kazuo kawasaki's official blog

Archive for 11月, 2010


11月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 9th, 2010  Posted 10:56 AM

11月9日先勝(癸亥)

「個性が大事」などと
口先だけで言うのは、
もういい加減にやめたほうがいい。
何も実践できなかったのだから。

『デザインの極道論』量感


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『資本主義からの逃走』
   「一極集中・東京が引き込んだ失策」


   


     11月 9th, 2010  Posted 12:00 AM

地方の時代
日本、それは東京でした。
地方は消えていました。
結果、国際的なすべての情報発信も東京。
一度、ふるさとでデザインしていた私には、
東京はパスポート無しの海外都市だったのです。
「地方の時代」が叫ばれたのも80年代初期だったと記憶しています。
同時に、ローカルからグローバリゼーションが、
地方活性化策にはなったが、せいぜい、地方都市が、
姉妹都市関係を結ぶ程度でした。
国策としての地方都市からのグローバリゼーションは、
地方の青年会議所が視察しているだけと私は傍観していました。
グローバリゼーションは、あくまでも行動的な企業に限定されていたと思います。
では、東京がグローバリゼーションに成功してきたのかとなれば、
これもバブルとともに終焉し、
今や、東京が国際的なローカル都市になりつつあるのです。
まして、地方都市にグローバル化の政策は無いにも等しい。
グローバリゼーション
私は、グローバリゼーションとは、観光都市になることでもないのです。
端的には、グローバリズムの中心が何かを突き止めることであり、
それは、経済至上主義の流動性でしかないのではないかと思います。
何がグローバリズムかは、世界全体が見失っていると判断します。
だからこそ、グローバリゼーション・グローバリズムへの国策は、
産業経済、景気循環、これらの流動性=虚構性そのものを、
情報空間とあらゆる領域での「ホスト国」・「ホスト地方都市」、
その条件整備をデザイン=策略化の創出、
この制度的機関すら整備されていないという問題が明白となってしまっているのです。
一極集中していったことで、東京そのものがローカル都市化を引き込んでいます。


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11月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 8th, 2010  Posted 9:30 AM

11月8日赤口(壬戌)

自動車ディーラー、
ガソリンスタンド、
コンビニ、
ファミリーレストラン、
どれもこれもマニュアルどおりに
設計されていて、

この「画一性」は
本当に美しくない。

『デザインの極道論』量感


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『資本主義からの逃走』
   「東京一極集中は『情報空間の進化』で変容する」


   


     11月 8th, 2010  Posted 12:00 AM

一極集中・東京
集落は都市と地方に分化しています。
都市=都と地方=鄙、この分化も裏表があります。
ただしこの裏表は明確ゆえトポロジー性の判断はまだ不可能です。
トポロジー性とトポロジー的は使い分けなければならないでしょう。
あらためて記述していくつもりです。
都市についてわが国は東京であり、全国地方は鄙になっています。
東京=都、この一極集中に限定されています。
「地方の時代」というアジテーションはまさに木霊したままです。
私は地方の崩壊は、第一次産業と呼称したところでの産品、
農産物・海産物への政策介入が巨大かつ専制的だったからだと判断しています。
現代、わが国はすべからく第三次産業が拡大しています。
敗戦トラウマ
そして、資源の無い貿易立国で生きなければならない日本の宿命は、
次の二点です。
ひとつは一極集中化はそのまま人口の偏在化につながり、
まさに第三次産業にも集中していることです。
そして、この集中化は地方においても同等の傾向があります。
もうひとつは、新たな産業化・業態の変化に東京も地方も無自覚であり、
意識改革は政治政策よりも企業政策に依存し過ぎていることでしょう。
この傾向に配置され続けてきた大きな政策には根本的に「敗戦トラウマ」が残存していることです。
東京のローカル化・グローバルという虚構
かってわが国の社会構造は、ドイツ的集落構造の呼称が見事的確だったと思います。
ゲゼルシャフトとゲマインシャフトでした。
しかし、本場ドイツにおいても、この集落構造は分断と分化が起こっています。
これはまさしく、資本主義の急変そして崩壊と連鎖しているように私には思えてなりません。
この言葉は今や、ローカルとグローバルに飲み込まれたと考えるべきでしょう。
私は、一極集中の東京は地方都市でもその相似形が派生していることに、
ある種この問題解決のヒントがあるとイメージしています。
それは、日本そのものがローカルとなりグローバルがどこなのかはまさに虚構です。
その虚構は「情報空間」に集中、いや収束していると再考しています。


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11月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 7th, 2010  Posted 9:30 AM

11月7日大安(辛酉)

右翼を自称する私も、
できることなら今後の人生を
海外で過ごしたいと思ってしまう。

理由は簡単だ。
日本という国家の行政や
日本人という民族性がすでに
崩壊してきているからである。

『デザインの極道論』量感


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『資本主義からの逃走』
   「虚構と現実の変換はあたかも『トポロジー』」


   


