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『資本主義からの逃走』
  「用間=インテリジェンスの核心、その操作効用」


   


     9月 23rd, 2010  Posted 1:07 AM

二つの用間フィクション
私は、資本主義は終焉していると考えています。
だから、情報は情勢報告、すなわちインテリジェンスであり、
策略・謀略があまりにも見事な「情報化社会」だったということです。
それは国家市場主義であり、一党独裁、
大衆をあたかも情報操作で資本主義とみせかけているものかもしれません。
となれば、資本主義そして自由主義、それらを裏付ける民主主義の否定論理が働いています。
これはフィクションと考えてください。
なぜなら、ここには私が創作しようとしてる二つの矛盾仕掛けがあります。

一つ目は、私自身、資本主義・自由主義・民主主義には大きな疑念を持っているからです。
自由主義という情報操作が、あたかも民主主義を理想主義の上位概念にしてきました。
それは本当に正しかった=正義だったのだろうか、と考え込んでしまいます。
自由主義は拘束主義を、自由主義保全として正当化しています。
自由主義に裏付けられている平等主義も、明らかに社会差別を制止することはありえません。
民主主義を防衛するための戦闘=暴力行使への異議申し立ては当然の事実として
現代史をつないでいます。

二つ目は、以上のことをそのまま、新たな社会主義としての国家的な統制論としています。
それは民主主義的な資本主義ではなくて、あたかも資本主義的で自由経済性的な策略操作です。
さて、私のこのフィクションが、現代日本を取り囲んでいるのかもしれません。
だとするなら、情報=インテリジェンス=用間の戦略論がとても活性化している、
こうした想像力をあなたも持っておられるでしょうか?、ということです。
わが国の「情報」=インフォメーションから隔絶してみる必要性を
このフィクションに託しておきます。


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『資本主義からの逃走』
「最終章『用間』、それを始めるための第1章は?」


   


     9月 22nd, 2010  Posted 12:00 AM

第1章・『始計』
「孫子の兵法」は13章13項目は『用間』です。
となれば、第1章目を確かめてください。
「孫子の兵法」は、まさに、デザインから始まります。
第1章は『始計』です。計篇と書き記されているものもありますが、
ともかく、戦争を始めるための序論であり、
計画というよりも計略を企画するための心構えのことについての記述です。
なぜ、戦争という事態にいたらなければならないのか、という情報、
それはデータとプロットあるいはコンテクストをテキスト化しておくということです。
そして、第2章で作戦に入っていきますから、ここからが「計画」と考えるべきでしょう。
私は、20世紀末からコンピューター技術による「情報」が、
確実に資本主義を変貌させると思ってきました。
それは市場と計画によって経済変動=景気循環は、
いづれは資本主義を終わらせるという予測に賛同してきました。
さらに私が注視してきたことは、「何が情報か?」ということでした。
何が情報か?のデザイン
そして情報の形式と内容を「・・・として・・・」という四句分別論によって詳細化したときに、
戦争論に結びついていたことです。
まさしく、経済活動での「情報戦略」には、情報の内容を大別することができました。
そして、要となる戦術論として「孫子の兵法」での『用間』をもって、
戦争そのものを回避するということに、
情報の功罪を明快にすることができたのではないかと思うのです。
しかも、この「兵法書」は『始計』=企画から作戦=計画がまず述べられているのです。
私はこの書き出しにデザインが置かれていることを書きとどめておきたいと考えます。
つまり、デザインをもって情報のその功罪を決定するという姿勢が、
「情勢報告」=「情報」とし、
その内容と形式を決定していく過程が「何が情報か?」であるかということを、
私は『始計』にあるものと判断しています。


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『資本主義からの逃走』
「サイバー空間の分断、『用間』による情報戦術」


   


