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『資本主義からの逃走』
 「商品・売ることと、買うことについて」


   


     3月 7th, 2010  Posted 2:21 PM

売る

もう一度確認しておきましょう。
商人は、「売る」ということが商いの基盤だったのです。
そこで次のようなことも考えられます。
たとえば、「国を売る」=これを売国奴と言います。
これほど相手の人間性を罵る言葉はありません。
「友を売る」という言い方もあります。
これは友人を裏切るという意味合いです。
いづれにしても「売る」というイメージには、
悪い印象がつきまとうことになります。
西洋でも、「ユダヤの商法」と言われるように、
ユダヤ人が「商売」に長けていることから、
基本的には、
ユダヤ人に対しても、
「ユダヤの商法」にはどこか不信感がつきまとっていて、
「売る」という行為にはその侮蔑感が残っています。

買う

ところが反対に、「買う」という言葉には、
良いイメージがあります。
「あの人物を買う」とか、
「才能を買う」という具合に、
「買う」ということの正当性が強調されているのです。
あらためて、「売買」ということの関係性を歴史の系譜、
時代的に、社会的に、
見直しておく「売買」関係のヒントでしょう。
「売る商品」とか「売れる商品」という言い方があります。
これは「買う」対象、
すなわち「買う」価値というのが、
どれだけ「商品」に備わっているか、
ということになります。 
これは、「商品計画」につながっていきます。 

「製品」と「商品」

さて、こうして「商品」という言葉が、
古代中国・殷=商の時代から綿々と使われてきたこと、
その奥深さ知っておく必要があるのです。
そうすれば、「商品」や「商売」の根本を、
歴史から再認識できるはずだと私は思っています。
これで、「製品」と「商品」には、
大きな違い、差異性があることは、
十分に理解していただけたのではないでしょうか。
「製品デザイン」と「商品デザイン」の
隔たりを確認してください。


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『資本主義からの逃走』
 「商人の商売、その物が商品」


   


     3月 6th, 2010  Posted 12:01 AM

商人
殷=商の時代も歴史は周人によって滅ぼされていきます。
当然、商人はさげすまれて賤民となっていくのです。
集落も失いました。
そこで、彼らは行商という、これは技能です。
商売
「商売」を手に入れていくことになります。
「商売」技能とは、計算能力だったり、
多言語に精通していくことだったわけです。
簡単に説明をしてしまえば、
流民、いわばジプシーとなった彼らは、
農産物と畜産物を交易する仲介の立場になるわけです。
農産物をつくる人の環境では、
牧畜によって皮革や毛皮を得ることは出来ません。
反対に、畜産物を産出している人には
農産物は不可欠でした。
商品
だから、この取引の中間に彼らの存在があり、
「商人」、「商売」、「商品」という言葉が
認識されていくのです。
そして、現代に至る歴史まで、
この言葉は継承されてきました。
彼らは、そのまま「商人」と呼ばれ、
彼らが商いする物を
「商品」と言うようになったということです。
売る、ということ!
ところで、「商人」というのは、
「売る」ということがそのまま商売になりました。
「売る」という行為は、
うさんくささがつきまとってくるようになります。
つまり、彼らはただ、物=商品を持ってきて、
なんらかの言葉で、
その物の売り込むだけで儲けていることになります。
農作物を季節に合わせたり、
畜産のために労働をしているとは思われないのです。
いわゆる中間的な利益だけで、
金儲けをしている人々であるということになるわけです。
仲人口というのがあります。
見合い結婚などで、結婚するのに、
いかに良い相手であるかということを、
「売り込む」ための手法だと思います。
「商人」の役割は、
どれだけ自分が物=「商品」を持ち込んできて、
買ってもらうには、
これだけの価値があることを「売り込む」ことが、
商人の役割であり、権利であったわけです。
当然ながら、
その「商品」に対する責任を持つことが義務でした。
「商品」が買っただけの価値がなかったとするなら、
その商人の信用は大きくくずれ、
彼は商売が不可能になるということが、
商道徳の基本になります。
商慣習と商道徳や商倫理になっていくのです。


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『資本主義からの逃走』
 「商の国、その住人は商人と呼んだ」


   


