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『資本主義からの逃走』
  「1800年代編年体的な虚構創成時代だった」


   


     11月 6th, 2010  Posted 12:00 AM

1800年代は新たな時代を希求
日本はペリーの黒船に驚愕。
鎖国時代からの解放が始まります。
その頃、マルクスは経済学批判から「資本論」の草稿に入っていきます。
日本のいわゆる若き志士たちと同様に、欧州でも「新たな時代」に向かって、
現実否定が始まりました。現実否定は虚構の創出です。その代表が「資本論」。
これは現実を見据えて、まずはその虚構性を批判します。
しかし、この虚構批判そのものが虚構であり、
虚構のスペクトルと比喩すべき、理想・幻想・妄想へと、特に若者は駆り立てられていくのです。
私は、「資本論」が壮大な虚構論だったと認識しています。
虚構は理想・幻想・妄想に連関
理由は明快です。
資本主義に対抗する社会主義マニフェストは、理想でした。
しかし、現実社会の資本主義の進展はめざましく、
「資本論」に傾倒していく者たちは、その幻想に囚われます。
比して、資本主義者から社会主義・マルキストは妄想者として排撃されていきます。
虚構は理想・幻想・妄想に連関しています。幻想・妄想が理想とされるのは新興宗教だからです。
したがって、マルキストはある意味では、新興宗教の信者と言われる所以はあるでしょう。
そこで、1800年代を編年体で現実となった歴史的史実を欧州と比較すれば、
わが国が、尊皇攘夷だ、開国だ、という混乱期には、
現実での幕藩体制から大政奉還という時期に過ぎなかったように思われます。
虚構史実を編年体で読み解く
さて、私は越前藩での「制品検査所」という約款書に、
産業経済、その活性化に時の幕末志士が体制開放の一方で、
相当の資本主義とも社会主義とも言い切れない経済主義を追い求めていたことに注目しています。
これは私が日本の伝統工芸産地と幕藩体制での経済主義を見詰め直しているからでしょう。
1800年代編年体的な史実=現実に対抗した虚構は、
新たな時代を招致する理想だったと考えることができます。
翻って、この時代を原点として、
資本主義も社会主義も、ともに虚構であり共同幻想だった、
そのことに気づくべき世紀に、今、私たちは生きていると思います。


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『資本主義からの逃走』
  「虚構の記述は小説だが、歴史的事実は死である」


   


     11月 5th, 2010  Posted 12:00 AM

1800年代に遡及
私は、現代にモノをデザインしています。
現代という現実までの過程を知る大事さを直視します。
特に、私は日本の近代化、その原点はどこなのか、
最も注視してきたことです。
1800年代に遡及します。
そうして、その年毎の史実の事実と真実を見極めることにしてきました。
おそらく、なぜ、デザイナーがそんなことを、と思われるでしょう。
しかし、歴史の虚構は小説に氾濫し、歴史上の人物は、ヒーローとなり、
その歴史性を彩るこれも歴史上の人物はトリックスター化されているものです。
大河ドラマを事例にしました。
おそらく、大河ドラマの見せ場は、坂本龍馬の暗殺シーンでしょう。
しかし、この場面の虚構性があればあるほど、
人間は「虚構の中にえも知れぬ娯楽性」を受け入れるでしょう。
私はこの事実を否定するわけではありません。
小説・ドラマという虚構に、人が娯楽性を希求することは、
デザインによってデザインされたモノが与える感覚と似通っています。
私は、虚構の想像力をあらためて見詰め直したいと考えます。
虚構は理想・幻想・妄想をも娯楽性に変換することができます。
安政の大獄
そしてもし、歴史的事実の事例として、
「安政の大獄」時代に二人の人物を取り上げたとき、
歴史には、「もしも・・・・だったら・・」という仮説は成立しません。
吉田松陰と橋本左内は、同じ牢獄につながれ、罪人として、決して出逢うことはありませんでした。
お互いのやりとりの史実があるだけです。
虚構を断ち切る歴史的事実、
それは26歳にて橋本左内は斬首され、
20日後、30歳にて処刑された吉田松陰への「想像力」です。
史実の現実に、もしも・・・はありえず
「もしも、二人が出逢っていたなら・・・」、
この虚構はありえません。理想も幻想も妄想も消去する「死」だけが歴然としているのです。
虚構の歴史、歴史の虚構よりも、
私は、歴史的史実である、二人の人物の「死」という現実から、
さらに自分が何を見いだしていくべきかを考える次第です。


