kazuo kawasaki's official blog

Archive for 3月, 2011


「資本主義からの逃走」
  「音響≒風のごとく環境空間の設計へのセンス」
  


   


     3月 7th, 2011  Posted 12:00 AM

音・風、空間の質
音は空間の質を変えます。
音は日本の伝統的美学で比喩するなら「風」でしょう。
だから「風」のある空間はその質を制御しています。
ところで、日本に「風」は何種類あるかということです。
「風の事典」という長年の研究結果の事典があります。
これは膨大な風を分析した名著です。
この事典では、日本の風はたった三つに分類されると定義しています。
結局、地球上の「風」も、この三つでしょう。
 ■ 海から吹いてくる風
 ■ 山から吹いてくる風
 ■ 海峡から吹いてくる風(=瀬戸内海を渡る風:日本の場合)
さらに、気象学的にみれば、
「気圧の谷」や「四つの前線」が見事に空気の流れ方を決定していることと比喩できます。
私は音・音響というのは空気の質と冒頭で表現しましたが、
空気の質というのは、環境空間と人間との馴染み方だと考えます。
天候と健康の関係のようなものです。
{風≒音響}=デザイン設計論へ
したがって、なぜ私がオーディオシステムにこだわって発言しているかというのは、
環境空間の質は、気圧や音圧や温度、湿度によって、
存在している人間に対して生体的、生理的影響を与えます。
たとえばマクルーハンのメディア論「人間拡張の原理」に圧倒された若き日の感動を思い出します。
しかし、彼は、メディアを「ホットとクール」に分けましたが、
オーディオシステムのデザインに関わりさらにPC時代に入ってからは、
彼の定説では語り切れていないことに気づきました。
それは、「風」をメタファしてメディア論に持ち込んだとき、
{風≒音響}というアルゴリズムがみえてきました。
結果、私は、「ドライとウェット」を自分のメディア論に配置して、
そこからデザイン設計での造形言語を見いだすようにしました。
そして、オーディオはもちろんのこと、
建築空間設計や機器設計でメディア論の根底を欠落している作品は批判対象です。
オーディオに知識無き建築家やデザイナーには、「環境の質」設計は不可能だということです。
彼らは、「風」の質に対する感覚的センスを根本的に欠落している職能家だと思っています。


目次を見る

3月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 6th, 2011  Posted 10:00 AM

3月6日 先負(庚申)

モノが「美しい」ということは、
まず、
私の主観に基準があることは当然だ。

それを押しつけたいとか、
教えたいとか、ということでは決してない。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


目次を見る

「資本主義からの逃走」
  「ヘッドホン開発で覚えたことはその局部音場音響」
  


   


     3月 6th, 2011  Posted 12:00 AM

最小限のオーディオシステム
大学時代、私のオーディオシステムは最小限。
2chのオープンリールテープレコーダーと、
ヘッドホン(トリオ=現・KENWOOD)だけでした。
下宿生活では、学生にとってはシステムが最もシンプルで、
最良のHi-Fiを実現できるシステムだったと思います。
大学時代には、そのために各社のヘッドホンを4年間聞き比べていました。
そのことがプロになって音に対する滋養になったと思います。
東芝入社と同時にAurex担当になりました。
そしてたまたま、当時の音響部門では、
エレクトレットコンデンサーの技術が世界的にも先行的に評価され始めていました。
最初はカートリッジ開発からの商品開発が進行していました。
そこで、私はヘッドホンとマイクやイコライザーアンプなどの企画書提案をしていました。
ヘッドホンのデザイン開発経験
特に、ヘッドホンほど忠実にHi-Fiが可能になる再生機器はありえないとすら思っていました。
当時のヘッドホンでプロ用はSENNHEISERとKOSSがトップクラスでした。
学生時代に憧れ、いつか手に入れたいブランド製品でした。
しかし、その頃は重量が300gでした。
エレクトレットコンデンサータイプにすれば薄型10mm厚が可能であり、
軽量化を目標にすることができました。
そして私が商品化できたのは150gでオールプラスチックSR-710という普及品と、
SR-1000というマニア向けは、やりがいのある製品開発から商品化でした。
今、150gというのは考えられませんし、
ウォークマンからiPodの登場まで30年余りの進化が、
現代のヘッドホンにはあるかというと私は懸念します。
しかし、音質構造的には最近はドイツでのベンチャー企業が
新たなヘッドホンでの再生技術開発をしています。
ヘッドホンは局部音場であり、本来、音源の録音もバイノーラルが理想的です。
したがって、デジタル音源のエンコードには、
バイノーラル性が付加されてもいいのではないだろうかとさえ思っています。
ヘッドホンは今なお、各社の音響確認を趣味にしていますが、
ヘッドホンという頭部に装着するモノとして、この製品デザイン経験は、
メガネフレームデザインに連続しています。


目次を見る

3月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 5th, 2011  Posted 10:00 AM

3月5日 友引(戊午)

欲望に縛り付けられたまま、
その道程を歩んでいかなければならない。

その道程でちょっと自由になれるのは
想像力に美が舞い込んできた時、
その瞬間だけである。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


目次を見る

「資本主義からの逃走」
   「メディアアイテムの変遷が青春時代だった」
  


   