     9月 21st, 2010  Posted 12:00 AM

サイバー・テロ
資本主義は社会主義との対立を起こしました。
70余年米ソ間「冷戦」において、
緊迫した関係が、いわば、世界をこの冷戦に呪縛してきました。
ソ連の崩壊=社会主義の崩壊は、私は資本主義の勝利だったとはまったく思っていません。
むしろその時に資本主義も終焉したのだという見解を持っています。
しかし、資本主義があたかも勝利したという経済論理は、
今ではすっかりと新たな局面、私は「混乱」を引き起こしているとさえ思っています。
それは、市場と計画を社会主義や民族主義に閉じ込め、
先富論での軍事体制を国内外の国家統一論にしている多様性が派生し、
サイバー・テロまで出てきたことを危惧するからです。
そして、その軍事戦略には「サイバー空間として世界戦略」を観ることができます。
明らかに、この場合の「情報」はインテリジェンス=策略・謀略だと思います。
デザインを設計から「策略」・「新資源」と訳されていることも再考すべきです。
「孫子の兵法」
私が、情報を四つの統合の中でという定義性を持ち出せば、
情報=information・ knowledge・ consciousness・ intelligenceに注目をしてほしいと考えます。
私が、理想主義としているMedia Allianceは、
「分離」をあえてキーワードにしているのは、情報の危険性が重なっているからです。
そして、軍事論あるいは戦略論にすれば、私は「孫子の兵法」を取り上げておきたいと考えます。
「孫子の兵法」は13章、13項目挙げられています。
その最終章には「情報戦」でまとめられています。
「用間」
『用間』です。これは「間者」を使うという内容です。
「間者」はスパイを意味しています。
スパイによって、情報を流すということです。
その情報とは、「他国が多勢で攻め込んでくる」という噂=情報を流すことを意味しています。
こうした情報によって、決して血を流すことなく他国を攻めることができることを意味しています。
「孫子の兵法」は、如何に流血の戦争をしないかということでまとめられています。
『用間』とは、情報を用いるということです。
情報の怖さをその時代にすでに気づいていたということです。
情報は見事にconsciouness=意識に関わり、
意識を分離すればそれは人格破壊にまで及ぶ怖さを持っているということです。
情報、すなわち「情勢報告」は、
何が正しいのかを見極めることが重要だということを示唆していると考えます。


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『資本主義からの逃走』
「サイバー空間の分離は分断される危険性がある」


   


     9月 20th, 2010  Posted 12:00 AM

術語・「分離」
apheresis=分離という言葉だけを焦点化。
分離は、心理学と遺伝子学にて学理的に術語化されています。
その解説や解釈をここで述べれば、
それはアナロジー的な私なりの理解にとどまってしまいます。
私的アナロジーとしてメモしておきます。
むしろ、私は、心理学にしろ遺伝子学にしろ、
それぞれが原因としての分離と結果としての分離になっていることに注目します。
まず、心理学では、自我の統一性が分離して、結果が問われることです。
遺伝子的には、生命が発生する分離構造がすでに科学としては成立しているということです。
こうした術語「分離」を一端、分離の意味理解としておきます。
そこで、もっと大きな問題を探し出しておく必要があります。
それはすでに、サイバー空間が「分離」し始めていることです。
私は、ここではあくまでも「資本主義が分離してしまっている」と断言していると思っていますが、それ以上のことは、理想主義で語られたきたサイバー空間は、
資本主義の経済機構に適合して進化してきましたが、その分断と分離が始まっていることです。
地球は確かに、web空間化しています。
それが「クラウド」化することも自明のことと理解可能です。
しかし、あくまでも経済論理がこの「クラウド」化を推進していくとするなら、
web空間=サイバースペースは分断されるどころか、
分断される危険性を孕んでいることを指摘しておきます。


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『資本主義からの逃走』
「Media Allianceへのアフェレーシス」


   


