kazuo kawasaki's official blog

『木版の仏教経典に学ぶこと』


   


     2月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

今年最初に森政弘先生の特別講義を東大で受けて以来、
森先生からも直接に参考文献を紹介されました。
だからなんとしても65歳までに読み切ってしまいたい書籍は、
とうとう木版の経典に及びました。
大乗仏教の「華厳経」に至っています。
正直なところ、私の仏教知識には及んでいませんが、
解説書で「国譯一切経」を頼りにしながらそれなりに懸命です。
森先生から指南されたのは「国譯一切経」ですが、
これがなんと280冊以上あります。
床が抜けるほどと言われましたがそれを全て読破は無理でしょう。
この「大方廣佛華厳経」も最小の全60巻を選びました。
原始基督教からプロテスタントまでやイスラム教も入門程度は
ほとんど読破してきましたが、
私は仏教徒であることをとても誇りに思います。
その最大の理由は、仏教・キリスト教・イスラム教という三つの
主要宗教論のなかでは、最も高大であり崇高だと確信するのです。
ただし、現代の小乗仏教や仏教を基盤にして分類された
仏教の新興宗教が起こしてしまった誤りは許せません。
さらに、私の思考論の対象は「デザイン」ですから、
私の中ではこの大乗仏教で学べることは宗教論ではありません。
きっとこの知識と感慨は自分のデザインに反映させるつもりです。
「国譯一切経」ではどうしてもこれらの解説だけではもの足らず、
結局は「大方廣佛華厳経」にたどりつきました。
そして最もこの経典が木版印刷であることはとても新鮮でした。
読書では日常的には電子本になっていますが、
こうした経典という書籍が木版であるという手触り感には、
私は確かな文字が手から生み出されているという感覚があります。
この感覚こそ人間にはとても大事で大切なコトだと思っています。

『今年早々、最高の講義を受ける・森政弘先生の仏教論』
『華厳経に入ろうと思う・森政弘先生の講義から』
『神仏像をもっと知っておきたいと考える』


目次を見る

『私の体のなかの海の幸こそエネルギーだ』


   


     2月 24th, 2014  Posted 12:00 AM

このところ、ふるさと福井には月1回は必ず帰ります。
だからふるさとの味はすぐに手に入るようになりました。
かつて東京の赤坂でフリーランスのデザイナーをスタート。
赤坂から車椅子生活でのデザイン活動を始めましたが、
発熱や呼吸困難になっても赤坂では一人のドクターがいつも、
私の健康管理と精神的に励ましてくれていました。
「先生、やっぱり無理かもしれない」と言えば、
「これからだ、まだまだトレーニングすれば出来る!」と激励。
ところが、ある日に、
「ふるさとは福井だったね、このままでは駄目だから帰れ、
故郷の空気や水や食べ物が、君を元通りにしてくれる」と言われ、
私は東京を離れました。56豪雪の冬、福井に戻りました。
「ウニ」と言えば、このウニが一番好きでした。
豆腐も厚揚げも、当然、お米も全てが私を元気にしてくれました。
だから、毎月、福井に帰れば、すぐに好きな食材を買い求めます。
福井の友人や産地からも旬な物が届きます。
ふるさとの味は、子供の頃の思い出や、
今はもういない父母・祖父母思い出に重なります。それこそが、
思い出の核であり、この思い出が感性を鍛えたエネルギーです。
このウニは子供の頃には三国からおばさんが売りに来ていました。
今は福井に帰ると特別に一杯詰め売りしてもらっています。
英国のことわざに、男は青年時代に世界各地を巡って、
妻をもったなら故郷で晩年をと言われています。
しかし、多分私は晩年ふるさとで暮らすことはないでしょう。
だから今のうちに福井にてまだ仕事が出来ることが幸せです。
繊維・刃物・眼鏡に私のデザインを反映させます。
そしてその大収穫がふるさとからのエネルギーとしての味覚を
十二分に楽しめることです。

『ご飯のふりかけ最高もの・福井名産数多し』
『ふるさとからの「越前たけふしきぶ姫」届く』
『お豆腐・厚揚げ、これだってふるさと産が一番だ!』


目次を見る

『行政サービスの力量は救急システムでわかる!』


   


