kazuo kawasaki's official blog

Archive for 5月, 2010


『資本主義からの逃走』
「 iPadを見つめて、かたち・きもち、そしていのちへ」


   


     5月 20th, 2010  Posted 1:11 AM

いのち
このところ私は、自分のデザインでも無いモノについて、
論理展開など無関係なスケッチ的エッセイを書いています。
というより、「吐露」していると受け取ってください。
20世紀、ほぼ50年を共時しました。
おそらく、自分の生涯は、20世紀後半から、
2049年(この時100歳)までの「いのち」を考えます。
この歳まで生きられるのか!なんてことも、
「憎まれれば」ですから、確実かもです。
ともかく、私はデザイナーという職能で生きてきましたから、
「かたち」を創ることを最も目指してきたことは自負できます。
そして、「かたち」・「きもち」・「いのち」という言葉に
自分の観念も概念も入れ込みながら、「形態」にしていくことでした。
様々な「形態」をデザインしてきました。
当然、自分のデザインしたモノが、何ゴトかに連続していったり、連鎖すること、
こうしたことは自分で語るコトは充分に可能です。
しかし、「時代を革新する」という明確な認識のモノについても、
語る義務があると考えてきました。

ささやかな義務とささやかな権利
それは、「創る」、「デザインする」という姿勢を保持しているからこそ、
それを義務と考えることにしているのです。
なぜなら、職能義務を尽くしきることに徹する姿勢や態度に懸命であれば、
必ず「何らかの権利」が「与えられる」ことを経験してきたからです。
今夜は、iPadをデザインしてきた人物自身から、
デザイナーとして、iPadでのスケッチ、その最良の方法を聞くチャンスがありました。
それは、私が危惧、つまり自分はその手法をマスターできないかもしれない、
そんな想いをいっぺんにかき消してもらえたのです。
つまり、そんなことを聞ける権利が手に入ったということです。
明らかに、「現代」は、まさに「今日」は必ず「明日」に繋がってほしいのです。
そして、明日は今日よりも素敵な1日であってほしいのです。
iPadの「かたち」で「きもち」がどう動くのかということでしょう。
サクサクと動くのか、
ザワザワと動くのか、
・・・・と動くのか、ということが「大切」なコトです。
たかだか、その程度の義務で、
スケッチの描き方の権利を大仰にと思われるでしょう。
しかし、デザイナーとしての「きもち」は、
そんなささやかなコトが私の「いのち」に直結しているのです。
確実に、新たな体験として、iPadでスケッチを描ける自分になること。
その「きもち」が、これからの「いのち」を日常支えてくれるでしょう。


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5月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 19th, 2010  Posted 1:36 PM

5月19日 先負(己巳)

想像図を透視図で描く時、
消失点が希望であり夢でなければならない。

透視図に描かれた世界=視界は未来である。
未来の社会あるいは時間である。

『プラトンのオルゴール』
デザインは見識と良識の投影


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『資本主義からの逃走』
「iPadが加速させる新たな情報化・Revolution」


   


     5月 19th, 2010  Posted 2:02 AM


私の世代=団塊の世代(嫌いな言葉ですがその世代なので)は、
大学時代、「革命」を目論もうとしていた連中がいました。
しかし、私はまったく無関係どころか、
そうした連中を、若さに任せて見下していました。
むしろ、スキー・ロッククライミング・拳法が面白いし、
それ以上に美大生としてのトレーニングと読書を好んでいました。
「好きだ」というのは、「中心、之を好む」ですから、
心の中心には、常に、美大生学生時代そのものが鎮座していたのです。

革命
さて、「iPadは革命か?」という質問が、米国でも相当の話題だったそうです。
それは、「ボブディランの登場が革命だった」というある記者から、
直接、AppleCEOジョブスに向けて発せられたそうです。
彼は、「革命が解放を意味するなら、そうだ」と直答したという話です。
私は、「革命」というのは、まさしく東洋の伝統的解釈を当てはめても、
iPadはやはり「革命」でしょう。
なぜなら、
「革命」とは、
「革=皮革をピィーンと張って、刃物を入れる」ことに繋がっていると判断します。
情報時代は、あらゆる領域、科学・芸術から産業、経済、
そして国際関係がピィーンと張ってあるほど緊張しているとすうならば、
明らかに、その刃物となるモノ、それがiPadだと言うのは言い過ぎかもしれません。
が、私は、確実にパソコンやノートPC、ケータイ、インターネットなどを
ピィーンと張ったモノの体系、
ネットワークの体系とすれば、この体系に対する刃物だと思います。

大切
刃物というのは、確かに「切る道具」ですが、
これは具体的なモノの存在にすぎません。
そして、概念世界では「刃物=道具」でしょう。
しかし、
観念の世界では、明らかに「切る」という行為が示すことは膨大なのです。
刃物偏が入って漢字は、第一水準漢字ではおおよそ68文字(記憶で曖昧)あります。
創・作・武・製・制・初・切・などなどです。
iPadで「切り込み、創る」ことは、大事であり、
それを見透すことが「大切」になっていくことこそ、
「観念世界での革命=Revolution」でしょう。