     9月 19th, 2010  Posted 12:00 AM

「界面」=インターフェイス
医学術語ならアフェレシスなので、
私は、コンピューター用語にしていくために、アフェレーシスと呼称しておきます。
ところで、apheresis=分離は、元来コンピューター用語では成立していたのです。
油と水は分離します。化学的な現象です。
その分離している油と水の境界面、これを「界面」と呼びます。
この「界面」をインターフェイスと呼び、そのままコンピューター用語になっているわけです。
しかし、私が意図しているアフェレーシスは、情報を分離していくことで、
それぞれの分離された情報系=情報システムが協働する=アライアンスしていくことです。
その情報系システムを構成しているのは、
コンピューターとロボットです。
無論、ロボットにはコンピューターが内蔵されています。
しかも、私はこの時、
コンピューターも「消えている」=見えない=クラウド化していることを詳細に示しています。
したがって、あらためて問題は「分離」=アフェレーシスを成し遂げるハードとソフトです。
そしてこのハードとソフトは、不可視なのです。
水や空気のように、在って当たり前ですが、
日常的には存在していない社会基盤になっているということです。
あらためて再度、情報は「情勢報告」という戦争論にあてはめて熟考し直すことができるでしょう。
分離・アフェレーシスの協働
二つのことが考えられます。
■ 分離する方法や処方
■ 分離した成果同士を協働させること
この二つを考えていこうということです。
これは、エンゲルスが、大戦学理とまで邦訳された論理に注目しておくべきだと
マルクスに進言した内容につながっていると考えています。


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『資本主義からの逃走』
「Media Integrationからアフェレーシスを経るだろう!」


   


     9月 18th, 2010  Posted 12:00 AM

「情勢報告」=情報
「情報」という日本語に向き合ってきました。
いつごろからだったかと考えると、明確には東芝入社時に、
FORTRAN とCOBOLの研修を受けた時からだと思います。
そして、ポストインダストリー=脱工業化社会論は、
ドイツから出版された「意識革命」だったと思います。
そして、情報が森鴎外の邦訳語説に出会いました。
ところが、超有名大学教授から猛烈な「反撃」を受けました。
ちょうど、私が名古屋市立大学教授になった時でした。
驚愕し無論この教授がこのような方だったと愕然とし、私も反撃してこの発言をし続けてきました。
しかし、私はこの反撃が直感で誤りだと感じていました。
森鴎外のクラウゼヴィッツ・戦争論の翻訳・「大戦学理」にある
「情勢報告」を「情報」としていると金沢での第15回日本VR学会で教えていただきました。
しかも、私が講演で「情報は情に報いる」という事自体が大きな過ちだという指摘には
大賛同をしていただきました。
情報が情に報いるなら、表記は「報情」でなければなりません。
しかも、「情」には古代中国の文字定義意味があるので中国古典書定義からは、外れてしまいます。
「情」とは心に中に流れ込むどろどろとした「青」(中国ではこれは黒です)ですから、
人間の策略や謀略を意味します。

apheresis

したがって、戦争での情勢とは戦略の動勢を探って報とし伝達するという意味になります。
そこで、これまで一部で語ってきたのは、「アフェレーシス」でした。
これはギリシア語・aheresis=「分離」を意味しています。
現在、アフェレシスは医学術語で「血液分離」として人工透析などの基礎用語になっています。
そこで、私は、「ユビキタス」=どこでもコンピューターとの対話環境がある、
となれば、「情報の分離」が必須になるということで、アフェレーシスという段階が必至であり、
このステップ経なければならないということを若手ベンチャーの指導者にその話をしてきました。
「情勢報告」=「情報」も分離して、プライオリティが必要だということです。
そこで、「情報社会」ではアフェレーシスが重大になると自信をもって発言します。
私がMedia IntegrationからMedia Allianceへのステップにaphereis、
その分離ダイナミックスが重要になるという提案です。
「戦争論」は資本論にとってもエンゲルスが絶対に参考にすべきと言われた論理でしたが、
クラウゼヴィッツは、「戦争論」を書き上げることはできなかった論理でした。
私は、情勢の分離が知識と意識にどのように影響していくかは、
当時はまだ熟考不足があったものと考えます。
戦争論理でいえば、「孫子の兵法」が見事に言い尽くしているというのが私の判断です。


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