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『「羽二重」ブランドの発表を決定する!』


   


     7月 30th, 2014  Posted 12:00 AM

私は福井県織物組合の青年部会と新ブランドを考えてきました。
28年前にも取り組みましたが、上部からは公認されずに、
私自身は悔しい思いをしてきました。
ところが、当時の提案をある企業は実現して話題になっています。
デザイナーとしてこの天職にありながら、
どれほど悔しいことを何度もしてきたでしょうか。
だからそうしたことが、私にとっての対人関係の決定要素です。
「自分の職能・能力に素直に実践実働をすること」。
そして「その実現出来たことに感謝すること」が最も大事です。
今回、福井県が繊維産地として、私自身が幼少の頃からの想いと、
プロのデザイナーとして、「絹」からポリエステル繊維、
さらには新素材までをターゲットに新ブランドは「羽二重」に決定。
これは幕末の殖産興業に関わった先達へのオマージュです。
今や「羽二重」=HUBTAEと呼ぶことさえ忘れられているでしょう。
かって、福井は第二次大戦で爆撃を受け街は消滅しました。
理由はパラシュート・当時は絹製の産地であったからです。
このパラシュートを再現して見てみたいと真剣に思っています。
この青年部会でも「絹織物」企業は僅かであり、ほとんどが、
ポリエステルが中心になっていますが、私には新素材イメージがあり
新ブランド発表後は新素材開発を促していきたいと狙っています。
絹は蚕から布を織機で紡いで織り出していく人類の智恵であり、
その結果としての絹には「しなやかさ」が最上の自然産物です。
そして、人工化して人絹はポリエステルという布として最高のモノ、
問題点は、肌の呼吸とはまだ不一致なことです。
私がデザイナーとして取り組み、繊維の若手プロたちがその実現を、
この背景には、織物の歴史を追いかけ、布にある感性評価は、
未だに決定されていないがゆえに、学術的な決定を試みました。
感性評価は提案であり、これこそ日本だから出来ることを見せます。
その結果としての目的に、新製品開発の事例を発表するつもりです。
「織ることから創る」産地に繊維・布=羽二重があること、
この証明と世界への発信を試みるつもりです。
私たちは確約たる織物づくりで世界でトップの布を情報化します。

「『はぶたえ=羽二重』の目立たなかった布の美しさ」


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『日本の繊維産業、その先鞭をつけた人たちの偉業に続け』


   


     7月 29th, 2014  Posted 12:00 AM

福井にいる頃、すでに私は当時の織物組合の青年部会で、
新ブランドと製品開発をし、部品すら、すでに開発をしていました。
しかし、まだ若かった私は信頼されることもなくて、
そのデザイン企画は発表出来ませんでした。もう27年前です。
が、最近日本のあるとても話題企業の商品は過去の私の提案でした。
青年部会長は、現在、この企業団体の理事長になって再度、
私には重大な新ブランドづくりと製品開発指導を委ねられました。
そこで、私は日本の繊維産業の歴史性から、これだけの人物、
彼らの足跡を求めて、日本の繊維が「絹織物」からの出発を知り
起点は、由利公正(五箇条の御誓文)の仕掛けから始まりました。
「絹織物」を欧州から学べと指示した由利公正は、
京都から三名の人間が欧州の織物を学んで帰国し、彼らによって、
今年大きな話題となった「富岡製糸場」も指導をしていくわけです。
近代産業化をしていく織物産業は次第にその精緻さを求めます。
1870年には「富岡製糸場」が企画され、三人が帰国して指導し、
彼らは京都にもどって西陣織りにつながり、
福井には4名の先達によって、「羽二重」が生まれてきます。
1893年には人絹取引所までがこの産業を確約たる輸出産業になります。
私は、なぜ由利公正が殖産興業の手立てを政策に持ち込んだ理由は、
橋本左内などに学んだことが連綿としていく歴史性を辿りました。
このことを教科書の副読本にしていこうと考えています。
私はこの先達たちの先鞭性を継承してさらに再活性化を考えました。
新ブランドは、布の基本=絹からポリエステルまでを感性評価し、
その学術的な整理から、新製品発表を目指してきました。
歴史性・感性評価・織るから創るまでを発表していくつもりです。
日本の絹織物ゆえに、先達たちが「何を大事にてきたか」を
私は新ブランドと新製品アイテム開発をデザインしていきます。

