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「アーティスト、デザイナーにだけ降りてくること」


   


     1月 16th, 2013  Posted 12:00 AM

ここ数年、私が注目している日本人アーティストは、
海外、欧米を活動拠点にしていることが実に多くなっています。
これは、一方では、日本人アーティストのグローバリズムであり、
もう一方では、
日本で現代美術の制作を認知する文化、
芸術批評評価土壌が無毛地帯化していると思わざるをえません。
残念なことです。
写真をベースにした杉本博司を知ったのは、
金沢21世紀美術館にて、
私の個展後、親友・サイトウマコト展になり、その後、杉本博司展。
サイトウマコト氏は、本当に才能ある人間については語ります。
だからまず私はサイトウマコトから一杯彼の話を聞きました。
気づいたら、私が認めていた「白熊とアザラシ」の写真、
白熊もアザラシも剥製である写真の作家でした。
写真の写実主義を逆手にとったロケハンスケッチの写真化は、
私が講演でも使ってました。
いわゆる現代アーティストの眼差し、
その視野に何を芸術理念としているのかは、
私がデザイナーである立場とは相反を成すものだと考えています。
それだけに、現代アーティストを見つけ出すことは、
自分の感性をテストする重要な転機づくりになります。
そして、私が敬愛してやまないアーティストは、
科学者よりもいち早く世界の問題に対して前衛です。
だからアーティストだと言えるのです。
ただし、
この前衛たるアーティストは世界でも10指の人程度でしょう。
今、地球は悲鳴を上げていますが、その声を聞き、
アポリアを乗り越える実験アートは科学を超えています。
現在科学以前に、
原始的な人間界から引き出して見せることができるというものです。
彼がオーストリアの廃墟となった発電所にインスタレーションされた電気。
その初源はアボリニ人の民族的な民話と神話の世界にも
雷神(ブノワ)と風神がいたらしいのです。
まさに雷神とは電気の神であることは、わが日本も同様です。
彼のオーストラリアでインスタレーションされた
「ファラデー・ケージ」には、
どのような再生エネルギーを科学的に生み出そうとする知見は
決して及ばないでしょう。
アーティストやデザイナーの直感=DIVINATIONは、
決してエンジニアやサイエンティストには降りてこないことは確かです。
まして、経営者や政治家などにはこうした発想は決して起こりません。


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「自動車デザインはもっとビジネスジェット機から学ぶべきだ」


   


     1月 9th, 2013  Posted 12:00 AM

今回、自動車技術系の論文作成では、
ビジネスジェット機を一番参考にしました。
LEARJET社の60XRは、最も欲しいモノの一つです。
1400万ドルで、飛行機では最高高度を飛びます。
スイスのジェット戦闘機 ・P16をモデルに開発されてきたものです。
この企業の創立者は、モトローラの車載ラジオメーカーから、
ビジネスジェット企業になりました。
空力特性や、燃料タンク、電子回路のコードマネージメントなどを、
特に、カーデザイナー諸君には学んで欲しいと思っています。
私は大学人になって、カーデザイナー志望者には、
「自動車は飛ばない」と、よく話をしてきたものです。
車、新車やアンティーク車情報は蔓延していますが、
ビジネスジェットやヘリコプター、クルーザーの情報は
ほとんどみかけません。
ビジネスジェットのフェールセーフデザインからインテリアデザインに、
プロダクトデザイナーは詳しく成って欲しいと思っています。
自分が購入は出来ないから、興味をもたないというのは、
プロフェッショナルとしての怠慢です。
今回の依頼論文テーマは、「形と性能」でした。
記号論・脱構築で、電気自動車の設計手法をまとめましたが、
私のイメージの中には、このジェット機がありました。
カーデザイナーになっている教え子もいます。
その中の何人かは、すべて、欧州で企業留学しています。
彼らに最も届けたいのは、
ビジネスジェット、高速ヘリコプター、潜水艦などへの興味を
もっともっと高めてほしいのです。
自動車はすぐに交通事故を起こしてしまう乗物から開放されていません。
ジェットエンジン自体、
これからはもっともっとエネルギー開発が大変革されるでしょう。
社会インフラで、スマート・シティやスマート・グリッドになれば、
自動運転、自動走行、情報機器性能が進歩するはずです。
となれば、自動車業界内部だけの技術進化はまったくノロマなものです。
イメージを空中高く、飛ばしきってほしいと思います。
このジェットはもちろん、戦闘機も持っていたいモノです。