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『資本主義からの逃走』
  「虚構・大河ドラマのヒーローはトリックスターである」


   


     11月 4th, 2010  Posted 12:01 AM

坂本龍馬はヒーローか
NHK大河ドラマは日本の歴史的物語です。
毎年、誰が主役となりその活動の街が脚光を浴びます。
今年は「坂本龍馬」でした。
時代は幕末、大政奉還という日本の転換点が選ばれました。
制作側には、現代日本に対するなんらかの意図があったのでしょう。
ヒーローがトリックスターとなる虚構性
この大河ドラマは日本人に対して、
大きな連綿させるべき意識構造の維持をめざしていると私は思ってきました。
しかし、このドラマはヒーローを演出した情報操作だと判断しておくべきでしょう。
すなわち、大河ドラマに関わらず、
いわゆる歴史小説はすべからくその主人公をヒーローとした「虚構」、
情報操作どころか情報攪乱性さえあるということを分別しておかなければならないでしょう。
結局、歴史物語・歴史小説・歴史そのものが、
ある意味では、歴史情報・歴史時空間性での虚構性があるということです。
日本にとって、300年の武士社会・鎖国時代からの解放であった明治維新には、
現代日本のその後の原点の多彩な展開があり、登場するヒーローへの強い敬愛観が出るものです。
私は、明治維新に至るまでの1800年代を見るとき、近代日本の医学的歴史書に最も注目しています。
理由は、ただ一点です。
虚構非在の歴史性
医学的な事実には、「虚構性」を忍ばせることは不可能だと考えるからです。
幕末から明治維新での、経済史・政治史・その他どのような領域においても、
「虚構」を包含させる可能性があるからです。
杉田玄白から福沢諭吉に至るまでの史実の中に、
幕末・大政奉還が記述されている近代医学史に、当時の政治情勢、特に開国に至る経過には、
坂本龍馬というヒーローはまったく存在していません。
となれば、トリックスターをもってのヒーロー物語は、
「虚構」そのものでしかないことを明記しておきます。


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『資本主義からの逃走』
 「松柏後凋と詠んだ哀しみ」


   


     9月 30th, 2009  Posted 12:33 AM

出典は「論語」です。
「子曰く歳寒くして松柏の凋=しぼむに後=おくるることを知る」

これは、松や柏、柏も檜の一種のコノテガシワといわれています。
松も柏も常緑樹ですから、
冬になっても、葉っぱが散ることはありません。
つまり、冬という季節になってもそうした常緑樹の姿は不変です。
このように、人間も、危機受難を直視したとき
初めてその人の真価が問われるものです。

冬は、樹木が落葉しますが、
松柏の青緑濃い姿は、混乱している時代にこそ、
その人の信念を表しているというメタファーです。

「安政の大獄」(wikipeda)で、橋本左内は斬首されました。
26歳でした。
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米国から黒船でペリーが現れました。
徳川幕府は開国を迫られました。
尊皇攘夷と徳川家の世代交代での将軍跡継ぎ問題や
公家の様々な陰謀、何重にも複雑な問題の中で、
「国家体制の国際的指針」を明確にしたのは、橋本左内でした。
幕末の志士たちへ、そして適塾(wikipeda)の仲間への
このメッセージを
最も怖れていた井伊直弼(wikipeda)は大老に就任と同時に、
橋本左内こそ政治的危険人物とし、
斬首を思いついてしまったのです。
彼は、侍ですから、せめて切腹のはずが、
斬首という指令こそ独裁でした。よって、
「桜田門外の変」(wikipeda)で、井伊大老は暗殺されます。

この実情を福沢諭吉は傍観を決め込んでいました。
傍観することで、彼なりの意志決定をしていたのでしょう。
一つは、すでに蘭学ではなくて英語が必需だと分かっていました。
しかし、英語は当時、幕府の厳重な管轄下にありました。
だから、幕府を利用しなければ自らを修練はできなかったのです。
そして、1860年の「咸臨丸」(wikipeda)勝海舟(wikipeda)によって、
太平洋を横断し、通商条約締結に向かうことも知ってしまっていました。
「咸臨丸で海外へ」という思いで、
「安政の大獄」は無視せざるをえなかったようです。
しかし、適塾仲間の処刑を十分に知りつつ、
それでも渡米した気持はどうだったのでしょうか。
少なからず、「自虐感」にさいなまれていたと
私は思いたいのです。
だから、彼は勝海舟を批判し、
ワシントンには行っていないのです。

