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『資本主義からの逃走』
  「車イスデザインのための文脈づくりに気づく」


   


     8月 26th, 2010  Posted 12:00 AM

車イスの全体と部分
ともかく、車イスはリハビリ病院で病院常備のモノから、
同じ病院でトレーニングしていた車イス使用者、
それぞれが自分専用に発注したモノをともかくよく見ました。
もし、乗れるのなら乗ってみました。
もっとも、乗っていて、軽々と走行するモノは、「車イス・バスケット競技用」だけでした。
いわゆる病院に常備してある車イスが、最悪のモノだと知りました。
大きな理由は、まずシートでの身体保持性能と走行性能がまったく体になじまいということでした。
その何が、乗り心地や走行性能などが不適なのかということになりました。
そこで、車イスと自転車、車椅子とイス様々との関係をどこまで徹底して自分が身体化、
すなわち他のアイテムで、車イスとの関係、
結局、構造を見る、触る、知る、そして自分なりに「気づいていく」ことだと分かったのです。
これは、車イスという全体、車イスの部分・部品を、
車イスと似通っているモノとの「構造」をひたすら知るということだったのだと
今では考えることができます。
正直、私がデザイナーとして経験してきたことは、
「オーディオ」と「音に関わる機器」程度の経験しか無かったのです。
それが、さあ、自転車のデザインが出来ますか?
イス、様々なイスのデザインが出来ますか?
それらを今度は車イスにまとめ直すというデザインができますか?、
ということを自問しているだけでした。もうどう考えても「無茶で無謀」なだけでした。
ちょうどその頃、取り組んでいたデザインは、
伝統工芸産地・越前打刃物で、それも「革新的な包丁」のデザインでした。
これも、初体験です。
素材・構造・文脈
一方で伝統の刃物を革新する方法を模索しつつ、
「自分のためのモノ」=「哀しみにデザイン」でした。
越前打刃物は「美しい切れ味を鍛えています」ということでした。
共通項は、全体から部分、部分から全体、その因数分解的な作業は、
「素材」であり、これはまったく変数的要素は無いという手がかりだったのです。
おそらく、打刃物と車イスがデザインの具体的対象であっても、
本来、自分の頭脳ワークは、
「素材」の「構造」を、テーマに結び付けていく「文脈づくり」でした。
以後、今日に至るまで私のデザイン手法は、
いつも「素材」・「構造」・「文脈」に集約させることに繋がっていると判断しています。


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『資本主義からの逃走』
  「喜怒哀楽のデザイン・哀しみにデザイン」


   


     8月 25th, 2010  Posted 12:00 AM

喜怒哀楽
交通被災で車イス生活を余儀なくされて、
私は人生って・・・ということを、
本当に考えさせられることになった気がします。
無論、人生はそれなりに、デザイナーを選んだことや、
デザイナーとしての夢がそのまま自分の人生だと、言い聞かせていたようには思います。
しかし、「自力」は難行苦行で、もう一度取り戻さないと車イスにすら乗れない。
こんなことも思い知らされてわけです。
そして、私は当時、こんな結論で割り切ろうとしました。
おそらく、人生は、「喜び・怒り・哀しみ・楽しみ」が四分の一づつあるんだから、
車イス生活も私の人生の四分の一にしておこうと考えました。
だから、「車イスのデザイン」は「哀しみにデザイン」って想えばいいということです。
とすれば、「デザイン」は「喜び・楽しみ」だけを、これまでは効用・効果だと考えてきたことに、「怒り・哀しみ」も加えるべきではないだろうか、ということにたどり着いたのです。
「怒り」と言っても、それは他人に対する怒りよりも、
自分自身への怒りとか、どうして問題解決できないという苛立ちに対する怒りです。
この連続性に「哀しみとデザイン」を結び付ける対象に「車イス」を置いてみようと思ったのです。
具体的に喩えると、私は毎朝目覚めると、傍らに車イスがあります。
「あぁ、今日もコレに乗らないといけないんだ」って思うと、なんだか哀しくなります。
今もそう思っています。
それなら、「この車イスだったら、乗っていても格好いいかもしれない」って納得できるモノ、
それが車イスという図式です。
哀しみにデザイン・CARNA
私は、「哀しみにデザイン」、そのデザインされた車イスこそ、
日常を見守ってくれる女神=CARNA(カーナ)と名付けてデザイン設計に入ったということです。
そして、「デザインは、喜怒哀楽、四分の一それぞれの対象があるはず」だ、
ということを自分に知らしめることができたと思います。
現在も、常に、これは怒っているから、ともかく医療関連をとか、
哀しみのためにこそ、デザイン運動が必要という考え方をしているということです。
それらを「自力」でやり通すということ、
もし、それが出来上がったらどんなに楽しくて喜びになるだろうというのが、
「自力へのエネルギー」になっているのでしょう。