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「記号論は脱構築に向かっていった『かたち論』」


   


     1月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

元旦に書き上げた論文受領のメール。
やっとホッとしました。
そして、絶対に明日までにもう一本の論文作成中です。
自動車技術系論文誌からの依頼論文です。
テーマは「形と性能」です。
私の骨子は、このテーマを受けた時、
直感的に「かたち論」が思いつきました。
記号論はソシュールが90年前に提唱しましたが、
講義録しか残っていません。
最近、この講義録の正当性が最近認定されました。
ソシュールは、ラング(辞書内言語)とパロール(会話言語)によって、
言語の記号性を論理化し、やがて「記号論」になっていきました。
私は、工業社会が終焉し、
情報時代には商品は記号となっているという論説を確信しています。
したがって、自動車もガソリン車から電気自動車になっていく進化には、
確実な論理背景が必要だと考えてきました。
まさにそこには、
ジャック・デリダのエクリチュール(記述言語)が
記号論に入り込むことで、
レトリックな構造が生まれ、
常にその記号化された表現と内容は書き換えられることが歴史になります。
書き換えられるということ、
それは、破壊され、内容の変革が起こるということです。
ダリダは、これを「脱構築」と呼びました。
自動車はガソリン車から電気自動車にその性能が変革しつつあります。
それは、走行性能だけでは無くて、
自動車が情報機器、情報メディアと情報ツールになるということです。
エネルギーの供給も、ガソリンスタンドでは無くて、
急速充電基地になるでしょう。
スマート・グリッドやスマート・シティというインフラが整えば、
GPS制御による自動運転はもとより、
車輪で走行する機能は、もっと進化するはずです。
走るというより、飛び交い、浮かぶ物体になるでしょう。
明らかに、工業社会で進歩してきた自動車は、
情報社会で、「脱構築」が具現化するという予測が可能です。
その時、走行性が主性能であったがゆえ、
その速度感あるカースタイリングも脱構築されるでしょう。
それは、造形言語で「形」設計と、
形態言語で「性能」設計という手法を
デザイン自らが脱構築していくと予知しているのです。


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「デザイン成果としての『かたち論』は生涯論考するだろう」


   


     1月 7th, 2013  Posted 12:00 AM

私の学生時代は、「デザイン理論」の著作は数少ないものでした。
したがって、私はほとんどデザイン論理を成立させるために、
可能な限りの建築論を読みあさりました。
建築論文募集にも応募していました。
落選ばかりしていました。
そして出逢うのが、建築家・菊竹清訓の「代謝建築論」と、
「機能主義理論の系譜」は一つのバイブルでした。
特に、「代謝建築論」の「か・かた・かたち」論は、
今なおその論考を私なりに深度をもたせるべく展開を試みています。
「か・かた・たち・ち・かち・かたちは、いのち・きもち」、
さらには、「つち・とち・まち」にまで至りました。
そして、現在執筆中の「形と性能」についても、
「かたち」と「性能」を一旦分離すれば、
自ずと「か・かた・かたち」論の展開が可能です。
か=化、ち=値、かた=型、たち=質とすれば、
か+たち=化+質は、工業化によって性質を与えますから、
そのまま、化質とは工業化された性質が「性能」となります。
「性能」は使用価値性の根幹になるでしょう。
もう一方では、
かた+ち=型+値は、意匠化によって形態を与えて、
単純には嗜好的な価値観、すなわち所有価値観を訴求することができます。
私は、
「機能美」や「美しい形態は機能に従う」を率直には認めていません。
それは、自分自身のデザイン、とりわけ形態の美を目標とするとき、
必ずしも機能主義と美学性が統合されるから、
美の創出が出来るというわけでは無いという経験があるからです。
今、こうしてこのBLOGで、メモ記述しているのは、
論文作成の構成・プロットづくりを図解から求めようとしているからです。
私は、「デザインとは何か」という問いかけでは、
デザインの定義性が曖昧になって、
即、機能的デザインとか機能美にデザインが、
結合・融合・統合されることにすこぶる抵抗があります。
むしろ、まず、技術仕様による性能があり、
そのデザイン成果が社会的な存在性に効能が生まれます。
そして、性能と効能が統合されるときに
機能を宿らせることができるというのが経験値です。
「化質」こそ、性能となり、「型値」こそ、形態。
「化質」=かたち、「型値」=かたちに、
「形と性能」の構造(関係)が記号化するという思考に至っています。


