kazuo kawasaki's official blog

Archive for 11月, 2009


『資本主義からの逃走』
 「資本主義の冷酷さ、
  企業倒産をデザインから傍観する」


   


     11月 26th, 2009  Posted 3:00 PM

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資本主義の「冷酷さ」は、当然、マルクスはじめ、
マルキストたちが指摘してきました。
だから、共産主義、社会主義というのも、
すでに無理があったことは歴然としています。

私は、デザイナーとして、
「企業倒産」、「会社更生法適用」、「上場取り消し」を、
本当に間近で、かなり見てきました。
もちろん、それを予知したり、予測できる要素を
見いだしたりということは才能だとも自負します。
デザイナーとしての大きな「経験値」になっています。
「直感」=「第六感」もあります。
この企業、危ないな・・・?!
パートナーあるいはコンサルタントを引き受けるのは
お断りしよう!!!!!
そして、そうした予測をした企業は、
必ず「倒産」や「会社更生法適用」に至るのです。

大きな要素は、三つあります。
まず、「経営者の資質や思想」です。
次に、「資本主義における景気観の読み違え」。
最後が、「デザインを見下げている企業環境」でした。

私は、いづれ、私が体験してきたことを書き残そうと
思ってきましたが、
やはり、もう書き始めた方がいいと判断しました。
なぜなら、「デフレーション」・「デフレ・スパイラル」に、
現在の日本経済はこうなるだろうと、
私の予測は、予知ではなく的中しているからです。
最近のベストセラーに「イノベーションのジレンマ」
という経済と企業の予測本があります。
私は、この指摘はまだ「資本主義を前提」にした発想に、
経済学者の脆弱性を読み取っています。
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それは、「イノベーション」とは「景気循環論」
あるいは、「革新」という動機付けで「景気説」で、
その論理が終結的になっていて、
単なる「イノベーション」という
「話題」への「応答」説でしかないからです。
それは、
「イノベーション」を「課題」・「問題」ではないからです。
すなわち、
イノベーションでの「景気循環論」への
「回答」も「解答」も経済の論理では生み出せないのです。
イノベーションへの「解答」は「回答」を経て、
「デザイン」が明確化できると私は経験から考えています。


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11月26日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 26th, 2009  Posted 1:54 PM

11月26日 先勝(乙亥)

本来、デザインが目指すべき方向は、
感性を蓄えてもらうための
社会運動でもあるわけだ。
私は、時代が生み出す偶然性を創出できる
たった唯一の手段が、
デザインだと確信している。

『プラトンのオルゴール』
ストカスティックな美と義と善


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義から離脱してきたデザイン」


   


     11月 26th, 2009  Posted 8:00 AM

私は金沢美術工芸大学の出身です。
「産業美術学科・工業デザイン専攻」でした。
明らかに、
産業=資本主義への献身性への教育です。
「インダストリアリズム」=工業下意識主義を
下敷きに「デザイン」を学びました。
しかし、決して、
産業美術的な教育を受けたわけではありませんでした。
それが、大きな財産となっています。
常に、「トレーニング=身体性でのデザイン技術」の
習得と「理想主義としてのデザイン美」でした。
いわゆる実技は、「平野門下生」として、
徹底的に「身体化」されてきました。

●デザインストローク
●スタイライゼーション
●フィッシュボーンプランニング
●ジョイントワーク
●ファスニングシステム
●レタリング

自作モデリング、がほとんど「平野門下生」が、
基礎・基本としてマスターさせられました。
したがって、
本当に「造形デザインが出来るデザイナー」は、
こうしたトレーニングを身体化できた連中だけです。
日本の少なからず、産業デザインで、
「商品デザインの造形」は、このトレーニングを
受けた者だけ、というのが私の持論です。
しかし、
インダストリアリズムの終焉とともに、
「デザイン職能」は、時代的に大きく変貌しています。
私は、産業デザインとは、
「欲望の刺激装置」と言ってきました。
つまり、「欲しくさせる装置を仕組むデザイン」です。

