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「冒険、してはいけないことになるかも」


   


     8月 24th, 2011  Posted 12:00 AM

時に観光地での大事故。
遭難で人命が喪われます。
そうなると社会はその責任を問いかけます。
仕方のないことですが、
その徹底した追求には攻撃性を感じます。
確かに、「安全確認」への怠慢性が事故を誘発したのでしょう。
そうなると、伝統的観光地の独自性すべてが全否定されます。
現代は「安全」への徹底さがあまりにも厳しすぎるのではと心配です。
私は高校時代から山岳部でした。
しかも台風が来るから登ろうなんて無茶をやっていました。
大学時代も山岳部で無茶苦茶なことをやることに粋がっていました。
福井だと浄法寺山(1053m)は5月の連休には春スキーができました。
手前の冠岳でもロッククライミングができました。
大学時代の夏休みは「剣岳」オンリーです。
いつかヘリコプターで「剣岳」に行くつもりです。
長治郎谷雪渓の中央に「熊の岩」があり、
そこをベースに(今は不可能だと思いますが)、
六峰・クレオパトラノーズなどへ毎日出かけました。
夏山合宿が終わるのは、後立山連峰の針ノ木岳まで南下して、
大町市に降りるということが、大学時代の夏休みでした。
冬山に入る時にも、登山ノートに書き込み届けをしないことが鉄則であり、
天候異変をめざして登ることなど平気でした。
それで下山して地元の警察でもの凄く叱られたこともあります。
ただ、両親に約束していたのは谷川岳だけは登らないということでした。
谷川岳は当時、最も遭難者の多い山だったからです。
もう時効かもしれませんが、
国立自然公園でのメチャクチャぶりは書けません。
受験勉強中に、南極のビンソンマシフ山が初登頂されたニュースで大落胆。
もう人生の目的の一つが無くなったというほどのめり込んでいたものです。
車倚子の体になったとき、剣岳の源次郎尾根で転落した時には、
あの場所でこの体になっていたかもしれないと思った程でした。
現代の登山用具をみるとどの進化ぶりに圧倒されます。
東尋坊での飛び込みなどもメチャクチャだったと思い出します。
おそらく、今ではこのようなメチャクチャ=自分なりの冒険でした。
今では「冒険家」という職能があります。
きわめて特殊なプロフェッショナルですが、
人は成長するのになんらかの「冒険」や「冒険ごっこ」が必要です。
アウトドアを取り囲んでいる用具デザインは、
鮮やかに素敵なモノがあります。
そして、そうした用具があたかも「安全」を保証しているようですが、
そうした勘違いが「遭難事故」に近接しているのかもしれません。
現代社会でのいわばレジャー文化・サービス産業の中の「擬似冒険」は、
あらためて、現代文化としての「冒険」=遭難や事故=死という図式を
再熟考すべきことになってしまったようです。

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「匿名も実名も仮想ならば・・・」


   


     8月 23rd, 2011  Posted 12:00 AM

デザインの意味は時流で変化。
当然のことだと思っています。
しかし、これもそうなのということが
最近は見かけることが多くなりました。
その逆走が本来のデザインにも目立っています。
デザインされているということが不明、という物事です。
しかし正直、すべからくが「表現活動」であれば自由、
あるいは自由放題をデザインは取組む大きな包容力があります。
だからそれがデザインのたまらない魅力です。
しかし、デザインやデザイナーを敵のごとくとしている人。
そうした人に限って匿名での批判から中傷、非難をしてきます。
それは大変に非生産的なことで無駄です。
けれども時々そうした中傷を受け入れることには、
大きな深度があると私は考えています。
たとえて言えば、被写界深度というのがありますが、
それはカメラのレンズ機能用語です。
被写界深度に対しては焦点深度がありますから、
アナロジー的にとらえれば、
被写界深度はレンズ前の対象物=被写体ですから、
私なり、デザインなりを対象にすれば、
それが投射された焦点深度は、きもちの内部での意味深度です。
きもち内面にどれほど突き刺さってくれただろうかということです。
したがって、「匿名性発言」の深度は、
この図式で受け止めればいいわけです。
ただ問題は、その被写体が仮想であることが多くて、
その発言を受け止める深度そのものが多分に仮想化することです。
そうなると、匿名的であることはかえって、
その匿名性に寄りかかればかかるほど、
その発言者が仮想人間として「自己否定」している人になります。
これが、実名主義であるFacebookの見事さになっています。
このブログの今後のあり方の一つとして、
コメントを受け入れることは、Facebookでは柔軟性があります。
表現活動において実名発言には責務があります。
日本の新聞が記者実名になるまで歴史性がありました。
しかし、この記者実名があっても、
新聞社名での情報操作があれば、参考意見にはなりますが、
それ以上の真実性は求め難いものです。
おそらく、これからのマスコミが、
Social Networkに呑み込まれていくことは明らかです。
ただし、Social Networkで実名主義だからといっても、
そこには限界があるでしょう。
その限界とは「情報」を受けとめる受信者の能力です。
能力といっても、
それはその人の人格から感性・理性・悟性まで含まれます。
結局、情報は仮想化の中では困難だということになるでしょう。
Networkという人工的な仮想性の中では、
「きもち」のあり方が、
さらに訓練されなければならないということです。