『「織物・布の感性的評価軸=オノマトペ」産地福井から発信』


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『幼児たちの布感覚=感性評価実験から最学習』


   


     7月 28th, 2014  Posted 12:49 AM

ここ3年にわたって、繊維・布の「感性評価」をまとめてきました。
すでに、この取り組みは27年、思いついてからのデザイン企画です。
三宅一生氏「プリーツプリーツ」のデザイン評を私が書いたときには、
すでに布には7つの評価軸があることを知りそこから評論しました。
いつの日か、この評価軸を「感性評価」として、学術的にまとめ、
その評価軸から、産業的な応用を行い、製品開発の目標指標をと
デザイナーとして、しかもふるさと福井の繊維産地で、
私の経験、それは幼児期から織機の音と伯父は繊維のエンジニア、
聞き及んでいたのは、父方の祖父は今もある大手繊維企業、
その創立メンバーの一人でしたから、なんとしても繊維を!と、
私のデザイン対象にしてきました。
これまでも繊維・布の7つの評価を「大人の感性」で確かめました。
しかし、私が最も気がかりだったのは、子ども、しかも幼児の感覚、
多分彼らは言葉、語彙も少なくて感じたことを表現も出来ないはず。
それだからこそ、布に触った感覚が必要でした。
ようやく、5歳の幼児たちに厳選した66枚の布の感覚を、
学術的に検証をしてもらいました。
それも、擬音語・オノマトペを表現用語にしてもらいました。
「さらさら」・「ざらざら」・「すべすべ」・「きらきら」と、
彼らの語彙数はやはり限定されたものでしたが、
たった5年間の彼らの感性に布の分別は明らかになりました。
そして、私がこの実験で知った重要なことは、
言葉・語彙をもっと彼らに与えることだと明確になりました。
「ふくらみ」・「はり」・「こし」・「ぬめり」・「しゃり」
「きしみ」、そして「しなやかさ」は、私たちが与える言葉です。
しかし、彼らのたった5年間の感性では、限定語彙に対して、
私たちが思いもしなかった「痛い布」があるということでした。
小学生たちにも、この実験をするつもりです。
私は、繊維での若手専門家たちに、この秋には新ブランドのもと、
新製品発表を、この「感性評価」とともに行います。


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『ロボット学者第一人者・森政弘先生の講義 その2』


   


     7月 27th, 2014  Posted 12:17 AM

森先生自作の講義演出用の回路模型は二つあり、
その一つは、シャープペンシルの芯に電流が流れて煌めきました。
聴衆からは会場が光輝きを見て、全ての人たちは感動しました。
とても繊細なワーキングモデルだけに、
先生が怪我をされないようにとみんなが思っていた雰囲気でした。
そして、私にとっても強烈な「臨済録」の一節が提示されました。
・・・仏に逢えば仏を殺し
・・・父母に逢えば父母を殺し
・・・祖師に逢えば祖師を殺し
この講義で私はこれまでの大疑問が理会に達するのでは・・・
そのシャープペンシルの芯が光輝くのを見て、
先生に質問をしました。
その芯が燃えて光輝く一瞬が「生きていることですか?」と。
先生は、そのシャープペンシルが燃え尽きて、芯がより細くなり、
そして折れる実物を私に見せていただき、
「違うよ、光輝いて燃え尽いているここも人生なんだよ」。
私は、3度も冥府への道に行ったことを話しました。
最初は、交通被災で、もし放置しておいても体力があれば、
手術をということで、真っ暗闇の道に佇んだことがあります。
2度目は、草月会館で講演をして会場が真っ暗になり、
講演終了ですぐに羽田から小松空港、そしてそのまま入院、
やはり冥府らしき真っ暗闇にいました。
3度目は、「重篤ゆえ」という敗血症・多臓器不全死直前でした。
祖父が私の作品集を持って、「もう来てもいいだろう」、
「まだですよ」と母の声を聞いて現世に戻る苦しみを受けました。
だから、無神論を最近は確信していたのですが、
もし、仏に逢えば仏を殺し・・とは妄想と対峙することでした。
そんな話を先生に質問に交えて先生の講義を聴きました。
二元性一原論が語られて、先生は言われました。
「最近のモノは全く壊れないモノばかりになり、
壊れるモノを技術者はつくってならない風潮です。
モノは頑丈で壊れないから、今度は、
人間が壊れる存在になってしまいましたね」。
この講義の核心が今も鋭く私に突き刺さったままです。