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『資本主義からの逃走』
  「『自力』だから仕方ない難行なのです・・・」


   


     8月 24th, 2010  Posted 12:44 AM

死に至る病とは絶望
ともかく交通被災を受けた私にとって最も大きな問題は、
「なぜ? 自分にはこういう運命、宿命」ということでした。
五体満足な体で「生」を受けたにも関わらず、
「歩けない体」になぜ自分は? ということでした。
私は大げさに言えば多分、この問題こそ「哲学的問題」だと悟りました。
「生老病死」での「病」への自我意識との対決こそ「哲学」だということでした。
「死に至る病とは絶望である」ということを、連日考えていたように思います。
それは現在も連続して抱いています。
具体的には、肉体に襲いかかってくる発熱や悪寒や嘔吐や意識障害に関わらず、
「精神的な恐怖感」は耐え難きものがあるわけです。
私は、とても重大な分別に気づきました。
それは、「怪我」と「病気」を自分の身体に居座っていることから、
「怪我」というのは、「自分を怪しく」することに対して、
人間は、余程の受け身で耐えきれるものなのか、ということです。
そして、「病気」というのは、
「気持ちが病んでいる」証にすぎないものなのだ、ということで「気」を抜いてしまえばいい、「病」が次々と私を責め立てているとことです。
私は28歳から、この連続苦行を幾たびか受けるようになりました。
そして、自分なりの結論で、この苦行と立ち向かうことができる「術」を身体化できました。
哲学なのか、宗教なのか、という「際限」は、「死」を意識することにあるのでしょう。
難証難行による自力は本願にあらず
なぜなら、「自力」に対して、
日本人の精神世界を支えてくれた対岸には「他力」を位置づけていました。
どの宗教なのかは、ここでは不問としておきますが、
いわゆる「他力本願」などは、「怪我」と「病気」を抱いた本人には何の意味もありません。
むしろ、「自力」を鍛えあげることは、「難行道」なる論理が明確に宗教、
それも仏教緒宗の「教判」にありました。
私が、まさに「車イス」に乗るだけのトレーニング=リハビリテーションは、
「難証難行」をひたすら受け入れるだけと割り切ったことです。
いわば、自分に襲いかかってきたこの難行を相手にしている自分を客観視することでした。
ただし、これは今なお割り切っていても「自力」の難行であり、
「本願」にあらざることは認めざるをえません。


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『資本主義からの逃走』
  「車イスは器械だから、『自力』の身体化は必然訓練」


   


