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「資本主義からの逃走」
  「天災から10日過ぎてこれから」


   


     3月 21st, 2011  Posted 12:01 AM


大震災は大津波で東日本を破壊。
その上に福島原電事故に連鎖。
この10日間、夜明けまでTV報道を見続けています。
原電事故においては、今日も懸命の自衛隊・消防隊・警官隊が、
身代わりになっていただくがごとく、
「冷やす」献身的活動にひたすらです。
彼らの無事を祈るばかりです。
私は、このブログを自身への義務としています。
正直、現場シーンを見続けているので言葉を失いそうになります。
まず言葉を失わないことで、自分の思考バランスを保っています。
昭和23年は福井大震災で、私の生命がやっと母の胎内にありました。
今は亡き父母、祖父母、親戚から語り継がれた話を抱いて生きてきました。
そしてこれから多分復興し復活までどれだけの日々が必要なのでしょうか。
神戸震災もようやく16年目の現在は復興を果たしました。
日本人の力量です。
しかし、今回は原電事故が重なり、
放射性物質・放射線・放射能、
そしてその単位まで全国民が知れば知るほど、その不安に襲われています。
知りすぎる必要も無い術語を知ることは恐怖に繋がってしまいます。
しかし、無知であってはさらに自身も周囲も護れません。
今度は放射能被曝情報その外電が国内の不安感増長にもなり始めています。
私は、毎年最低4~5回以上は、CTやレントゲン検診を受けています。
すでにどれほど放射線から放射能が蓄積されているのでしょう。
放射線レベルは時間当たりの照射度数でしかありません。
放射能が体内に蓄積されるのは個人差があるでしょう。
これから、復興に私たち日本人は向かっていかなければなりません。
「これから」を、
私たちはそれぞれの職能の役割に懸命でありたいと思うばかりです。


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「資本主義からの逃走」
  「天災を忘れず人災を学び、そしてresignへ」


   


     3月 20th, 2011  Posted 12:00 AM


最悪の事態でも冷静さを。
長期計画での復旧から復興へ。
もう一度、日本の奇跡へ。
M9.0以上もありうる意識を持たなければならない日本列島の我々。
M20(彗星衝突)すら念頭にする気概が必要でしょう。
以上は、諦観=あきらめ=resignです。
あきらめ=resignといっても、諦観での決意です。
すでに原電事故は海外ではAccidentではなくてCrisisです。
原電事故の対策対応には納得できない方法だと私は判断しています。
阪神大震災は、懸命に復旧し復興まで10年を要しました。
今回は、おそらく20年以上かかるでしょう。
万一、放射能被害を最悪に勘案すれば、
50年、100年という歴史的な解決が復興となるでしょう。
最悪のシナリオ準備にというのは深刻さに他なりません。
こうした想像は危惧であり杞憂であってほしいわけです。
決してパニックにならないような市民意識の人智的冷静さ、
その準備に入るべきだと私は思います。
私は自分自身が交通被災により車椅子、
さらに被災が原因で心臓障害者です。
この体験から、諦めて生きる=resignをdesignしてきた人間です。
resign=諦めて生きることでこそ、
やがて「幸い」なことが必ず蓄積されていくと確信しています。
おそらく、原子力発電や原子力運用には、
これまで以上に「反核意識」一辺倒が推測できます。
しかし、未来はあらためて原子力との共存の方が、
自然との共存よりも予測可能性があるものと私は冷徹に考えています。
日本は戦争で被曝し、今度は天災で被曝しました。
軟弱極まりない土壌上に花綵の祖国が乗っています。
だから私たちは、さらに科学と技術で、
原子力と対峙していかなければならない民族だと諦観すべきでしょう。
私はデザイナーとして原子力と対峙と対決で共存していきます。


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「資本主義からの逃走」
  「天災への二つのまなざし」


   


