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Archive for 8月, 2012


「中学1年生の甥っ子は50歳年下」


   


     8月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM

実妹の子です。実妹は父が再婚なので24歳も離れています。
今年、甥っ子は著名男子中高一貫校に合格しました。
1999年生まれゆえ、私とは半世紀年下になります。
彼は、私の父、彼にとっては祖父を知りません。
夏休みで、甲子園に父親と高校野球を観て、
阪大の私の研究室に来てくれました。
研究室は9月から開始される博士後期課程、
その博士号取得論文の査読が始まるために全員多忙です。
大学研究室といっても、
「先端デザイン研究の現場」を13歳がどう受け止めてくれたのでしょうか。
幸いにも私同様勉強は嫌いでもなく、これも私同様文学全集はすでに読破。
クラブ活動はラグビー部に入ったことを報告してくれました。
「文武両道」であってほしいし、
すでに、フランス語も小学時代から興味を持ってやっているとのこと。
読書や気候観測なども大好きゆえに、
大学教授としてはそれなりの大学事情は教えてやることができます。
彼の未来、彼が50歳の時、私は100歳ですから、
多分私はこの世にはいないでしょう。
少なからず、私の作品も知り、
私の著作もそろそろ読める頃になったかもしれません。
問題は、日本の今後が彼らにとってふさわしい国家であるのかどうかです。
彼が、今日のことを生涯忘れないでいてほしいと思います。
勉強よりもラグビーで鍛えて、
「自分に負けないように成長してほしい」と思います。
おそらく、中高と一貫しての受験が彼の日々になりそうですが、
まったく、それは気にしていないと断言してくれました。
姉がいます。
彼女も著名女子中高一貫の学校で、
すでにTwitterからFacebookもこなしています。
SNSに飛び込んできた彼女は私には相当の驚きでした。
姉弟がフランス語というのも、
フランスで現地のフランスの子ども達と言い争いになったらしく、
それなら絶対学びたいと始めたようです。
伯父である私は祖父が私の将来を期待してくれたように、
私も彼らを見護りたいと思っています。
ともかく、彼らのためにも私の使命は、
「日本の再生」をデザインで主導することでしかありません。


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8月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 21st, 2012  Posted 9:30 AM

8月21日 甲寅(仏滅)

常にクラマタが追い求めた
イスとテーブルは、
消滅してもかまわないという
顕示性が明確なモノが多い。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』10 輪郭線での記述手法


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「少数派のためのデザインから・再度、再検証」


   


     8月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

ワイフが母校で特別講義を、ということになりました。
そこでのテーマの相談を受けて、
彼女なりの調査や読書を聞くと、
デザイン史的にはきっちっりとまとまっていないことを知りました。
「生きのびるためのデザイン」
「E.H.エリクソンのノーマライゼーション」
「1970年から準備された1981年からの国際障害者年」
この三つを軸に、
1973年からはわが母校の卒業課題化された「少数派のためのデザイン」や、
私自身が障害者になり、
1998年のNewYorkで開催された国際ユニバーサルデザイン学会、
この学会には私自身も特別講演をしました。
「ユニバーサルデザイン」については、
政府に対して最初の報告書を書きました。
特に、1960年代に
米国・英国・カナダでの「アクセシブル」というデザインコンセプトや、
ユニバーサルデザインという言葉の詳細や系譜、
それらがまったくまとまっていないことを知りました。
これは、私がまとめておく必要があると思っています。
すでに、私の役割には次世代デザイナーに伝えおくべきことが
余りにも多く残っている気がします。
特に、「ユニバーサルデザイン」を軸とするなら、
この歴史的なコンテクストも
故ロナルド・メイス中心で語り残されると思いますが、
これはもっと深く、故マイケル・カリルの存在を書き残す必要があります。
これからこの仕事をやり終えないといけないと思っています。
歴史は、その時期に政治的に記述されると、
それがあたかも「真実」になります。
これは「歴史」の真実です。
「民衆は声を持たない。
己を自覚し自らに誇りを抱くことさえ、
彼らには許されていない。」
私は歴史に向かうとき、この言葉に戻ります。
デザイン史となるべき、私の体験での知識と見識は書き残します。


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8月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 20th, 2012  Posted 10:52 PM

8月20日 癸丑(先負)

輪郭だけで、
椅子なりテーブルは、
知覚することが可能だ。
だとすれば、
その輪郭線がパイプであるだけの構成は、
構造になることはない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』10 輪郭線での記述手法


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「ロンドンオリンピックでのハードとストロング」


   