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5月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 18th, 2010  Posted 4:33 PM

5月18日 友引(戊辰)

時代や社会は人それぞれの空間意識と考える時、
透視図は視覚的な認識を超越した
思考手法であると考えることができる。

『プラトンのオルゴール』
デザインは見識と良識の投影


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『資本主義からの逃走』
「iPadが加速させる新たな情報化・Procedure」


   


     5月 18th, 2010  Posted 1:15 AM

昨日、以下を提案しました。
● おそらくその意味の拡大で、
元来のモノの名称そのもののイメージが変わってしまうことです。

iPadで変態する
たとえば、Note・Album・Book・Penこの四つです。
本来のモノの意味から、「情報化」されて意味は変貌しています。
かつてのAtomではなくて、Bitになってしまっているのです。
ノートとNoteはもちろん異なっていますが、
iPadの中で、また変貌というより変態するのです。
iPadアプリケーションとしてのNoteも様々な形式が生まれてきました。
これは明らかにAtom系のモノから「概念」の「隠喩」として、
Bit系では「コンセプト」の「メタファ」に変換しているのでしょう。
「概念」は「コンセプト」に非ず、
「隠喩」は「メタファ」に非ず、
つまり、非ず非ずとは、
AtomとBitを「道断」している観念の形態を手に入れようとしているのでしょう。

記号by道元
あらためて、「記号化」を読み直すとき、
ここには「手続き=Procedure 」を見つけ出す必要があるのでしょう。
私は、iPadを「リトマス試験紙」だ、と断定しました。
iPadのアプリケーションとの「手続き」によって、
「道断」=非ず、言わずの観念世界を自己の中で、
拡張と拡大をしてみるべきだと提案しておきます。
簡潔に言うならば、
自分とこのボード一枚の中にある、
新たなNote・Album・Book・Penから創造手続きに入るのです。
そこから自己表現の「手続き」を開始することができるものと判断しています。
特に、「創造的な世界と自分」は「道断」=非ず、言わずと言い切った観念世界です。
この観念世界を「記号」と名辞したのは道元だったのだと改めて理解できるでしょう。
iPadを目の前に置くとき。


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5月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 17th, 2010  Posted 11:50 PM

5月17日 先勝(丁卯)

デザイナーは最初に
想像図を描くことから、デザインを始める。

それは、想像したモノを
透視図に配置することである。

『プラトンのオルゴール』
デザインは見識と良識の投影


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5月16日Staff Blog


   


     5月 16th, 2010  Posted 10:57 PM

5月16日

様々な精度、サイズがある人体模型。
専門的な模型から知育玩具まで見る
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)

これは、8才から対象の玩具です。


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『資本主義からの逃走』
「iPadが加速させる新たな情報化・ラングが変わる」


   


     5月 16th, 2010  Posted 10:54 PM

Appleが変える歴史
iPadが登場してきました。
またもや、Apple社からの提示です。
1977年Apple?、そして1984年Macintosh128k、
1991年から1年半コードネーム・Popeye(実機が東芝にあります)
私自身がディレクションに関わりました。
2007年 iPhoneによってSmart Phoneが登場。
私は、iPhoneで21世紀はやっと始まったとどこかで書いたことがあります。
さて、先日、2010年5月2日にiPadを手に入れてから、
このパネル一枚にとうとう次世代クラウドと呼ばれるNetworkSystem、
それ以上の「進化」が始まる予感がします。
私のiPadは、Appleの日本人デザイナーN氏の奥様が
ご帰国の時に持ち帰っていただきました。ちょっと何だか自慢です。
無論不満は、私がこの発表と同時だった「COOL LEAF」新素材だったら、
もっと形態的には絶対に未来的だったと確信しています。
前置きが長くなりましたが、当然、アプリケーションには、
「アイコン」=ピクトグラムが象徴的な記号になっています。
この記号は、視覚的概念ですが、果たして?と考えざるをえません。
また、私自身がiPhoneアプリも3つ開発し販売しています。
この開発の時から、アプリケーションが「コンテンツ」ではなくて、
「コンテクスト」と「シンタックス」だと結論づけてきました。
この体験から、「コンテクスト」と「シンタックス」は、
三つの手続き・Procedureがあると考えています。
Procedure
まず、アプリケーションは「何をソフトウエア」として必要なのだろうかと考えます。

● 1 これは会話=パロールなのです。
  つまり、これまでの会話で、対話する者たちだけが理解しあえる
  「言葉」が必要なのです。

● 2 その「言葉」が一般化する必要があります。
  一般化するというのは、ユーザーが増えていき、
  パロールで語られた言葉の意味が拡大してしまうことなのです。

