kazuo kawasaki's official blog

Archive for 3月, 2010


3月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 21st, 2010  Posted 9:00 AM

3月21日 先勝(庚午)

私は結局、
十八世紀の
ガスパール・モンジュの画法幾何学が、
現代まで、
しかもコンピューターの中まで
入り込んでいることが問題ではないか、
と思っている。

『プラトンのオルゴール』
デザイン「製図」はビットの時代へ


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『資本主義からの逃走』
 「# チュッパチャプス武器論・戦術手法 #2」


   


     3月 21st, 2010  Posted 12:01 AM

ついついチュッパチャップスと言ってしまいますが、
「チュッパチャプス」が正確だそうです。
さて、チュッパチャプスの武器としての手法は、
「舐め舐め」方法が中核です。
この手法は、まず口内に飴がある状態ですから、
かなり口の中を飴が占めています。
したがって、「喋ることが困難です」。
ここに武器要素があります。
身を護る武器
まず、自分が舐め舐めしていれば、
余計な発言ができなくなるのです。
つまり、私などついつい軽く口走ってしまう発言は不可能です。
ということは、「身を護る武器」になっています。
私などは、「相手を言葉攻撃する性格」を押し留めてくれます。
チュッパチャプスは「身を護る武器」である!ということです。
そして、相手に舐め舐めさせてしまうのです。
そうすれば、対戦相手は、言葉攻撃出来なくなります。
専守防衛武器
専守防衛の武器にチュッパチャプスはなります。
ある人が教えてくれました。
プレゼンテーションするとき、チュッパチャプスを配るのです。
そうすると、みんなが舐め舐め状態なので、
発言を封じ込めることができて、
プレゼ終了時にも舐め舐めしていると、
「どうでした?」
チュッパチャプスをくわえているので、首を縦にふる!
ほんとかな?って思いますが、あるかもしれません。
なるほど、これは武器です。
チュッパチャプスを配布することで、攻撃不能状況をつくる。
「孫子の兵法」は14 手がありますが、15手目になるでしょう。
武器としての手法は、
自分を護る・対・対戦相手の攻撃を防衛する、ということです。
手法実例です。
まずクレーマーとなって文句を言い続ける、
相手は嫌な気分が全開のときに、
「これ食べない?」って、チュッパチャプスを差し出すのです。
絶対に相手は「微笑んで受け取ります」!
場面は緊張がゆるんで、「平和」が訪れます。
平和装置武器
平和装置=武器なのです。
「いらない」ってあしらわれれたら、
そんなヤツなら、もっと舐め舐めしながら、
言葉もチュッパチャプスでしどろもどろのままの攻撃は、
とても怖い状況に進展するはずです。
この手法こそ、武器の怖さは増長拡張強化されるのです。
ことわっておきますが、
私はそこまでやったことはありません。
必ず、「笑顔で受け取ってもらって」平和になります。
セキュリティチェック
チュッパチャプスは、「武器」ですが、
飛行機搭乗でのセキュリティチェックには絶対に無視されます。
これも大きな武器手法だと思っています。


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3月20日Staff Blog


   


     3月 20th, 2010  Posted 7:47 PM

3月20日

BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)の
自叙伝について
出版社の方との打ち合わせ。
出版についてはもちろん、
橋本左内のお話他、
様々な話題で盛り上がりました。


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3月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 20th, 2010  Posted 9:00 AM

3月20日 赤口(己巳)

私の先祖が描いた図面を見て、
三つ気付いたことがある。

一つは、自分の発想が
製図する紙の大きさを超えてしまった時には
紙を継ぎ足して、
自分の理想の意図の詳細を
描ききっていることである。

『プラトンのオルゴール』
デザイン「製図」はビットの時代へ


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『資本主義からの逃走』
 「#  チュッパチャプス武器論・戦術訓練は必至だ! #1」


   


     3月 20th, 2010  Posted 12:01 AM

戈+止=武
「戈」ほこづくり+「止」とめる=「武」。
ほこづくりは刀で、これを止めるというのが武器の武です。
武器というのは、戦いを止めるというモノを示しています。
だから「武器というのは、あくまでも抑止力」になる道具から、
装置・原爆までが「戦争をしないためのモノ」なのです。
平和実現装置と考えるべきでしょう。
だから、私が「チュッパチャプスは武器になる」と、
宣言したので、その背景・手法・結果・考察・展開を述べます。
ジェネラル・ルージュの凱旋
背景は、「ジェネラル・ルージュの凱旋」という映画でした。
New Yorkから帰路の飛行機で見ました。
そして、「これだ!」って思ってから、試していくうちに、
「こんな使い方もある」って教えられて、
とうとう「武器論」としてまとめておこうということです。
「ジェネラル・ルージュの凱旋」は、
救急病院で、一人の医師が徹底的に贈収賄を重ねて、
病院の救急体制を完備していく話です。
是非、観てください。
主人公を演じる堺雅人がたまらなくチュッパチャプスです。
なぜ、結局、チュッパチャプスも収賄していたというのが、
この映画のオチになっています。
つまり、自分を徹底的に「横柄さ」を演出するのに、
チュッパチャプスをくわえて舐めている、
これが、私にピーンときたわけです。
「そうだ!・気に入らん相手を舐めている道具に最適だ!!」
これを舐めていることで、
相手への怒りや攻撃性を自分に「抑止」しています。
相手は、チュッパチャプス舐め舐めしていたら、
私なら「激怒」します。
「なんだ!その態度は・・・!」ってことになります。
ところが、最近は、そんなことにも鈍感なのか、
あるいは、揉めたり、関係悪化を穏やかに、っていう風潮です。
関係悪化なんて、揉めたらいいのです。
敵対したらいいのです。
そこから、「仲良く」が、潔いのです。
みんな「ペルソナ」(仮面)を被っていて、
本音を対決させない・・・これの方が気持ち悪いのです。
だから、チュッパチャプス舐め舐め態度は、
武器をちらつかしているのです。
映画でこんな場面がしばしば登場します。
いきり立っている連中に、「お前ら馬鹿だ」って、
舐め舐め態度は、チュッパチャプスが武器なんです。
舐め舐め態度は、「馬鹿づら」でありつつ、
本当は、きわめてしたたか=知性がありました。
訓練
堺雅人の演技をなんとしても「練習」=訓練が必要です。
場面は「精神戦」です。
これを背景とします。
この「精神戦」の武器が、まず、チュッパチャプスです。