     8月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

東京オリンピック時は、わが家にもTVがあり、
その頃TVが日本にも定着していたという思い出と重なります。
オリンピックはデザインが裏方であることもあり注目してきました。
特にロサンゼルスなどはデザイン進化がありました。
このことは誰かが語り継ぐべきデザイン界の大事件でした。
アトランタでは、
富士通依頼でプラズマTV開発デザインをした経験がなつかしいです。
あと、何度オリンピックを観れるのだろうと今回はしみじみと感じました。
本当に寝不足になるほど、心ときめくアスリートの活躍ぶりは、
まさに「ゆず」の「栄光の架け橋」が似合ってました。
メダリストの華の存在と、敗者の人たちの悔しさを見つめながら、
アスリート、スポーツという身体表現の勝敗成果に、
その根幹である精神的な克己の姿は涙いっぱいでした。
それは、「競争・相手を倒すと競走・自分だけの能力」が克己を決定づけ、
そこには、「ハードさ」と「ストロングさ」を
自己鍛錬にてどこまで自己管理できたのだろうかと思いました。
よく、身体的には「腹直筋」を鍛えればハードな身体にはなれるけれど、
「大腰筋」はストロングな身体になれますが、この均衡が大問題。
このハードさとストロングさのバランスがどれほど困難かという話です。
おそらくこの4年間、最も子どもの時からずーっと、
選手達はハードさに耐え抜いてきたのでしょう。
スゴイと思います。
ところが、敗者となった種目や、怪我に至った不運さは、
ストロングさを一瞬失ってしまったのかもしれません。
あるいは、ハードさに対して、その真逆となる硬軟均衡、
すなわち、柔=ストロングさをもって剛=ハードさを制す、
ということが欠落したのかもしれません。
ハードに徹していてもダメであり、
ストロングさの追求であってもダメということを、
オリンピック選手達は、その世界的な運動能力・身体的なハードな訓練と、
克己的精神のストロングな柔らかさで証明してくれたと思っています。
リオデジャネイロオリンピックは、また観ることができると思っています。
改めて、自分がプロとしてのデザインの
ハードさとストロングさを象徴的に顧みることができました。
選手のみなさんに感謝です。


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8月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 19th, 2012  Posted 10:00 AM

8月19日 友引(壬子)

プレゼンテーションで使われる
資料やデータ、写真素材なども、
それぞれがバラバラのものを
表しているわけではなく、
あくまでも伝えたいことを
表現するための素材として
お互いに補完しあっていなければならない。

それは順番が変わったとしても
結論は同じである。

『プレゼンテーションの極意』タブーの逆説「いい加減」なプレゼンの「良い加減」づくり


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「机上の一本はスケッチ用万年筆」


   


     8月 19th, 2012  Posted 12:00 AM

正直、私の万年筆コレクションはそれなりです。
万年筆は中学入学祝いでパーカーをもらいました。
以来、大人になったらこれをコレクションにしようと思っていました。
フリーランスになってから、いつも選びに選び抜いています。
二人のアドバイザーがいました。
一人は万年筆専門店の女の子、店員さんでした。
万年筆談義が徹底的にできるとともに、
彼女にはお店を持ってもらいたいほどの知識があって、
教わることが多かったのですが、
今は辞められてしまいました。
残念ですが手紙をいただきます。無論、彼女は万年筆手書きです。
インクの選定がまたまた優れてイイのです。
今、購入するお店の社長さんからは、
笑いながら「バカですね」とか言われながらも、
真剣に選んで薦めてもらい、さらにコストダウンをしてもらっています。
もう一人いました。
文具大賞時の専門誌編集長には肝心なことを聞き出すことができます。
ともかく、
「スケッチ用万年筆」を発注して、条件がありすぎて断られました。
その時彼女が薦めてくれたのが
「DELTA ラ・チッタ・レアーレ1KS」でした。
DELTAといえば、ある映画で使われてブームになったブランドです。
さて、インクはDELTAもいいのですが、私としては、
どうも、スケッチ用に、パーカーのインクが向いていると感じます。
このところ、スタッフからのスケッチには、
ほとんどこの万年筆でラインやコメントを入れています。
自分の思いつきは、ほとんどはボールペンですが、
ようやくペン先が馴染んできたようです。
パーカー5thは優れたアイディアでしたが、
これよりは、DELTAのこれの方がスケッチに向いています。
「スケッチが描ける万年筆」は、
自分でデザインすべきかと思っています。


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8月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 18th, 2012  Posted 12:00 AM

8月18日 先勝(辛亥)

聞き手に、
伝えたいA、B、C が明確であれば、
どんなにパターンを変えても
すぐに答えが見えてくる。

これがプレゼンテーションのコツである。

『プレゼンテーションの極意』タブーの逆説「いい加減」なプレゼンの「良い加減」づくり


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「オーバー機能であっても、存在価値の美しさ」


   


     8月 18th, 2012  Posted 12:00 AM

プレゼントされたB&OのBeoTimeという目覚まし機器です。
久しぶりに、この機能を自宅内でどこまで可能化を試しました。
時計、アラーム、照明機器の設定、TV、オーディオまでが設定可能です。
しかし、これらを全て使うということはわが自宅ではできません。
アラームでオーディオシステムでアラーム・目覚ましになります。
だから、この機器はほとんどオーバー機能だと思います。
ところが、モノとしての存在感はとても美しい姿をしています。
形態=体と用(ゆう)、これは世阿弥の言葉ですが、
用を「ゆう」と呼びます。
これは体というのは本質を表し、
その本質に対して用=ゆうは、外にあらわれてきている働き、
まさに用途ということですが、用途を超えた姿存在があります。
これは、能における美しさは「体」と「用=ゆう」と呼ぶことで、
優美さが本質からあらわれてくる様のことになります。
この製品の本質に実装されている用途は、
現実的にはオーバー機能になっています。
そのオーバー機能を超えて、
製品存在が優美=用を成しているということになります。
現在、プロダクトデザインで、
ここまでの存在感が有るモノは見かけなくなってきたのが現実です。
私は、眠りの傍らに、このフルートのような形態を置くだけで、
目覚めの用=ゆう=優美さに繋がると思っています。


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8月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 17th, 2012  Posted 10:00 AM

8月17日 大安(庚戌)

よくある話を例にしよう。
「豚のベッドとかけて何と説く ?」
「黒い穴」と説く。

そこで、その心は、となったときに、
答えは「トンネル」となる。

こういう感覚がプレゼンテーションには
絶対必要条件である。

『プレゼンテーションの極意』タブーの逆説「いい加減」なプレゼンの「良い加減」づくり


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