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「日本システムが壊れた理由のひとつ」


   


     8月 22nd, 2011  Posted 12:00 AM

敗戦後懸命だった日本。
それからの日本システム。
それは日常性が確約されていた、
今となってはパラダイス国家でした。
大震災と原発事故はこのパラダイスを破壊しました。
しかし、それ以前、政権交代を希求に至ったのは、
すでに崩壊していたと思います。
格差社会とか「勝ち組・負け組」とかという言葉が象徴でした。
日本システムは中産階級がほとんど日本流システムの中核。
それは企業の家族的な情緒性と完全雇用体制の完備でした。
現在は正社員と派遣社員という企業構造が、
企業中心の日本システムを失いました。
しかも、正社員より派遣社員の方が企業機能を果たしています。
雇用体制での差別社会、リストラと呼ばれる「解雇」、
これは日本システムの根幹=骨抜きにしています。
無論、この方向に追い詰められた原因は少なくとも、
五つあるでしょう。
◆ 政治能力・政治的リーダーがいないこと。
◆ 国際的経済破綻の連続とその政治対応無策性。
◆ 企業法人税はじめ税制度の無策性。
◆ 未来不安が次世代の精神性を低能力化。
◆ 教育システムー小学から大学までの教育者能力不足。
理由はまだまだありますが、無策性と能力不足が、
あらゆる局面、あらゆるコミュニティ、
そして高密度情報社会での情報格差が覆い被っています。
たとえば、コールセンターなども外注であったり、
サービス性だのCRM、ISOだの、さらにはブランド化だの
この喧騒性の中で、肝心のことが見失われています。
私は 47歳で大学人になりました。
すでに16年になります。大学環境と世間との隔離を見ています。
新設される公立大学の学長候補になったこともあります。
そして辞退したこともあります。
すべからく、日本システムの崩壊が見えていたからです。
一方では、現役のデザイナーですが、
それゆえに、企業と大学の断絶性や、
法人化大学から公益法人までがまったく「革新性」皆無を
毎日体験しています。
ある予測には2300年には「日本人」という人類は滅亡、
これは「少子化」や今回の日本列島・放射能汚染からも
かなり想像可能になってきています。
だとするなら、東日本の復興ではなくて、
日本列島全体の復興という名の「新生日本システム」化です。
無策性と能力不足への対策は、想像性と創造性、
懸命さと賢明さ、精神性・日本人としての意識改革、
これらを各個人意識とそれを先導するリーダーが不可欠です。


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「嫋やかな情報変革が進行です」


   


