kazuo kawasaki's official blog

Archive for 5月, 2011


5月27日Staff Blog


   


     5月 27th, 2011  Posted 5:39 PM

5月27日

6月にミネルヴァ書房から出版される書籍、
「倉俣史朗のデザイン 夢の形見に」の
最終打ち合せを行った
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)

束見本があがってきました。
近日、アマゾンでも取り扱い開始予定です。


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5月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 27th, 2011  Posted 10:32 AM

5月27日 仏滅(壬午)

デザインこそ、
時代を読み取り、次の時代を引き込んだり、
誘発する創造的な行為であると
確信している。

これを逆読みすれば、
「先手を討っていない」ような創造行為を
デザインと呼ぶわけにはいかない。

『デザインという先手』十分なる「先手」


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「人口急増は新文明の創発を指示している」


   


     5月 27th, 2011  Posted 12:00 AM

世界の人口は、
すでに69億4000万人を突破。
1分に137人、
1日で20万人、
1年で7000万人と増加し、
1年に6000万人が亡くなり、
1億3000万人が生まれてくるらしいのです。
そして、100億人が地球上で生きている現実は、
すでに想定内となってきたようです。
この想定内に、私たちが想像力を駆使して、
創造していかなければならない問題は山積しています。
それ以前に、
私たち日本は過酷な現実=大震災と原発事故の救済を
自助解決しなければなりません。
私自身、世界の人口構成の激増は、
新文明の創発になると意識し始めたのは正直最近です。
デザインが文化の下敷きと言ってきましたが、
文明そのもののデザインが必至であり、
この現実に直面していると思い知らされています。
物質・情報・エネルギーのさらに基盤に、
真実のありようは荒れ狂う自然力という風景です。
文明の創発のためには、自然との調和ではなくて、
一瞬にして自然に押しつぶされてしまう、
人工化してきた文明構造を再考し熟考し、
人間には何ができるのかを再構成・再編集することです。
21世紀は、「新文明」を、
自然の尊大なる力に、どこまで従順化し、
科学技術がどこまで自然と対峙する可能性への接近です。
つまり、科学も技術も、さらに科学技術そのものを、
ゼロから問い直すことなのでしょう。
そして、その象徴と対象に、ずばり原子力があり、
エネルギー問題・水問題、こうした問題解決が、
「新たな文明デザイン」に違い無いと考えています。
人口は、人間と文明との基本構造なのでしょう。
私は自然と人間は調和ではなくて、
従順なる対決が新文明観なのではないかと思うのです。

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5月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 26th, 2011  Posted 7:47 PM

5月26日 先負(辛巳)

デザインは、戦略であり、策略である。
まさしく
「先手を討っていく」ことに
つながっているのだ。

『デザインという先手』十分なる「先手」


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5月26日Staff Blog


   


     5月 26th, 2011  Posted 9:30 AM

5月26日

早稲田大学の学生さんが講義の聴講と、
フリーペーパー(spot)の取材に来訪。

お土産に頂戴しました!
ご当地キティちゃん 鎌倉、流鏑馬です。
誌面期待しています。


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「環境の中心と周縁・距離感の再認識」


   