橋本左内が辞世の句で、論語を引用して、
「苦冤洗い難く、恨み禁難し・・・・誰か知らん」
と言い放った相手は
福沢諭吉のように幕府に臥していた人物たちだったはずです。


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『資本主義からの逃走』
 「日本の哀しみ、松柏後凋の心を語り継ぐ」


   


     9月 29th, 2009  Posted 9:36 AM

私は、米国内でも「資本主義の失敗論」が
最近は語られ始めていることに、多少、期待感があります。
しかし、それらは大きな間違いの論評が多いと感じています。
彼らは結局2008年に資本主義が失敗し失速状況に入っている.
と考えているのが余りにも多いことです。

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米国は、二大政党の入れ替わりによって、
自国の利得主義を第一義にし、
世界の先導国家意識に浸りきっています。
けれども私は、
日本人ゆえの、三つの争点を上げておかなければならないでしょう。

●「情報化時代の到来によるポスト工業下意識主義の終焉」は、
まず、西ドイツで予測(=意識社会化)されていたという事実を、
米国が主導したという勘違いがありました。
そのことは東西ドイツによって
「ベルリンの壁の崩壊」(*Wikipedia)=「社会主義の終了」になっていったのです。
実際的にもこの時点で、資本主義も終焉していたのです。
そのことに気づくことない金融工学という幻想学識の拡大と実践に、
資本主義のさらなる進歩というこれは妄想に米国は取り憑かれていきました。

●次に、共和党の「保守性」は、これも米国主導での中近東対策でした。
それは、天然ガスの剥奪戦=テロとの戦いとしていく9.11事件で、
さらに彼らは、その「保守性」の強固な保全、口実の明白さづくりに入っていきました。
その反省があったにもかかわらず、
今度は民主党の「保守の保全」がいかにも「革新」と言わんばかりに
アフガンのベトナム化再来に向かっています。

●そして、疑似資本主義である「市場経済主義」という社会主義を
中国全国民に隠避している中国の台頭は、
米国の予想以上であったのではないかと私は推測しています。

はてさて、この三つの誤認識を真正面から米国に指摘できなかった日本は、
アジアでの存在感を失って取り残されているという次第です。
「誰か知らん、松柏後凋の心を」と私はもう一度、
書き改める役割を感じています。
この役割は、橋本左内の辞世の句を持ち出すことです。
しかも、この重圧を生涯持ち続けなければならなかった福沢諭吉の存在です。
その代表的著作「文明論之概略」に集約し、
そこで語り残せなかったことにまで遡及しなければなりません。

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『資本主義からの逃走』
 「日本の哀しみは松柏後凋の心なり」


   


     9月 28th, 2009  Posted 11:59 AM

左翼=サ・ヨクが「保守」となり、
保守=ジミ・ンが「革新」を望んでいます。
わが国のこの真逆現象を
私は、「クロスカウンター現象」と名付けました。

この真逆現象は、
敗戦に縛り付けられた両陣営の
「後ろ髪をひかれたままの無念さ」に他ならないでしょう。
その無念さの質に大きな隔たりが有り過ぎるのです。
しかもすでに、
日本民族の「伝統的な美学で継承されてきた倫理性」を
失ってしまいました。

歴史を戻せば、
わが国の明治維新直前を私は検証しています。
それは、日清・日露、
そして二つの大戦へと引き込まれてしまった民族意識の変化でした。
この文脈が基盤となって、
敗戦時に大きなトラウマによって、
日本民族は二分された哀しみに他なりません。

「誰か知らん、松柏後凋の心を」
という心情が私には重なって見えています。
私は、これを書き残す作業の核心に
「デザインによる美」で、
このトラウマをデザイン思考によって解放していく覚悟です。

私の立ち位置は、日本人としての
「伝統的な保守原則の理念」を保持するデザイナーとしてです。


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