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「今年2本目論文仮説の図解紹介」


   


     1月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

東大経由で、自動車技術系論文誌からの依頼論文。
今年最初に提出予定です。
まだ、作成途中ですが、
私は論考全体の概要はいつも図解表現をしてしまいます。
与えられたテーマは、「形と性能」です。
そして、デザイナーにその考察を求められているわけですから、
当然、「形」デザインから「性能」を、という依頼意図はみえています。
私自身は、カーデザインを自分の作品として持っていません。
が、カーデザイナーは教育し、
自動車企業には教え子がデザイナーになってます。
ヨーロッパに企業留学している連中もいます。
無論、車は趣味の対象ですから、
これまで、「男の子として」それなりの車は所有し使用してきました。
運転手がいてくれた時期もあります。
ロングリムジンからスポーツカーまで10数台は乗ってきました。
現在はベンツ550SL、一台だけになりました。
ワイフと二人だけの外出用です。
さて、この論文の思考下敷きは「製品記号論」ですが、
最も強調しておきたいのは、ガソリン車からハイブリッド車、
そして、電気自動車へと車両動力系がまったく変わってしまいましたから、
基本的な性能は、空力特性や走行・運転・収納などは当然ですが、
情報社会において車は、情報機器・情報装置に変身しています。
さらに、デザイン対象としては、
か+たち=化+質とかた+ち=型+値という漢字語句から読みとる、
性能・機能・効能と関係、
すなわち、構造論も重大だと思っています。
したがって、
多分、図解などや資料まとめで一挙に書き上げようと思っています。
今年の仕事始めは、論文や編集、「ことば」からスタートしています。


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「2013年巳年新年会はロボット学から始まった。」


   


     1月 5th, 2013  Posted 11:27 AM

年末年始は論文作成。
明日絶対に、書き上げて図解をつくる。
ということで、年末に阪大・石黒浩教授と東大・生田幸士教授、
さらにロボット企業Vstone・大和信夫社長、
自宅で新年会。
私の「ロボットデザイン基礎学」と「復興計画の一部」を
プレゼンまでさせてもらいました。
ロボット企業Vstoneから、
最近話題になっているロボットを見せていただく。
石黒教授とは、昨年は二日も連続して、講義と講演をやり、
趣味の話は、詳細は書けませんが、
ほとんど一致していて、生田教授から二人とも忠告を受けました。
やっぱり、この分野を知り尽くさないと・・・、
この信念は決定的になりました。
今年は巳年ですから、
ヘビに喩えれば「脱皮の年」になると期待ができます。
ちょうど、KAISTから若手ロボット研究者、阪大留学希望があることから、
石黒教授に相談することになりました。
石黒教授は、アンドロイド・ロボット学者としては世界的に有名。
生田教授は、マイクロ・ナノマシンでは、
世界最小(血小板サイズ)の開発学者。
私が名古屋市立大時代には、生田教授は名大教授。
二人で、名市大と名大の単位互換を始めました。
国立と公立での単位互換は、ややこしくて大変でしたが実現させました。
今では、名古屋市では当たり前になったようです。
ロボット企業の大和社長は防衛大出身。
きっとこの企業がこれからの日本の産業を
大革新していくと私は思っています。
マイクロマシンからアンドロイドと領域も拡大してきたことから、
私も「ロボットデザイン基礎学」そのものを拡大していかねばなりません。
これも私の最終ミッションだと自覚し直しました。
新年会の結論は、「問題解決」、そのための「問題提起」に集約しました。
阪大を退官しますが、研究室はそのままデザイン活動拠点になるので、
今年はチームを組むことになります。
ご期待を!