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「インダストリアリズムの終焉」という副題で、
私は「プラトンのオルゴール」という著作と、
展覧会をしました。
1994年のことです。

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1994年・ギャラリー「間」での「プラトンのオルゴール」個展

2006年、この個展でのインスタレーションは、
「作品」・「スケッチ」・「展示計画」が、
金沢21世紀美術館に永久収蔵されました。

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2006年の永久収蔵から2008年一時常設展

1996年、名古屋市立大学芸術工学部が新設。
この芸術工学部では、
「産業」を「健康」の基盤にする「デザイン」でした。
89年・ベルリンの壁崩壊。
91年・ソビエト崩壊。
こうした時代変遷の予測は、
私はすでに、美大で「産業美術学科」でありながら、
柳宗理先生、平野拓夫先生
平野先生は最初の国費デザイン留学生であり、
Gマーク制度創設者の一人によって、
「身体的に」たたき込まれていたと考えます。


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11月25日Staff Blog


   


     11月 25th, 2009  Posted 10:50 PM

11月25日

カメラの画像は「Eye-Fi」、
これでMacにとばしています。

BOSS(川崎和男)の
アートジェーンブログの写真は、
LEICAでBOSSが撮影したものです。

BOSSブログ、
資本主義からの逃走の中にも、
例えば、「神の国」の樹木背景は
BOSS撮影です。

このスタッフブログは、
iPhoneで撮影した写真です。
「Wi-FiとOSの一体化」という
BOSSの予知は次第に現実化です。


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11月25日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 25th, 2009  Posted 12:00 PM

11月25日 赤口(甲戌)

私は最も過酷に冷酷に、
さらに残酷に敵対する
もう一人の自分を
いつも心の中に控えさせている。
そんな私からすれば、
安泰で安全なところで
息をしているのは、
もはや人生の敗北者
「生きている死者」なのだ。

『デザインの極道論』はげしい


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『資本主義からの逃走』
  「神の国には、諦観からの希望がある!」


   


     11月 25th, 2009  Posted 3:00 AM

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「諦観」とは、resignだと私は経験してきました。
諦めて生きること。
これはリハビリテーションの原理だと知ったのは、
車いすを余儀なくされ、
米国のリハビリ・トレーニング原書の
最初の書き出しで知ったのです。
とても大きなショックでした。体が震えました。
怖かったです。
これからリハビリで、元のような生活になるんだ!って。
この意気込みは、一遍に消失しました。
ところが、「諦めて生きる」というのは、
もう、歩けなくなった自分ではないけれど、
歩けない代わりに、もっと歩けていた以上に自分を修練し、
残された機能を鍛錬するということがresignだと、
米国のリハビリテーションの本に書かれていたのです。

まさしく、これは日本の仏教的思想の「諦観」でした。
以来、私は常に「諦観」の思想と論理を、
自分自身に言い聞かせて、車いすで生きてきました。
「神の国」には「諦観思想」があります。
米国にも同様にあるのです。
「あきらめる」=give up と言うのと、
「諦める」=resignとの大きな差異です。
私たちは自分本位であることに、
何らかの決着=諦観が、絶対に必要なのです。
「諦観」を心底にすれば、
それこそ、「神の国」には、右翼も左翼も、部落差別も、
どんなタブーすら「諦観」で全て融解してしまいます。
そして、
「諦観」が希求しているのは、
実は「希望」です。
今日本の国「神の国」の子供たちがほとんど知っています。

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司馬遼太郎氏の上記の一節です。
21世紀を生きる子供たちに、彼の「希望」があります。
果たして、21世紀に生きる大人は、
彼と子供たちの「希望」を
次世代に準備できるのでしょうか。
改めて、「諦観」からの「希望」で、
「神の国」に生を受けて存在している「使命」を、
自分自身に問い直していく日常こそ、
「諦観」と「希望」の狭間での私たちの「義務」であり、
その「義務」を果たさずして、
勝手極まりなく「権利」を求めることは、
人格を犯罪にしていると、私は考えています。
「神の国」の住人は、「諦観」が「希望」を創出するのです。