     8月 23rd, 2010  Posted 12:00 AM

壮絶なのは日常なり
私は、自分の交通被災から車イスのデザインをしました。
この実体験は「壮絶」と思われているようですが、
「生きている日常の方が壮絶」だと思っています。
本当の「壮絶さ」な人間界の話はいづれ書きます。「悲惨な壮絶さ」は潜んでいるのです。
五大器械
さて私は、車イスは道具ではなくて「器械」だと言っています。
器械は、『周礼』では、「器は楽器で、械は武器」、
『後漢書』では、「器は内に盛るモノ、械は外に盛るモノ」、そして『荀子』では、
「器は、鎧(よろい)冑(かぶと)で、械は矛(ほこ)弓(ゆみ)ということになっています。
一方、古代西洋のヘロンは五大器械を、てこ・ろくろ・くさび・ねじ・滑車と定義していますから、すべからく「人力」という力学が関わっているということです。
自力養成訓練
そこで、私は車イスを「自力」デザインで開発と、乗りこなせる「自力養成」をしてきました。
救急病院時代は、プラスチックのギブスで上半身をカバーしながら、
退院間際には、ようやく2kの砂袋を10cmぐらい動かせるようになっていました。
半年後に労災病院で、いよいよ本格的なリハビリテーションを受けることになりました。
それは自分を鍛え直すことになったのです。
まず、700ccの水を1日に3回飲み干すことです。これは体の水分を保持し排泄訓練のためでした。
おかげで、容器を見れば何ccかすぐにわかりますし、
今も、ともかく最低2000cc以上で体内水分調整することです。
相変わらず、発熱は連続していました。朝の検温で37度だとトレーニングはできません。
だから、37度を越えていると必ず37度以下にして、トレーニングを受けました。
案の定、トレーニング中に高熱となり幾たびか倒れました。
問題は、2k程度ではまったく車イスどころか、「自力」でベッド上で体を起こすことはできません。ともかく5kの鉄アレーでのトレーニングをめざしました。
七つのパターンを各150回上げ下げをすることになります。
ベッドでの起立は、当時の日本のリハビリ標準値は一ヶ月でした。
しかし、ベトナム戦争傷病兵のリハビリ本が東芝のデザイン部門は届けてくれました。
それによると米国では2週間というメニューがありました。私はそれを目標にしたのです。
車イスに乗るためには150kの鉄アレートレーニングが必要。
これは鉄棒での懸垂運動30回程度相当です。
自力力学
つまり、人間の「自力エネルギー」というのは、自分の体重を自力でコントロールする力学を、
「自力的に身体化」するということです。私のリハビリトレーニングは「優等生」でした。
それが出来たのは、中高大までにスポーツで鍛えてきたことが役に立ったということです。
水泳・スキー・空手・少林寺拳法・ロッククライミングでの経験があったために、
失われていた「自力」の回復は半年で150kの鉄アレーで回復させることができました。
やっぱり、車イスは器械です。
だから自転車も道具ではなくて、「自力と平衡感覚力」を駆使する器械だと断言できます。


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『資本主義からの逃走』
  「車イスが器械だから、トレーニングから始まった」


   


     8月 22nd, 2010  Posted 12:07 AM

呼吸困難
「君は車イスで生活」という宣言から、
早速、私はまだ上半身をギブスで固められていたのですが、
トレーニングが開始されました。
両手とも麻痺していて全く動きませんでした。
ところが付き添い=ヘルパーさんが、元・九州の労災病院経験者だったのです。
それは、落盤事故で車イスになった人たちとの経験がありました。
毎日、少しづつ私に車イス生活になっていく心の準備などを話してもらいました。
ほとんど、納得できないままに聞き流していたのですが、
本当に車イスに乗るまでは彼女の助言を思い出さなければいけなかったのです。
とりあえず、2kの砂袋が両手に結わえられたのです。
まったくそれが動かすことができませんでした。
ギブスの中は、発熱で毎日汗びっしょり、汗が乾くと痒みです。
一度、そのギブスを切断し、また新しいギブスに変わる時でした。
俯せから背中のギブスが外されたとき、
何人かの看護師さんが、「キャー!!」と叫んだのです。
私は、鏡で背中が見たいと言いました。
「ダメダメ」でしたが、「見せろ、見せろ」と言い寄りました。
手鏡二枚で、私の前に、真っ赤の血と緑色の膿=緑膿菌が背中いっぱいに広がっていて、
その見たこともない光景で、気絶しました。
毎日、ともかく1.5kの砂袋が結わえられましたが、
両手は動かずに持ち上げることもできませんでした。
そして、ギブスがプラスチックのまるで鎧になって数日後、私は呼吸困難になったのです。
肋骨6本折っていました。それでその1本が肺に突き刺さったままだったのです。
右胸がパンパンに腫れ上がって呼吸困難になったのです。
早速500ccだったと思いますが、その注射器で胸から水が抜かれることになりました。
私は見詰めていたい、と申し出ました。私はこれからの現実は直視しようと決心していました。
ドクターが私をまたいで、もうもう一人のドクターが両肩を押さえました。
正直とても怖かったですが、平気さを装っていました。
しかし、その注射器は針先のガラスがすぐに折れ、新しい注射器もまた折れ、
250ccの小さな注射器で何度も何度も突き刺されながら水が抜かれました。
その度に咳き込みつつ息がつながりませんでした。
そして、その水の色はまるでペプシコーラグレープの色でした。
つい最近はグレープ味のペプシが飲めるようになりました。
1.5kg砂袋のトレーニング
ちょうど、見舞いに来てくれていた父に右手を握ってもらいながら、
〈呼吸ができない、このまま逝くのか〉とその風景を見詰めました。
父は「握り返せ」と言いましたが、右手にはほとんど意志が伝わらず、
父はドクターに「手は動くのだろうか?」と質問しました。
ドクターは、「彼の両手はやがては動くはずですが・・・」と答えました。
ともかく、その救急病院時代は、1.5kの砂袋を持ち上げることができませんでした。
しかし、この連日の朝夕2回のトレーニング、
このたった2回持ち上げることもできないけれど、
それが意味を持っていたことを転院して知ることになりました。
器械だから、「自力」が必要だと実体験するのです。