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「17年間という時間は『私・きもち時間』だと思っている」


   


     1月 4th, 2013  Posted 12:00 AM

人間には、
なにかしらをやり遂げるにはそれなりの時間が与えられているようです。
そんな「私・きもち時間」があるということを幾たびか体験してきました。
・鯖江市で社会人向け講座も17年、
・MacPower誌での連載も17年、
・ふるさと福井でのデザイン活動も17年、
・名古屋市大と阪大にて大学人17年間だった。
「私・きもち時間」はそれぞれの活動期間が、
3年、7年、17年、21年が私の時間帯だとつくづく思う。
この17年、
私が心血を注いできた一つに
「PKD=Peace-Keeping Design」という提案があります。
この具体的な製品開発はまだ連続しています。
最初は、経皮タイプのシリンジでしたが、
現在では国内のシリンジ針生産拠点が失われて海外になりました。
だから、経鼻タイプ=鼻からミスト状ワクチン接種のシリンジと、
ワクチンは「結核」に絞り、結核感染の検診も
遺伝子検査を極めて短時間システム開発が終わっています。
なんとしても、今年はその具現化をめざしたいと考えています。
そして、アフリカの子ども向けの栄養状態検査システムは、
糖尿病検診システムの応用が出来そうです。
2004年に、私はPKDというコンセプトを文章で発表して、
阪大に来てから、
具体的なワクチン接種方法や検査システムをデザイン主導で始めました。
それは、阪大の医学史的には、適塾から医学校の系譜があります。
つまり、緒方洪庵が日本で最初の牛痘を幕府にも容認させ、
橋本左内などがワクチン接種を始めていたことからも、
この歴史性を引き継ぐ意義があるわけです。
再生医療や、こうした医療技術へのデザイン適用は、
今後、日本は世界的に
「尊敬される危機管理産業」の一つとして重要課題だと思っています。
それだけに「私・きもち時間」をより短縮させたい思いで一杯です。


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「この日からの再出発、再認識」


   


     1月 3rd, 2013  Posted 12:00 AM

年末年始、多分、大学人としては最終の論文作成をしています。
国外向けは、いつもながら英文の文字数調整に苦しみました。
国内向けは、なんとしてもこの正月休みに書き上げたいと念じるほどです。
国外向けも、アブスト査読は昨年夏に合格しましたが、
やはり、3.11が及ぼしていることについての論説が求められました。
今世紀に入って、
経済的には多大なグローバルな変動に人類すべてが翻弄されていますが、
とりわけ、私たち日本人にとっては、多くの同胞を失いました。
そして、政権交代によっての政治的な指導力の欠如は甚だしいものでした。
私自身、被災地や内閣、
大企業の復興姿勢には怒りと落胆と情けなさを存分に味わいました。
よって、今度の自民党政権には大きな期待を持っています。
公共投資の方向性など決して間違わないでほしい限りです。
大企業の被災地支援も間近で体験しましたが、
企業トップの指導力や理念など大疑問ばかりでした。
たかが、デザイナーに何が出来るのか、という声が明確に聞こえています。
しかし、私は、来春阪大を退官と同時に、
自分のミッションは決定しています。
私は、2011年1月から5月までの、この映像を見る度に、
日本列島のコンニャクのような脆弱さを再認識させられます。
したがって、今年の4月からの活動こそ、
わが人生、その最期の「行学の実践」にしたいと意気込んでいます。
3.11直後に、大きな活動をしながらも、
ほとんど匿名的な活動も紹介していくつもりです。
それは、昨年8月に創設した「危機管理デザイン賞」の対象にしています。
私たち日本人は、すぐに醒めきってしまう民族性が残っていますが、
もし、自分たちが、この時代との共時性を共有するには、
どこまで、復興と再興に、
自分のプロフェッションを差し出せるかということでしょう。
そんな気持ちに、
この画像は決定的なプライミング・エフェクトを与えてくれています。


