kazuo kawasaki's official blog

「資本主義からの逃走」
      「天災は、pray for Japanに応えることだ」
  


   


     3月 13th, 2011  Posted 12:00 AM


敗戦後、日本の国家的な危機です。
幸い、私周辺の家族・友人・知人は無事でした。
しかし、TV報道画面を見ていると、
戦後65年の破壊と破滅の現状を思い知らされます。
敗戦後の繁栄は一挙に破壊されました。
もう一度、私たちは大きな試練が与えられてしまったわけです。
壊滅状態を引き起こしているのは地震・津波・内陸地震、
さらに原発事故と連続しています。
私たちは、また試されようとしているのです。
これまで各地での地震から火山爆発、さらには鳥インフルエンザ、
あの阪神大震災からも立ち直ってきました。
特に、今回は原発事故に立ち向かうという初体験があります。
原爆被災国は原発事故と天災からの復興を余儀なくされてしまったのです。
人類にとっての最大難問を解決できる共同体・日本が試されているのです。
私たちそれぞれが、
個々の職能性をもってその役割分担で乗り越えなければなりません。
泣きたくなるほどの悲惨さに立ち向かうべきでしょう。
世界各国からの「pray for Japan」に応えることだと考えます。


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「資本主義からの逃走」
     「車椅子事情・日本の街では出会わないこと」


   


     1月 16th, 2011  Posted 12:00 AM

街の中の車椅子
28歳で車椅子生活になった私。
日本、特に銀座では車椅子に出会わないこと。
30年以上車椅子に乗っています。
しかし、本当に日本で車椅子同士は出逢いません。
30代後半は、米国各地を車椅子でうろついていました。
ある大学で、「車椅子だから必ず会えるはずだから」、
この発言がまったく間違いで、大学のキャンパス内には、
車椅子の人が多くて、びっくりしたことがありました。
今年、最初に銀座に居て、つくづく思い返したのは、
銀座で、これまで30余年10人も車椅子の人に出会ったことがありません。
銀座も、車椅子でのアクセスは本当に便利になりました。
空港では、かなり車椅子の人に出会います。
2回に1回は、出会う印象がありますが、決まって高齢者です。
30代にカナダでは、一人で飛行機移動している人に何度も出会ってびっくりしました。
JRも車椅子での移動は本当に便利になりました。
国土交通省に乗り込んで折衝してことがあります。
新幹線はじめJRホームにエレベーターがあります、
あれは、扇千景国土交通省大臣の指示でしたが、2年かかりましたが実現できたのです。
大阪大学の私の研究室などは、吹田市のバリアフリー条例で厳しくスロープさえ、
その傾斜角度がやり直しされたほどです。
ところが、東京のある国立大学では、教授会上層部にその理解が無くて、辟易しました。
「自分たちが車椅子にならないとわからない」と、私は呆れたことがあります。
私は、「階段」や「段差」を建築空間、特に住宅設計に特徴付ける建築家は、
いづれ「思い知る時期がある」と思っています。
「バリアフリーなんて・・・」と陰では平然と公言している建築家は、
「自分が思い知る時期」があると判断しています。
これから日本の街に車椅子通行者は格段に増加します。
家を新築されるなら、本当に「階段」と「段差」は熟考してください。


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『資本主義からの逃走』
   「いつまで会えるのだろう・大学時代同窓会」


   


