3月 3rd, 2011 Posted 12:00 AM
ラジオはメタ・メディア
放送局の取締役会顧問だったことがあります。
TVとラジオの営業と編成戦略、このデザインコンサルタントでした。
放送会社の企業C.I.に関わっていたからです。
当時もTVよりラジオの方が営業的には基軸が強固でした。
TVは単なる地方局として中央の中継基地でしかありませんでした。
しかし、ラジオは独自の番組編成が自由だったので、
その地域に密着した番組づくりがすこぶる可能でした。
その時すでに私はラジオはオールドメディアにはならないと確信したものです。
マクルーハンのいう「ホット・クール」という分別や
「部族の太鼓」という比喩ではないと思ったものです。
CDやPCが登場し、デジタルメディアになったとき、
私はホット・対・クールではなくて、
「ウェット・対・ドライ」という私なりのメディア分別思考で、
メディア機器にそうした造形言語化をしたものです。
今、私はiPodをFM電波で車内に局部音場づくりに凝っています。
しかし、大阪市内はFM電波が混雑していて、ようやく最近最適周波数を決めました。
CDパッケージソフト時代は終わった。
もはやCDというパッケージソフトは、Disc自体の素材性・物理的脆弱性がありますし、
輸送コストなどを考えれば、ラジオメディアは音波であり、
このメディアはインターネットで格段に世界規模になったものと判断することができます。
世界中のFM音楽番組は、まだCD音源の圧縮方式などが様々であるだけに、
Tuning-Mediaという音源、つまり「メタ・メディア」として革新的な進化を遂げつつあります。
しかし、このことにオーディオメーカーなどまったく気づいていないようです。
なぜなら、CD音源やDownload音源の再生装置システムその根本的なデザイン設計は、
これまでのオーディオシステムを全く超えていないことがそのことを証明しています。
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Posted in 066 「トランスポーテーション」, 資本主義から逃走せよ!
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3月 2nd, 2011 Posted 11:13 AM
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3月 2nd, 2011 Posted 9:30 AM
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3月 2nd, 2011 Posted 9:30 AM
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3月 2nd, 2011 Posted 12:00 AM
マクルーハン・メディア論から
CRTはまったく製造生産されなくなりました。
ブラウン管TVはまったくなくなりました。
私はCRTから液晶ディバイス機器のデザインをしてきました。
表示ディバイスは、メディア機器形式の根本を変革進化させてきたと思います。
TVというマスメディアはデジタル化し、さらにマスメディアであることも終わるでしょう。
マクルーハンは「人間拡張の原理」、
そのメディア論としてラジオや映画、TV、新聞などを明快に切り込みを入れてくれました。
しかし、彼が登場したとき、
彼のメディアをクールとホットに分別したことは最初は嘲笑されていたということです。
彼が、メディアに対して明確にしたことは、
私たちにとってのメディア形式が内容よりも意識の問題提起だったと考えます。
『部族の太鼓』か、インターネットラジオ
昨年末から自宅の音響システムをネットワーク化とデジタル音源データベース化をしてきました。
そして、思いがけず驚いたのはCDをiPod化したりその圧縮方式や、
再現システム化をしてきたのですが、
こうしたことよりもっと強力なメディア形式として「ラジオ」でした。
「ラジオ」なんてすでにオールドメディアであり、
マクルーハンも「部族の太鼓」と比喩したものでした。
ところが、インターネットラジオは、
まさしくマクルーハンが近未来の地球をグローバル・ヴィレッジと定説化しましたが、
あらためて「部族の太鼓」としての形式内容を与えるメディア形式として、
CDの聴覚対象である特に音楽、
その産業形式から放送受信形式まで、私たちの意識内容を激変させるでしょう。
インターネットラジオという形式のモノとその産業構造となるコト激変を確信させられました。
インターネットラジオは音楽産業界を変える
インターネットによって、
FMラジオ放送が地球全体に存在しているチャンネルすべてを聴取することができます。
それこそジャマイカからブラジルなどあらゆる都市でのFM放送の中でも音楽番組が聞けます。
そうした放送を聴きながら、さらに自分がどんな音楽を聴いていたかを新たなシステムは、
自動的にセレクト分別して、
「あなたはこのジャンルが好きのようですね」とまで、プログラム化してくれるわけです。
それは、「部落の太鼓」を選別し分別してくれていることになります。
ネットワークが私の身体聴覚の快感意識にまでリンケージしてきたということです。
私は、CDをデータベース化するどころか、
このインターネットラジオのオートチューニングが、
私の意識、その再確認を試す時代だということに感激しているわけです。
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Posted in 069 「リンケージとネットワーク」, 資本主義から逃走せよ!
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3月 1st, 2011 Posted 7:18 PM
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3月 1st, 2011 Posted 2:06 PM
3月1日先負(乙卯)
大衆化を否定するのではない。
大衆化=品位の低下という
図式が拡大してしまったことである。
『デザインの極道論』趣致
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3月 1st, 2011 Posted 12:00 AM
人体・生体はポリ袋
ポリ袋に水が詰められています。
そのポリ袋など、針先で簡単に孔が開きます。
孔が開けば、水はそのポリ袋から漏れ出します。
人体というのは、70%が水です。
人体をポリ袋に喩えれば、まさにポリ袋など簡単に破れて、
水が漏れ出すように、命がなくなります。
生命というのはおそらくこのポリ袋の水が漏れ出してすぐに息絶えるという代物でしょう。
この世・あの世の狭間往来
私は3度、この世とあの世、その狭間の暗闇を往復したという個人的な現実、
他人からみれば幻想だと片付けられるでしょう。
3度の体験は、サイクルが決まっています。
まず、失神していますが、これは確実に幻想の中にいます。
動物らしき物がいたりしますが、
現実に引き戻されると、病院の天井や室内環境が見えます。
そしてまた多分失神しているのでしょうが、
闇の中に引き込まれると、遠くに光の神々しい輪が段々と近づいてきます。
そこで、気づくのです。
この道を戻ろうという意識になると、ドクターやナースが大声で呼びかけてくれます。
「眠っては駄目です」、とか・・・
「まだやり残していることあるでしょう」、・・・とか。
そしてとてもまた痛みも無くて心地よくて苦痛は快楽的な気分になります。
するとまた闇の中を・・・・・
これを何度か繰り返して、明らかに現実を体感すると、
まず、強烈な寒気で体が震え出し、次に吐き気、そしてまた高熱で失神です。
この繰り返しが、短くて1週間、長いと2週間です。
この世は辛いという現実
はっきりと言えることは、「この世」に戻るときの苦痛を超えた「辛さ」です。
つまり、「この世」に存在するためには「辛い」コトだらけです。
「あの世」へのプロセスは、光の輪に吸い込まれていく快楽が在るということは確かです。
「かけがえのない大切さ」=『痛み』
現実は辛いことがいっぱいだということを識れば、
『痛み』こそ、自分だけの辛さの確認=現実的な自分存在の確認だということです。
『痛み』を識る、自分の痛みも他人の痛みも「かけがえのない大切さ」、
これがアイデンティフィケーション、哲学者・中村雄二郎先生の定義は、
私自身の「生と死」への往来で納得していることです。
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Posted in 070 「企業C.I.とブランド」, 資本主義から逃走せよ!
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