     2月 23rd, 2014  Posted 12:00 AM

阪大への初出勤は救急ヘリコプターで搬送入院からでした。
私は救急車での救急搬送にはかなり慣れているでしょう。
しかしできる限りこの救急システムには未体験であってほしい。
福井で45歳、思いがけず心臓発作で救急看護されたときに、
「救急車は遠慮せず使いなさい」と福井で言われました。
最近はこの行政サービスが「悪利用」されていると聞きます。
おそらく行政サービスの力量は救急車両の制度に表れています。
明言すれば、大阪市の行政サービスにはこの8年呆れています。
様々なことで大阪が全国的にすべからく最低なのでしょう。
だから大阪から一新したいという首長の考え方は賛同できますが、
かつて「上方」と言われた文化である「文楽」を否定する首長には
絶対に救急車制度を革新することは不可能だと考えます。
大阪市の救急車にも私は何度か重篤で搬送されましたが、
救急隊員のユニフォームからして装備は多分全国で最低です。
しかし、名古屋市の救急車両から隊員能力までは最高でした。
たとえれば大阪市で救急隊員を見ると「助からない」と思います。
しかし、名古屋市であれば「助かる!」と思うのです。
大阪は犯罪率も高く、都市の倫理悪から行政までが最低でしょう。
阪大に居て、救急医療の行政サービスが悪いと言ってきました。
医療力量は最高の高度が大阪あっても、行政が台無しにしています!
その責任は首長の文化能力にあると断言します。
救急医療は「命の問題」です。
したがって、救急医療の行政サービスにこそ、
真の文化形成力がこのサービスには求められています。
もっとも、わが国の救急車そのもののデザインは海外先進国から、
学んでいることがあるのだろうかと、
心臓発作のままに検分してきました。
救急医療の行政サービスは、まず、車両と装備、そして隊員、
この文化力は伝統性によって育まれるべきです。
「文楽」という伝統芸能が否定される場にそのサービスは無理と、
私は断言主張しておきます。

「減災・防災・救災のために」
「大学でのデザイン教育=デザイナー育成をめざす


目次を見る

『日本のレンダリング技術は先輩が切り開いてくれた』


   


     2月 22nd, 2014  Posted 12:00 AM

大学時代には『レンダリング(完成予想図)」は、
描くべきではない、という先生=レンダがデザインを決めるからと、
絶対に巧く描くべきだという先生が私たちを混乱させていました。
私は当然ながらレンダリング技能を磨きたいほうでした。
理由はデザイン表現の技法は最重要だと認識していました。
東芝に入社すると、学生時代の技能では不完全。そこで、
清水吉治の書籍や講習に頼ることになりました。
東芝からも海外向けのレンダを彼に発注することも知りました。
幸い清水氏は大学の先輩であり、留学と海外経験がありました。
CG台頭の最初に私はトロントでその基礎を学びました。
それは手描きのレンダリングをなんとしてもCG化させたいという、
その目的が最大でしたから、マーカーレンダの再現でした。
だから今なお、手描き=スピードライマーカーを使えないとすると
CG表現はとても薄っぺらいレンダリングであり、それはそのまま、
デザイン効用効果につながっていません。
したがって、まず、レンダ・スケッチの描けないデザイナーは、
私はデザイナーだとは絶対に認めていません。
どんなにPCが進化しようが「手」で考える土台がレンダです。
今では私のスタッフ達もMacでレンダを描きますが、
基本はマーカーレンダが描けなければ、CG表現の質は程度悪です。
清水氏は国内に限らずアジアのデザイナー教育を成し遂げました。
彼のレンダリングテクニックは、
技能だけを教えているものではありません。
レンダリングという実務手法の肝心要なこと、
それはデザイン表現での革新=デザイン発想を定着させる技術です。
先輩はデザイン、その技法技術をレンダに集約させてくれたのです。
この春、彼の集大成の展覧会があります。
それは日本からアジアのレンダリング技術の全容です。
デザインと「手」の最重要な関係の先駆者が先輩でした。

「最小限スケッチツールが最小限の存在理由」
「専門家の表現は手で美しく表現するべき」
「PCレンダリングの3D表現誤謬」


目次を見る

『関東に雪が降るのは天災であり黒潮異変です』


   