     11月 28th, 2010  Posted 12:09 AM

大学卒業後39年
関西にいる金沢美大時代の同窓会。
来年で卒業40周年になるという年代です。
全員が工業デザイナー。
幸いなことに工業デザイン専攻30名は全員がデザイナーになりました。
すでに還暦も過ぎました。すでにほとんどがリタイア。
企業の顧問・アドバイザー、大学の産学コーディネーターなど10名の宴でした。
恩師3名、同級生2名、級友の奥様1名への黙祷をしてから同窓会をスタートでした。
まず、禿げが皆無は自慢かも。なぜならこれはクリェイティブ職能の基本という単なる風評ゆえ。
メタボもやや一人でみんなから冷やかされつつも、職能的には若く見えることを確認できました。
母校から、3年次課題の「塗装・塗膜実験レポート」が届きました。
すっかり忘れていましたが、厳しかった「塗装技能習得の実験レポート」を互いに見せ合いました。
なるほど、そうか、ここまで徹底した教育を受けていたとあらためて感心しつつ、
私自身のカリキュラムには組んでいないことをやや反省です。
カーデザイナー、オートバイ、自転車、インテリア、建築素材、プラスティック関連、
それぞれの「専門的工業デザイナー」です。日本の名作デザインもいくつか生み出しました。
すでに経営陣側や退職後も顧問やアドバイザー、フリーランス。
私にとって、高校時代と大学時代の同窓は「宝物」です。
来年は金沢に全員集合を約束、恩師も交えてということになり、両手で握手をし合い別れました。
あと10年は会えるのだろうか、と考えました。
あと10年か
私は、3度、重篤を経験しています。そのことを思うと、明確に近づいている「死」を認識します。
確かに「生老病死」という人間の生涯が掌に乗っていると思います。
1972年、社会に出て以後、
工業デザイナーとしてそれぞれが貿易立国を支える工業製品のデザインをしてきました。
これからの「時」を考えれば、ある意味では日本の「いい時期」に巡り会ったのかもしれません。
確実に、「プロをめざした4年間の仲間」がいることは幸運であり、幸福だったのでしょう。
彼らとあとどれほど会える時間があるのだろうと考えさせられました。


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『資本主義からの逃走』
   「鶏卵の喩え・まったくの私論」


   


     11月 27th, 2010  Posted 12:05 AM

鶏が先か、卵が先か
後漢の時代の宇宙論に鶏卵の話があります。
あるいは、遺伝子学的な鶏卵の話があります。
つまり、「鶏が先か、卵が先か」という話です。
上記二つの話は、それぞれの成り立ちがありますが、
私は私論として、どちらが先か、というのを
ひとまず「鶏卵の喩え」という具合に考えることにしています。
実に当たり前の話を持ち出せば、
「親子どんぶり」はどっち?、というようなことも、
考えれば考えるほど結論は、人ぞれぞれに「鶏卵の喩え」になります。
鶏肉から先に食べるか、卵とじのご飯を食べるかというような話です。
遺伝子的には、一応は「卵が先」だったという話があります。
さて、私はこの「喩え」を応用して考えることにしています。
ハードが先か、ソフトが先か
実例を一つ上げます。
「ハードが先か、ソフトが先か」という問題提起は、
まさしくこの「鶏卵の喩え」になります。
私が実体験、デザイナーという立場では、どうしても結論は、
「ハード」です。「ハードがあってソフト」という体験が多かったからです。
ところが最近は、ソフトが先かもしれない、と考えるている自分にハッとすることがあります。
特に、具体的には「医療機器というハード設計」にあたっては、
ソフトを十分に知り尽くさないとハードのデザインに向かえない経験が増えてきました。
とりあえず、これまでは「ハードがあってソフト」、
この結論が崩れだしてきているということを書きとどめておきます。


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『資本主義からの逃走』
   「文房四宝の進化に沿わせる自分の幸運さ」


   


     11月 26th, 2010  Posted 12:21 AM

文房四宝
文房具というモノは何か心を引きつけます。
「文房四宝」という紙・墨・筆・硯は、
本当に人間の思索にとって、「宝物」です。
小さいときから、書は鍛えられてきたと思います。
しかも、越前和紙と硯は「鳳跡石」のあるふるさとがあったことは幸運でした。
「鳳跡石」
「鳳跡石」は福井県小浜市に江戸時代から伝わりましたが今は引き継がれているのかわかりません。
水戸光圀によって、「鳳跡石」と名付けられたと聞きます。
この硯には水を池に入れると鳳凰の鳥の足跡が浮かぶようだという名辞がです。
ともかく、手紙は、この「文房四宝」に多分こだわっていたいと最近はことさらに思います。
だから、もっともっと「美しい文字」特に「かな」を書きたいと思っています。
今日も大学からもどると、手紙を書きました。

