kazuo kawasaki's official blog

Archive for 4月, 2011


4月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 21st, 2011  Posted 4:58 PM

4月21日 先負(丙午)

私はこの「制度化」された
インターネットでの職探しは、
自分探しとは決して
イコールにはならないと評価している。

『デザインの極道論』限界


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「議会制民主主義を為すべき人々へ」


   


     4月 21st, 2011  Posted 12:00 AM

民主主義は人類の到達点でした。
ここに、為政者の思想哲学基盤が存在。
よって、何も疑念・懸念も社会は放棄。
しかし、その民主主義が、
「議会制」という枠組みの中での
手続きであるとするなら、
政権交代を安易に選別した私たちに大きな責任があるのでしょう。
為政者たる代議員の資格を
詳細に検証しておくべきだったのでしょう。
議会では、議論・話し合い・討論が、
民主主義を正当に果たしていく本来は大きな実務だったはずです。
天災はこれを破壊し、
すでに議員制で語られるべき、
その役割の代議員の資質と資格を明確にしてしまったようです。
現政権が「仕分け」という手法を
議員制内閣の一つの実務としたとき、
彼らの無能力性を公開していたのです。
寺田寅彦、その著作には天災についての文章が数多くあります。
日本というこの国の自然、
特に天災で何度も苦しめられながらもなぜ生き延びた民族が、
私たちだったのかを確認することができます。
せめて、代議員の方々の思考要素にしてほしいと思います。

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4月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 20th, 2011  Posted 10:00 AM

4月20日 友引(乙巳)

綺麗事を絵に描くことが、
基本的にはデザイナーの
表現力、職能技である。

この綺麗事を守り抜くには、
喧嘩腰になれる資質は
絶対デザイナーには不可欠だ。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


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「破綻していく議会制民主主義は・・・」


   


     4月 20th, 2011  Posted 12:00 AM

資本主義、
その下意識主義には、
民主主義が正当な論理構造。
私が次第に納得できなくなってきたことです。
「資本主義からの逃走」という
ブログを書き始めた動機でした。
この予想は予知だったのかもしれません。
結論を連日見せつけられつつも、
何も抵抗できない自分が居ます。
民主主義がわが国では「議会制」の中に配置されながらも、
「議会制」に呪縛されて解放を成し遂げようという動機すら、
すでに忘れ慣れ切ってしまっていた私たちなのでしょう。
突然、天災がその巨大な特権を発動させた気がします。
わが国の「議会制民主主義」は破綻しています。
問題は三つだと突き詰めることができます。

  ■「多数決」ゆえの政党間騒動がそのまま政治反映
  ■ 民主主義への徹底した疑念を怠慢放置した思考停止
  ■ 議会を構造化している資本主義の脆弱さ放任

この三つを解明できない大衆主義があたかも民主主義という錯覚。
議会制民主主義の制度たる三権分立を崩壊させたマスコミの存在。
私たちは、このあたかも津波に飲み込まれた破綻事態を
「天災tunami」=国難で思い知らされているのでしょう。


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4月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 19th, 2011  Posted 10:00 AM

4月19日 先勝(甲辰)

二度とあなたとは仕事をしたくない、
とも言われたことはしばしばである。

決まって、私は、
だからもう一度一緒に仕事をしたいんだ。
この喧嘩には華があったじゃないか。
これが通じないんだ。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


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「文明の利器である原子力だから怖いのだ」


   


     4月 19th, 2011  Posted 12:00 AM

刃物業界は「利器業界」と呼びます。
つまり、刃物を利器というのは、
まさしく文明と直結しているからでしょう。
刃物は食物、野菜や魚、肉を切る道具ゆえに、
文明の利器として、
刃物こそ最初のモノだったという文脈が残っているからです。
刃物は人殺しの道具になります。
これは利器というモノを象徴しています。
「原子力発電」は、
最も先端的な文明の利器だというのは間違いありません。
「反原発」と「脱原発」の間には微妙な温度差を私は感じます。
フクシマ(すでに世界語)原電事故は、
「原子力発電」の全廃という核アレルギーヒステリーを、
加速し強化しています。
だから、国際的に「反原発運動」は過激さを増しています。
この運動の切実さは当然でしょう。
ともかく原子力肯定についての発言は、
もはや「魔女狩り」集団相手への反論を掲げるようなものです。
私は、原子力発電所のあり方には反対ですが、
「原子力技術」その進化が、「脱原発」になることはありえない、
この主張を変えることはないでしょう。
代替エネルギーはまだ「空想エネルギー論」です。
世界的に明快なことを整理して、議論をしている場合ではなく、
私は、既存の利器である原子力への責務・義務への具体行動こそ、
今最も私たちが「問題解決」していくことだと考えます。