     2月 21st, 2014  Posted 12:00 AM

冬に西高東低という気圧配置は降雪のある兆候でした。
「雪雷(ゆきがみなり)」というのが私の記憶にあります。
雪が降る前夜には雷が鳴りました。
38豪雪は中学時代で、毎日がスキーでとても面白かったのです。
56豪雪時にふるさと福井に車椅子で戻り、毎日寝込んでいました。
さて、最近は、黒潮そのものに地球異変が関わり、
この黒潮と低気圧の関係で、関東地方に降雪があることが、
いくつかの大学の論文でエビデンス化されてきました。
山梨にいる友人が雪と格闘しているとかを聞かされていましたが、
まさかと思えるほど大変な事態になっていました。
降雪対策の無い地域にとって、
北陸育ちの私には5〜25cm程度ような降雪には全く驚きませんが、
こういう地域の人たちにとっては降雪=天災だと考えるべきです。
それこそ、住宅構造においても降雪4mを意識している建屋と、
降雪を全く無視してきた地域の建築から道路、車両のあり方
そのすべてに災害対策を考えなければなりません。
ましてTVでの天気予報を観ていても明確に違いがみえてきました。
それは、低気圧の変動を黒潮・潮流の予測と連関する無知識な、
見解を出さない天気予報士はプロではありません。
所詮、天気予報が命中することは半々だと言われていますから、
低気圧と黒潮の相関関係での予報報道は必至のはずです。
この日本列島は、地球環境の異変がそのまま反映しています。
関東地方への降雪はもはや天災だと考えるべきでしょう。
そうなれば、まず、黒潮と低気圧の関係での天気予報。
降雪地帯同様の街づくり・道路と車両と水・食糧・電力は、
「危機解決のデザイン」が必要だと考えています。
日本列島全てに雪が降る、
このことをすべて知り尽くす事態になりました。

『歩けた頃=スキーに夢中だった時の写真が届いた』
「『危機』・ことばの定義について」


目次を見る

『そろそろ電動車椅子デザインの時期=一人称デザイン』


   


     2月 20th, 2014  Posted 12:00 AM

私は車椅子生活を余儀なくされたので自分でそのモノをデザイン。
私の車椅子「CARNA=生活の女神」はMoMAの永久展示品になり、
海外のデザイン賞をいくつか獲得しました。
しかし、大阪に来てから自宅では電動車椅子を使ってきました。
まだモーターと電池で良いものが無いのですが、
いつも電動車椅子を探していました。
さすがに、米国ではこの車椅子開発や商品が増えてきましたが、
まだデザイン的には「やはり自分のデザイン」が必要です。
CARNAは1989年に実現しましたが、
このデザイン以上のモノは無いと確信しています。
それだけに自宅用と大学用はそれなりですがとても不満足でした。
最近、リチウムバッテリーの軽量20Kgで携帯用を見つけました。
私はこのデザインを今から使用しながら「自分の」モノづくりを
することが必要になってきたと認識しています。
CARNAをデザインしたときに、いつか電動車椅子デザインをと
考えてきたことは事実です。
つまり、「自分の」というのは「一人称」デザインです。
私はデザインの基本は「一人称」のデザインであるべきだという、
この意識がデザインの基本だと考えています。
しかも「自分の=一人称」デザインは最も易しいはずです。
なぜなら、「自分が最も好ましく望ましいモノ」だからです。
好ましく望ましい、というのは「価値」の意味です。
価値というのは一人称の欲望から考えればいいということです。
私のデザインの基本は、「一人称」の価値ゆえ、
車椅子・メガネ・刃物・モニター・TVなどがそのままデザイン対象。
それこそ人工心臓もその対象線上にあります。
電動車椅子への好ましさと望ましさ=価値=「一人称デザイン」。
これからこの車椅子を使用して、やがて「三人称」、
すなわち、みんな(我々)のためのデザインに繋げます。

「一人称・二人称がInclusiveの基本定義」
「造形の言語道断」
「Inclusive Designの近傍的定義はトポロジー解」


目次を見る

『装飾はデザインにあらず、されど装飾はデザイン可能』


   


