kazuo kawasaki's official blog

「資本主義からの逃走」
 「空間に生まれる『定在波』も変化するだろう」
  


   


     3月 9th, 2011  Posted 12:00 AM

オーディオ評論家の虚実体験
新人デザイナーの頃、
オーディオ評論家の先生方訪問をしていました。
ほとんどが評論家先生方の自宅でした。
新製品開発や、商品化決定前のアドバイスを受けていました。
とても尊敬できる評論家と虚構の評論家がいました。
ちょうど私が東芝を退社する頃に、
オーディオ評論家新人だった人たちが今活躍されています。
この人は駄目と思っていた人は消えてしまって見かけませんが、
当時、この人が評論家?という人が現在活躍されていますが、
時折、そんな人の評論はやはり駄目だと思って読み飛ばしています。
オーディオ評論家足る条件は、まず、音楽への造詣がずば抜けていること、
音源に対する専門的知識、オーディオ回路へのアイディアが豊富であること、
そして時代的な音楽潮流を読み取っていること、
さらに当然のこと文体力に魅力があることなど、これが最小限の条件だと思います。
当然、そうしたことは自宅のリスニングルームには顕著に表れていました。
まったくセンス無しなのに、人気の評論家もいましたが彼の評価は無視していました。
ある評論家の人に教えられたことがあります。
それは、音響空間のことでした。
「定在波がみえる」人たち
「定在波」というのがあります。
簡単にいうと、室内空間の設計造作によって共振したり共鳴をする室内部位ができてしまうと、
音響再生がどれほど高価なオーディシステムでも台無しになるということです。
そこで、数人の評論家はその室内に入ると「定在波が見える」とまで言われていました。
かって私の名古屋の自宅へ評論家S先生が専門誌取材で試聴にこられることなり、
大急ぎで部屋のリフォームを専門家にやり直してもらったことがあります。
その先生は室内を見渡せば「定在波」が見えるとまで言われている方です。
今、私はCDリッピングにより、新たな自宅内のオーディオ空間を再構築しています。
そして次のように思うのです。
デジタル音源で定在波共存も変化するかも
デジタル音源での室内音響空間の「質」も変化するのではないだろうか、ということです。
これまでの定在波とデジタル音源からの波長との共存性が変わってくれるかもしれません。
私自身、私なりの経験では室内空間の部位構造で、
あそこには絶対定在波が生まれるとか、この素材構成では定在波が起こると感じます。
是非とも、建築家にはこの「定在波」知識を経験で培ってほしいと思っています。
有名建築や、有数のコンサートホールには「定在波」に無頓着な空間を数多くみてきました。
特に建築家で音響体験の無い人は、これからの、オーディオ空間づくりの知識は不可欠です。


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「資本主義からの逃走」
「CD媒体が象徴してきたこと、やがて終焉へ」
  


   