     8月 21st, 2011  Posted 12:54 AM

すでにメールよりも、
最近はFacebookから入ります。
ブログも、その結果をFacebookで確認。
Twitterでの呟きは、
揶揄されることしばしばゆえ遠のいています。
必ずや焦点化された使い勝手ツールに変貌でしょう。
おそらくかってAppleでの1990年代初めに回帰すれば、
二つの会社が立ち上がりPinkという開発がありました。
あの時の想像力の時代が実現していると思います。
AppleCloudアイコンの黄金比表現なども、
当時にはすでにインターフェイス表現基盤だったのです。
あの頃には日本人プログラマーも、
クパチーノでのプレゼンが連続していました。
狙いは「今」を対象にしていたと思い出します。
あのKnowledge NavigatorはまさにiPadでしょう。
この30年、Appleの予感と予知が今結実しています。
したがって、このところ新たなBlog形式を
まず、エージェント・インターフェイス表現へ、
さらにそのメタ・ブログというものがあるのだろうか、
熟考をしています。
その熟考に寄り添うかのごとく、
「不妊治療システム」での「精子活力判断」が、
1980年代から発想が縛られていることを見つけました。
オックスフォード大開発の自己調整レンズも、
英国の工業システムでの限界を知り尽くしました。
私なりの「平面自由屈折変換レンズ」を
デザイン設計対象にしています。
血圧計は、見事に「欧州血圧学会認定合格」に出来ました。
9月には発売になるでしょう。
ただ、「節電」ということで、
日本の企業全体の活動がとても回転が鈍っています。
この不安だらけの中で、
すべからく、出来れば「嫋やかな」活動を、
情報形式変革が支えてくれることを詳細にすべきでしょう。
ここでの毎日アップも変えていくつもりです。
それは毎日が厳しいこともありますが、
自分なりのambient allianceです。
それを復興計画にも盛り込む必要性を感じています。
先般、セシウム対策アイディアが学者間に回りました。
しかし、私はこのやり方は、
まさに「机上の空論」と思えてなりませんでした。
企業での復興計画の詳細さには、
水・電力・除染・新産業化=雇用政策制度設計、
そして大きな大きな情報変革が入ります。
ライフゲームが曼荼羅に酷似している印象そのまま、
そんな発想です。
おそらく、何を書いているのか論理滅裂ですが、
大きく包み込んで受け取ってください。
それほどに、今はカオスへのモデル化が、
デザインにも問われていて、その基板が、
「嫋やかな情報革新」だと思う次第です。

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「謝罪という行為」


   


     8月 20th, 2011  Posted 12:46 AM

「すみません」
「申し訳ありません」
「ご迷惑をおかけしました」
「許してください」
「ごめんなさい」
「お詫び申し上げます」
ほぼ、謝罪の日常会話常識語です。
反して、絶対に謝らない、ということもあるでしょう。
さて、この日常会話語=パロールは、
マニュアル化された言葉になっています。
サービス産業の重要語だと考えられます。
東芝社員だった頃、
クレーム処理を命ぜられました。
「オーディオラックの棚板が破損し指を骨折」、
デザイン設計者として、営業対策費を持って、
ある地方の小さな街に一日出張させられました。
東芝での商品安全基準は当時も大変に厳しくて、
「そんな訳はない、なぜ、そして面倒くさいなー」、
それが若いときの生意気さで一杯でした。
被害者という所にでかけると、
そこはいわゆるヤーサンでした。
オーディオラックには、それはもう常識を逸したモノが
これでもかと積み上げられていました。
(馬鹿じゃないの、こんなこと普通人やるわけないよ)
両手の指先が包帯で巻かれていました。
「お前さんかい、この設計者は」
「ハイ、そうですが、これは常識はずれでしょ」
いきなり、私から攻撃=口撃開始です。
「なにぃー」・・・(きましたね、やりますか)・・・
(いざとなれば、警察へ行けば成就する)と確信。
それから、しっかりと説得(略します)をしていたら、
彼は包帯を外して、
「今夜泊まってくか」ということになりました。
一泊してそのまま出社し報告書を書いた思い出です。
謝るべきではないこと、
謝るならば、どこまで真剣に非を認めるか、です。
サービス産業でマニュアル化された謝罪には、
時には、怒り=感情的にならざるをえません。
そして、国家の政治的謝罪問題に通じます。
ここからは、相当な政治的発言になりますが、
今夜それだけのエネルギーはありません。
結局、私自身、「デザイン瑕疵と謝罪」、
「サービス」という歴史的コンテクストから、
あらためて「サービス産業での謝罪用語」、
これは徹底的に見つめ直すことが必要でしょう。
この謝罪問題は、今回の大震災・原発事故から、
「死刑廃止論」にまでつながっています。
これは徹底して、「謝罪」という哲学理念が必要です。

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「父の死再び・会話と対話」


   


