kazuo kawasaki's official blog

Archive for 3月, 2009


3月17日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     3月 17th, 2009  Posted 12:00 AM

3月17日 仏滅(辛酉)

「区別化」の手法から「分別」の知性をデザインは育成し、
やがて文明の経済効果にデザインユートピアへのコンテクストを構築する。

It will at least be necessary for design to nature the intelligence of discernment from
the skills of “differentiation,” and soon clearly demonstrate the intention to
build a context for a design utopia for the econmic effects on civilization.

>『artificial heart:川崎和男展』 分別としてのデザイン


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3月16日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     3月 16th, 2009  Posted 12:00 AM

3月16日 先負(庚申)

未だデザインが対象化しなかった事態に、
位相となるべき時代が訪れようとしている。

Although design has not beenseen as a subject of the age or society,
we are approaching an age in which it should be seen as phase.

>『artificial heart:川崎和男展』位相としてのデザイン


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3月15日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     3月 15th, 2009  Posted 12:00 AM

3月15日 友引(己未)

位相としてのデザインは、
形式のデザインとして時代転機にその内容変革を促し、
形式化された位相に仕組むデザインとして内容を充実させると考える。

Design as a phase, at the turning point of the ages,
will promote changes in the content as design of format and
improve the contents as design that is build into formalized phases.

>『artificial heart:川崎和男展』位相としてのデザイン


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3月14日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     3月 14th, 2009  Posted 12:00 AM

3月14日 先勝(戊午)

景観に存在するモノを想像するとき、
景観の範疇を厳密に定義しよう。

When we imagine things that exist in a scene,
we must strictly define the category of the scene.

>『artificial heart:川崎和男展』修景としてのデザイン


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3月13日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     3月 13th, 2009  Posted 12:00 AM

3月13日 赤口(丁巳)

「美学とはもうひとつの道徳である」という台詞を
修景化のシナリオに強調させることができないか。

Will it be possible to emphasize the line
“aestheticism is another form of morality,”
in the scenario of scene rectification?

>『artificial heart:川崎和男展』修景としてのデザイン


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3月12日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     3月 12th, 2009  Posted 12:00 AM

3月12日 大安(丙辰)

修景としてのデザインは、
当然、美しいモノの造形を意図したものでなければならない。

The design as scene rectification must
naturally be intended for forming beautiful things.

>『artificial heart:川崎和男展』修景としてのデザイン


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3月10日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     3月 10th, 2009  Posted 12:00 AM

3月10日?先負(甲寅)

インダストリアルデザインのエピステーメーは、
まず点、線、面を「関数」としてのデザインに定義し直すことだ。

The épistémè of industrial design
should first redefine points, lines and planes as design as functions.?

>『artificial heart:川崎和男展』?関数としてのデザイン


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3月9日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     3月 9th, 2009  Posted 12:00 AM

3月8日?友引(癸丑)

デザインという手法が企業を活性化し、
手法がデザインである「企業」だけが生き残る。

A design method activates a company,
and “only the company” where a method is a design survives.

>『デザインという先手』p.176


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『資本主義から逃走せよ!』
金融工学の始祖はマルクスだった_05


   


     3月 8th, 2009  Posted 12:50 AM

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このBlogにて紹介しはじめている、「資本主義からの逃走」を初めて、講演をした。
この「逃走」はこれからの「闘争」のアジテーションでもある。
 したがって、ふるさと福井で行った。
なぜならば、私のふるさとをまず、変革、改革から始めたいと当初から考えていた。
 「場」は講演として与えられた。
「福井県経営品質協議会10周年記念大会」である。
 この経営品質協会は、代表幹事が高校時代以来の親友であり、私をいつも精神的、
さらには経済的にずーっと支援をしてくれている玉木洋・福井キヤノン事務機代表取締役である。
 この協会を彼がリーダーシップをとって福井県にて活動を開始したとき、
マーク・表彰状・トロフィーをデザインしている。

 現在、この不況は、すでに「終焉している資本主義に気づかなかった
オピニオンリーダーや政財界のリーダー(現在の日本には絶滅しているが)たち」の責任である。

したがって、このBlogでは、彼らと時代・社会への闘争論理である。
 玉木(親友ゆえこう呼ぶが)は、すでに10周年からこの協会活動を「福井県独自性を目論んでいる」。
 彼は、「変革より、変質だ!」とさえ伝えてきていた。
 「デザインが経営をも補完する」ということを最も早く知ってくれていた。
彼や、福井県での同世代の経営者とのことはいづれ著作にしたいと思っている。

 「資本主義を変革、いや、変質させる手立て」は、今、76項目までを論理化している。
これは、100項目にすれば、
「101匹目のサル」という論理構造が派生し、
具体的デザインに必ず結実するという確信が私にはある。
 したがって、この講演会では5項目を講演した。
 おそらく、ここしばらくはこの講演内容をアジテーションしていかなければ、
この不況をデザインによって変えることはできないと考えている。
 講演メニューを紹介しておきたい。
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そして、何よりも、この講演後にはパネルディスカッションにも加わった。
 私は、本来はパネルディスカッションのパネリストは引き受けないことにしている。
 しかし、親友の依頼は引き受けた。
そして、若手の経営者二人に出会った。
 彼らを是非とも紹介したいと思う。
というよりも、今、私が注目し、彼らが20代から私と交流してきた何人かが存在する。
彼らこそ、「新しい変革者である。玉木流に言えば、「日本経済、新世紀の変質者である」である。


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3月8日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     3月 8th, 2009  Posted 12:00 AM

3月8日?先勝(壬子)

Artificial Heartは、Artで始まり、artで終わる言葉だ。
この言葉は人工物設計の極致を表している。
??????

Artificial Heart begins in Art, and it is words to be over in art.
These words express the acme of the artifact design.

>『デザインという先手』p.156


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