     3月 8th, 2011  Posted 12:00 AM

CDが開発された頃
今私はCDを毎日エンコードしています。
気づいてみたらCDはどれほどあるのだろうか。
CDになる直前まで、私は企業でオーディオデザインに携わっていました。
フリーになると、RCAとフィリップス社でCD開発が始まっていました。
その両社の技術開発ニュースに一喜一憂していて、レコードが確実に終わると明言していました。
ほとんどの人が半信半疑だった印象があります。
当時はレコード針やカートリッジのデザイン、商品化がメインの仕事でした。
今も、そのときの商品・カートリッジは売られています。
欧米からLPのように両面タイプの試作が私の元にも届いていました。
CDプレーヤーのアドバンスデザインは東芝から依頼されていました。
当時こんなエピソードがあります。
CDは水平配置か垂直配置とすべきかということが、
プレーヤーデザインでは形態決定と実装設計の根本になります。
CDプレーヤーに関わっていたすべてのメーカーが「垂直・縦型」でした。
これは、フィリップス+ソニーの戦略でした。
したがって、CDが世界的に新発売になったとき、
フィリップス+ソニーは「水平配置」で競合企業を出し抜きました。
私は、アンプなど形態からも「水平配置」を提案していましたが、
ソニーに見事に裏切られた思い出が残っています。
これは後に、I氏と食事をしたとき、「それが狙いだった」という話を聞きました。
CD素材はポリカーボネイト=(この素材は今もWHOでは環境ホルモン懸念材料)であり、
スパッタリングでアルミを蒸着した簡便さゆえに私は経年変化のあるものとみています。
640MBから700MB 780nmの近赤外線レーザーで、
1.2Mbpsで74分42秒という収録時間は、開発由来の話が伝説となていまが、
私はこうしたメディア媒体の発明と進歩は、産業構造とぴったりと重なっていると判断しています。
CDは産業構造の象徴ゆえやがて終焉
つまり、このメディアの終焉を私自身には明確にみえています。
結局、このメディアは、資本主義経済産業構造の中での進化であり、
資本主義のいわば構造を象徴するとともに、終わりまで同様な象徴になると予測しています。


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「資本主義からの逃走」
  「音響≒風のごとく環境空間の設計へのセンス」
  


   


     3月 7th, 2011  Posted 12:00 AM

音・風、空間の質
音は空間の質を変えます。
音は日本の伝統的美学で比喩するなら「風」でしょう。
だから「風」のある空間はその質を制御しています。
ところで、日本に「風」は何種類あるかということです。
「風の事典」という長年の研究結果の事典があります。
これは膨大な風を分析した名著です。
この事典では、日本の風はたった三つに分類されると定義しています。
結局、地球上の「風」も、この三つでしょう。
 ■ 海から吹いてくる風
 ■ 山から吹いてくる風
 ■ 海峡から吹いてくる風(=瀬戸内海を渡る風:日本の場合)
さらに、気象学的にみれば、
「気圧の谷」や「四つの前線」が見事に空気の流れ方を決定していることと比喩できます。
私は音・音響というのは空気の質と冒頭で表現しましたが、
空気の質というのは、環境空間と人間との馴染み方だと考えます。
天候と健康の関係のようなものです。
{風≒音響}=デザイン設計論へ
したがって、なぜ私がオーディオシステムにこだわって発言しているかというのは、
環境空間の質は、気圧や音圧や温度、湿度によって、
存在している人間に対して生体的、生理的影響を与えます。
たとえばマクルーハンのメディア論「人間拡張の原理」に圧倒された若き日の感動を思い出します。
しかし、彼は、メディアを「ホットとクール」に分けましたが、
オーディオシステムのデザインに関わりさらにPC時代に入ってからは、
彼の定説では語り切れていないことに気づきました。
それは、「風」をメタファしてメディア論に持ち込んだとき、
{風≒音響}というアルゴリズムがみえてきました。
結果、私は、「ドライとウェット」を自分のメディア論に配置して、
そこからデザイン設計での造形言語を見いだすようにしました。
そして、オーディオはもちろんのこと、
建築空間設計や機器設計でメディア論の根底を欠落している作品は批判対象です。
オーディオに知識無き建築家やデザイナーには、「環境の質」設計は不可能だということです。
彼らは、「風」の質に対する感覚的センスを根本的に欠落している職能家だと思っています。


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「資本主義からの逃走」
  「ヘッドホン開発で覚えたことはその局部音場音響」
  


   