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『ロボット学者第一人者・森政弘先生の講義 その1』


   


     7月 26th, 2014  Posted 12:00 AM

会場は、いつものごとく、東大先端研4号館の一室に、
いつものごとく、ロボット学者の偉い先生方の了解で私も聴講生。
前回から、先生のロボット学、その根源的な宗教論は
単なる宗教講話を超越した講義が、先生自作の回路設計によって、
宗教哲学はその回路の実験で具体的な例証がなされました。
正直、先生の講義メモは7頁びっしりに及ぶほどの分量で有り、
特に「安全ロボット」のあり方は、
「モノの世界観」と「精神世界観」で繰り広げられました。
私は大学人になって最初に思ったことは、講義をするよりも、
大学の講義を聴講したい気持ちが強くありました。
そして、私自身はすでにもう大学は退官していますが、
こうした第一人者の先生から講義を受けるチャンスは大幸運です。
なんといっても、「なぜ、ネジは締まるのか?」という命題から、
その講義は始まりました。
聴講する先生方も、一流大学の一流の大学教授たちと、
その先生方の一部の学生達だけが受けることが可能ででした。
白板には、仏典の重要箇所が抜き書きされて、その意味から、
私たちはそれらの意味を、今回は、先生自作の回路実働モデルで
教わっていくのです。
先生の自作セットの簡単な回路図から、「七仏通戒偈」を
実働モデルから、絶対成るモノに任せ切るということを学びます。
まだまだ、先生から教えられた経典を私は読み切ってはいません。
何しろ、先生からは、私にシリーズ書籍260冊を教えられました。
それは先生がすでに読破し、そこから学んでしかも自作回路で、
その具体化を見せられてしまうわけです。
先生の講義後は先生を囲んでの夕食会がありますが、
どうしても私はその日に京都まで戻らざるを得ずに帰りました。
帰ってから、ワイフに先生からの話や自作回路の面白さを
語り尽くさんばかりに興奮していたそうです。
今、私は、先生の講義から学んだノートのメモを整理しています。
すべてを語り尽くせないとは思いますが、
ずっと懸案だったことが見事に先生から「理会」出来そうです。

『今年早々、最高の講義を受ける・森政弘先生の仏教論』


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『デザインには発明が必要だということを学んだ作品』


   


     7月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

大学時代、デザインと造形の関係において、
造形によって、問題解決の解答を造形で答えることを学びました。
「発明がない!」と、故・柳宗理先生はよく言っていました。
私は東芝で最初にびっくりしたのはチューナーのデザインでした。
ST-910(左上)は、まだFM局が日本には2局しかないのに、
ガラス面にセンサー技術での選局システムが上司のデザインで、
すでに完成していくデザイン進化を技術とデザインで見ました。
そして、上司の指導というよりも、
「思い切った発明で選局」のシステムST-720(左中)づくりを
アシスタントデザイナーとして詳細な設計を技術指導できました。
そして全面的には、通常なら選局パネルがすべて上を真下に提案、
ST-420(左下)、上司は大賛成で、それなら、メータも変えなさい、
もう毎日が楽しくて、事細かにデザインで生きている実感でした。
そして、最も普及タイプのデザイン ST-220については、
パネルに、選局名を入れ、鏡面に針を映し出すことで、
普及タイプを仕上げて、ヒット作にすることができました。
しかし、これには深い思い出があります。
この製品企画で数枚の会議用のレンダリングを仕上げてから、
秋葉原に行きました、
そうしたら、すでに、チューナーは激戦状態で、
新製品を見て、大驚愕したのです。
すでに、レンダリング(完成予想図)で準備していたモノが
他メーカーから新商品で、秋葉原の大店舗では、
そのキャンペーンが始まっていました。
私は、すぐに会社にもどり、徹夜で、あらためて新商品企画を
やり直しながら、気づいたことは「どこにも発明」が皆無でした。
決して、他メーカーでは不可能なことをやり遂げるという想い、
会議前日に、必死で取り組んでいました。
私は、今でも、その頃の思い出を抱いています。
「このデザインには、発明があるだろうか」という自問自答です。
今ではチューナーはインターネットラジオになってしまいましたが
チューナーでのこの代表機種全てに「デザインによる発明」です。
だから、あきらかに言えることは、
「デザイン=造形が必ず発明」は必要十分条件だと思っています。