● 3 おそらくその意味の拡大で、
  元来のモノの名称そのもののイメージが変わってしまうことです。

たとえば、私の世代は、たとえば「切符」という言葉がありますが、
今ではこの言葉はすっかり「チケット」に変わっています。
なぜ、「切符」が「チケット」に変わってしまったのでしょうか、と考えます。
なぜなら、「チケット」は「エチケット」からの意味=contextを持っています。
したがって、私は、iPadアプリケーションで、次のような言葉の意味が必ず変化、
いや変貌、変質、変態するのではないかと予測しています。
Note・Albam・Chart・Matrix・Book・Graph・Draw・Mailなどなどは、
パロールからラングとなって、元来のcontextから離脱するでしょう。
ラング
ラングというのは、
「辞書」にやがて掲載される「定義化されて社会的な認識が決定された言葉」です。
そして、ラングとなれば、言葉の由来がここからまったく変わるのです。
それは、時代の進化であるとともに、経済活動すら変態させると考えます。
経済活動の変態は、それこそ、資本主義経済すら変質させるはずです。
iPadは「リトマス試験紙」になっています。
これを見て、「未来を見通せる知恵」が試されるのです。


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5月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 16th, 2010  Posted 9:00 AM

5月16日 赤口(丙寅)

考えるとは、
老人が杖をついて
たたずんでいる形象である。

老人のごとく経験や知識に身を任せて、
ともかくたたずむことである。

『プラトンのオルゴール』
あとがき


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『資本主義からの逃走』
「手旗信号、モールス信号、子供の頃から現代まで」


   


     5月 16th, 2010  Posted 12:01 AM

モールス信号
子供の頃に、手旗信号をいわゆるガキ仲間でマスターして遊んだことがあります。
モールス信号は、父が教えてくれました。
そして、当時市販の通信セットを組み立てました。
これは、覚え方があったのです。
イ=Aは、 「・ー」で、A、イ、トー
ロ=Bは、 「ー・・・」Bー、ロージョウ
ハ=Cは、 「ー・ー・」Cー、ハー、モ、ニー、カ
などや(正直もう忘れています)、
Twitterでoctopusoctobus さんからは、
A=イ「アロー=イトー」
B=ハ「ビークラス=ハーモニカ」
C=ニ「シーノコース=ニューヒゾーカ」懐かしいと教えてもらいました。
肝心なのは、SOS=Save Our SoulsまたはSave Our Shipで
「SOS=・・・ーーー・・・」です。
これは、私の「緊急発進ラジオ・東京ラリア」という作品に表示して、
笛の拭き方を示すのに利用したことがあります。

手旗信号
手旗信号は、最近、映画「剣岳」でそのシーンを見て、
「僕は出来るんだぜ」って言って、
カタカナ表記を両手で表現するのをワイフに見せて、自分では自慢していました。
ワイフは「フーン」って言われただけでした。女にはこの凄さわかんないんだ!
さて、人は、遠くにコトの次第を通信するのに、
「のろし」や「手鏡」や、手旗信号、モールス信号などを発明してきたのです。
RadioやVideoの意味も、「遠くの音を聴く」、「遠くのものを見る」ですから。

ピクトグラム
記号では、「ピクトグラム」というのがあります。
無論、大学時代に基礎を学びました。
ちょうどそのとき、大阪万博で「サイン」と呼ばれるピクトグラムが発表。
会場のポイント表示がされたのです。
今では当たり前の、たとえば「トイレ」のサイン、
大抵は、青い人のかたち=男性で、ピンク赤の人でスカート=女性です。
ところが、当時、これが日本人にはまだ不明だったのです。
だから、「便所」とそのサインの上に貼りだしたという話が残っています。
私は、上海万博で、とてもおしゃれなサインがデザインされているのを見て、
これが「中国の現代化」を象徴していると思いました。
もちろん、各国の空港には、このピクトサインが架かっています。
だから、目新しいモノや、
ピクトグラムのデザインで優れているものを見つけることは楽しみであり、
必ず写真に撮ります。
特に、障がい者向けやいわゆるユニバーサルなデザイン表現は、
自分のデザインテーマでもあるのです。

情報の記号化と信号化
このピクトグラムが、パソコンでは、「アイコン」になっています。
そして、この「アイコン」という記号、情報の記号化は、
いわゆる情報のメタファーや、情報のアフォーダンスから、
さらに、記号が信号化していく進化が望まれているのでしょう。

記号の信号化
信号の記号化
目の前にiPadがあります。
さて、「写真アルバム」と言われている写真が上積みになった「表現された記号」は、「アルバム」という名称が、もはや、「変更を余儀なくされています」。
すでに、記号化された信号と、信号化された記号には、
新たな名称が求められているのでしょう。
そしてこれが、
記号化された信号と信号化された記号、こうしたことを融合と統合する、
「新たな文化」創出の時代に私たちは直面しています。


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