駐しているのでしょう。
常に意識しておく感覚の前提だと判断しています。


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「私的宗教感としてのダンディズム原点」


   


     6月 25th, 2011  Posted 12:00 AM

見るより視ること。
聞くより聴くこと。
この二つが私のいわゆる視聴覚の感覚。
美大で、見ることから視るということ、
オーディオ機器で聞くから聴くこと、
これらが私個人の視聴覚への感覚検証です。
しかもオーディオ機器に携わって社会人デザイナー、
無論卒業制作は3Dオーディオシステム実働機器でした。
絵や彫刻を見るというより視るという感覚が、
自然と身についてきた感覚があります。
オーディオはすっかり趣味ですから、
自宅の音響システムは、
ワイフを懸命説得で日常的な満足を目指しています。
なにしろ、「これがなぜこんなに!」って言われます。
視る、という感覚は、メガネとモニター設計に直結。
だから、デザインと技術の関係を突き詰める、
そんな幸運で幸福を味わい続けてきた気がします。
そして、私の生涯で大きな変革がありました。
いわゆる視聴覚機器の技術革新、でした。
したがって、デザイン設計もその結果の自分確認も、
有意義な経験を持つことができたと思っています。
それは、「アナログ」と「デジタル」という技術変遷です。
だから、「アナログからデジタルの狭間で」という論考を、
そのままオーディオ専門誌で連載したこともあります。
しかし編集部との考え方違いでこれは数回で喧嘩終了。
それでもいまなお、この「狭間」に私の感覚があります。
幸運なことは、
視覚対象のハードウエアも、聴覚対象のハードウエアも、
私なりには、「男の子」としては、まあ満足幸運してます。
よく、学生やスタッフには、
「男の子」としてだったら、
要はダンディズム対象があるという話をすぐにします。
ファッションからはじまって、
カー・カメラ・オートバイ・自転車などなど玩物嗜好、
これこそダンディズムであり、男の子感覚の極致とすら、
私は思って信じているいわば私の視聴覚宗教感でしょう。
ついつい話がはずれましたが、
この話が一番、自分も元気で希望・企望の原点です。


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「百聞と一見、百見と一聞」


   


     6月 24th, 2011  Posted 1:04 AM

「百聞は一見にしかず」。
古来、日本の警句です。
それなら、この真逆はどうでしょう。
色々聞き回るよりも、
一瞥で分かってしまうこと。
色んな所を駆け回るより、
一言聞けばそれで十分に理解可能になることの有無です。
無論、理解対象の区別は先立ちますが、
私は、これは双方とも同じ事だと結論づけています。
しかしむしろ、盲目の人は、聞くだけで十分であり、
全てを見つめて知り尽くしているはずのことが、
健常者の人が見えていない=認識不可能に陥っている方が多いです。
かって、「まちづくりのための歩いて観察」など、
そんなイベントでは、
白杖の人が、あそこの細道は救急車が入れないとか、
あの道路の側溝には落ち葉が溜まるとかを発見。
だから、私はこんなイベントには必ず、
盲目の人が絶対に不可欠という発言をしてきました。
私は、車椅子ですから、
視界が「座った位置で視線高」が一定です。
むしろ、地面や床の方がよく見えてしまいます。
だから常に空を仰ぎ見ることを習慣にしています。
おそらく、座っている位置と立っている位置では、
空気の流れすら感じ取る大きな違いがあるはずです。
今やTVで見聞することで情報要素は膨大です。
しかし、TVよりもラジオを聴くことの方が
かえって情報要素に対して、
詳細な認識感覚が研鑽されることが多い、
と私は確信しています。
結局人間の感性の振幅巾は個性差や経験差はありますが、
「見る」こと・「聞く」こと=see・hear
「観る」こと・「聴く」こと=watch・listen
この同価値性にする感覚は鍛錬が必要だと思います。
座禅とか瞑想とかメディテーションは、
その手法の一つであることは確かです。
私は、適うことなら、五感を超越し、
決して迷信でもなく占いや予知能力でもない、
いわゆる第六感の世界にすぐにワープしたい限りです。
今、私の方法にはラジオに対して、聞くというより、
聴くということの大切さを強く感じている次第です。
早い話が、TVやwebsiteで「視る」ことを、
「聴く・聞く」という翻訳によって精査している最中です。