最近手に入れた「矢立」の使い方を自分のものにしたいと思っています。
この「矢立」という道具も素晴らしいと思います。
しかし、本当の使い方・作法を学びたいと望んでいます。
少なからず、私はデザイナーという職業を選んだことで、
万年筆・ボールペンからスケッチまでの文具や画材とともに生きていることも幸運です。
さらに、最近はiPadでの「表現」での手書き文字も美しくしたいと賢明です。


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『資本主義からの逃走』
   「敗戦で学びながらも、またそうなるのだろうか。」


   


     11月 25th, 2010  Posted 12:00 AM

米寿ゆえの告白
この歳になるとすでに、
私のほぼ叔父・伯父・叔母・伯母は逝きました。
ところが、まだ矍鑠とした八十八歳の伯父から手紙を受け取りました。
打ち明けられたのです。
伯父は終戦間近に徴兵された事務兵だったとか。
広島に赴任してある日、瀬戸内海に漕ぎ出した時に、閃光と爆音で海に投げ出されたとのことです。
ともかく泳いで泳いでフラフラになりながらようやく陸地に上がると、
そこは地獄だったこと、その描写が書かれていました。
伯父は被爆者手帳を持ちながらも、
そのことはこれまで一切話してこなかった理由も書き添えられていました。
あの伯父の戦争体験を知りました。
被爆者であったことや、連日の死体処理を泣き果てながらやり通したこと。
今日まで、被爆の後遺症に六十数年間、一人で怯えて生きてきたことでした。
そして米寿となり、これで、やっと甥の私はじめ家族みんなに初めてこのことを明かして、
ヒロシマのあの日を語り継ぐ決心がやっとついたとのことでした。
私の父も日華事変で徴兵され大東亜戦争勃発のまま、
満州・蒙古・中国から最終はインドシナ解放戦線で「明号作戦」に関わり、フィリピンに抑留。
帰国したのはすでに28歳だったことだけは、私が大学人になるときに語ってくれました。
晴耕雨読の毎日は「明号作戦」の詳細を書き残す日々でした。
あってはならないこと
終戦から65年という月日は、経済的な景気はどうであれ、秩序ある日常に、
私は生きてこられたと思っています。
それでも私にも、敗戦のトラウマは残存しているようです。
「戦争には勝ち負けがあり、負けたらすべての責務を背負うこと」。
これが最大の問題ではありません。
秩序ある平和な日常の大切さは、
かっての敗戦経験者から聞き取り学びとるべきことがとても重大だということです。
原子力を戦争抑止力にまだしようとする国家の存在があります。
それどころか、国境をめぐって、またとうとう爆撃をやり合う時代に入るのだろうか。
こうしたまったく暗闇に私たちは誘い込まれるのでしょうか。
人間の根源的な悲劇性と壮絶極まりない「哀しみ」に直面しているのでしょうか。
得体無き、恐怖感を覚えます。


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『資本主義からの逃走』
      「メガネフレーム、地場産業の基本姿勢」


   