     3月 6th, 2011  Posted 12:00 AM

最小限のオーディオシステム
大学時代、私のオーディオシステムは最小限。
2chのオープンリールテープレコーダーと、
ヘッドホン(トリオ=現・KENWOOD)だけでした。
下宿生活では、学生にとってはシステムが最もシンプルで、
最良のHi-Fiを実現できるシステムだったと思います。
大学時代には、そのために各社のヘッドホンを4年間聞き比べていました。
そのことがプロになって音に対する滋養になったと思います。
東芝入社と同時にAurex担当になりました。
そしてたまたま、当時の音響部門では、
エレクトレットコンデンサーの技術が世界的にも先行的に評価され始めていました。
最初はカートリッジ開発からの商品開発が進行していました。
そこで、私はヘッドホンとマイクやイコライザーアンプなどの企画書提案をしていました。
ヘッドホンのデザイン開発経験
特に、ヘッドホンほど忠実にHi-Fiが可能になる再生機器はありえないとすら思っていました。
当時のヘッドホンでプロ用はSENNHEISERとKOSSがトップクラスでした。
学生時代に憧れ、いつか手に入れたいブランド製品でした。
しかし、その頃は重量が300gでした。
エレクトレットコンデンサータイプにすれば薄型10mm厚が可能であり、
軽量化を目標にすることができました。
そして私が商品化できたのは150gでオールプラスチックSR-710という普及品と、
SR-1000というマニア向けは、やりがいのある製品開発から商品化でした。
今、150gというのは考えられませんし、
ウォークマンからiPodの登場まで30年余りの進化が、
現代のヘッドホンにはあるかというと私は懸念します。
しかし、音質構造的には最近はドイツでのベンチャー企業が
新たなヘッドホンでの再生技術開発をしています。
ヘッドホンは局部音場であり、本来、音源の録音もバイノーラルが理想的です。
したがって、デジタル音源のエンコードには、
バイノーラル性が付加されてもいいのではないだろうかとさえ思っています。
ヘッドホンは今なお、各社の音響確認を趣味にしていますが、
ヘッドホンという頭部に装着するモノとして、この製品デザイン経験は、
メガネフレームデザインに連続しています。


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「資本主義からの逃走」
   「メディアアイテムの変遷が青春時代だった」
  


   


     3月 5th, 2011  Posted 12:00 AM

60年代の共時感覚
1960年代は音楽シーンが激変しました。
ちょうど中学・高校時代だった私の聴覚が変わりました。
なんといってもビートルズの登場は音楽界を革新。
と同時に、私は二つのメディアアイテムの登場があったと思います。
1962年、カセットテープは、「小さな箱にオープンリールテープ」がユニット化されました。
そしてこの改新は、次々とテープに音・映像・データの記録媒体となっていきます。
カセットテープ形体が様々な音源の形態を生み出すようになるわけです。
1964年、モーグ(ムーグ)のアナログシンセサイザーは、私を突き動かしました。
美大進学か、音大進学か、と浪人時代には進路変更を思いついていましたが、
デッサン描写とピアノ演奏が立ちはだかりました。
ピアノの弾けない私には音大進学はありえませんでした。
デッサンなら、なんとかなるだろうという程度でしたが試験会場では圧倒されました。
ところが、ピアノ演奏がまったく自動となって、
人間の指先ではコントロールできない音源制御がシンセサイザーだということを知りました。
結局、美大進学しましたが、音楽も忘れられずに、
それならシンセサイザーのデザインをしたいと思うようになりました。
教授には、シンセサイザーのデザイン、音に関わるデザインが希望だと告げると、
「ともかくお前は東芝だ、東芝では電子楽器もやっているから」と吹き込まれました。
当時、東芝は商品名「オーケストロン」、ヤマハが「エレクトーン」が競合していました。
私が東芝に入社したときには、「オーケストロン」は撤退しました。
以後この商品名は今なおエレクトーンという楽器になってしまいました。
そのチームも後にはAurex部門になっていったんでした。
結局、シンセサイザーについては私の趣味になったわけですが、
音楽シーンの激変やメディアアイテムが次々と登場していた時代が私の青春時代でした。
現代シーンに若さは反応すべき
生意気な発言を東芝時代は会議で発言していました。
「30代以上の人は、発言しないでほしい」。
これは、現代、ソーシャルネットワークが激変していることに重なります。
20代・30代には、時代との共時感覚を存分に身体化して、
年上の発言など阻止してほしいと私は思っています。
「若い」ということは、現代の時代感覚と真っ正面に対峙して、
そのセンスを共時感覚として発言行動することだと思っています。