     3月 5th, 2010  Posted 9:30 AM


時代は、中国の殷の時代=紀元前17世紀末、
もしくは紀元前16世紀初ごろの古代王朝にまで戻ります。
夏王朝と周王朝の間です。
そして、殷王朝というよりは、
この王朝を打ち立てた自称の集落集団の民族、
その地名は「商」と呼ばれていました。
なぜ、殷人が「商」と称していたのかは諸説がありますが、
一般的には、これは高い台地に住まいを構えていたことを
漢字の形象が意図しているという説にまとまっています。
つまり、黄河の下流は湿地帯であり、洪水を避けるには、
高い台地を求めて、そこに集落を
つくらなければならなかったということです。
「商」という文字の構造には、
この表音性と表意性が組み合わされています。
商人
そして商の国の人達を商人と呼んだわけです。
その商人とは、まさしく商=あきないをする人たち
その集団を意味しています。
「あきない」というのは、
本当に毎日、飽きないで商売に勤しむ
ということも言われてきました。
毎日毎日、仕事を続けていくことは、
かならずしも楽しいことではないでしょう。
誰だって、もし、同じようなことを日常繰り返していれば、
イヤになる日だってあるものです。
だから、飽きないでその繰り返しを厭わないことを
「あきない」と言い換えたのかもしれません。
その「商い」や「あきんど」から、
「商品」の意味を突き止めていくことになります。
 


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『資本主義からの逃走』
  「なぜ製品なのでしょうか・商品を語る前に」


   


     3月 4th, 2010  Posted 12:01 AM

つくる

モノ=人工物を私はカタカナ表現します。
人間はモノをつくります。
その「つくる」は三つの漢字で表します。

作・造・創
「作る・造る・創る」です。
日本語の素晴らしさがあります。

「作る」というのは人間が斧を持っている象形文字です。
したがって、「削る・切る」という材料へのマイナス活動。

「造る」は辶がありますから時間まで、様々な材料を
組み合わせるプラス活動です。
醸造などは時間軸までプラスされています。

そして、「創る」は倉があり刃物ですから、
プラス+マイナスが同時に起こせる活動ということです。

さらに日本語には、「造作」というプラスマイナスまでを
表現するほど、「つくる」ことを明確にしています。
そこから、「制作・製作・製造・生産」がつくるという
文脈になっているわけです。
ここから「作品・製品・物産品」という言葉それぞれに、
意味が付随していると考えればいいわけです。

製品

この「つくる」品が「製品」です。
したがって、この「製品」価値は、
「つくられた価値」であり、「価値づける活動」です。
あくまで「つくる」活動の成果と結果でしかありません。

ちなみに「創作」はマイナス性が強く、
「創造」はプラス性が強く発揮されています。
したがって、文学は文学作品となります。
マイナス=削り取るということは、文章をより少なく、
広大無辺な世界観を表現することが「作品」です。

あらためて「つくる」ことだけに集約や収束が、
「製品」ということになります。
この「製品」ができて後に、
「売る」・商売するモノが「商品」です。


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『資本主義からの逃走』
  「製品と商品には大きな差異があります、要注意!」


   


     3月 3rd, 2010  Posted 1:37 AM

製品と商品
私は「新製品発表」をしました。
「商品ではない」とか、「値段」を聞かれます。
違うのです。この問いかけを洗い出すこと、
これが私の目標でした。
それから「商品」というモノづくり目的に入ります。
どこの企業でも、そしてマスコミも「製品」と「商品」は
同義語で使われています。
これが実は「企業」の活動=収益目標と企業存在の目的、
いづれも読み違い・勘違いが横行しているのです。
私は常に新たなクライアントに入っていくとき、
「御社の製品はどれですか?」と尋ねます。
そうして、
「それは商品ではないですか」ということで、
混乱を与えてしまうことばかりです。
したがって、学生への講義では、
この「製品」と「商品」の言葉の背景、歴史を教えます。
いづれこのことについては詳細な書籍を出版します。
私の「Business Design Model」では、
「製品」と「商品」を明確に区別しています。
なぜなら、インハウスデザイナーは、
「商品デザイン」をさせられています。
だから、「商品が売れたかどうかで、デザイン評価」、
そのまま、デザイナー力量が問われるのです。
まず「製品企画・製品計画」から「商品企画・商品計画」、
この「四句分別」が企業内で出来上がっていないのです。

「商品」は殷の時代まで「商」という国に原点があります。
制作・製作・製造・生産
「製品」は「制作・製作・製造・生産」であって、
まだ「商品」の手前のモノです。
私が今懸命に訴求しているのは、
収益構造=経営仮説=ビジネスからの社会化=利益還元、
つまり仮説モデルの革新です。
あらためて、考え調査してほしいのは、
「製品開発」と「商品開発」は何が異なっているのか?
「製品収益」と「商品収益」との経営仮説とは何か?
この二つをまず、「企業」の目的と目標、
実は、「目標」と「目的」も異なっています。
この論理を確実にしての「経営仮説」に、
デザインを導入する重要性と大事さを再確認してください。


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