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3月19日Staff Blog


   


     3月 19th, 2010  Posted 10:06 PM

3月19日

本日はweb放送の『覚悟の瞬間』の
取材をお受けしました。
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)の
生い立ち、学生時代、東芝時代、
そして現在にいたるまで、
様々なお話を撮影いただきました。

今回のテーマは「覚悟の瞬間」。
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)にとって覚悟の瞬間とは。
近日公開予定です。乞うご期待を!



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3月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 19th, 2010  Posted 8:38 PM

3月19日 大安(戊辰)

私は自分の祖先が、江戸時代、
享保年間に描いた図面を持っている。

宮大工から私の描く図面に、
私の血の中の何かが
流れているというのは幸運なことだ。

『プラトンのオルゴール』
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『資本主義からの逃走』
「コミュニケーションとサービスを誤解した経営学」


   


     3月 19th, 2010  Posted 4:21 AM

Communication
コミュニケーションは、「お互いに分配し合う構造」です。
そして、サービスが宗教用語から変遷してきたこと、
それはとても重要だから前述しました。
とりわけ、ビジネスモデルには、この二つの言葉はキーワード。
さらにコンセプトになっています。

しかし、コミュニケーションを単なる「伝達」と片付け、
サービスを「奉仕」と訳して経済用語としたときから、
大きな混乱を看過してきたことは間違いありません。
まさに、コミュニケーションが大事だとか、
サービスに徹するというかけ声は「こだま」しているだけです。
お互いの分配構造は、何をどう納得しながら分配できるのか、
そのお互いの権利と義務のやりとりが善意は原点です。
コミュニケーションが大事というなら、
その性善説が前提となっているのかどうかが前提だと思います。
しかし、現代は性悪説がまかり通ることが当然という
そんな風潮があります。
Service
まして、そこにサービスが付着すると、
損得勘定にもコミュニケーションの分配構造が利己的傾向は、
格段に大きくなってしまうと私は不安です。
デザイナーゆえの「綺麗事」で言えば、
「伝達」+「奉仕」=利他主義への絶対的確信であり、
「伝達」+「奉仕」=自己犠牲だと断言もできます。
大損しても、利得は皆無でも、「善」であることへの勇気は、
コミュニケーションとサービスへの覚悟でなければなりません。

具体例を教育から求めてみます。
教育がサービス産業であるわけがないのです。
教育はコミュニケーションサービスです。
教育は、教える方が教わるという分配構造が強固な伝統行為。
教育はサービスコミュニケーションです。
教育は、次世代への奉仕であって、その奉仕が世代を連鎖系化。
経営学は介入不可能
この実例に「経営学」は介入不可能であることを、
今一度、再確認すれば、サービス対価はベネフィットです。
コミュニケーション対価という分配構造は収益構造には、
決して成立不可能であると考えています。
コミュニケーションとサービスは「経営」=儲け方には、
近接することは決して出来ないのです。
だから、私は大きな誤解があると主張しておきます。
この発言はあることへの序論です。この実例に「経営学」は介入不可能であることを、
今一度、再確認すれば、サービス対価はベネフィットです。
コミュニケーション対価という分配構造は収益構造には、
決して成立不可能であると考えています。
コミュニケーションとサービスは「経営」=儲け方には、
近接することは決して出来ないのです。
だから、私は大きな誤解があると主張しておきます。
この発言はあることへの序論です。


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3月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 18th, 2010  Posted 11:50 PM

3月18日 仏滅(丁卯)

製図の技は、
三次元の立体イメージを
ハードラインで正確に二次元に
表現することである。

そして、その製図を読み取った結果を、
モノとして現前化=プレゼンスする。

「イメージ=バーチャルな世界と
プレゼンスリアリティをつなぐ」
メディアが図面にほかならない。

『プラトンのオルゴール』
デザイン「製図」はビットの時代へ


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3月18日Staff Blog


   


     3月 18th, 2010  Posted 4:45 PM

3月18日

17日、
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)は
京都相国寺承天閣美術館にて開催された、
ケータイ国際フォーラムの
パネルディスカッションに出演しました。

講演では、
クラウドコンピューティングから
これからのケータイ「COOL PHONE」の
到来を予知する内容で、
盛況の内に終了致しました。

お越しいただいた皆様、
ありがとうございました。


「COOL PHONE」の説明画面


ディスカッションの風景


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