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11月24日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 24th, 2009  Posted 5:41 PM

11月24日 大安(癸酉)

時折、
私は現代の情報にかき回され、
呆然とせざるを得ないときがある。
それは痛さを忘れている
混純とした社会のなかで、
痛みとはどういうものであったのかを
思い出そうとしても思い出せないでいる
わけだ。

『デザインの極道論』いたい


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11月24日Staff Blog


   


     11月 24th, 2009  Posted 5:21 PM

11月24日

BOSS(川崎和男)のお伴は、
iPhone、iPod
(音楽やPodcast、
英語で機種分けてあります。)、
MacBook
(1台の場合はAirを、2台ならProも)と、
ジョージ・ジェンセンの薬入れ、
(教え子からのプレゼント)
そしてチュッパチャプスです。
チュッパチャプスは、
「ジェネラル・ルージュの凱旋」からの
大きな影響のようです。
BOSSは、お財布は持ち歩いていません。

機密事項の詰まったPCは、様々なケースで
カスタマイズと保護します。
かつてフランスで盗まれた経験あり、とか。
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PCケースについているキティちゃんは、
防犯ベル!
ちょっと音が小さいと言ってます。
24_b


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『資本主義からの逃走』
  「神の国は、アジアを開放したということ。」


   


     11月 24th, 2009  Posted 8:00 AM

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「明号作戦」というのが終戦間際に決行されました。
第二次世界大戦で戦後わが国は誹謗中傷を受けています。
それこそ、敗戦となった報復は
日本国内の左翼系、マスコミの一部ですら、
平然と「戦死者」への鎮魂も無く罵詈雑言です。
「靖国問題」・「教科書問題」・「慰安婦問題」、そして、
でっちあげられた「南京大虐殺」にまで及びます。
私は、こうした問題に、より知的・冷徹・平衡感覚的に、
実情を遡及すべきことが、
基本的な「愛国心」の基礎ではないかと考えてきました。

しかし、
「愛国心」・「部落差別」・「新興宗教」・「国歌」などを
戦後はすっかり、「タブー」としてきた教育には、
本来の教育思想への大きな裏切りを私は認めざるをえません。
「日華事変」と「大東亜戦争」との差異性を語った講義すら、
私は一部から「忠告」まで受けたのです。
「思想教育など行うべきではない」と。

この歴史観が私的に語られることを「思想教育」という大学人、
私はそうした連中を日本人とは思わないことにしています。
そういう大学人をいづれ論理的にも、制度的にも、
日本人学者であることの資格は剥奪すべきだと思います。

「明号」作戦は、
インドシナを欧州各国からの独立を支援しました。
そこにあった「基盤思想」は、
アジア小国それぞれの解放と独立でした。
あの敗戦間際での日本軍が果たした功績は、
決して公認もされず無視であり歴史史実は皆無です。
それどころか、明号作戦を指揮した人々は、
戦犯として絞首刑された日本軍の幹部将校たちでした。
彼らは靖国に帰国しているのです。
彼らの「アジア小国の開放」功績は、
日本の歴史には明晰に書き残し、
語り継ぐべきだと私は主張しておきます。

なぜなら、欧米宗教で押しつけられた「資本主義」、
日本人自らも「資本主義」を選んだ賢明さを、
私は、間違いでは決してなかったと確信しています。
しかし、そろそろ、
あの「明号作戦」の根底の理想主義を読み返すべき、
そんな時代に入っていると思っています。
アジアの小国、その真なる独立はまだ虚構かもしれません。


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11月23日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 23rd, 2009  Posted 9:51 PM

11月23日 仏滅(壬申)

まず自分が使いたいから、
絶対にいまいましくないモノを
設計して作って世に出す。
それを自分が使うことになる。
だから、デザイナーは
「王様のような生活に近づける」
という職能である。

『デザインの極道論』いまいましい


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