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Archive for 7月, 2011


「都市計画ゲームソフトが示唆した現実」


   


     7月 27th, 2011  Posted 12:00 AM

1989年都市計画ゲームソフト登場。
日本では1990年に発売されました。
SimCityというゲームソフトですが、
自分が市長になったように
「まちづくり=都市計画」をしていきます。
このゲームには現実と遊戯性が混在していますが、
現実的な問題解決は、まさに現代にいたっています。
二つの特徴があります。
この街が、天災=地震、洪水やUFOの攻撃を受けます。
そしてこの地震や攻撃には、1906年のサンフランシスコ地震や、
東京がモンスター攻撃を受けて、ウルトラ警備隊の出動、
特筆すべきは2010年にボストンでの原子力発電所・メルトダウン。
このようなシナリオがゲームに仕組まれていたことです。
こうしたことに対して、インフラでは発電所はすべての長所短所があり、
浄水場、ゴミ埋め立て地、焼却からリサイクルセンターまで、
そうした配置での予算や結果までがシミュレーションできるソフト、
これが現代に見事に当てはまっています。
特に、メルトダウンでの放射能汚染地帯では何ができなくなるか等、
このソフトを是非とも思い出して代議員に使ってもらいたいものです。
単なるゲームソフトですが、
「事実は小説よりも奇なり」と言うのであれば、
「コンピューターゲームソフトは超現実予知にあらず」でしょう。
各種発電所の形式がすべて準備されています。
火力・水力・原子力から太陽光から風力までの長所短所、
さらに投資コストとその回収までがゲームシナリオになっていますが、
これは現実、今、対立議論されているそのままの内容です。
あらためて、この対立議論はゲームに過ぎず、
何ら真なる問題解決での解答にはなりえないことを示唆しています。
TV討論では、回答よりも応答の言い争いだけです。
特に、かつて原子力専門家たちは「危険だからそのプロパガンダ」集団化。
これは大きな専門馬鹿集団を育成した教育的大問題に過ぎません。
専門なら、いかに「安全と安心の技術開発」をすべきだったかです。
そこにまで才覚無き技術集団に原子力が取り囲まれていた問題を、
さらに次世代の原子力技術者の養成プログラムは必須事項です。
確かに、対立議論ではまったくの不毛の議論にすぎず、
新エネルギー獲得のための創造的発想とその技術開発は、
こうしたゲーム以上の想像力が要求されていることを学ぶべきと、
私は確信しています。
SimCityは、日本では「シムシティシリーズ」になっています。
このソフトが日本に上陸してきたとき、
日本はバブル経済の頂点だったことを思いだします。

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7月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 26th, 2011  Posted 10:00 AM

7月26日 先勝(壬午)

現場の手抜き、
その責任を放置できる傲慢さなどは、
日本人の勤勉さをまったく反故にしている。

私は、この元凶は、
「サービス」という言葉が
日本は経済用語になっていることだと
何度も発言してきた。

『デザインという先手』手抜き 不可欠である誠実さ


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「自分に何ができるかという死生観」


   


     7月 26th, 2011  Posted 12:00 AM

時代は常に変動。
その時代の変動が社会を変えます。
社会が変わると日常性が影響されます。
しかし、日常性が影響を受けているかどうか、
そのことには意外と気づかないものです。
ある日、時代の変動が自分を襲っていたんだと思うのです。
ところが、自分が被災すれば、
時代や社会に関係なく日常性すべてが一新されてしまいます。
その代表例が病気です。
私は車椅子生活を余儀なくされ、結果、いくつも病気になりました。
その都度自分を励ます意味で病気とは言わずに「病」と言ってます。
したがって、天災であれ人災であれ、
これは時代も社会も病気になったことに等しいのです。
私は交通被災ゆえに人災でした。
人災は、持っていくところさえない怒りがあります。
しかも自分への怒りになってしまうほど自分自身を傷つけるのです。
今、被災地、被災された人たち、特に自分は助かっても、
家族や友人や知り合いを亡くされた方たちを見ていると、
きっと自分を責めているのだろうと推測してしまいます。
この哀しみが彼らを包み込んでいることに気づきます。
この時代を日本人は共有しなければなりません。
共有すべきことは、共時性と哀しみです。
そして被災地の哀しみを分配することが可能なのかどうかですが、
これは絶対に不可能です。
不可能ゆえにさらに日本人みんなの怒り、私自身の怒りも、
その解消が出来ない問題解決の前に立たされているのです。
義援金を送る、ボランティアになる、政府を攻撃する、
なんとか自分に出来ることを懸命に考える。
私はこのすべてが日本人としての今の「正義」だと思いますが、
問題解決をし終えたという「解放感」は手にすること不可能です。
私なりにこの正義の一端を果たしたいと思っています。
したがって、この正義のためには、
ひとまず時代と社会を変動させる事が何であるのだろう、
何が時代を、何が社会を、
これは日本全体がそれこそ放射能に汚染されていて、
「病」どころか「死」すら見えているという現実感を共有すること。
これは哀しみを超えて「悲しみ」がやってくることに等しいのです。
余命は明確です。
それは自分が生きている限りの時間に等しい事だけです。
つまり自分の余命時間内に自分に何が出来るかということでしょう。
あらためて自分の無力感と対決しています。
やはり、耐えきれない哀しみと悲しみをみんなが共有している、
これだけは人間として、生命が平等に持たされていること。
日本人は伝統的に、この平等認識に死生観を持っていたことを
あらためて自覚させられたということなのでしょう。