  ■ 原子力利用・推進国
  ■ 原子力成長国
  ■ 原子力新規導入検討国
  ■ 脱原子力傾向国

現在は上記の分類が明確になった国際的な原子力への姿勢です。
そして、「脱原子力傾向国」には、
代替エネルギーへの技術開発力もなく、
他国から電力を買い取っているだけの国であり、
「空想エネルギー論」の主張国だけだと分析することができます。
私は、「文明の利器」は両刃の刃であり、
それを確実な「安心・安全・信頼」を技術と倫理の制度設計が
最も知性的姿勢・態度だと考えます。
私は「反原発」・「脱原発」という空想論を声高にする気は皆無です。
「文明の利器」は、武器となり、人命を脅かすモノだということを
あらためて受け止めて、原子力へのデザイン導入を提示します。


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4月18日Staff Blog


   


     4月 18th, 2011  Posted 9:07 PM

4月18日

2006年、
金沢21世紀美術館にて展覧会を行った、
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)

この美術館の収蔵作品をまとめた
作品集が届きました。

収蔵されたBOSSの作品は、
プラトンのオルゴール」です。


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4月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 18th, 2011  Posted 8:40 PM

4月18日 赤口(癸卯)

私が、
愛しき喧嘩相手と呼びたいのは、
喧嘩をして華が確実に
双方にあるかどうかということである。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


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「何が制度設計かが大問題という要認識」


   


     4月 18th, 2011  Posted 12:00 AM

制度という言葉は便利です。
あたかも制度設計には理想論が有るようです。
これは大誤解であり、制度設計は現実主義です。
つまり、制度というのは
「切り捨て程度具合の決定」です。
法規的には「切り捨て」ルールづくりが制度設計。
したがって、制度設計はある意味では、
冷徹な「切り捨て主義」が根底だと理解しておくべきでしょう。
しかし、今回の大震災はもとより原発の安全運営に対して、
その制度設計は「住民切り捨て」での原発立地制度でした。
私の原発反対理由はここにありますが、
それでも「原子力技術進化」以外は空想エネルギー論です。
自然エネルギー論は空想であり、
技術エネルギー論優先主義です。これはいづれ展開します。
さてあらためて、わが国の憲法にも、地方の条例にも、
災害に対する「制度設計」はあったのだろうかと思います。
条例という制度もその原点は、大震災でした。
福井震災時の治安非常時に、
GHQによって県行政での緊急な法整備が「条例」という
地方行政独自に法定・法律決定ができるという制度です。
現在、被災地に仮設住宅を建設するにも、
市町村が場所の選定を行い、整地作業が義務になっています。
整地に関して、その人件費は国費になっていますが、
整地作業や建機手配は市町村の責務になっています。
さらに建設予定地所有者地権者の全了解をえなければなりません。
しかも、その市町村行政は県行政の検閲によって、
インフラ=水道と送電が決定され、その費用は市町村税だとか。
被災地その早急な復旧は緊急でなければならないと思います。
ところが、復興ではないことに制度が立ちはだかっているのです。
まさしく、これまで確かにわが国ほど平和憲法での
完成されていたはずの制度には、こうした国難・非常時の、
いわゆる「制度」には制度内で切り捨ててきたことが露呈しました。
それなら、たとえ「制度」が「切り捨てルール」ならば、
これまでの制度そのものを「切り捨てる」べきでしょう。
この国難の体験での新たな制度設計にこそ、
現実即応の制度設計デザインが当然だということです。
仮設住宅の制度などには、建設業界と政党癒着が確実に、
その制度の中でまだ息づいています。
こうしたことを「切り捨てる」制度設計は建築界には無理です。
あえてプロダクトデザイン界が果たすべきだと主張します。

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4月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 17th, 2011  Posted 10:00 AM

4月17日 大安(壬寅)

「この仕掛けた喧嘩に、華はあるか?」
と問いかけてみる。

それは、喧嘩相手を
選び間違っていなかったかどうかである。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


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