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「見ること聴くこと・支えてくれる物質」


   


     6月 23rd, 2011  Posted 12:00 AM

ロドプシン。
専門的な呼称は色々あります。
大学時代に「葉緑素のような物」、
それが最も印象に残っています。
視覚物質と一応呼ぶことにしています。
一般的には、自動車免許の試験問題に、
暗所視反応とか明所視反応とかで、必ず問題になっています。
トンネルに入る、明るいところから暗いところに入る、
そうすると目がその明暗に反応するという、
明暗を視覚細胞がコントロールされている物質です。
これは視覚細胞にどう働いているかということですが、
このロドプシンは、視覚だけではなくて、
聴覚にも影響を及ぼしているのかもしれないと思います。
あくまでも私流の推測ですが、
たとえば、目を閉じてオーディオで音楽を聴くのと、
目を開けたまま、
音を聴くのとでは違いが絶対にあると思っています。
それは、音をさらに精微に聴くというのは、
まさに「音色」という言葉を日本人は持っています。
音が見える、という感覚は、
闇という文字にも表象されているように、
暗いところで、視覚物質の働きは、
音が闇の中で、色付いて「見える」という感覚です。
音が見えるというのは、
ロドプシンが視覚から聴覚にも認識性を与えている、
そんな気がしてなりません。
したがって、明暗のコントロールが、
音色を感じ取る感覚に通底しているのでしょう。
音が「見える」ということには、
視覚物質であるロドプシンが、
聴覚細胞にも繋がっているという私なりの想像力です。


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「見ること・見えることで分かること」


   


     6月 22nd, 2011  Posted 2:00 AM

見るためのモノ。
私のデザイン対象アイテムです。
これまで様々なモノを製品化、
そして商品として市場に出し、
消費生活の一端を担う仕事・職能を選んできました。
メガネはずばり視覚補正支援機器であり、
モニターやTVは、視覚での情報収集機器です。
また、デザイナー次世代には、
デザイン教育として、色彩論を教えてきました。
さらに色彩論から色彩学には、
「実習・演習」で、身体的に、自分の視覚的な認識と、
色彩表現となる知識の獲得と研鑽を教示してきました。
だから、「見る」ということ、
さらに「見えること」には差異があることなど、
自分自身、ほとんど日常的な経験の中で醸成されている、
そんな自負心とともに、反照としては、
「見えているのだろう」と自問自答の毎日です。
したがって、メガネは必ず自分のデザイン設計したモノ、
メガネフレームはほとんど持っているというより、
これは良いデザインというモノも収集しています。
モニター・TVは、どこがポイントなのかは、
結構知り尽くしていると思います。
そして「見る」ことを支えている生理的な視覚物質には、
その物質の科学性が専門家によって、
どこまで現代知られるようになっているかについては、
とても興味があります。
おそらく、視覚物質については未知のことがありますが、
多分、「見る=see・voir」から、
「分かる=see・savoir」には、この物質が、
とんでもなく関与しているのだろうと予測しています。
認識することへ視覚が及ぼすことを、
デザイナーという立場で知り尽くしたいと思います。


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「見えないということの連鎖」


   