     3月 19th, 2011  Posted 12:00 AM


大震災・津波・さらに原発事故とは正直不安です。
二つの眼差し、それら情報から判断が必要でしょう。
それは、国内メディアと海外メディアの視線です。
国内は、ともかくパニック防止が基準であり、
希望的観測ベクトル。
海外は自国民の安全と、
被災地の実情評価が冷徹なほど正確さがあります。
だから、海外メディアから知らされる報道は、
不安さが自分の中で増幅されます。
しかしこの不安さと真正面から向かい合う必要があるでしょう。
福井県眼鏡組合は、なんとか3000個の老眼鏡を被災地へと計画実施します。
ところがカナダから10000個が税関に来ましたが、
「老眼鏡は薬事法により、制定認可が国内は必要」ゆえ、
配布不可能になっています。
実務担当者は、必要性に個人的理解ができても、
法律的判断はマニュアル化されています。
「自己調整レンズ眼鏡の開発・アフリカ向け」に私自身関わってきたので、
その財団にメールを出して、寄贈を検討してもらっています。
デザイナーにも、今、必要とされるピクトグラムで、
数値や言葉では理解できないコトを「表現」、
ビジュアルコミュニケーション制作提案を訴求しました。
若いデザイナーたちが、提案を送付してくれてます。
今、被災地現場と首都圏判断には格差が出ています。
特に原電現場は、すでに生命をかけています。
彼らが無事であってほしいけれど、
すでに限界が迫っている気配です。
海外の実務専門家判断の報道に比べると、
国内メディアはスタジオでの学者意見は不十分です。
不安さ、恐怖を乗り越えて、メディア報道、
国内と海外、二つの眼差しから情報獲得が必要です。
海外の友人から、
「日本人の君たちは必ず復興できる」とメールをくれます。
正しい情報判断で、「復興」を自答するばかりです。


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「資本主義からの逃走」
  「天災とは共存などできない」


   


     3月 18th, 2011  Posted 12:47 AM


首都圏からの報道が関西には届いていません。
まさか親友が被災してるとは思ってもいませんでした。
親友からまずメールが届き、
電話をしてもう唖然とするほど驚愕しました。
震源地は南下してきています。
日本列島はどうなっていくのでしょうか。
一挙に不安になりました。
親友は、きわめて慎重で「いつか、もし・・・」ということで、
毎晩バスタブに水を貯め、
一番大きな鍋にも水を確保する日常を癖にしているほどでした。
震度5強と液状化現象を本当に知ったという電話でした。
まさか、まさか・・・・だったのです。
被災地で5歳ぐらいの男の子が、
「津波を逮捕してやっつけに行く」というシーンが重なりました。
日本は「自然との共存」を伝統として、
「自然との調和」を願ってきたはずです。
しかし、震災に原電事故が追い打ちをかけています。
電力会社のこれまでの対応策がどうだったのか、とか、
計画停電、全面停電、
さらには本社と現場との乖離を問い詰めている場合ではありません。
全国民が、本当に一致団結して自然からの脅迫に抵抗していかなければなりません。
真に「命がけ」、平成の特攻隊という比喩は不謹慎ではありません。
自衛隊、警察官、各国からの救援隊、被災地、周辺から支援している公務員、
全員が立ち向かっておられます。
そして、関西でただ何も出来ない自分は感謝あるのみです。
デザイナーとして、様々な提案をしてきていますが、
何も具現化できずに、この大災害を迎えてしまった自分の無力さです。
「天災を差し向ける自然」とは共存などできません。
抵抗し、反撃という復興の自分なりの役割を必ずしていく所存です。


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「資本主義からの逃走」
  「天災と自分との隔たりに正確な想像力を」


   


     3月 17th, 2011  Posted 12:00 AM


昨夜、大阪もまた揺れました。
緊急地震速報が、またまた流れます。
日本列島がどうなっていくのかとても心配です。
東北地方は、今夜も厳寒とのことです。
今朝、目覚めるときに寒くて、
ベッドに思い切り潜り込みました。
その時、ハッとして目覚めてしまいました。
自分は、この寒さでも潜り込めるベッドがあると。
すぐに、TVをつけると、地震よりも原発事故と、
東京での買い占め報道が流れていました。
これほど連日、TV報道はいっせいに地震・原発・東京報道です。
そして、地震も西に震源が移動してきました。
あらためて、天災と自分の日常との隔たり感を感じます。
報道情報が本当に自分の意識や推測との距離感ができつつあるようです。
つきつめて、天災と自分意識を推し量って、
この意識距離感に、
自分の想像力を明確にしなければなりません。
おそらく、日本全体が疲労し始めているのでしょう。
それは、被災現地は絶望や失望以上に
肉体的・精神的疲労困憊に成り果てているのでしょう。
原発事故を解説する専門家の言説には、
私なりの疑念がわきあがってきています。
この疑念に勝手な想像力を働かせるわけにはいきません。
海外が日本脱出を計画していることは当然になっていくのでしょうか。
今、自分自身に
「何が正確な想像力であり、何がこの天災との同一性なのか」
このことを緊急に突き止めていかなければならないでしょう。


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「資本主義からの逃走」
 「天災の現実に人災を重ねない人智決断が必要」


   


