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『資本主義からの逃走』
 「*Business Design Modelとしての実証*」


   


     2月 26th, 2010  Posted 1:55 AM

Business Design Model
3月2日に新製品デザインを発表します。
これは、Business Design Modelとして、
その実務実例を製品としてまとめました。
ここでも前述してきました「ビジネスモデル」が、
特に、日本では大きな誤解の中で歪んでしまいました。
もう一度、「ビジネスモデル」の本来の定義にもどります。
まず、「ビジネス」ですから、これは経営=収益構造です。
収益構造によって利益を得ます。
そして、その利益還元を社会化する「モデル」という、
サイクル・円環・スパイラルだったわけです。
したがって、その収益から社会還元は「モデル」となる、
オリジナリティや、知財性からスタートすることです。
ところが、オリジナルな知的発想の独占性が必要でした。
その独占性=知財性は、収益構造になるわけですから、
利益独占性に優位性があるということになったのです。
結果、「社会還元」は無視というか、
経営儲け主義の欲得の中で喪失してしまいました。
ここには、「製品」・「商品」よりも、
「金融」に直結する「モデル価値」で、停止しました。
私は、「金融」の基本である
「製品価値」・「商品価値」に、
不可欠であった「デザイン」の位置が、
全く狂ってきていると判断してきました。
そこには、もう「ブランド」や「商品イメージ」を
超越した方法論が必要だと考えてきました。
まず、「製品」のアイデンティティには、
三つの基盤が必要だということです。
●「製品コンセプト」の強力な訴求性です。
●「製品要素」としての「新素材の性能性」です。
●「製品要因」としての「新実装技術の機能性」です。
こうした三つが「商品化」に向かって、
初めて「企業特色であるモノづくり思想」、
これが「ブランド」を構造化するという思想です。
その「ブランド」には、
基本としての「コンセプト」は、「商品の効能性」です。
これで、もう一度、「ビジネスモデル」のサイクルは、
企業収益から社会還元という美学性と倫理性になります。
これを私は「ビジネス・デザインモデル」として、
デザイン」先導による
ビジネスモデルの再構築をめざしたということです。


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『資本主義からの逃走』
「コスメティックデザインという印象を抹消!」


   


     2月 20th, 2010  Posted 12:00 AM

デザインへの質問は収束している!
講演会でのデザインに対する質問は、
これまでの私の経験では、必ずあることに収束します。
● それは、「機能美」=機能的なことは不可欠でしょう。
● デザインはやはり「かたち」を創るんでしょう。
● しかも「格好いいこと」は機能的だからでしょう。
● その代表製品アイテムに「車のデザイン」。
● カーデザインや、ファッションデザインでわかります
● 最近では、エコデザイン、ユニバーサルデザインなどまで
踏み込んで来られる方々に、すべて「一理」あります。
したがって、私が医学博士であることや、
私が、経営から人工臓器、原子力工学の再構築、
さらには時として、
「危険物」(書けませんが)までが対象と言うのですから、
ある意味ではデザイン意味への「混乱」を
十分に与えていると自覚しています。

フランスの若いデザイナーで、
すこぶる優秀で医療ロボットや医療系抜群の子がいました。
私は、「あなたのこの素晴らしい提案はどこで見せてる?」
と、聞いたとき、
世界的にもデザインイベント最大のショーで、
と答えてくれました。
そこには、いわゆるスターデザイナーのデザインが、
デザインの核心を表現している!という大誤解があるのです。
「観衆は、興味を持ってくれる?」
「全く、全然駄目です」と。
私はすこぶる納得しました。
「食べていける?」、「全く、苦しい」。
私は断言して励まします。
大衆はついてきていないから・・・でも必ず、
「君の提案が最もデザインだよ!」と言います。
が、哀しくなります。
批判と非難を承知で書き残します。
カーデザインは
コスメティックデザインの象徴!
カーデザインを目指す学生に言います。
「車は空を飛ばないし、人を殺す」。
だから、アシモが生まれました。
航空工学や宇宙工学をやってほしい。
エコを越えるデザインのためのことや、
地球物理から生物工学をマスターしてほしい。
造船をやってほしい。
ロケットをやってほしい。
人工臓器の世界に入ってきてほしい。
もう家具や照明器具、カーデザイン程度を超えてほしい。
「それらはすでに、コスメティックデザイン」に、
成り果てているのです。
CGや3D-CAD以上のツールをデザイナーが、
すでに開発する時期が来ています。
デザイナーは、さらに「未来学」を先取りするべきです。


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『資本主義からの逃走』
  「コスメティックデザインという付加価値」


   