     8月 19th, 2011  Posted 12:42 AM

才能ある若者が帰省。
必ず、長期休暇はふるさと。
しかし、今年はいきなり彼の定めに直面。
ほとんどチャットのごとく、
「今の状況は」という会話をしました。
この会話は、私には対話でした。
この若者は学生時代に起業し、
いわゆるベンチャー企業をこつこつと成功。
突然、彼が会いたいとのことを知り、
以来、年長者としての意見をしばしば厳しく指南。
上場したいという旨を言い始めた時、
私は「今やるべきではない」とまで踏み込みました。
二年後、「今じゃないか」、即彼は実行。
ベンチャー企業は日本では成功しない、
私もそう感じ、日本の「出る杭」を経済界は叩きます。
経営感覚にあるべき才能を分別できないわが国経済界。
老人無責任経済界を徹底的に批判しておきます。
彼の連続するアイディアと地道な精進さは、
今ではベンチャーとはいえない企業に成長しています。
私の教え子で最初の工学博士(工学+デザイン)を、
彼の企業で教え子も修行をしています。
その若者は彼の全休暇を父親孝行を果たし終えました。
私は彼とのこれまでの関係ではなくて、
彼も私も一人っ子、だからトマト大嫌い。
だからこそ父親の最期を看取らなければならない定めを共有しました。
昨日、彼の父上は人生を終えられました。
あらためてMacPower誌・2000年2月号、当時連載で書いた私の父、
その死とどう向き合ったかを読み直しました。
私は、父の死でチベットの「死者の書」から、
「諸仏諸菩薩守護祈願文」を書きました。
葬礼が終わったら、彼にその記載を渡すつもりです。
父の葬礼では父も私も知る地方新聞社の編集委員の方から、
「父君は 阿弥陀の側で ほとけなり
生きるもろびとへ 光りておわす・・略・・」
この詩を彼にも共有してもらいます。
君の父上は、君を育てられた一生でした。
その役割が定めだったのでしょう。とすれば、
君は君の世界でリーダーであり続けなければなりません。
だから、私は君をうらやましく思います。
君のこの全休暇でたくましく全親孝行をつくしました。
私にはできなかったことです。
それでも君とこの数日深夜、私は君とFacebook上で、
私もまた「父の死」と対話をさせてもらいました。
感謝し合掌するばかりです。
いづれ、父親論を語り合いたいと思います。
君の「親孝行ぶり」を全て見つめさせてもらいました。

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「物には人間の『きもち』が反映」


   


     8月 18th, 2011  Posted 12:00 AM

オーディオにはかなり必死です。
名古屋では、評論家のS先生が来訪。
オーディオ専門誌上での先生連載の取材。
その話をもらったときに、
丁度リペア4.5回目のJBL4343が戻ってきてました。
それから大慌てでエイジングしました。
エイジングの手続きとしては、
最初のホワイトノイズをかけっぱなしで、
次には私なりの方法がありますが、期限切れでした。
取材前日にJBL4343に話しかけました。
「明日は頼む」と。
もちろん、その時の部屋もリフォームしました。
気になっていたドアを剛性と密封性あるモノに変更と、
壁の共振、パワーアンプの設置などでした。
取材前夜の試聴ではまぁまぁかと思っていましたが、
当日は、まるで、自己主張しているかのようで、
私自身が大変に驚きました。
先生が帰られたあとにJBL4343を誉めました。
「お前はすごいわ・・・よくやった」と。
私は職業柄でしょうが「モノには想いが伝わる」、
このことを信じています。
それこそ愛車にも、カメラにも、万年筆など愛用品には
絶対にユーザーの「きもち」が伝わると思っています。
万年筆はしばらく使わないとヤキモチが残っています。
車などは明快です。
ある歌手の人が、やっと手にしたポルシェを、
ポルシェの新車にしようと思った時から故障する、
こんな話を冗談交じりでTVで語っていました。
私は絶対にこれはオカルト的でもなく当然だと思います。
モノ=私は工業製品・人工物をこのように呼ぶのですが、
大きなシステムも全く同じだと考えています。
日本の新幹線は開設以来、
本当に「安全」が徹底しています。
今回の震災でも、中越地震の教訓が生かされていました。
私は、原子力発電所の管理に最も欠落していたことは、
大規模なシステムであるだけに「大切に大事に」という
愛用しているという組織の「きもち」が有無です。
無論、原子力発電所を愛用しようと言い出しているのではありません。
いわば、猛獣を飼い慣らす基本は「動物への愛情」です。
そして、自然はどれだけ愛でようが、時に、
私たちにはそれこそ「想定外」の破壊を仕掛けてきます。
自然は決して美しくはないのです。
でも美しくあるべきというきもちが自然保全に繋がっているのでしょう。
原子力も猛獣だとするなら、
愛情を持って愛用という話で終わるわけにはいきません。
ほとんど制御するということは適わないことになりますから。
自然物と人工物との間に人がいます。
人間という存在のきもちが、
どうこの二つに介在していくべきかを
私たちは生涯かけて対峙していく課題なのかもしれません。