     2月 17th, 2014  Posted 12:00 AM

デザインが装飾と受け取られていることを最も嫌悪しています。
従って、芸能人が「デザインしている」ということに、
最もデザインの本質が最大誤解をされていると主張してきました。
それはデザイン=問題解決の手法であり、
問題解決無関係にスタイルだけの装飾はデザインでは無いのです。
単なるデザインという一般的解釈はデコレーションに過ぎません。
一般的にデザイナー=デコレーターがほとんどだと断言します。
装飾家はデザイナーではありえないのです。
しかし、装飾をデザインすることは出来ても、
装飾だけをデザインされたということは不可能だということを、
多分私は生涯をかけて言い続けることになると考えています。
装飾されたことが経済的な付加価値を持つことは可能ですから、
「装飾」の本質を常に確認することが必要です。
装飾をデザインするその肝心な意味意義を明化することです。
その一例に私が日常使っているモノで「装飾」を視ると、
これらは私がスケッチだけのツールですが、装飾されたモノです。
これらの装飾に一貫しているのは手造り=工芸性があることと、
素材への工芸的な加工性が最高の水準のモノに装飾性を認めます。
スケッチツールとしての「性能性」は、
それこそ100円のボールペンでも一向に構わないのです。
一般的に「機能性」が完備されている設計をデザインと言いますが
これは間違いです。
重大なコトは、日常の使いここちにモノの「効能性」があります。
私の気分でモノの使い勝手に「ここち良さ」を与えてくれるモノ、
それは気分が感情よりも感性を制御するほどの美的影響性です。
つまり性能+機能をさらに効果向上してくれる効能に、
「装飾」されたデザインが加わるということです。
言い変えると、工芸デザインは「装飾」の本質、
それは「これまで感じ取ることが出来なかった」程、
その素晴らしさ=美しさを創出したモノのデザイン=解決値です。


目次を見る

「身障者・差別用語タイトルの絵画」


   


     1月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

イタリアではルネサンス期の頃、
フランドル地域(現在のベルギーとオランダ)に一人の画家がいました。
ピーテル・ブリューゲルです。
私は彼に特別の感慨がある画家です。
決定的には、カナダのトロントのオンタリオ美術館で出逢いました。
ここにはブリューゲルの小作品があり、
彼が当時の身障者たちを詳細に描いていることを知りました。
以来、ブリューゲルを徹底的に追いかけました。
一般的には「農民の生活」と「キリスト教の訓話」を描いていますが、
彼の絵にはどこかに必ず身障者が描かれています。
1568年制作といわれるこの絵画も題名は「足萎え人」とかの名辞ですが、
本当は「○○○たち」という差別用語が本来の翻訳題名でした。
私は私自身を「○○○」と自称することには、
言葉の文化があるからと思ってますが
今はそのような用語は使えません。
身障者を名指し的あるいは集団を
社会的な差別用語で呼ぶことは駄目かもしれません。
しかし当然、日本でも紹介されたこのような絵画の翻訳語が、
今は差別用語だから変更するということなどは、
なんだか平準化するだけの制度でしかないと私は指摘しておきます。
私はある団体と徹底的に闘ったことがあります。
相手方が私の情報量を公開するとのことで引き下がりました。
ともかく、この絵画はまさしくこの時代の写真だったと、
とらえても構わないでしょう。
当時、戦争、さらにこの地方は水が良くなくてこうした身障者は、
すぐに足が切断される医療しか無かったことを伝えています。
私が、「哀しみにデザイン」という自分の車椅子デザインのために、
ブリューゲルの絵から学んだことはいっぱいありました。
最近、自分が学んできた絵画や音楽を
なんとか書き残したいと思うことしばしばです。

目次を見る

「資本主義からの逃走」
 「逃走とは闘争であり、もっと闘争の生涯を選ぶ」


   