「ヘッドホンにはヘッドホンアンプ必要なり」


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『歩道と車イスの対応性は?』


   


     7月 23rd, 2014  Posted 12:00 AM

ヨーロッパでは、中世の頃にはすでに歩道は石畳でした。
現代は、磁器タイルが歩道を平面で滑らかな仕上げになっています。
正直、私のように車イス使用者にとって、
今の車イスでは石畳歩道は大変に不便で有り、時には疲労困憊です。
ただ、最近、私は電動車椅子の進化によって、
自由行動が楽になりましたが、結局はゴムタイヤが、
歩道面との接触面であることや歩道の段差や溝にはまだ不完全です。
願わくば、現代の平らな歩道面が理想的ですがまだまだです。
したがって、この二つの歩道面に対応させるには、
車イスそれも電動であり歩道の傾きにも対応させることが必至です。
そして最も大きな問題はゴムタイヤの径や素材性能に対する
新しい解決策が求められていると判断しています。
なぜなら、これまでは手動の車イスでも体力がありましたが、
今は、急速充電のリチウム電池電動の車イスを使っています。
とても行動範囲は広がったと思っていますが、やはりこれまでの
ゴムタイヤでの限界を思い知らされています。
希望では、完全に浮かび上がっているのが理想ですが、
現代の浮遊式駆動はまだまだ映画の世界の話です。
しかし、浮遊式の新エネルギーでなおかつ周囲に迷惑をかけない、
そのような車イスが必要であることは見えていますが、
そこまでの技術進化にはまだまだ開発研究が必要でしょう。
そうなると、石畳、現代タイル歩道、さらにこの両方に対応する
接触面での理想的な駆動方式が求められています。そして、
私には少なからず、これは自転車の延長上にある問題解決ではなく、
新規な発想が車イスに求められていると思っています。
結局、私たちは新たな移動体、それも下肢障害者を支援する、
そんな新しい乗物がこれからますます必要になるということです。

「石畳の街、その文明と文化」
『そろそろ電動車椅子デザインの時期=一人称デザイン』


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『ピクトグラム表記のアイデンティティ・デザインの不備』


   


     7月 22nd, 2014  Posted 12:00 AM

街中でピクトグラムは本当に目にすることができます。
かって、日本がピクトグラムに対する認識が生まれてきたのは、
大阪の万国博覧会1970年からでした。
この記憶はもう無くなってしまいましたが、その当時に、
トイレの表記が男と女のピクトグラムは、一般的な認識が無くて、
そのピクトグラムの上に「男・公衆便所」「女・公衆便所」と、
手描きでそのピクトグラム表記の上に貼られたという話です。
あれから、街中では多くのピクトグラムを見かけます。
しかし、たとえば、この「車倚子ピクト」は万国共通ですが、
このピクトグラムのデザイン自体の稚拙さは、
かえって、身障者イメージを貧弱にしていますから、
世界的にも見直しがされています。特に、鉄道車両やホテルでは、
やり直しされた美しさで改良されています。
私自身もこのピクト表現の貧弱差には納得できずに、
私が関わるピクト表現デザインは地道に変更をしてきました。
そこで、あらためて確認するには、これはあるデパートでの
その表現を見れば、一目瞭然としています。
ベビーカーの人間表現は円形と身体が車倚子の人間表現と違います。
たったこれだけの差異が、私はデザイン表現の進化だと思います。
ユニバーサル・デザイン、インクルーシブ・デザイン、
そしてデザイン・フォオールというデザイン論にも差異があります。
ユニバーサル・デザインが招いた誤解や、
インクルーシブ・デザイン論理の根本的な論理構成は大誤解です。
デザイン・フォオールという統合性での大雑把さにそろそろ、
しっかりとした決着をつける時期がきたと私は認識しています。
その最大の理由は、これらのデザイン論理から創出される、
デザイン意図=造形言語とデザイン内容=形態言語を、
その表現母体のピクトグラムにアイデンティティが必務だからです。