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「資本主義からの逃走」
   「聴覚感覚という触覚の重大さ」
  


   


     3月 4th, 2011  Posted 2:07 AM

触覚感覚訓練の色彩演習
人間には五感があります。
職業柄、まず視覚は当然ながら、
聴覚と触覚には特別な私なりの想いがあります。
美大時代は、視覚と触覚が訓練されたと思っています。
視覚はともかく「見える」とか「見え方」の正確さを体感させられる実習の連続でした。
それから、触覚は色彩演習で体得させられたと思っています。
色彩演習というのは、ともかくポスターカラーといっても外国製の高価な色剤を,
筆ではなくて指先で混色することを指示されました。
徹夜で、絵の具皿にまず一色を選んで水を混ぜ、
指先でさらに色剤の粒子をつぶすかのように混ぜます。
そして二色目を混ぜると、微妙に色には温度感があるように感じるのです。
教授の意図がこの感触で色のことをマスターせよ、ということだったのでしょう。
この演習によって、私は触覚という感覚認識を大学で識ったということです。
こうしたことを基本に、私は様々な材質を触って覚える癖がついたのだと思っています。
視覚、触覚、さらに聴覚を対象としたオーディオ機器デザインの世界に入っていったわけですが、
私は聞く・聴くというのも聴覚という触覚だと思っています。
たとえば、直喩的に聴覚と触覚を同次元で統合的に感得するならば、
楽器に触れてその楽器の音とが共鳴するかのような感覚を思い起こせばいいわけです。
私にとってとりわけ親しみ深いのは、
トランペット=中学時代ブラスバンド、エレキギター、アコースティックギターなどですが、
ピアノやドラムも音=聴感と、その音響=音感が指先や耳元で感じる共鳴感のようなものです。
私は、自分がデザインを教える立場になって、
実習課題では「音具」と「動具」というテーマを与えるトレーニングメソッドを持っています。
このテーマについては別稿にしておきます。
体感経験と直感
ともかく、触覚は皮膚感覚ですが、聴覚も少なからず生理学的には耳の中での皮膚感覚です。
そして、さらに重大で重要なことは、触覚と聴覚、
この二つこそ視覚よりも正確な直感に結びついているのではないかと私は思っています。
触感と聴感の経験を重ねることが「直感」を鍛えてくれる気がします。


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「資本主義からの逃走」
   「「ラジオ聴覚メディアの強さは革新された」
  


   


     3月 3rd, 2011  Posted 12:00 AM

ラジオはメタ・メディア
放送局の取締役会顧問だったことがあります。
TVとラジオの営業と編成戦略、このデザインコンサルタントでした。
放送会社の企業C.I.に関わっていたからです。
当時もTVよりラジオの方が営業的には基軸が強固でした。
TVは単なる地方局として中央の中継基地でしかありませんでした。
しかし、ラジオは独自の番組編成が自由だったので、
その地域に密着した番組づくりがすこぶる可能でした。
その時すでに私はラジオはオールドメディアにはならないと確信したものです。
マクルーハンのいう「ホット・クール」という分別や
「部族の太鼓」という比喩ではないと思ったものです。
CDやPCが登場し、デジタルメディアになったとき、
私はホット・対・クールではなくて、
「ウェット・対・ドライ」という私なりのメディア分別思考で、
メディア機器にそうした造形言語化をしたものです。
今、私はiPodをFM電波で車内に局部音場づくりに凝っています。
しかし、大阪市内はFM電波が混雑していて、ようやく最近最適周波数を決めました。
CDパッケージソフト時代は終わった。
もはやCDというパッケージソフトは、Disc自体の素材性・物理的脆弱性がありますし、
輸送コストなどを考えれば、ラジオメディアは音波であり、
このメディアはインターネットで格段に世界規模になったものと判断することができます。
世界中のFM音楽番組は、まだCD音源の圧縮方式などが様々であるだけに、
Tuning-Mediaという音源、つまり「メタ・メディア」として革新的な進化を遂げつつあります。
しかし、このことにオーディオメーカーなどまったく気づいていないようです。
なぜなら、CD音源やDownload音源の再生装置システムその根本的なデザイン設計は、
これまでのオーディオシステムを全く超えていないことがそのことを証明しています。


