kazuo kawasaki's official blog

Archive for 11月, 2010


11月30日Staff Blog


   


     11月 30th, 2010  Posted 5:24 PM

11月30日

KAWASAKIつながりで、
いただいたストラップ。
“My company”と冗談が効く
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
KAWASAKIは
世界に知られている名字です。


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11月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 30th, 2010  Posted 10:00 AM

11月30日 仏滅(甲申)

文学とは、
文章博学ではなく、
本来はこの恋愛という
人間関係のレトリック(修辞法)、
あるいは
メタファー(隠喩)、
アポリアの組み合わせが
基本なのかもしれない。

『デザイナーは喧嘩師であれ』会者定離


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『資本主義からの逃走』
   「やはり「かたち」に、これがデザインの鉄則」


   


     11月 30th, 2010  Posted 12:00 AM

「デザイン=かたち」
私はデザイナー、死ぬまで言い続けるでしょう。
そしてデザインしたモノに「かたち」を与えます。
必ずや、「デザイン=かたち」の世界観に自分の存在があります。
しかも「かたち」という「カタチ」はありえないことが肝要です。
知覚から認識
「かたち」はまずは視覚化が大前提です。
次に「触覚化」できれば、見て触って確実に知覚できます。
知覚によってこそ、認識できるわけです。
私は、「聴覚のためのモノづくり=機器デザイン」から、
デザイナーという職能家になりました。
若いときには、「聴く・聞くカタチ」があってほしい。
それは音楽というかたちでは無いモノを追いかけてきました。
そのおかげで、「きく・かたち」=聴覚という知覚を体験する幸運に恵まれ、
今なお、いわゆるHi-Fi機器で日常生活を包み込んでいます。
だから、Hi-Fi機器には、ほとんど他人には分かってもらえない領域や機器世界観があります。
この世界観と生きてきたことも最高の幸せに恵まれていると思っています。
したがって、見る・触る・聴くカタチが「かたち」には在ると確信しています。
知覚・認識という実感は
ということで、突然、電話、それもケータイデンワのかたちを取り出すことを思いつきました。
その知覚性が認識に至ることは、現在の大きな「かたち」認識のことにつながっています。
ともかく、このことを厳密に熟考すれば、
大変に重大なことを知覚・認識、すなわち「人間として生きている実感」、
その世界観に至るだろうと予想するのです。
結論を急ぎたいのですが、
とても大変に大きな誤解を文意に書き残しそうなので、ここまでとしておきます。
結局は、「デザインするかたち」と「かたちとしてデザイン」されたこと、
どっちが先かということでもあるのですが・・・。


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11月29日Staff Blog


   


     11月 29th, 2010  Posted 10:51 AM

11月29日

大阪にて、
金沢美大工業デザイン専攻
72年卒生の関西周辺在住メンバーにて
同窓会がありました。


BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)も、
参加@堂島ホテルです。


サプライズで、
40年前の課題提出レポートが
返却されました。


課題は、
「塗膜に対する防蝕効果の実験」でした。


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11月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 29th, 2010  Posted 10:00 AM

11月29日 先負(癸未)

現実や過去よりも、
未来を見つめて生きていたい。

いつでも未来の中にいる
自分を想像し確認する。

そのための収集趣味は
重要だと納得している。

『デザイナーは喧嘩師であれ』収集数奇


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『資本主義からの逃走』
   「鶏卵の喩えこそすべての問題です」


   


     11月 29th, 2010  Posted 12:00 AM

二項目対峙の問題
鶏が先か、卵が先か、
これはものごころついた時から、
いつもこの問題に人は直面するでしょう。
ただし、明確に、鶏と卵という視覚的に区別がついて、
順位的なことでの先行、後行(この言葉はないかもしれない、後攻かも)なら、
とりあえず、科学的であれ、常識的であれ、喩え話的であれ、それなりの決着はつけられます。
そこで、たとえばもっと具体的に対峙事項の問題を挙げれば、
 ・軍事的な抑止力として、原爆の保有問題から、
 ・ハードが先か、ソフトが先か、
 ・心が先か、体が先か、
 ・メディアが先か、ツールが先か、
 ・男が先か、女が先か、
 ・観念が先か、概念が先か、
・・・・・などなど、
ともかく二項対峙となる項目は「鶏卵の喩え」にして考え込むことができます。
しかし、二項が裏表になっていたり、経過が逆転したりということがあります。
変位・変異・転移
ともかく私は、こうした二項には、
「変異点」や「変位点」という「点」(=ポイント)的な思考逆転やイメージ転回があると考えす。
さらには「転移性」が認められれば「質的変換」まで起こります。
なぜ、私がこのようなことをことさらに意識しているかというのは、
自分の「変位・変異・転移」があったからです。