     5月 26th, 2011  Posted 12:00 AM

環境という言葉。
私世代が知るのは1970年代です。
私の記憶では「ローマ会議」の頃・・・
そして最も重大になってきたのは、
「環境ホルモン」という存在への大衆的な恐怖感。
当時、ビスフェノールのことでは、
「ポリカーボネイト」素材でそれなりの思い出があります。
今や、すっかり「ポリカ」は廃棄・回収などの
社会的で制度的なことが整備しました。
それでもWHOでは「懸念される素材指定」となっています。
さて、環境は今では最重要な世界観のキーワードです。
環境というのは言葉からも、
取り囲まれた空間イメージがあります。
環=円環と境=境界ですから、
その円環の中心と周縁というイメージが必要でしょう。
ということは、環境の中心がまず問われるでしょう。
それはその中心地・中心領域であり、その機能性です。
そして、その中心=核心を取り囲んでいる環=周縁です。
フクシマ原発を中心として円弧が描かれ、
その円弧半径を距離性と見なして、
避難地域が指定されています。
しかし、その中心での出来事が把握できていません。
中心を推測しイメージしているのでは、
結局、その場は「空」になっているに等しいわけです。
そして円弧で指定されている「場」が周縁になります。
確実に中心=空の機能は殺人装置になっているわけです。
しかし、それはイメージでしかありませんが、
その機能能力は確実に被曝させる力を持っています。
フクシマ原発の環境は、そのまま現在の日本列島です。
けれども周縁である「場」での対策は見えていません。
これは、日本システムの中心がいつでも空であり、
中心機能が周縁に及ぼす影響度もイメージ認識です。
私はあらためて、中心+周縁=環境の距離空間を、
再設定すべきだという結論に至っています。
それは「プロクセミクス」の再認識です。

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5月25日Staff Blog


   


     5月 25th, 2011  Posted 9:19 PM

5月25日

金沢美大生時代、
遊具の課題作品を倉庫で発見しました。

この作品、
担当教授からは、大目玉をくらった
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
というのも、
当時は1/1の実物を制作するのが常。

BOSSはあくまでも、
縮小モデルに、コンセプトや図面、
ストーリーを詳細に描き込んだ
10枚のパネルを提出したそうです。
「B全に手描きだぞ!」とBOSS。
川崎和男らしいです。


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5月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 25th, 2011  Posted 9:30 AM

5月25日 庚辰(友引)

自分を面罵しなければならない
年代になってしまったのだろう。

自分の面に罵声が必要なのだ。

『デザインの極道論』面罵


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「日本の都市構造が壊れていくだろう」


   


     5月 25th, 2011  Posted 1:01 AM

都市要素を三つ上げます。
銀行・百貨店・書店は代表的要素です。
そしてこの三つが消えていくと考えます。
21世紀は「情報社会都市」の進展進化は、
都市景観を変質させています。
そしてこうした代表的要素が、
「情報進展」に追随不能になってきているのです。
銀行は、合併するたびに大型化しますが、
銀行ビルがあれほど権力的威圧性なのは時代遅れです。
都市内にあってほしいのは銀行ビルではなくて、
ATMが街角にあれば情報交換装置は充分でしょう。
百貨店も合併し大型化していますが、
すでに通販総額は百貨店販売総額を上回っています。
百貨店は商店街の代替装置になっていくだけでしょう。
書店もチェーン化してまさに情報販売装置ですが、
都市内での存在は、ショーウィンドーに過ぎません。
レコード店が消え、CDショップが無くなっています。
都市という「まち」は、町・機能と街・機能が変化、
ビル存在や店舗形式が変貌し景観を変えていくのです。
しかも、銀行・百貨店・書店の企業経営者たちには、
「情報化」の進展が読み取れなくなっているのでしょう。
それは、明らかに都市機能と都市文化の構造が、
時代変貌スピードに追随出来ていないことの反射です。
こうした都市要素は、
お金・生活用品物質・情報形式が、
すべからく「情報」が有する文明性と文化性自体を、
大きく変化しその反映として都市構造に関与しています。
しかも都市機能から分断され始めているのです。
コンビニがあります。
ケータイ販売店舗があります。
チェーン化するコーヒー喫茶があります。
町のたばこ屋さんが無くなりました。
八百屋さんや魚屋さんが商店街から消えていきます。
もし、そうした存在が残ったとしても、
それは観光都市機能の景観要素になっていくだけです。
東日本の町・街が全滅しました。
私たちはさらに高密度化する新しい「まちづくり」を
日本全体が創造しなければなりません。
その景観が日本の景気を生み出していくのでしょう。

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5月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 24th, 2011  Posted 9:30 AM

5月24日 己卯(先勝)

他人に厳しく、
は絶対に出来るものだ。
適をまず造れ、
適を造れない者には味方は出てこない!

『デザインの極道論』面罵


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