kazuo kawasaki's official blog

Archive for 2月, 2010


2月22日Staff Blog


   


     2月 22nd, 2010  Posted 8:12 PM

2月22日

BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)は
以前福井の講演で知り合い、
「龍好き」同好会を結成。
福井からコンピュータ界に、
発信している株式会社ウォンツの
どんまい鈴木さん(橋本左内を敬愛)と
ある企画の打ち合わせをしました。
福井弁での活発な会議でした。


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2月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 22nd, 2010  Posted 2:30 PM

2月22日 先負(癸卯)

私がデザインしたナイフは、
握ると
手にしっとりとフィットする
というよりも、
多少、
角張った感触が残る。

切られる方だって痛いんだ
という
メッセージをかたちに語らせる。

『プラトンのオルゴール』
花鳥風月、風のごとくデザイン


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義での自由を踏みにじっている『市場経済策略』」


   


     2月 22nd, 2010  Posted 12:00 AM

市場経済策略の意図
本来は社会主義を基本としていた中国は、
中国統一専制主義によって「中国人」を生みだしました。
「中国人」は多言語・多文化の人々を統一する総称です。
そして、彼らの社会主義は新たな「自由競争社会」に、
「市場経済主義」を国家戦略=策略としました。
社会主義の国家統制、その弱点に気づいて「南巡講話」
見事な社会主義弱点と資本主義弱点を再検討しています。
それならば、これがこれからの世界的な経済主義か?、
となると、大きな疑問が残ります。
しかし、明らかに、国家統制の計画は経済とした主張は、
中国に「開放」というさらなる「幻想」を強化しました。
そこでは、個人的能力を国家権力に集中させます。
結果、「富」の配分は特権階級には容認されていますが、
これこそ、「格差社会」を明確にしつつ、
反国家政策派は、徹底的に弾圧されます。
「自由」は、市場競争の勝者にのみ「富」の保有が、
国家的=中国共産党の容認によって保証されています。
私は、この策略主義での合理性と反民主性を、
もっともっとわが国も、検証すべきだと考えます。
計画と経済を国家的統制でのみ実現できる、
この一方的な策略=デザインの理を見つめ直すのです。
明確に、市場経済策略には、
国家権力としての一党支配による軍事力が基盤です。
この軍事力は、国際関係論でのパワーバランス力まで
市場経済論には社会主義思想を集権化しています。
軍事力はとめどなく不安な恐怖感を、
資本主義を信仰している欧・米・日には与えています。
社会主義的市場経済論を、超越するのはすでに、
経済を最重視すると国家計画政策で、
資本主義での「自由」を語る時代は終わったのです。


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2月21日Staff Blog


   


     2月 21st, 2010  Posted 7:17 PM

2月21日

19日 千葉大学 医工学シンポジウムにて、
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)の
講演が行われました。

ご来場いただきました皆様、
ありがとうございました。


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2月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 21st, 2010  Posted 9:00 AM

2月21日 先負(癸卯)

私のデザインでは
あくまでも観念として
直線的な造形を
固守していたい。

私に言わせれば、
なよなよしていたり、
優しいかのように見せかける
曲面的な造形を断固拒否する
論理になってくれるということだ。

『プラトンのオルゴール』
花鳥風月、風のごとくデザイン


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『資本主義からの逃走』
 「*貿易国策の一つがGマーク賞制度、その審査委員資格*」


   


     2月 21st, 2010  Posted 1:00 AM


Gマーク賞選定審査委員資格

私はGマーク賞のベテラン審査委員になっていました。
それから審査委員長を3年努めて選定委員を卒業しました。
17年間審査委員でした。
審査委員のベテランになったときに、
「そろそろ自分らの世代に任せてくれませんか」と、
言われたことがありました。
だから、委員長を務めて彼らに譲りました。
はっきり言いましょう。
それからのGマーク選定の「質」は、
見事に低下し続けてきました。
インハウスデザイナー=企業内デザイン現場からは、
「あいつの能力で審査なんて、応募する気もない」とか、
「素材や成型や、基本も知らない素人もいるじゃないか」
「窓際のGマーク担当は、ミラノに海外出張できるのか」
などなど、私に聞こえてくるようになりました。
「Gマーク選定の質」、
その低下は「日本のデザイン」を直喩象徴しています。
私は、60年になろうとするGマーク賞制度は、
やはり、
「プロ中のプロ」が審査すべきだと主張しておきます。
「デザインを実現したことも無い審査委員は要りません」。
「審査委員会を途中で、自分のが選ばれないから辞任」。
「デザイン評論家めいた自称・デザインコンサルタント」。
こうした連中は、「日本の貿易国策」より、
私欲優先者は関わらせるべきではない!と裁決します。
名刺に「Gマーク審査委員」と表記する者は論外です。

美しいモノとともに生きれば、
美しく死んでいくことができる。
                        岡倉天心の言葉です。

おそらく、デザイナーすべてが「日本のデザイン」は、
すでに、韓国や中国、アジア圏内で能力を失いつつある、
ということを感じていない者はいないと推測します。

もう、これまでのデザイン対象などは、
追随してくる新興国家に任せればいいのです。
「デザイン領域の拡大」を成し遂げるべきなのです。
すでに、次・次世代は「感じ取っています」。
したがって、
私は、かつて私の次世代に、
Gマーク賞制度を手渡したことを激しく後悔しています。
つまり、Gマーク賞制度の審査委員資格は、
「プロであり、デザイン対象を拡大できる才能」です。
「才能無き」審査委員を選外すべきです。