     6月 21st, 2011  Posted 12:00 AM

最近、放射能の見える眼鏡があれば、
こんなことが冗談、真剣な会話になります。
「コンピューターが消える日」、
MicrosoftのWinsows7発表時に、
このタイトルで基調講演をしました。
タイトルが過激と言われ一波乱ありました。
しかし、今や「クラウド」などが一般化してきて、
コンピューター、つまりサーバーが見えません。
見えないこと、インタンジブル=触れないこと、
これが幾重にも重なった時代になってきたのでしょう。
現実、原発も日常生活からは見えない場所にありました。
核廃棄物は地中深く埋めてしまいます。
そして、情報社会のあらゆる面を「見えなく」する文明、
この大きなパラダイムシフトが生活を包囲しています。
どうやら、情報社会は「見えなくする」こと、
インタンジブル文明へと技術方向を変えてきたのです。
「死」も見えません。見せない方向にあります。
ところが「生」の確実性は見えることと触れることです。
結局、今、私たちが直面しているパラダイムシフトは、
 見えること:見えないこと
 触ること :触れないこと
このコンフリクトの連鎖環に佇まされていると考えます。
電子出版は、まだゆったりとしていますが、
書店が街から消えていくのも、このコンフリクトです。
おそらく、東日本の復旧は「見えていてほしい」のです。
しかし、復興した街と町には「見えない」システムが、
必ず包囲することになるでしょう。
ただし、人間は、人類は、見えて触れることが肝要。
タンジブル性に最も信頼感があるということです。


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「レントゲン検診から放射能を・・・」


   


     6月 20th, 2011  Posted 12:00 AM

私は定期検診では、
常に、X線検査を受けます。
28歳、交通被災後からです。
したがって、レントゲン検査では、
必ず徐々に被曝してきているのでしょう。
30年以上もこうした検査をしてきたので、
やがては・・・という思いがありました。
今年に入って、まだ明確ではありませんが、
「甲状腺に異変があるやも」という診断がありました。
ちょうど震災とフクシマ原発問題の前でした。
X線は、キューリー夫人物語という偉人伝で知ります。
おそらく小学校時代に知るでしょう。
しかし、名前は知っていても、
その詳細からレントゲンがX線での医療画像情報を撮る、
ここまでの歴史は、もう一度確かめてみると、
ベクレルなど単位になっている人物が、
放射能の周りの科学者としていっぱい出てきます。
放射能と対峙してきた科学者たちの研究という闘争、
これこそ、原爆から原発そして医療技術まで、
フクシマ原発の解決を人智的にしなければ、
そうした科学者の恩恵が台無しになるかも知れません。
もっとも、もう私の年代になれば、
「甲状腺異常」もやむなしですが、
次世代に放射能影響を考えると、
甲状腺からDNAへの影響などはすでに想定内です。
放射能のメリットと放射能のデメリットは、
あらためて原子力技術が人類にとっては大きな課題です。
原子力技術による発電があれば、
一方では、健康診断としてのレントゲン検診があります。
さらに、今、最も期待されている、
「重粒子治療」は癌疾病での治療方法として、
大きな期待がある分野です。
国内にこの「重粒子治療」病院がいくつかできれば、
保健料内治療が可能になります。
フクシマ原発の収束の中で私たちが熟考する問題です。


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「器械から機械そして機器へ」


   


     6月 19th, 2011  Posted 12:00 AM

器械は活力を増大させる。
これはダ・ヴィンチの発想。
そして彼の発想器械には、
「計算機」と誤解釈されてきたモノ、
それは「速度を増幅させる研究」という
デッサンがあります。
すでに使われなくなった言葉である「輪軸」から、
12個ペアになった歯車がならんでいます。
そして、ダ・ヴィンチはこれを使えば、
速度は10の23乗になるという予測値があります。
現在の研究では、彼の計算間違いが指摘されています。
しかし、私はこの発想に目を向けると、
現代に到る、科学から技術の歴史変遷から
重大なことが見えてくると判断しています。
器械という言葉が機械となり、
今では機器という名辞になっているにも関わらず、
機械と機器を技術領域が曖昧にしてきたことです。
器械は力をつくらないはずが、
発電機器なるモノが可能なのかどうかということです。
電子機器、情報機器、音響機器という表現は正当です。
ということは、エネルギーを発生させる機械、
そのようなモノは成立するのだろうかということです。
私は、音響機器のデザインからデザイナーになりました。
機器が稼働するのは、
すべからく「エネルギーあってのこと」です。
文明はエネルギーの発展史でした。
そして、機器となって文明は文化創出になります。
私の関心はエネルギーと機器に焦点が集中しています。


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