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『資本主義からの逃走』
  「自転車は器械、それは車イスが器械だから・・・」


   


     8月 21st, 2010  Posted 12:00 AM

交通被災
私にとって車イスが必要になったのは28歳からでした。
タクシーに乗っていて、泥酔ドライバーに追突されたからでした。
自分で、自分の車イスをデザインすることになった経緯を話します。

私は、四つ角で停止しているタクシーに乗車していました。
相模原から立川方面への方向を指示しているとき、
轟音とともにタクシーがスローモーションで回転し始めて、
信号灯が目の前で同様に回り出しました。
私は隣に居た恋人を抱え込んでいました。
咄嗟に、これは爆発すると思った瞬間、タクシードライバーが天井まで飛び跳ねて、
これもゆっくりと落ちました。
私は、暗闇でなんだかずぶ濡れになっている様でした。きっと血まみれなのではと思ったのです。
その激突で、大変な汗をかいていたそうです。
それから、周囲を何人かの人が取り囲んで、タクシーを壊しながら、
彼女が出されて、私を引きずる出そうとしてくれたとき、激痛が走りました。
彼女だけはまたく無傷でした。
私は、シートに横たわって、ともかく、出たくない意思表示をし、
気がつくと、救急車から病院のベッドに寝かされながら、革のコートに鋏が入っていました。
彼女が泣き叫んでいました。
・・・そんなに絶叫するなよ・・・大したことではない、と思っていました。
ともかく、チーフ(デザインチームの上司)が来るまで、
気を失ってはいけないと言い聞かせていました。
そして、チーフの顔を見て気絶しました。

それから、気づいた時には、2日後、手術が終わっていたのです。
父が立っていました。
丸1日体力があれば手術ということだったらしいのです。
まだ、両手も動かず、自分の体がどこにあるのかわからぬまま、
生きているのか、死んでしまっているのか、
発熱と嘔吐の繰り返しの連続、朝も昼も夜もわからない日が永遠と思えるほどでした。
歩けない体だから
「君は、この病院を出るときはもう歩けない」と宣告されるまでは、
自分の体に何が起こっているのかはわからない日々、約1ヶ月後だったようです。
ドクター二人が、
「君は歩けない体なんだ」と繰り返されましたけれど、
「それで?」というほど、きわめて冷静冷徹に受け止めていました。
・・・車イス生活・・・だから・・・?
それなら、車椅子は自分でデザインすることになるのか・・・、
これは面倒なことになったという思いでした。
自転車のこと徹底的に知らないといけないなー、という具合でした。
車イスは機械ではないから「器械のデザイン」になるんだという直感だったのです。