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「資本主義からの逃走」
「新しい部族の太鼓かインターネットラジオというメディア」 
  


   


     3月 2nd, 2011  Posted 12:00 AM

マクルーハン・メディア論から
CRTはまったく製造生産されなくなりました。
ブラウン管TVはまったくなくなりました。
私はCRTから液晶ディバイス機器のデザインをしてきました。
表示ディバイスは、メディア機器形式の根本を変革進化させてきたと思います。
TVというマスメディアはデジタル化し、さらにマスメディアであることも終わるでしょう。
マクルーハンは「人間拡張の原理」、
そのメディア論としてラジオや映画、TV、新聞などを明快に切り込みを入れてくれました。
しかし、彼が登場したとき、
彼のメディアをクールとホットに分別したことは最初は嘲笑されていたということです。
彼が、メディアに対して明確にしたことは、
私たちにとってのメディア形式が内容よりも意識の問題提起だったと考えます。
『部族の太鼓』か、インターネットラジオ
昨年末から自宅の音響システムをネットワーク化とデジタル音源データベース化をしてきました。
そして、思いがけず驚いたのはCDをiPod化したりその圧縮方式や、
再現システム化をしてきたのですが、
こうしたことよりもっと強力なメディア形式として「ラジオ」でした。
「ラジオ」なんてすでにオールドメディアであり、
マクルーハンも「部族の太鼓」と比喩したものでした。
ところが、インターネットラジオは、
まさしくマクルーハンが近未来の地球をグローバル・ヴィレッジと定説化しましたが、
あらためて「部族の太鼓」としての形式内容を与えるメディア形式として、
CDの聴覚対象である特に音楽、
その産業形式から放送受信形式まで、私たちの意識内容を激変させるでしょう。
インターネットラジオという形式のモノとその産業構造となるコト激変を確信させられました。
インターネットラジオは音楽産業界を変える
インターネットによって、
FMラジオ放送が地球全体に存在しているチャンネルすべてを聴取することができます。
それこそジャマイカからブラジルなどあらゆる都市でのFM放送の中でも音楽番組が聞けます。
そうした放送を聴きながら、さらに自分がどんな音楽を聴いていたかを新たなシステムは、
自動的にセレクト分別して、
「あなたはこのジャンルが好きのようですね」とまで、プログラム化してくれるわけです。
それは、「部落の太鼓」を選別し分別してくれていることになります。
ネットワークが私の身体聴覚の快感意識にまでリンケージしてきたということです。
私は、CDをデータベース化するどころか、
このインターネットラジオのオートチューニングが、
私の意識、その再確認を試す時代だということに感激しているわけです。


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「資本主義からの逃走」
 「『痛み』・・・辛いことはこの世に戻るとき」
  


   