     3月 5th, 2011  Posted 12:00 AM

60年代の共時感覚
1960年代は音楽シーンが激変しました。
ちょうど中学・高校時代だった私の聴覚が変わりました。
なんといってもビートルズの登場は音楽界を革新。
と同時に、私は二つのメディアアイテムの登場があったと思います。
1962年、カセットテープは、「小さな箱にオープンリールテープ」がユニット化されました。
そしてこの改新は、次々とテープに音・映像・データの記録媒体となっていきます。
カセットテープ形体が様々な音源の形態を生み出すようになるわけです。
1964年、モーグ(ムーグ)のアナログシンセサイザーは、私を突き動かしました。
美大進学か、音大進学か、と浪人時代には進路変更を思いついていましたが、
デッサン描写とピアノ演奏が立ちはだかりました。
ピアノの弾けない私には音大進学はありえませんでした。
デッサンなら、なんとかなるだろうという程度でしたが試験会場では圧倒されました。
ところが、ピアノ演奏がまったく自動となって、
人間の指先ではコントロールできない音源制御がシンセサイザーだということを知りました。
結局、美大進学しましたが、音楽も忘れられずに、
それならシンセサイザーのデザインをしたいと思うようになりました。
教授には、シンセサイザーのデザイン、音に関わるデザインが希望だと告げると、
「ともかくお前は東芝だ、東芝では電子楽器もやっているから」と吹き込まれました。
当時、東芝は商品名「オーケストロン」、ヤマハが「エレクトーン」が競合していました。
私が東芝に入社したときには、「オーケストロン」は撤退しました。
以後この商品名は今なおエレクトーンという楽器になってしまいました。
そのチームも後にはAurex部門になっていったんでした。
結局、シンセサイザーについては私の趣味になったわけですが、
音楽シーンの激変やメディアアイテムが次々と登場していた時代が私の青春時代でした。
現代シーンに若さは反応すべき
生意気な発言を東芝時代は会議で発言していました。
「30代以上の人は、発言しないでほしい」。
これは、現代、ソーシャルネットワークが激変していることに重なります。
20代・30代には、時代との共時感覚を存分に身体化して、
年上の発言など阻止してほしいと私は思っています。
「若い」ということは、現代の時代感覚と真っ正面に対峙して、
そのセンスを共時感覚として発言行動することだと思っています。


目次を見る

3月4日Staff Blog


   


     3月 4th, 2011  Posted 10:58 PM

3月4日

腕の巻きモノ、
時計や金属系・
シリコン系ブレスレットが大好きな
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)

ただ今、腕にはiPod nano+アームバンドを。
iPodで車内音楽とナビも充実中です。


目次を見る

3月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 4th, 2011  Posted 4:52 PM

3月4日 赤口(戊午)

人間は絶対に自由ではない。
まず、死への道程から
はずれて自由になることはできない。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


目次を見る

「資本主義からの逃走」
   「聴覚感覚という触覚の重大さ」
  


   


     3月 4th, 2011  Posted 2:07 AM

触覚感覚訓練の色彩演習
人間には五感があります。
職業柄、まず視覚は当然ながら、
聴覚と触覚には特別な私なりの想いがあります。
美大時代は、視覚と触覚が訓練されたと思っています。
視覚はともかく「見える」とか「見え方」の正確さを体感させられる実習の連続でした。
それから、触覚は色彩演習で体得させられたと思っています。
色彩演習というのは、ともかくポスターカラーといっても外国製の高価な色剤を,
筆ではなくて指先で混色することを指示されました。
徹夜で、絵の具皿にまず一色を選んで水を混ぜ、
指先でさらに色剤の粒子をつぶすかのように混ぜます。
そして二色目を混ぜると、微妙に色には温度感があるように感じるのです。
教授の意図がこの感触で色のことをマスターせよ、ということだったのでしょう。
この演習によって、私は触覚という感覚認識を大学で識ったということです。
こうしたことを基本に、私は様々な材質を触って覚える癖がついたのだと思っています。
視覚、触覚、さらに聴覚を対象としたオーディオ機器デザインの世界に入っていったわけですが、
私は聞く・聴くというのも聴覚という触覚だと思っています。
たとえば、直喩的に聴覚と触覚を同次元で統合的に感得するならば、
楽器に触れてその楽器の音とが共鳴するかのような感覚を思い起こせばいいわけです。
私にとってとりわけ親しみ深いのは、
トランペット=中学時代ブラスバンド、エレキギター、アコースティックギターなどですが、
ピアノやドラムも音=聴感と、その音響=音感が指先や耳元で感じる共鳴感のようなものです。
私は、自分がデザインを教える立場になって、
実習課題では「音具」と「動具」というテーマを与えるトレーニングメソッドを持っています。
このテーマについては別稿にしておきます。
体感経験と直感
ともかく、触覚は皮膚感覚ですが、聴覚も少なからず生理学的には耳の中での皮膚感覚です。
そして、さらに重大で重要なことは、触覚と聴覚、
この二つこそ視覚よりも正確な直感に結びついているのではないかと私は思っています。
触感と聴感の経験を重ねることが「直感」を鍛えてくれる気がします。


目次を見る

3月3日Staff Blog


   


     3月 3rd, 2011  Posted 7:12 PM

3月3日

教え子夫婦からの贈り物。
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
教え子同士やスタッフ間で
家庭を持つということは
あまり珍しくありません。

キューピット役?なのでしょうか…

箔座×ボストンのラスクは、
金箔がキラキラ豪華なラスクです。
お心遣いありがとうございます。


目次を見る

3月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 3rd, 2011  Posted 10:00 AM

3月3日 大安(丁巳)

「何」が感動できるものかを
熟考する時代に
私たちは生きている。

『デザイナーは喧嘩師であれ』四区分別


目次を見る