     3月 16th, 2011  Posted 12:00 AM


自然の驚異は想像力を超えること。
だから、私たちは天災に屈してしまう。
人類の歴史では当然のことでした。
それでも天災に人智で対決してきたのです。
ほとんど敗北することがあっても屈しない姿勢を保守してきたのです。
東日本大震災は天災でしたが、人災が覆いかぶさろうとしています。
福島原発事故の状況に私たちは大きな恐怖に追い込まれています。
世界経済にも翻弄される事態に巻き込まれつつあります。
しかし、すでの世界各国からの支援は90ヶ国以上になりました。
天災に対して、人類全体が、私たち日本人を支えてくれようとしています。
私たち日本人のマナーが評価されていますが、
日本人としての伝統的倫理観は今こそさらに強固にしていくべきでしょう。
そして世界のまなざしは、天災事象のシーンから、
原電事故と経済的な動向に視界は変わろうとしています。
となれば、私たち日本人が、
復興への意欲や意志を明確に見せなければなりません。
復興決断をしていること、
この勇気や決意に全世界から信頼感を持ってもらわなければなりません。
今、日本からの現実情報が不透明だとか、
経済対抗策の不十分さを指摘する海外報道もでてきました。
パニックを押さえ込むためよりも、
正確で透明で、だから何を成すべきかを知らしめる情報発信、
これを関係筋がしなければ「人災」を招き入れてしまいます。
引き替えて、海外報道は想定外をはずし、
現実の危険性を明確詳細に伝えています。
「自然に勝てない」とするなら、
天災という地球自然の暴力には、
何が何でも人智と蓄えを使い果たしてでも、
「人災」を重ねない勇気ある決断行動が必要だということです。


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「資本主義からの逃走」
  「天災へ立ち向かう意志とは自然には負けないことだ」
  


   


     3月 15th, 2011  Posted 1:02 AM


M9.0とは地球が人類に向けた暴力です。
大震災現地の光景に言葉を失います。
あの美しい三陸海岸は滅亡させられました。
壊滅してしまった市町村をみると途方に暮れます。
現地被災者の方々におかれては、
私たちの想像を絶するほど絶望感に打ちのめされておられるでしょう。
私たちに何が出来るかすら不明です。
おそらく、敗戦後、焼け野原に復員してきた父たち世代も、
途方に暮れていたでしょう。
しかし、それでも復旧から復興させて今日があります。
私のふるさと福井も戦災で全滅し、
復旧中に今度は福井大震災でまた全壊でした。
私は母の胎内で生まれる寸前でした。
戦後65年、日本は繁栄華々しい先進国家になりましたが、
もう一度日本は試練を余儀なくされたのでしょう。
これまでの日本の経済力を使い果たしてでも、
復興に立ち向かうことしかありません。
もう一度貧乏になっても、復興する意志が肝要でしょう。
経済力をもう一度零から再スタートする意欲が必要でしょう。
全壊してしまって財産を失った人たちが、
なんとしても探しだそうとするのは、貯金や預金通帳ではありません。
決まって、被災者が取り戻そうとするのはアルバム、
すなわち「思い出」だという調査結果があります。
私たちの生き甲斐が経済が目標ではないということでしょう。
経済は手段でしかなく、人間が天災に立ち向かうということは、
「自然には決して勝てない」のではなくて、
天災などに負けない意志、
復興する意欲と勇気があるということを確認したいと思います。


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「資本主義からの逃走」
    「天災に祈ることしかないのだろうか。」
  


   


     3月 14th, 2011  Posted 12:00 AM


M9.0という想像を絶した地震値。
日本はまたしても復活しなければなりません。
あの三陸海岸の美しさは消滅しました。
TV画面を見つめながら現地の人々の気持ちまで共有はできませんが、
死者数と行方不明者数を知れば涙が流れます。
東北地方は壊滅したのでしょうか。
私の個人的な想いは、八戸市や久慈市に思い出があります。
久慈焼、琥珀産地の人たちの誠実さを思い知ったことがいっぱいあります。
わが国に与えられたこれからの試練へ勇気を抱かなければなりません。
朝が来ても、すぐに一日が終わり、
厳寒の夜に避難している人たちにただ祈るより他手立てはありません。
地震発生からいまだにまだコンビナート火災は炎上しています。
孤立している街々があるという情報を聞いているだけです。
東北地方の三陸海岸地方はこれまでの経験や歴史的な史実から、
最も災害に強い街づくりをめざしてきたと聞きます。
同胞の苦しみ、悲しみ、哀しみに胸が締め付けられます。
ただただ、行方不明の方々が生き延びていてほしいと願います。


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