     3月 31st, 2011  Posted 12:00 AM

逃走とは闘争である
「資本主義」に閉じ込められている生涯。
デザイナーという職能ゆえに、
私の発想は、常に企業や行政との関係で具現化されます。
よって、デザインしたモノ、デザインしたコトは、
企業方針や行政制度との整合性が包囲条件でした。
だから、「資本主義」にはなじめなかったのです。
けれども、「社会主義」などというのは、嫌悪感すらあります。
それでも、「資本主義」その基底の「民主主義」、
いづれもイデオロギーですが、
このイデオロギーの解体をしながら、
新たな哲理の発見と創造、これこそデザインだと考えてきました。
逃走してどこに逃げ込むのか、などというのではありません。
いわば、このような思考を「ことば」と「歴史」の中で見いだそうとしてきました。
「ことばとかたちの相対論」を念頭におきながら、
具体的な、機器・装置・環境へのデザインアイディアを提案してきました。
しかし結局、「呑気過ぎた」のです。
たとえば、「仮設住宅」程度ではなくて「佳設住宅」を、
ある大手住宅メーカーと開発してきました。
「仮設」などという「仮」の非常時では復旧でしかないのです。
「佳設」というほどですから「佳人=美人」のごとく、
復興するには「美しい佳人のごとくの住宅」案でした。
これが頓挫しました。理由は、企業トップが脳溢血で倒れてしまいました。
この後継者には、それだけの先進性や美学性が無く、
そのプロジェクトメンバーにもたかだか業務でした。
このようなアイディアは、企業トップに大人物が必要なのです。
正直、現代日本の経営者にたかがデザイナーの戯言でも、
されどデザイナーの理想主義を受け入れる器ある人物が欠落しているのです。
現政権にリーダーがいないのは、企業家界も同様かもしれません。
私の逃走は闘争であったことをなんとなく曖昧にしてました。
そして、この国難こそ、逃走なんて「あとずりしている者への鉄拳」だったとさえ思います。
「復興」をめざして真正面から「闘争」を、命あるかぎり開始します。
私の闘争は、希望をいっぱいにした理想主義です。
「資本主義からの逃走」を「祈望」に止揚していきます。


目次を見る

「資本主義からの逃走」
 「日本資本主義は天災で、その神話を終焉させられた」


   


     3月 30th, 2011  Posted 12:00 AM

されど、けれど、神話の抹消
敗戦後、私たちは経済大国でした。
一等国家としての恩恵を存分に受けてきました。
そして、なんという悲劇が待ち受けていたのでしょうか。
この天災、さらに明らかな人災=原電事故は、
一瞬にして、私たち国家体制に多大な事件をつきつけました。
被災者数、特に死亡者は3万人になるかもしれません。
東日本大震災事件+原電事件が被害者数の人間を突き落としたのではありません。
被害者数の事件が一人一人にそれぞれの悲劇を与えたのです。
被害者を見つめる日本全国民も各々の悲劇に向き合わされているのです。
だから、私たちはこの大震災+原電事故から復旧し復興するのではありません。
被災者はもちろん、日本人一人一人、さらには地球の人類に復興を突きつけているのです。
原電事故は明らかに人災であり、
その電力会社=資本主義実行での投資効果、自社だけの還元富に、
原電という人類が到達した技術を「安全神話」そのままにしてきたのです。
結果は、周辺市民だけではなくて人類全てに「見えない恐怖」暴力を与えたと言えます。
しかし、これこそ資本主義基底である技術経済の「脆弱さ」を象徴してしまったのでしょう。
復旧は不可能です。
復興にはさらなる人智尽力が求められています。
自然界には存在しない物質は、人類滅亡を示唆しているのです。
原発の「神話」にまだ寄りかかっていることは、決定的自死表明です。
それなら、人智集結と鋭意尽力で、
自然と人間、人工と人間、人間と環境、人間と社会、
国際制度すべてのパラダイム、
その大変更は、まだとても失ってしまった人命、そして記憶、思い出、
財産への別離悲しみが突き刺さって流血したままです。
すなわち、資本主義という神話を断ち切って、
この悲しみから止めどない涙そのままから、
上を見上げなければなりません。
果てしない未来に望まなければなりません。
資本主義の総括的終焉とは、まさに、具体的な原電の「安全神話」、
つまり、「資本主義神話」への決別とその決心です。
「安全神話」には、たかが原子力という人類の奢りがありました。
されど、けれど、もう一度原子力に対決する永遠をめざす創造力こそ、
復興のエネルギーにほかなりません。


目次を見る