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7月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 25th, 2011  Posted 2:01 PM

7月25日 赤口(辛巳)

東洋人ならば、
「陰と陽の関係」を両輪的に
思い浮かべることができるだろう。

この考え方によると、
マイナス的な発想はプラス的な発想と
常に組み合わせなければ、
必ず手抜きにつながる。

『デザインという先手』手抜き 不可欠である誠実さ


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「風土の復興より復権デザイン・基本案3」


   


     7月 25th, 2011  Posted 12:00 AM

今日地デジになりました。
被災地も楽しめているのでしょうか。

さて、私はインドと仏教の五大思想から、
25のマトリックス思考面に、
迷わず配置し決定しておく目標と目的。
それは、「文明の再構築」と目標と
「再文明化された風土の復権」が目的です。
この目的と目標は、
まず、被災地と被災者の人たちの生命の安全安心です。
そして、その安全と安心によって、
国内外の人たちにとって、最も先鋭的進歩的「まち」。
元々住民だった被災者の人たちの日常性を復旧し、
国内はもとより海外の人たちにとっても、
「住んでみたいまち」になること。
これは復興ではありません。
伝統的風土性の復権をめざすべきだと考えています。
物質系・情報系・エネルギー系が、
「スマートグリッド=SG」であれ、
「スマートコミュニティ=SC」であれ、
そのような形式が最先端だからということで、
構築することが当然ではありません。
SGもSCも一つの手法にすぎません。
最大の目標と目的には「風土性」を再創出すること。
風土性デザインは、少なからず、
まずは「ゲマインシャフト」地縁性・血縁性の確認。
そうして、海外がやってきてくれることです。
そうならなければ、
「ゲゼルシャフト」社会成立不可能でしょう。
そうしたことが「復興計画」デザインです。
実際は被災地はまだまったく救済と復旧していません。
それどころか、数十年、あの原発立地帯への
政治的手続きには、企画も計画も、
いわゆるグランドデザインはまったく皆無ゆえに、
海外に産業構造すら移行し始めています。
その最大の問題はリーダー無き国家を、
国民が諦めてしまっていることだからです。
現政権政府への期待感喪失が歴然としていることです。
政党政治にこの復権作業能力は無いと判断しています。

 


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7月24日Staff Blog


   


     7月 24th, 2011  Posted 11:50 PM

7月24日

福井をこよなく愛している
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
長寿や小学生の知力、
体力の高ランキングは、
豊かな食材も影響大!です。
「ルビートマト」もすでに
周知のブランドとなっています。


トマトっ!!ボスの苦手な野菜です。
ゆえに、密かにミートソースやナポリタン、
ピザのケチャップはたっぷりトマトです。


若狭一夜干しカレイは、朝ごはんに。
福井産コシヒカリ、梅干しとたべれば、
夏バテ知らずの身体に。


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7月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 24th, 2011  Posted 10:00 AM

7月24日 大安(庚辰)

手抜きをしないということは、
まず、両手で包み込むように、
右手と左手で何かを握る感覚がいる。

そんな思考検証回路を
働かせておくことだった。

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「五大思想の重複から計画する・基本案2」


   