 ・「歩いていた私が、歩けない私」という変異です。

ことさら日常的には、景気の変動から病変などまでに、
こうした現象を実体験したり、あるいはイメージ=想像力の中でシミュレーションも可能です。
このイメージを強化してくれることこそ、
実は問題解決の大きな手がかりになるとさえ思っているわけです。
やっぱり鶏卵の喩え
大学3年当時の実験レポートを再度見ることができました。
すでに忘却していましたが、デザイン技能習得の実験レポートです。
明らかに、あらためて「二項対峙の問題」、
その解決のために「視覚的・科学的」検証からも、
「鶏卵の喩え」がどれほど重要かを識ることができました。


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11月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 28th, 2010  Posted 10:00 AM

11月28日 友引(壬午)

収集について、
ボードリヤールが一言で定義してくれている。

収集するとは、
何が無いかを一番知ろうとする欲望だ、
というわけだ。

『デザイナーは喧嘩師であれ』収集数奇


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『資本主義からの逃走』
   「いつまで会えるのだろう・大学時代同窓会」


   


     11月 28th, 2010  Posted 12:09 AM

大学卒業後39年
関西にいる金沢美大時代の同窓会。
来年で卒業40周年になるという年代です。
全員が工業デザイナー。
幸いなことに工業デザイン専攻30名は全員がデザイナーになりました。
すでに還暦も過ぎました。すでにほとんどがリタイア。
企業の顧問・アドバイザー、大学の産学コーディネーターなど10名の宴でした。
恩師3名、同級生2名、級友の奥様1名への黙祷をしてから同窓会をスタートでした。
まず、禿げが皆無は自慢かも。なぜならこれはクリェイティブ職能の基本という単なる風評ゆえ。
メタボもやや一人でみんなから冷やかされつつも、職能的には若く見えることを確認できました。
母校から、3年次課題の「塗装・塗膜実験レポート」が届きました。
すっかり忘れていましたが、厳しかった「塗装技能習得の実験レポート」を互いに見せ合いました。
なるほど、そうか、ここまで徹底した教育を受けていたとあらためて感心しつつ、
私自身のカリキュラムには組んでいないことをやや反省です。
カーデザイナー、オートバイ、自転車、インテリア、建築素材、プラスティック関連、
それぞれの「専門的工業デザイナー」です。日本の名作デザインもいくつか生み出しました。
すでに経営陣側や退職後も顧問やアドバイザー、フリーランス。
私にとって、高校時代と大学時代の同窓は「宝物」です。
来年は金沢に全員集合を約束、恩師も交えてということになり、両手で握手をし合い別れました。
あと10年は会えるのだろうか、と考えました。
あと10年か
私は、3度、重篤を経験しています。そのことを思うと、明確に近づいている「死」を認識します。
確かに「生老病死」という人間の生涯が掌に乗っていると思います。
1972年、社会に出て以後、
工業デザイナーとしてそれぞれが貿易立国を支える工業製品のデザインをしてきました。
これからの「時」を考えれば、ある意味では日本の「いい時期」に巡り会ったのかもしれません。
確実に、「プロをめざした4年間の仲間」がいることは幸運であり、幸福だったのでしょう。
彼らとあとどれほど会える時間があるのだろうと考えさせられました。


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11月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 27th, 2010  Posted 10:00 AM

11月27日 先勝(辛巳)

毎日がいつでも
刺激的であるはずがない。

毎日が楽しみの
連続であるはずが無い。

しかし、
平々凡々とした日常で、
知ということを
どのように追い求めていけば
常楽になるのかを
考えなければならない。

『デザイナーは喧嘩師であれ』知延常楽


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『資本主義からの逃走』
   「鶏卵の喩え・まったくの私論」


   


     11月 27th, 2010  Posted 12:05 AM

鶏が先か、卵が先か
後漢の時代の宇宙論に鶏卵の話があります。
あるいは、遺伝子学的な鶏卵の話があります。
つまり、「鶏が先か、卵が先か」という話です。
上記二つの話は、それぞれの成り立ちがありますが、
私は私論として、どちらが先か、というのを
ひとまず「鶏卵の喩え」という具合に考えることにしています。
実に当たり前の話を持ち出せば、
「親子どんぶり」はどっち?、というようなことも、
考えれば考えるほど結論は、人ぞれぞれに「鶏卵の喩え」になります。
鶏肉から先に食べるか、卵とじのご飯を食べるかというような話です。
遺伝子的には、一応は「卵が先」だったという話があります。
さて、私はこの「喩え」を応用して考えることにしています。
ハードが先か、ソフトが先か
実例を一つ上げます。
「ハードが先か、ソフトが先か」という問題提起は、
まさしくこの「鶏卵の喩え」になります。
私が実体験、デザイナーという立場では、どうしても結論は、
「ハード」です。「ハードがあってソフト」という体験が多かったからです。
ところが最近は、ソフトが先かもしれない、と考えるている自分にハッとすることがあります。
特に、具体的には「医療機器というハード設計」にあたっては、
ソフトを十分に知り尽くさないとハードのデザインに向かえない経験が増えてきました。
とりあえず、これまでは「ハードがあってソフト」、
この結論が崩れだしてきているということを書きとどめておきます。


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