     2月 19th, 2010  Posted 1:00 AM

Cosmetic Design
資本論的にいえば、「商品」の価値、
それも「付加価値」は、商品選別での欲望対象です。
したがって、デザイン=コスメティックとしての理解は、
資本家・企業家には好都合でした。
私は、美大の産業美術学科の工業デザイン専攻卒です。
しかし、大学時代に、デザインはコスメティックではない
ということを徹底的にたたきこまれました。
「付加価値論」の見直しも体に染みこんでいます。
ところが、インハウスデザイナーになると、
「意匠」=形態のお化粧程度にどれほど反抗しなければ
ならなかったことでしょうか。
それこそ、グッドデザイン審査委員長になっても、
デザイン系のキャリアが「付加価値」と言えば、
必ず、喧嘩を売ってました。
かなり正確な論理は、「嫌がられる存在」に、
今なお、なっています。
おかげで、「御用学者」ではありません。
御用学者を演じている教授も知っていますが。
全体価値
デザインは「全体価値」であり、
「価値」創出者の代表であるとさえ思っています。
金融資本・対・デザインの構図を明らかにするべきです。
むしろ、その使い分けは、中国や韓国は見事です。
「コスメティック価値」と「デザイン価値」の構図、
あるいは構造=関係性こそ、
今、デザイン先進国である日本が提示すべきと思います。
中国が、デザインを「設計」から「策略」や「資源」と、
書き直したのは、先んじられています。
たとえば、政治家もグランドデザインとマニフェストに
用語として多用しているのも、「付加価値論」ではなく、
明らかに「全体価値」です。
「全体価値」という茫漠さがマイナスだとも思っています。
さらに、「何?価値」=デザインなのか、ということの
決定打が不可欠です。
価値
「価値」=望ましさ+好ましさ、と考えれば、
「望ましさ」を希求し判断するのは、理性的評価です。
「好ましさ」を訴求し評価を求めるのは、感性判断です。
デザイン設計・策略・資源での「価値」設計は、
すでに、デザインの本質意味を、
わが国も再確認すべきだと考えます。
デザインが、産業の一手段ではありません。


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『資本主義からの逃走』
 「金融資本にとって、デザインは阻害要因」


   


     2月 18th, 2010  Posted 10:00 AM

阻害要因

金融資本=経営要因です。
金融資本は、まず儲けること=金欲そのものと、
断言することができます。
しかし、金欲への倫理性が経営者の器を決めています。
経営者としてその倫理性、
その有無が実際は、その人がどう生きたかを示します。
さらに、その倫理性を根底で支えているのが美学です。
美学は、まさに、イノベーションとシンボルを、
経営の中核にしているかを決定づけています。
隠喩としての日本刀
日本刀が「武士の魂」であったことにつながっています。
すなわち、現代の経営者が携える「日本刀」の隠喩性です。

現代の経営者には、
携えている隠喩としての「刀」が無い、ということが、
現代経営者の魂を空白・無知・痴呆にしているのです。
真に、美学ある経営者は、唯一、一人いました。
いづれ、その人のことを書きたいと思っています。
無論、経営での成功がその人の美学をさらに磨きます。
反対に、デザイナーのセンスや、デザインの需要性を、
平然と無視する経営者をどれだけ見てきたでしょうか。

そして、
そうした経営者の末路も見てきました。
「倒産」に至る経営者には、美学が皆無です。
デザイナーは喧嘩師であれ
したがって、
私の「デザイナーは喧嘩師であれ」には、
意味が二つあります。
美学無き経営者とは、果敢に喧嘩をすべきです。
そして、その勇気は、
「自分」相手に喧嘩をすることができるか、です。
デザイナーは、
企業に「隠喩としての日本刀」を
きっぱりと差し出す役割があります。
金融資本しか見えていない経営者には、
美学も倫理もまったく欠落しているのです。
となれば、デザイナーの提言などは、
金融資本にとってデザインは阻害要因でしかありません。
されど、こうした経営者に
教条的デザインでの美学論理を押し込む必要があります。
現在、これほど凋落している、
日本の経営は、経営者に倫理性、その源、
「美学」=隠喩としての日本刀が見あたらないのです。


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『資本主義からの逃走』
 「*棒鞘の日本刀・日本の美学*」


   


     2月 17th, 2010  Posted 1:00 AM

棒鞘
1300年中期、南北朝の時代です。まさに、戦国時代。
後に始まる鉄砲、それが無い時代ゆえ、武器は日本刀のみ。
日本刀といっても、まだ、洗練される以前の形態。
北陸には京からドロップアウトしてきた刀匠がいました。
その中に、千代鶴国安(二人説もあり)がいました。
「越前打刃物」の祖です。
草刈り鎌の発案者と言われています。
さて、刀は作っても作っても戦国の世では消耗品でした。
刀より、それを納める鞘が間に合いません。
そして、生まれたのが、棒鞘でした。
生木を漆にドブ付けしただけのモノでした。
ところが、北陸で打たれて作られた刀は、
太く切れ味は抜群でした。折れなくて重量がありました。
だから、
棒鞘を下げている野武士はそれだけで威嚇できました。
まさに、棒鞘の刀は「切れ味」武器そのものでした。
この棒鞘の刀が後世残ったのは新撰組の近藤勇の刀です。
日本刀が洗練されていくには、二つの要素が必要でした。