     7月 24th, 2011  Posted 12:00 AM

地・水・火・風・空、
仏教的五大思想にインド思想を重複。
木・火・土・金・水を重ね合わせます。
そうするとそのままマトリックス化して、
25の組み合わせを作成し、
この25の企画内容を整理していくことができます。

この図表に、物質系・情報系・エネルギー系を
重ね合わせて具体的なインフラ基盤と都市構造化、
そして日常生活=文化系の要素と要因を当てはめていきます。
今、私が書き上げようとしている一つの手法です。
文化系としてその「地」+「土」には、場ができます。
この場所は「まち」=町と街になり、
街は文明系の主たる性能面と機能面が生まれ、
町は文化系の機能面と効能面を配置していくことになります。
洒落た現代的には、「スマート・グリッド」が乗っかり、
この町と街が「スマート・コミュニティ」でしょう。
しかし、私は東日本の伝統に回帰すること、
すなわち、やはりこの地域には、
地震と津波は自然を常に常備形成していると考えます。
これまで歴史的に津波への言い伝えをしっかりと後世に、
語り継いでいくと同時に技術で自然と対峙していきます。
私は技術と自然の調和ではなくて、
はっきりと対決していくことが大事だと考えています。
そして、このマトリックス上25のコンセプトを
すべからく東北弁にする必要があると考えます。
いかにも「スマートグリッド」とか、
「スマートコミュニティ」は現代から未来的ですが、
あらためて伝統、
すなわちこの地方の言葉に差し戻す発想から、
復興の目標と目的、そのための町と街の形式と内容、
これらを決定していくべきではないだろうかと思うのです。
これは私が伝統工芸産地での伝統と創造を考え出すとき、
コンセプトとは言わない、カタカナ表記は避けること、
この二つを最重要視しました。
そうでなければ、この復興計画には、
「東京一極とか中心主義」がなだれ込んでくるだけです。
阪神大震災での「まちづくり」で、失敗した事例には、
「東京中心・大都市構造化」が重なっていたことが明白です。
このマトリックス25が今私の脳裏の中で熟考中です。

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7月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 23rd, 2011  Posted 10:00 AM

7月23日 仏滅(己卯)

「誠実さ」だけで
自分を守ってきたように思う。
つまり、手抜きを決してしない。

そのためには誠実にデザインと
その対象であるデザインされるモノとの
関係を熟考する必要がある。

『デザインという先手』手抜き 不可欠である誠実さ


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「復興計画は五大思想の再構築・基本案1」


   


     7月 23rd, 2011  Posted 12:00 AM

木・火・土・金・水はインド思想であり、
仏教思想としては次の五つです。
地・水・火・風・空ということになります。
被災地域をこの五つに当てはめて考えます。
地は場所であり、その土壌。
水はまさしく水問題。
火は原子力はじめ電力。
風は、具体的には風力から風土性。
空は、被災地の人々から日本人すべての「心」の問題。
そんなふうに私はとらえ直しています。
空にはネットワークを加えることも可能です。
ひとまず、ネットワークについては別稿にします。
さて、大震災の悲惨さをさらに重大にしてしまったのは、
言うまでもなく、「原発事故」なる人災でした。
私はブレることなく、明確に「反原発」ですが、
「反・脱原発」でもあります。
これは著作化しようかと思案中です。
なぜなら、「反原発」というのは、
これまでのような大規模な原子力発電所建設に反対です。
今回本当に明快になったことは、
原子力発電所建設・維持・原発立地への補助金支援、
これらが「安全神話」で包まれて危険は隠匿、
本当は民間であるべき電力会社は、
独占企業であって国策会社だったために、
発電・変電・送電もすべて独占であったことや、
政府の安全基準のいい加減さゆえに「想定外」ばかりでした。
これは書き始めるととめどなくありますが、
また簡単な「脱原発」風潮には全面的に反対です。
原子力発電所への考え方と原子力技術への考え方を、
本来は区分し分別することを今日本人は同一視しています。
それは生涯知らないでよかった放射能単位まで知りました。
Bq=ベクレルやSv=シーベルトは、恐ろしさの単位です。
「死」や「癌」にイメージが直結してしまいました。
これが、私たち日本人を「空」にしているのかも知れません。
日本の復興、再構築の基軸に、
私は五大思想をもう一度配置して、それぞれに照合させて、
現状の被災地対策はもちろん、
これからの日本の再文明化を再考するべきだと考えています。

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