     11月 18th, 2010  Posted 1:30 AM

メガネメーカーとデザイン契約
私はメガネフレームのデザインをしています。
すでに、今年は25 周年になります。
といっても、本当は27,8年になるはずです。
私がフリーランスになっているとき、
大学の恩師の紹介で、あるメガネメーカーとデザイン契約をすることになりました。
しかし、私はまったくわからない分野のデザインに取り組むために、
そのメーカーとの契約は待ってもらいました。
ところが体調がすぐれずに、担当医からふるさと帰郷を諭されました。ふるさと福井に帰りました。
すっかり、そのメーカーとのことは忘れていました。
が、そのメーカーは帰郷している私を訪ねていただき、デザイン契約をすることになりました。
しかし、私にはメガネそのものがわからずに、どうしたものかと悩んでいました。
幸いなことに、そのメーカーで私との契約担当だった部長が、
メガネの専門学校の教科書を貸してくれました。
日本にはメガネに関するオプトメトリスト養成制度は大学ではなくて専門学校にあります。
その教科書を読んでもさっぱりわからないまま、
ともかく「企画書」を書くことになってしまいました。
私が最初に書いた企画書は、「アイバンク加入企業」という企画書でした。
クライアント先のメーカーはとても驚き、
担当部長はすぐに金沢美大の恩師にその企画書を見せに行ってくれたそうです。
その恩師は、「川崎なら、ここから仕事をスタートするだろう」と言ってもらえたので安心でした。
アイバンク加入という提案
そこで、そのメーカーの取締役会で、「企画趣旨」をプレゼンしなくてはならなくなり、
かなりな熱弁をふるったものでした。
部長が伝えてくれました。
「デザインを頼んでいるのに、アイバンクとは何事か」と、ほとんどの取締役が怒っているけれど、
社長は認めていて一度話し合いたいということでした。
結局、そのメーカーは「盲導犬訓練への寄付」ということで、私の企画はそれなりに決着しました。
福井県鯖江市、人口6万5千人の街は「メガネフレーム産業」で生きている街です。
私は「目」を対象としている街の社会的な責務は、
「目の不自由な人」や「アイバンク」や「盲導犬」などへのまなざしが、
本来は地場産業の基本であり、そうした製造業企業姿勢にあるべきだということを主張したのです。
そうした社会的責務を基本にしてデザインというのが私としては基本姿勢になってしまいます。
それから、そのメーカーから現在の増永眼鏡は、「私のブランド育成」を支えてくれたのです。
デザインと企業責務姿勢
「アイバンク」運動、これも様々な問題に気づいていますが、
NPOをつくるまでに15年かかりました。SD-waveというNPO団体につながっています。
私のデザイン活動25周年のキャンペーンでは、
私が提唱しているPeace-Keeping Designも同時に展開してもらいました。
そして、メガネは現在、新たな時代に入ろうとしています。


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『資本主義からの逃走』
 *「酒とタバコとゆで卵」*


   


     10月 10th, 2010  Posted 12:00 AM

Flag, Mother, and Apple pie

「Flag, Mother, and Apple pie」というフレーズ。
これは、アメリカ人の誓いの言葉と言われています。
国旗とお母さんとアップルパイ、これらが米国への愛国であり、
自分存在の自愛から他愛への決意だということです。
私は、一人っ子でした。だから、私が米国風のフレーズを「父」に向けると、
「酒とタバコと、そしてゆで卵」になります。
お酒は、高校に入るともうOKでした。ただし、夕食時に父の相手をさせられました。
まず、ウィスキーのオンザロックでした。決して水割りは飲むなと教えられたのです。

Ballantine’s 17

そして、「バランタイン17年」でした。
父は、ともかくウィスキーはそれなりのモノでなければいけないということで、
私への酒に対する鍛え方をしてくれたのだと思っています。
最初は、「こんなものが美味いわけがない」とすら思いました。
幸い、父方も母方も酒は上戸系で、まったく「強い家系」でした。
美大に進学して、酒に強かったことは幸運でした。