     3月 1st, 2011  Posted 12:00 AM

人体・生体はポリ袋
ポリ袋に水が詰められています。
そのポリ袋など、針先で簡単に孔が開きます。
孔が開けば、水はそのポリ袋から漏れ出します。
人体というのは、70%が水です。
人体をポリ袋に喩えれば、まさにポリ袋など簡単に破れて、
水が漏れ出すように、命がなくなります。
生命というのはおそらくこのポリ袋の水が漏れ出してすぐに息絶えるという代物でしょう。
この世・あの世の狭間往来
私は3度、この世とあの世、その狭間の暗闇を往復したという個人的な現実、
他人からみれば幻想だと片付けられるでしょう。
3度の体験は、サイクルが決まっています。
まず、失神していますが、これは確実に幻想の中にいます。
動物らしき物がいたりしますが、
現実に引き戻されると、病院の天井や室内環境が見えます。
そしてまた多分失神しているのでしょうが、
闇の中に引き込まれると、遠くに光の神々しい輪が段々と近づいてきます。
そこで、気づくのです。
この道を戻ろうという意識になると、ドクターやナースが大声で呼びかけてくれます。
「眠っては駄目です」、とか・・・
「まだやり残していることあるでしょう」、・・・とか。
そしてとてもまた痛みも無くて心地よくて苦痛は快楽的な気分になります。
するとまた闇の中を・・・・・
これを何度か繰り返して、明らかに現実を体感すると、
まず、強烈な寒気で体が震え出し、次に吐き気、そしてまた高熱で失神です。
この繰り返しが、短くて1週間、長いと2週間です。
この世は辛いという現実
はっきりと言えることは、「この世」に戻るときの苦痛を超えた「辛さ」です。
つまり、「この世」に存在するためには「辛い」コトだらけです。
「あの世」へのプロセスは、光の輪に吸い込まれていく快楽が在るということは確かです。
「かけがえのない大切さ」=『痛み』
現実は辛いことがいっぱいだということを識れば、
『痛み』こそ、自分だけの辛さの確認=現実的な自分存在の確認だということです。
『痛み』を識る、自分の痛みも他人の痛みも「かけがえのない大切さ」、
これがアイデンティフィケーション、哲学者・中村雄二郎先生の定義は、
私自身の「生と死」への往来で納得していることです。


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「資本主義からの逃走」
 「喜怒哀楽すべてに『痛み』あり、母の形見」
  


   


     2月 28th, 2011  Posted 12:00 AM

喜怒哀楽の痛み
私はある日突然、障がい者になりました。
交通被災直後、手術麻酔覚醒直後はじめ、
ともかく病院で、命を限界で支えているときの
身体的・生体的な痛み=苦痛は耐え難きものです。
痛い経験なんて生まれてから数え切れないほど体験するはずです。
にもかかわらず、損傷した部位の痛みは天候季節、
さらに精神的に自分を確認しなければならないとき、
その『痛み』は激痛を超えるほどのものです。
しかし、生体的な痛み以上のものが、
喜怒哀楽すべてに潜んでいます。
どんなに考え込んでも、最も哀しいことは死別です。
痛みを識るという母の形見
私は、被災後、自分が激痛のときになんとしても置き換えてイメージしていたのは、
癌で苦しんでいた母のことでした。
47歳で逝ってしまった母は、
当時、腸捻転で腹膜炎の疑い程度ということで手術を受けました。
そして開腹したらすでに消化器系すべてに癌はひろがっていました。
手術室に呼ばれた父が卒倒し、今度はすぐに私が呼ばれて、
ドクターは胃から小腸までを両腕で抱き上げて、
「手遅れだから、このままで縫合する」と告げられました。
この時の場面を思い出せば、
『痛み』は二重になりつつもかき消されたかのようになります。
喜怒哀楽の痛みから確認すること
人は、喜怒哀楽が生涯に連山のごとく高低ある振幅に乗せられ揺すぶられ、
時には、喜びにも楽しみにも『痛み』は潜んでいます。
当然、怒りと哀しみの『痛み』は、自死を決意しようというほどのことも起こります。
そして、この喜怒哀楽は、各自だけの同一性、その確認に密着しています。
つまり、『痛み』は自己の存在性、その確認に直結しているということです。
障がい者になって、たった47 年間の生涯、
その21年間を私に与えてくれた『痛み』から学んだ「母からの形見」です。
私は、同一性の確認とは、
喜怒哀楽すべてにある痛みを識ることに尽きると確信しています。


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