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『資本主義からの逃走』
  「自転車は器械だと直感してきたけれど・・・」


   


     8月 20th, 2010  Posted 12:30 AM

道具か器械か
大学時代に、その教授がデザイン学生を多分意識してもらったのだと思い出すのです。
一般教養「哲学」では、「機械とは何か」が常にテーマであり、
試験問題にもずばり「機械について記せ」だったのです。
美大ゆえに、ほとんどそうした座学は無視していたと思います。
ともかく「実技」に明け暮れ、デザイン技能の習得ばかりでした。
卒業して、その教授がきわめて有名教授でした。
それからその教授の本を書店で見つけては読んだものです。

さて、この一ヶ月、「自転車」に囚われてきました。
それも「ことば」の中に「自転車」を置いて、
未来の自転車を「ことば」にしようと考えてきました。
その表現をボードリアール風に、と望んできたようです。
そこで、自転車は機械?、ということではまったく成立はしないと思い込んできました。
直感的に、自転車は「器械」でした。
ところが、道具・器械・機械・機器というアイテムで分ければ、
私の中では、自転車はまったく「器械」なのです。
「器械」は《周礼》で定義されていたはずですが、
道具と機械の相異点では、道具は「人力」であり、
「原動機」を応用するモノが機械ということになれば、自転車は道具のはずですが、
やはり「器械」なのです。
あらためてこの直感の詳細を述べていく必要を感じている次第です。


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『資本主義からの逃走』
  「あらためて自転車を!、車倚子の私から」


   


     8月 19th, 2010  Posted 12:00 AM

人間の自時速度
人間は100m走って10秒だと考えます。
これは一部の陸上競技のアスリート能力です。
したがってこのスピードだと、
人間は自時速36km/hの速度性までを持っていると考えることができるでしょう。
原動機付き自転車は制限スピード30km/hです。
走行中そのまま転倒すればこれだと相当の怪我をします。
実際は、そこまで人間の能力はありませんから自時速18km/h程度かと思います。
この時速だと、もし転んだとしても骨折することはないのではないかと考えます。
おそらく、人間の平均的な肉体的強度というのは12km/h程度が限度だとみることができます。
自転車の文明と文化
ところが人間は、自分が歩くより、走るより、
「速くにある=遠方へ速く出かける」ことを望んできました。
それは肉体が多少壊れても「速くにありたい」ということが、
乗物を発明、陸を、海を、さらには空を飛び、
その安全性と安心性を創出することが文明だったわけです。 
地球上で人間が優れていることをともかく実証したかったのでしょう。
その根本的で基本的な文明モノ=人工物が「自転車」であったことは間違いありません。
この文明性は、人間の平衡感覚と速度性で、「スポーツ文化」を生み出しました。
英国のバッキンガム近郊にある教会に、
「自転車のようなモノ」にその発想があったと言われてました。
今では、それは地図作成用の測量のための測距車だったということです。
自転車の発明には諸説ありますが、
ドイツのKarl von Draisの二輪車・1813年説に落ち着いているということです。
車倚子との比較から
ところで、私には個人的な自転車への思いが重なっています。
それは28歳、交通被災により、「車椅子生活を余儀なくされたこと」です。
つまり、車椅子も自転車も同様に、自力で走る機能性のある乗物だということです。
私は、デザイナーゆえ、「自分用の車椅子を自分でデザイン」しています。
私のデザインした車倚子は、世界の主要な美術館に永久収蔵されたり、
国内外のデザイン賞を受賞しました。
「車倚子」は自転車から派生した乗物です。そこで自転車との同意性と差異性があります。
 まず、「走行性能」は自力での操作性、
同時にブレーキ性能が付随しているのは、自転車との同意性です。
車倚子としての「身体保持性能」は、自転車との差異性があります。
さらに、車倚子の進化は、
●「自力と電池駆動のハイブリッド化」
●「電池のみの電動化」(日本では6km/hで米国は12km/h最高法定速度)
●「ロボティックス化」が見えはじめています。
これはまさしく「自転車の将来」と連鎖しています。


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