Rothmans

タバコは浪人時代に、母がチョコレートを汽車の中でと手渡してくれるとき、
父は「もう、コレにしろ」と18歳でOKでした。これも、「ロスマンズ」でした。
「ただし、タバコをやるなら洋モク(外国タバコ)で、
就職するまでは国産、時々、これは買ってやる」ということでした。
そして、何かというと父はゆで卵をつくって、これを二個持っていれば、
空腹でも2日は大丈夫とか訳のわからないことを言っていましたが、
「ゆで卵は、ごちそうなんだ」というのが口癖でした。
ウィスキーは「バランタイン30年」をいつかはと思いつつ、
「バランタイン・ファイネスト200ml」は出張には必ず持ち歩いていたものです。
就職してからは「ロスマンズ」を、
喫煙どころか、自分がデザインした音響製品のカタログには必ず演出小物にしました。
当時のカタログはヤフーで手に入れています。確実にこのタバコが演出品に写っています。
しかし、車イスになってからは
「酒・ビール」はもちろん「ウィスキー」も美味いと思わなくなりました。
しかも心臓病になってからは、すっかりとやめました。
タバコはなかなかやめられず、「シンプトンズ・禁断症状」という灰皿までデザインしましたが、
心臓病でいっぺんにやめることができました。
海外空港の免税店で、ウィスキーそれぞれの銘柄を見ると父なりのそれぞれの評価を思い出します。父は、晩年は「バランタイン30年」でした。
タバコは父はまったく吸っていなかったので、もらい物を私にくれていたのでした。
ところで、ゆで卵は今なお大好物です。
「酒とたばこ、そしてゆで卵」は、父との思い出であり、
父から教えられた色んなことの象徴です。
70歳になったら
最近、もう心臓のこともありますが、「バランタイン」を飲みたくなります。
さらには、ウォッカの「ニコラシカ(本来はブランデーベースのカクテル)」風に、
レモン一片とわずかの砂糖で飲みきる、そんな夢をみることがあります。
70歳まで生きられたなら、バランタインや葉巻これも銘柄決めてますが、
絶対に楽しみたいと願っています。
おそらく銀髪に近い白髪になることも祖父のようになれそうで楽しみです。


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『資本主義からの逃走』
 *緊急考察!・人類の存続は家畜とともにある!*


   


     5月 23rd, 2010  Posted 12:01 AM

動物疫病
21世紀に入って、いきなり、家畜を襲ったのは、
「狂牛病・BSE」=牛海綿状脳症でした。
私はこの事件をLANCET(英国の医学専門誌)で読んだときには、
何らその後、日本でも大変な事態になるとは思いもつきませんでした。
以後、LANCETの予測は的中していきます。
鳥インフルエンザが、
万一、マラリアとの間で突然変異が起これば、という予測も知りました。
人類の滅亡が予測されていました。
そして、日本の「温暖化」が予想以上のスピードで、熱帯にいるべき蜘蛛の出現です。
とうとう鳥インフルエンザが襲ってきました。
インフルエンザがとてつもなく強力で多種になりました。
思いもよらぬ「豚インフルエンザ」が起こりました。
これは人類が豚を差別していたことの結末だと私は思いました。 
「馬インフルエンザ」もあるのです。
しかし、馬へのワクチンは相当に万全だったと思います。
なぜなら、馬はサラブレッドという競走馬という存在があるために、
防疫と治療方法があったと聞きます。
しかし豚は食用家畜という産物扱いだったわけです。
さらに鳥インフルエンザにはまだまだ不確定要素があります。
口蹄疫
ラングがパロールになる制度
そうしたら、「口蹄疫」です。
私たちは、病名とか疫病名というラング=術語が、
会話=パロールの中に入ってきて怖さを知るのです。
これはラングがパロールになることは「危険」であり、
「安全破壊」があるという実例です。
会話=日常生活に入ってくる言葉の重要さを、
持って知るべきひとつの制度だと判断します。
日本列島は、島国ゆえに、
これまで世界的な疫病の流行からは遮断されてきました。
しかし、鳥インフルエンザはもとより、
国際的な流通往来、グローバル化は、
疫病流行は巨大な安全崩壊を招き入れています。
宮崎県で起こってしまった「口蹄疫」は、
ある種の細菌兵器のようなものです。
毎日、宮崎県の苦しみを見聞し、
国家的対策の後手後手を知るとき、
わが国に国家防衛は確実に欠落した制度であることを
再確認させられているだけです。
国家防衛
政府という機関、政治家という職能、
この権力義務と権力判断力、権力知識、権力戦略の無力さは、
「和牛」と「和牛の伝統文化」が喪失されていく報道、
そのジャーナリズムの批判性が、いかに無力であるかを知ります。
家畜
家畜というのは、「畜」という漢字には、
「好」という漢字と同列の意味性があります。
つまり、母が赤子を大事にする形象がこめられています。
だから「家畜」なのです。
「家畜」は、人類の家族だと考えることができます。
よって、家畜にここまで頻発する疫病は、
人類の存続性に連鎖しています。
細菌兵器
緊急に、
「疫病」は細菌兵器です。
ある意味ではテロだと判断対処するべきです。
その国家防衛・危機管理・安全維持制度が、
デザインされるべきでしょう。
そしてこのデザインには強靱なリーダーシップが不可欠です。