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「わが研究室は今年から重要拠点にしていく覚悟あり」


   


     1月 2nd, 2013  Posted 12:00 AM

昨年7月には、防災大臣と大企業の姿勢に大落胆。
私の復興デザインと南海トラフ対策デザインは停止しました。
けれども諦めずに、
8月に「危機管理デザイン賞」を創設しました。
それは、
わが研究室のこれからのミッションを
意識したプライミング体制づくりでした。
わが国は、天災大国です。
そして広島・長崎、そして福島と原子力の大被害国家になりました。
脱原発・卒原発では済ませられない現実と、
我々は対峙していかなければならない国家です。
ならば「公共政策としての危機管理産業の創成」を
国際的に求められています。
私は、脱原発でも卒原発よりは
「範原発」を目指すべきという見識と良識を蓄積してきました。
プルトニウムは、人類が扱える元素ではありません。
U239、U240は自然界には存在していないのに、
今回の福島では確認されてしまいました。
それなら、
原子工学の対象元素をさらに明確にするべきだというのが、
私が提示する「範原発」です。
正月早々、おそらく大きな反感を買うと思っていますが、
それを乗り越えるべき、
新たな「危機管理工学へのデザイン主導」
そして「公共政策グランドデザイン」が必至です。
原子力工学の対象は、原発だけではありません。
放射能への新たな科学的見識や公共政策での
政治的、産業的、経済的、さらに文化的胆識が必要です。
あの「はやぶさ」は放射能の宇宙界で電子機器は確実でした。
JAXAの安全工学的な経験が必要になってきたということです。
3年3ヶ月の政治的悪夢を終焉させるには、
同胞を失ったこの経験を必ず、
日本の復興や危機管理体制づくりを世界に提示していくことが大事です。
活断層の報道だけでは済まされないことは多大にあるはずです。
もう一度、
プライミング・エフェクトを思考見識に取り入れるべきでしょう。
もう家電も、情報も、車輌交通も、
すべからくエネルギーへの依存から解放されないならば、
日本の産業構造を大きく変革すべきでしょう。
私は4月には、デザイナーに立ち戻って、
わが国には
「危機管理産業の創成」を大きなテーマに掲げていくつもりです。
この開設準備室で、春を迎えたいと考えています。


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「2009年からのこのブログ5年目、今年もよろしく!」


   


     1月 1st, 2013  Posted 12:00 AM

あけましておめでとうございます。
このブログは5年目に入ります。
そして、私は今春17年の大学人生活を終えます。
3月2日に大阪大学発祥の豊中キャンパス・大阪大学会館にて、
「最終講義」をします。
その後は、これまでどおりデザイン活動は続けていくでしょう。
大阪大学の私の研究室が新たな拠点になります。
いくつかのミッションが今年からのデザインテーマになります。
なんといっても、
3.11以後のわが国は、3年3ヶ月の政治的な悪夢の中にいました。
先般の選挙も、
日本の選挙制度が
民主主義の根本ではありえない制度だということを露呈しました。
私は、政治よりも、
デザイン実務が理想主義を日常的に構築する本質だと確信しています。
徹底的に、また自分の中にある「美学」と対峙していくつもりです。
基本的に、このブログは「毎日書くこと」ですが、
時には、「休筆すること」も勘弁して下さい。
私はデザイナーですから、「かたち」が表現主体ですが、
「ことば」との相対論化をめざして生きてきましたから、
書き続けることは約束します。
脳内では「ことば」から「かたち」を創出しますが、
「かたち」も言葉的な言語性を持っています。
昨年から、
私は「造形言語」と「形態言語」の両輪にデザインを乗せてきました。
おそらく、この思考を一旦、大学人を離れ、大学という場の研究室から、
まだまだ国難の最中にあるわが日本の復興と再構築で、
私なりの行学に身を投じる覚悟は
さらに強化されているものと自負しています。
読者諸兄の皆さんの幸運と幸福をここから願っていることを伝えます。


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