「車イス」ピクトグラム


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『ブロッター・インクと吸い取り紙の関係』


   


     7月 21st, 2014  Posted 12:00 AM

万年筆は人類の、とてつもない発明の筆記具だと思ってきました。
だから、この進化とともに、この流行を私は追いかけてきました。
筆記具については、「書く」・「描く」という行為にとって、
重大な道具だからこそ、追いかけると同時に収集までしています。
正直、万年筆の選び方、あるいは関心の程度でその人の能力、
なかでも、書き手の筆跡能力が分かります。
私にとっては、生涯、大事にしたい道具の一つだと思っています。
そして、このブロッターなるインクの吸い取り道具については、
随分と調べてきましたが、これはペンとインク、そして筆記具、
この関係のなかでは、大げさかもしれませんが重大なモノです。
また、これに使用する吸い取り紙も、別に規格があるのではないはず
にもかかわらず、世界中で一定なことも不思議です。
ブロッターはアール=曲面で、おおよそ3種類ありますが、
吸い取り紙の大きさが決まっていますから、その中で、
最も小さなモノが、私は最高のモノだと思っています。
万年筆、あるいはペンで手紙を書けば、必ずインクは濡れています。
したがって、吸い取り紙でこの状態で、余分なインクを
吸い取って乾燥させてしまう、ささやかな方策の道具にすぎませんが
インクを使い始めた時から、このモノが発明されたのでしょう。
所詮、このモノ=ブロッターの存在はほとんど忘れられています。
このブロッターの曲面の変化を探し求めていた記述は見かけません。
ブロッターには、銀製品までありますが、私は木製が一番です。
最近のプラスチック製も、どういうわけか、吸い取り紙規格です。
しかし、それでも私は木製にこだわっています。
確かに、銀製品のモノは海外で見かけることがあって、
思わず買おうかと迷うことがしばしばありますが我慢してきました。
とりあえず、今、一番手紙を書く万年筆には似合っています。
私は、万年筆の存在は、必ずこのブロッターに似合っているかどうか
この組み合わせが大きな判断要素だと思っています。

「書くための万年筆の真の意味」
『書き忘れていた手紙に取り組むという癒やし』
『ペン・ボールペン、そしてスタイラス、この進化を追う』


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『「ドラえもん」映画評コメントに卓越した文章を発見』


   


     7月 20th, 2014  Posted 12:00 AM

私の世代にとってロボットは「鉄腕アトム」、「鉄人28号」です。
日本のロボット学者では小学校時代に「鉄腕アトム」だった人が
相当いますが、私は、のちのちに登場した「ドラえもん」はスゴイ。
そのドラえもんが、しかも、山崎貴監督(一緒に講演会経験あり)。
彼なら、CG撮影の技術力はすごいですから、期待できます。
「アナと雪の女王」はディズニーの3D表現が相当に詳細でしたから、
日本の2Dアニメは明確になっていました。
結局、映画では3D表現の立体観は進化したと言わざるをえません。
新聞広告で、日本の話題的な人物が、この新作映画評が出ました。
私は何気なく一読しましたが、この映画評コメントに、
卓越した文章力・文体性・コピー能力のある人物を発見しました。
(そうか、この人物3名は流石だ!)と読み直してしまいました。
文体性では、観て感動しました、では表現力不足です。
所詮、漫画であり、2次元が3次元になってのアニメーションです。
無論、映画ゆえ、笑って泣いて感動を!というのは商品戦略です。
だから、観て感動しましたなんていうのは誰でも書けます。
広告コピーとしてはそれを書いた人物の有名性だけでは不十分です。
「ドラえもん」はそれぞれの人物の人格の感性とどんな関係?
これが重大骨子でなければ、ありませんし、
読者としては、「え〜、このような見方を教えられた」という、
まさにまだ観ていない私たちに、彼らの印象記述が、
たったこれだけの文章量で、そうなのか、ここまで観るべきとは、
この記述をしてくれた人物がいましたし、だから彼らの有名性には
私は大きな納得と安堵をしたのです。
そして、ドラえもんグッズを見逃してこなかっただけに、
この3人のコメントだけで、3Dアニメーションは多分、
これからのアニメーションを大変革してくれると大期待できました。

ドラえもんグッズ
ドラえもん時計
ドラえもんウォッチ


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