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『資本主義からの逃走』
 「# 立ち後れている日本のデンタルケア文化 #」


   


     5月 9th, 2010  Posted 5:42 PM





日本の「デンタルケア」は、進化しているとは思えないのです。
それは、実際にデンタルケア企業の人と話をしていて、
あまりの情報量の無さに驚いた経験からも明らかです。
しかも彼らの歯の手入れ不足を見て納得ですから。
これも私の明快な趣味です。
海外に行って楽しみなのは、
スーパーマーケットで、デンタルケア、歯ブラシ、ペースト、
その他様々なデンタルケア用品を、
スタッフたちに説明をし、彼らにも買わせます。
スタッフや学生にも、デンタルケアにはうるさく「講義」をします。

trauma

小学校低学年の頃、「歯並びが良かった」ので学内では、
そうしたコンクールの学校代表に選ばれました。
ところが、実際コンクールでは上の歯と下の歯が整合性が悪かったのです。
県大会で落ちた経験があるのです。
これが実はトラウマになっていました。

Dental Care

50代の手前で、
ある企業グループのデザインコンサルタントをすることになりました。
女性経営者の方でした。
初対面で、言われたのです。
「あなたは奥歯ほとんど傷んでいませんか?」初対面です。
びっくりして、正直に応えました。
ほとんど奥歯は虫歯で駄目になっていますと。
そうしたら言われました。
若いときに、意志を強固にして踏ん張ってきた人は、
奥歯を駄目にするんです、ということで、
有名人や野球選手、アスリートの方には奥歯を駄目にしている人が多い、
という話を聞かされました。
そして、仕事をしてもらう前に、
その企業は歯科医院もあるということで、
インプラントをしてもらうことになったのです。
しかし、心臓が悪いので歯科手術での麻酔の問題がありました。
が、それもある大学病院の麻酔科の教授を手配してもらったのです。
ほとんど部分麻酔ながら徹底した手術で奥歯をインプラントし、
駄目になっていた歯はほとんど徹底的にいわば修理をしました。
その時以来、
デンタルケアを自分でも様々な歯ブラシからペーストを試しました。

美しい白い歯
結論は、
日本は「歯のデンタルケア」もすっかり韓国より遅れていると判断しています。
韓国のデンタルケアは格段に進化しています。
だから、国内の有名デンタルケアメーカーに、
こんな商品を知っていますか?と聞いたら、
「知らない」と言われて、お説教をしてしまいました。
なぜ、日本の水道水にフッ素が入っていないのだろうか?メーカーの企み?、
なんてことを想像してしまいます。
「歯はやはり、真っ白であるべきです」、というのが私の結論。
よって、喫煙している人の歯は汚れて黄色いです。
それだけで、私は清潔だとは思えません。
まして、デザイナーなら、
「歯も徹底してケアをして、きれいにすることで、美しい歯」
というのは職能意識だと思っています。
デンタルケア商品の数々は、欧米韓国に、日本は学び直す必要があります。
無論、歯の矯正ワイヤーは、
メガネメーカーの超弾性ワイヤー技術開発をいれるべきというのが、
私の提案でもあるのです。
デンタルケアも医工+デザイン連携が必要な分野だと考えています。


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