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2月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 20th, 2010  Posted 9:00 AM

2月20日 先勝(辛丑)

これをテキストにして、
私のデザインで生み出すかたちが
ある種の激しさを帯びたり、
過剰なまでの意味性を加え、
それを社会に対して
突きつけることを勇気づけてくれる。

『プラトンのオルゴール』
花鳥風月、風のごとくデザイン


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『資本主義からの逃走』
「コスメティックデザインという印象を抹消!」


   


     2月 20th, 2010  Posted 12:00 AM

デザインへの質問は収束している!
講演会でのデザインに対する質問は、
これまでの私の経験では、必ずあることに収束します。
● それは、「機能美」=機能的なことは不可欠でしょう。
● デザインはやはり「かたち」を創るんでしょう。
● しかも「格好いいこと」は機能的だからでしょう。
● その代表製品アイテムに「車のデザイン」。
● カーデザインや、ファッションデザインでわかります
● 最近では、エコデザイン、ユニバーサルデザインなどまで
踏み込んで来られる方々に、すべて「一理」あります。
したがって、私が医学博士であることや、
私が、経営から人工臓器、原子力工学の再構築、
さらには時として、
「危険物」(書けませんが)までが対象と言うのですから、
ある意味ではデザイン意味への「混乱」を
十分に与えていると自覚しています。

フランスの若いデザイナーで、
すこぶる優秀で医療ロボットや医療系抜群の子がいました。
私は、「あなたのこの素晴らしい提案はどこで見せてる?」
と、聞いたとき、
世界的にもデザインイベント最大のショーで、
と答えてくれました。
そこには、いわゆるスターデザイナーのデザインが、
デザインの核心を表現している!という大誤解があるのです。
「観衆は、興味を持ってくれる?」
「全く、全然駄目です」と。
私はすこぶる納得しました。
「食べていける?」、「全く、苦しい」。
私は断言して励まします。
大衆はついてきていないから・・・でも必ず、
「君の提案が最もデザインだよ!」と言います。
が、哀しくなります。
批判と非難を承知で書き残します。
カーデザインは
コスメティックデザインの象徴!
カーデザインを目指す学生に言います。
「車は空を飛ばないし、人を殺す」。
だから、アシモが生まれました。
航空工学や宇宙工学をやってほしい。
エコを越えるデザインのためのことや、
地球物理から生物工学をマスターしてほしい。
造船をやってほしい。
ロケットをやってほしい。
人工臓器の世界に入ってきてほしい。
もう家具や照明器具、カーデザイン程度を超えてほしい。
「それらはすでに、コスメティックデザイン」に、
成り果てているのです。
CGや3D-CAD以上のツールをデザイナーが、
すでに開発する時期が来ています。
デザイナーは、さらに「未来学」を先取りするべきです。


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2月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 19th, 2010  Posted 11:27 PM

2月19日 赤口(庚子)

ガストン・バシュラールの著作である
『空と夢』は、
風を考える上でのテキストになった。

たとえば、
優しさと凶暴、
清純と錯乱という感情の対立を、
風に託して
私的なイメージにする手法、
つまり、「破壊」と「活力」という
風の二重の激しさで
語りつくしてくれている。

『プラトンのオルゴール』
花鳥風月、風のごとくデザイン


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『資本主義からの逃走』
  「コスメティックデザインという付加価値」


   


     2月 19th, 2010  Posted 1:00 AM

Cosmetic Design
資本論的にいえば、「商品」の価値、
それも「付加価値」は、商品選別での欲望対象です。
したがって、デザイン=コスメティックとしての理解は、
資本家・企業家には好都合でした。
私は、美大の産業美術学科の工業デザイン専攻卒です。
しかし、大学時代に、デザインはコスメティックではない
ということを徹底的にたたきこまれました。
「付加価値論」の見直しも体に染みこんでいます。
ところが、インハウスデザイナーになると、
「意匠」=形態のお化粧程度にどれほど反抗しなければ
ならなかったことでしょうか。
それこそ、グッドデザイン審査委員長になっても、
デザイン系のキャリアが「付加価値」と言えば、
必ず、喧嘩を売ってました。
かなり正確な論理は、「嫌がられる存在」に、
今なお、なっています。
おかげで、「御用学者」ではありません。
御用学者を演じている教授も知っていますが。
全体価値
デザインは「全体価値」であり、
「価値」創出者の代表であるとさえ思っています。
金融資本・対・デザインの構図を明らかにするべきです。
むしろ、その使い分けは、中国や韓国は見事です。
「コスメティック価値」と「デザイン価値」の構図、
あるいは構造=関係性こそ、
今、デザイン先進国である日本が提示すべきと思います。
中国が、デザインを「設計」から「策略」や「資源」と、
書き直したのは、先んじられています。
たとえば、政治家もグランドデザインとマニフェストに
用語として多用しているのも、「付加価値論」ではなく、
明らかに「全体価値」です。
「全体価値」という茫漠さがマイナスだとも思っています。
さらに、「何?価値」=デザインなのか、ということの
決定打が不可欠です。
価値
「価値」=望ましさ+好ましさ、と考えれば、
「望ましさ」を希求し判断するのは、理性的評価です。
「好ましさ」を訴求し評価を求めるのは、感性判断です。
デザイン設計・策略・資源での「価値」設計は、
すでに、デザインの本質意味を、
わが国も再確認すべきだと考えます。
デザインが、産業の一手段ではありません。


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