● 機能性=性能性が素材の革新によって、高質軽量になる。
● そうした機能性が「象徴」化されて美的効能性となる。

日本刀

やがて、サムライにとって、刀が、
「武士の魂」と呼ばれる「美学性」に高められるのは、
言い換えると、
「イノベーションとシンボル化」です。
つまり、
モノの存在性が、「美学性」を獲得するには、
こうしたコンテクストが不可欠であり、
さらに、シンボル=象徴によって、
あらためて、モノと心=魂=いのちの核心が、
一体化しなければならないのです。
「かたち」という存在と「いのち」との結合が、
日本人の「美学」だと、私は考えます。


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『資本主義からの逃走』
「ビジネスモデルが見落としてきた欠陥とは、
           実は無視出来た資本主義」


   


     2月 16th, 2010  Posted 10:00 AM

Money
Laundering
経営資産には、実は二つ歴然とあるのです。
たとえば、「顧客」・「製品」・「サービス」、
そして「従業員」です。
が、表面化してこないのが、「金融資産」です。
経営資産での「金融資産」は、一人歩きするのです。
それが、株式という流動性ある企業経営の資産要因。
企業家が、本来、支配構造化する実力はこれだけです。
だから、美学だの倫理だのを唱えるデザイナーなど、
徹底的に労働者まぁ「知的・労働者」ぐらいなのです。
「金融資産」は、マネー・ロンダリング。
● 詐欺を隠せ!
● 粉飾決算を隠せ!
● 裏金を隠せ!
「金融工学」の本質は、この工作ノウハウ術です。
見事、政治家もこの手法に長けてしまったのです。
そこを、国家間の情報戦争が入り込んでます。
資本主義の倫理感は、労働者への幻想的「働きがい」、
その正当性は宗教に載せて語る手法が最適だった、
のかもしれません。
私が、資本主義の終焉を語るのは、
これまでの企業=Associationの謀議性の崩壊です。
となれば、
「綺麗事の神髄」はデザインに任せてほしいのです。
これからの記述は、差し控えつつぎりぎりまで、
デザイナーとして語っていくことにします。

●?美しいことの意味

●?善でなければならないことの意義

●?義であることの自己存在とその確認

これらを、「企業」に自分を預けられるのでしょうか、
ということになるでしょう。


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『資本主義からの逃走』
  「ビジネスモデルが見落としてきた欠陥」


   


     2月 15th, 2010  Posted 1:00 AM

経営MODEL
経営資源の運用=ビジネス、そのメリット性から、
「仮説」化することを社会貢献として、
利益還元のモデルを指し示すこと=モデルが、
本来の意味でした。
そのモデル化の「仮説」化は、
オリジナリティが最も大事だったわけです。
しかし、経営資源は企業体に軸足がありました。
この「軸足が企業」であり、
経営資源は、直・即に、
「収益構造」に結びついていたわけです。
端的に言えば、
「儲け」=Profitだけが成果だったことです。
そうなれば、企業体が収益構造・儲け主義となり、
社会貢献が後回しになることは、
人間の欲得感情から逃れられるわけがありません。
即刻、「仮説」はアイデアとして、
そのモデル化=オリジナリティ、
その独占欲になるのは当然のことでした。
いわゆる知財権としてのビジネスモデル、
つまり、「ビジネスモデル特許」が公認されます。
そうなれば、ビジネスモデルが、
「収益構造」戦略として「企業戦略」本旨、
さらには「経営資源の合理的策略」となります。
資本主義がこれを否定する要素も要因もありません。
ビジネスモデルこそ先端的な「経営戦略」と化しました。
Profit・対・Benefit
そして、
大きな見落としは、「収益構造」には、
ProfitとBenefitがあるということです。
Profitは確実に企業体、組織内での収益ですが、
本来の社会貢献は、企業構成員以外への還元性に
差し向けられることにはならない事情が、
隠匿されていってしまったのです。
それは、商慣習での倫理性を忘却する体質が、
企業体=Associationにこびりついたのでしょう。
私は、あらためて、
倫理性=義と善なる規範性を根底で支えるのは、
美学性=美が、企業体を包括すべきだと主張します。
美に直結した職能は、デザインです。
よって、デザイン手法が経営戦略を包括するべき、
というのが私の論理です。


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