     11月 7th, 2010  Posted 12:00 AM

抽象的レトリック
トポロジーという概念があります。
本来は数学論、その数学術語として生まれました。
数学という抽象論であるがゆえに、
この概念は他の学域に概念の応用が起こります。
概念の応用は、観念論にも文学的なレトリックになっていきます。
レトリックの中心課題となる言葉は、学域毎に意味の拡張が起こります。
とりわけ文学的なレトリックが哲学的な表現に応用されると、
その中核的な原意が多様的な変更と核心的な原意の強調をするものです。
しかし、抽象的レトリックとしてのトポロジー用語使用を徹底したときに、
この言葉の数学的意味をさらに深度が生まれることを見逃すことはできません。
数学術語は三つのアプローチ
私は歴史史実・編年体的な遡及によって、虚構が現実に転換するのは、
あたかもメビウスリングやクラインボトルの視覚的なパターン認識することができます。
このことを明確化したのはハイデッカーでした。
私は、トポロジーという本来、数学術語は三つのアプローチがあると考えてきました。
まず、概念としては、数学的な視覚性と哲学的なレトリック性です。
さらに観念としては、問題解決手法の手続き用語です。
現在は、コンピューターによって、
虚構性・虚構的な観念を現実的・現実性として視覚化可能であり、
なおかつ、トポロジーのような存在を見つめることすら可能になっています。
メビウスリング表皮の裏表
これまで、歴史・編年体としての史実が虚構と現実との転換・変位・反射・写実などは、
1800年代に様々な局面で多発していたことを陳述しました。
特に、「資本論」の虚構性、すなわち、理想性・幻想性・妄想性でした。
もし、レトリックとして再思考するなら、理想的・幻想的・妄想的な思考と現実の対比です。
すなわち、虚構というイメージから現実に転換するデザイン、
そのもののトポロジー的あるいはトポロジー性を、
特にデザインの視覚化手法で捉え直すことはいまだに出来上がっていないということです。
具体的に例示すると、
ヒーローとトリックスターはあたかもメビウスリング表皮の裏表、
どちら側に存在しているかを見つめているようなものです。


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11月6日Staff Blog


   


     11月 6th, 2010  Posted 9:30 AM

11月6日

BOSS(川崎和男, KazuoKAWASAKI)
が審査委員長をつとめる日本文具大賞
でも評価の高かったMIDORIのカードメモ
ボスも大人買いです。

特にブルーを愛用。
究極の薄さで軽さもカード1枚分。
31枚と毎日のTo Do リストメモ、
アイデアメモにちょうどいいです。


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11月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 6th, 2010  Posted 9:30 AM

11月6日仏滅(庚申)

日本は不況そのものであり、
国家解体へと一段と加速している。

『デザインの極道論』量感


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『資本主義からの逃走』
  「1800年代編年体的な虚構創成時代だった」


   


     11月 6th, 2010  Posted 12:00 AM

1800年代は新たな時代を希求
日本はペリーの黒船に驚愕。
鎖国時代からの解放が始まります。
その頃、マルクスは経済学批判から「資本論」の草稿に入っていきます。
日本のいわゆる若き志士たちと同様に、欧州でも「新たな時代」に向かって、
現実否定が始まりました。現実否定は虚構の創出です。その代表が「資本論」。
これは現実を見据えて、まずはその虚構性を批判します。
しかし、この虚構批判そのものが虚構であり、
虚構のスペクトルと比喩すべき、理想・幻想・妄想へと、特に若者は駆り立てられていくのです。
私は、「資本論」が壮大な虚構論だったと認識しています。
虚構は理想・幻想・妄想に連関
理由は明快です。
資本主義に対抗する社会主義マニフェストは、理想でした。
しかし、現実社会の資本主義の進展はめざましく、
「資本論」に傾倒していく者たちは、その幻想に囚われます。
比して、資本主義者から社会主義・マルキストは妄想者として排撃されていきます。
虚構は理想・幻想・妄想に連関しています。幻想・妄想が理想とされるのは新興宗教だからです。
したがって、マルキストはある意味では、新興宗教の信者と言われる所以はあるでしょう。
そこで、1800年代を編年体で現実となった歴史的史実を欧州と比較すれば、
わが国が、尊皇攘夷だ、開国だ、という混乱期には、
現実での幕藩体制から大政奉還という時期に過ぎなかったように思われます。
虚構史実を編年体で読み解く
さて、私は越前藩での「制品検査所」という約款書に、
産業経済、その活性化に時の幕末志士が体制開放の一方で、
相当の資本主義とも社会主義とも言い切れない経済主義を追い求めていたことに注目しています。
これは私が日本の伝統工芸産地と幕藩体制での経済主義を見詰め直しているからでしょう。
1800年代編年体的な史実=現実に対抗した虚構は、
新たな時代を招致する理想だったと考えることができます。
翻って、この時代を原点として、
資本主義も社会主義も、ともに虚構であり共同幻想だった、
そのことに気づくべき世紀に、今、私たちは生きていると思います。


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     11月 5th, 2010  Posted 8:13 PM

ものづくりデザインセミナー デザイン × ヤマグチ
基調講演: 地場産業を活性化するデザインの力
■ 日 時 : 2010年11月9日(火)13:30 – 14:50
■ 場 所 : ニューメディアプラザ山口 多目的シアター
■ 料 金 : 無料・要申込(11月8日(月)午後5時締切)
■ 問合せ : 山口県デザインセンター
山口県デザインセンター主催のデザインセミナーにて、
講演いたします。西日本方面の方、是非御注目ください。

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