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「疲労してはいけない、と思う。」


   


     8月 17th, 2011  Posted 12:00 AM

3.11以後、日常が激変しています。
日常性が奪われたままに、
この大阪ですら余震。
上京すると必ず東京で余震を体感。
ところが被災地では日常的かつそれも震度3以上です。
猛暑・酷暑の連続にもかかわらず節電を遵守。
これほど倫理ある国民に対して、
政治の能力不全は甚だしく、
まさに独裁的とすら思える無策な政治権力が横行です。
正直言って、3.11以後、私たちは疲れています。
被災地の皆さんは疲労以上の精神的心理的苦悩でしょう。
わが日本の歴史をみても「革命」はありえませんでした。
そして「革命」の決着性がかえって混乱を招くこと、
これも知的な国民であればすでに了解事項というより、
現代を生きる人間の常識になっています。
ソ連崩壊は75年でした。
今や中国共産党90年ですが、このまま存続かと疑問。
来年2012年は世界のリーダーが交代します。
おそらくもっと大きな世界的な国際関係は、
想定外のことが頻発するかもしれません。
日本は天災と人災によって新たな選択を求められています。
だから、救済も未だ進行していませんが、
復旧と復興は、そのまま21世紀の「国家システム」、
地球規模での日常システムのモデリングづくりでしょう。
3.11がわが国に与えた状況、意味、未来ベクトル選択、
すべからく理解できていますが、
私も正直、疲労が溜まってきているようです。
明らかに、日常はゆるやかでおだやかですが、
おそらく全国民の市民感情には不安と苛立ちが、
この疲労感からきているものと思わざるをえません。
何を正確にそして迅速でありながらも、たおやかな行動、
被災地の「までい」行いを蓄積していくべきなのかを
徹底的に再思考・再熟考しなければなりません。
疲れてなどいられないのです。
まして、私の住む大阪は被災地ではありません。
だからこそ被災地の努力は政治などへの諦めを明確にして、
未来を招き込もうという実行力や具体的なニュースから、
私自身は励まされている気がしてなりません。
これだけの酷暑です。
おそらく今年の冬は酷寒が待ち受けているのでしょう。
私たちは、絶対に「までい」国家を
創生し直さなければなりません。

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「政治主導の脱原発は闇の新神話」


   


     8月 16th, 2011  Posted 12:00 AM

終戦記念日を再認識します。
敗戦がもたらしたこと、
このトラウマと果敢な抵抗が日本を
パラダイス国家にしてきました。
それは現在、日本という制度を
今回の東日本大震災とフクシマ原発事故で失って、
ようやくパラダイスだったと気づかされた感があります。
もっとも、阪神大震災のときにも、
「国家は天災についてはなんら個人保証はしない」、
(1995年5月19日参議院予算委員会での発言)
当時の首相の言葉でした。村山談話などすべてが、
代議員なのに「反国家体制づくりのリーダー」発言。
そして、「政権交代」へと大衆は希望を託しました。
しかし私は半分は社会主義的イデオロギー残存する基盤、
この政党政治には辟易感あり政権交代は失敗予知を確信、
「少なからず、政治は社会構造を変えられない能力」
ということにほぼ決定解を持つようになっていました。
日本人の良さは、一つの方向でまとまりますが、
これは長所であれば、時には短所になります。
東日本大震災でものの見事に政治能力は不全なことを、
私たちに知らしめてくれました。
終戦記念日です。すでに当時の方々は高齢者です。
父たちの世代が復興・復活してくれた日本制度は、
国際的にもとても優れていましたが、
もはや全滅状況に追い込まれています。
現首相は哲学無き「脱原発」を宣言しています。
安全神話で国民には騙されてきた思いが強いだけに、
なんだかこれには国民は追随していますが、
果たして?、この首相のふらついた意思決定を信頼?
具体的に言えば、ソーラーや風力などまだまだ未完成。
このような代替エネルギーに電力依存という話は、
あらためて政界の指導者発言にはもっと疑念必要だと
私は考えています。
私の発言は反「脱原発」=原子力推進派と思われますが、
もっと新エネルギー技術には、
ソーラーの大欠点や風力での未熟技術を知るべきです。
さらに、現首相と政商との会談が日本のベクトルなんて
とても信頼できません。
まして、新電力開発にはデザインが不可欠です。
被災地である阿武隈丘陵地帯あたりの方言があります。
「までい」という言葉だそうです。
「までい」=丁寧に、じっくりと、という意味です。
イタリア発祥の「スローライフ」に近い意味印象です。
この4ヶ月「東日本復興デザイン計画書」づくり。
{物質・情報・エネルギー・水}に対して放射能問題。
Smart Grid・ Smart Meter・ Ambient Allianceなど、
カタカナ英語があたかも未来への希望に見えますが、
これは「東京流発想」です。
私はふるさと・福井県の伝統工芸に飛び込んだとき、
ほとんど東京流デザイン用語を使っていて、
産地のみんなからは、
賛同を得ることができなかった経験があります。
したがって、私は少なからず「現場のことば」、
たとえば「までい」という意味性を受け止めて、
これを現代の先端技術+デザイン=復興技術化へという
そんな復興デザイン計画発想が不可欠だと考えています。
そして、政治が語り始めている「脱原発」などには、
仕組まれ隠避された「闇の新神話」があると判断しています。

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「光景の中の闇への抵抗」


   


     8月 15th, 2011  Posted 1:24 AM

人にはそれぞれの時間。
いわば賞味期限のように、
生命時間が誰かが決めているようです。
神が決めているらしいようです。
私が28歳で車倚子になったとき、
「君はあと平均で40歳まで」されました。
その医師は医師ではないと思っています。
そんなこと言うか・・・「怒り」いっぱいでした。
こんなドクターには何人か出会ってきました。
本来は医師という天職につくべき人間ではありません。
性根が暗くて医師免許があっても「ヤブ」な医者です。
大学医学部で講義を持つときには、
天職としての医師資格について語る事例にしています。
車倚子生活を告げられた時にも平常心で受け止め、
たかだか車倚子、歩けない、それがどうした、とすら
思えるほど私は冷静でしたが、
40歳までという宣告にはその医師に以後反抗しました。
ところが、気がついたときはすでに40歳になり、
そのときには憧れだった「毎日デザイン賞」を受賞。
以後、すでに22年生き延びています。
親友や級友やその奥様などが逝ってしまいました。
今では父母も叔父叔母、伯父伯母も居なくなりました。
だから、私の周辺でそのような事態が発生すると、
正直うろたえます。
人間の絶対時間を想い知らされます。
ただし絶対時間が「闇」世界につながってはいません。
これは私が絶対時間切れかもしれない三度の体験です。
私が、この世に戻ってくるときは、
必ずベッドの周りから大きな声が聞こえてきました。
医師・看護師のみなさんが声をかけてくれました。
正直もう眠くて、とても快感の中にいる自分、
それなのにその声で起こされると、
嘔吐・寒気・悪寒・発熱・気絶という苦しみがあります。
だから、私はこの世にいる時間そのものが、
本当は「苦しい時間」なのだと思います。
きっと、赤子として生まれ出る時には、
この世に出たくないと思って泣き叫ぶのでしょう。
私は、光景というのは生死の景観であり、
光と影では、必ずしも影世界が「闇」だと思いません。
むしろ、「闇」は、生きている人間が携えている、
とてつもなく抵抗しがたい世界観だと考えています。
まさに、「死に至る病」=絶望=闇なのでしょう。
だから、希望に自分を差し向ける苦しみが、
絶対時間の中で何度でも体験しても、
耐え抜ける力が「希望」だと思っている次第です。

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