kazuo kawasaki's official blog

Archive for 1月, 2013


「日本・日常的な地図図形認識を変更すべきだ」


   


     1月 23rd, 2013  Posted 12:00 AM

私たちは毎日、日本を地図図形で認識しています。
というよりも、子どものときから「刷り込まれて」いるのです。
確かに南北に上が北海道から南は九州です。
そして、世界地図でも日本はセンター配置になっています。
しかし、日本は「極東」と呼ばれるほど
片隅・端っこの小さな島国でしかありません。
この意識は全国民が欠落し全廃しているほど
意識には無いというのが現実です。
TVで毎日、天気予報の地図は、私たちの意識の中では、
ほとんど完全な「図形としてのわが国」は、
地図上の「かたち」として脳内に収納され焼き付いています。
おそらく、今、中国の意識には南北は水平であり、
日本海を手前に、太平洋の向こうに米国が意識されているはずです。
<右・地図>をしっかりと見つめれば、地勢的な都市位置や、
気候的な変動を確認する私たちの意識は
まったく別次元になるものと考えます。
それは、もし次の大震災・大津波なども
地図パターンの認識によって全く発想が変化するでしょう。
私は、「かたち」の専門家です。
自分がモノの「かたち」をスケッチするとき、
どこからどこを見つめながらスケッチを描いているかは、
大問題だと40年も毎日考えてきました。
だからこそ、
日本のこの国土観は地図パターンと同一で、
私たちの思考停止を招いていると断言することができます。
<右・日本パターン>を日常化すれば、
沖縄の位置も、北方四島の位置も、
もっと防衛的いや軍事的に,
考え直す時期がきているものと判断せざるをえません。
私にとって、
「デザイン」は理想主義の具体的・日常的・実務的な手法そのものです。
その根幹には「かたち」・「パターン」認識が、
感性から知性を支配していることは確実です。
このような発言そのものが「右傾」だとか、
「戦争礼賛」だとかという評判につながりますが、
そのような軽薄さを私は拒絶することを
改めて今後も発言し続ける覚悟です。
なぜなら、この日本という国に生まれ、
<左・地図パターン>こそ、日本と思ってきた自分を、
より国際的な思考世界に配置し直すことが、
実際的には本当の「自分の位置」を確認することだと思うからです。
「自分の位置」=「日本という地図図形」、この認識の一新こそ、
自分の存在性を再確認する一番の方法だと確信するからです。


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1月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 22nd, 2013  Posted 2:33 PM

1月22日 戊子(仏滅)

権利の主張を強化するには、
とめどない欲望が渦を巻く。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』18 アイ・ポイントからのミス・ブランチ


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「テロという名の殺戮に怒りを込めて」


   


     1月 22nd, 2013  Posted 12:00 AM

アフリカ、私には想像の及ばない場所です。
アルジェリア、きっとあの場のフランス軍の傭兵部隊は、
戦争映画などのイメージを超えるほどの
戦争以上の現実地獄が存在するのでしょう。
彼の地は戦国時代最中のはずだったのです。
テロリズム、このことばは「戦争」や「軍事」や「殺戮」を
どれほど曖昧にしている概念でしょうか。
日本の商売はこの地においても「正義性」をもっていたのかもしれません。
しかし、私は、わが国が敗戦国家として、
軍隊も持たずに世界への進出を
さも「グローバリズム」とどこかで礼賛していることを、
訝しさと偽善的な国家観を拭い去ることはできません。
パスポートには、明確に、「わが国民を絶対に護れ」と記述がありますが、
そのバックグラウンドの制度を私たちは本当は、真実は、
空白なのです。
もし、邦人が拉致され、人質になったなら、
訓練された軍人という職能家が、直ぐにも乗り込んで、
独自の戦術で奪還してこそ、
「国家」であり、「国際的存在性」があるのではないでしょうか。
政治家でも拉致されて、命拾いした人物でなければ、
その残酷さと残忍さなど分かるはずがないのです。
商売をやらせてやっているという低レベルの国家との関係、
その中で「人命優先の申し入れ」なんてありえません。
もし、
自分の家族が、友人が、いや同胞がこのような極限に出逢ったなら・・・
哀しみではなくて怒りがあるべきでしょう。
私は、いじめ問題、さらには体罰問題、聖職と言われる職能の破廉恥さ、
日本の根底にしっかりと根を張ってしまっている不甲斐なさを
思い知るべきでしょう。
わが国には「武士道」という崇高な危機管理システムの伝統がありました。
あの国家が、見せつけてくれたのは、
ほら、日本が商売されている装置システムは無事でしょう、と。
同胞17名中、10名は未だ分からず、でいいのでしょうか。
資源ほしさ、商売だから、それがグローバリズムの根幹なら、
準備すべき制度は、日本には、日本人にはテロリストは、
「とても怖いから」というイメージを植え付けるべきなのです。
まさに「孫子の兵法・用間」、
その制度とその具体化デザインであるべきです。


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1月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 21st, 2013  Posted 2:26 PM

1月21日 丁亥(先負)

アイ・ポイントからのミス・ブランチ

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』18 アイ・ポイントからのミス・ブランチ


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「陶磁器メーカーの相次ぐ倒産はやむなしかもしれない」


   


     1月 21st, 2013  Posted 12:00 AM

陶磁器は、文明の象徴です。
なぜなら、
文明は器=飢えと機=寒さから護る衣服から始まったからです。
にもかかわらず、
欧州の有名ブランドの倒産がここ数年顕著になっています。
無論、
わが国の伝統工芸陶磁器産地も風然の灯火と思える状況になっています。
高校時代から陶磁器には人一倍興味を持って見つめてきました。
そして、自宅の陶磁器はそれなりに選んで集めてきました。
自分でデザインすることもここ3年ほど取り組み、
プラチナの釉薬で、
インダストリアルデザインの導入を有田焼で商品化し始めています。
そうして気づいていることは、
陶磁器が中国の景徳鎮から始まった文明であり、
やがて文化になってきました。
しかし、その技法がとてつもなく進歩・進化しただろうかと判断すると、
伝統は継承されてきただけで、
破壊され裏切られた事例は本当に数少ないと観ています。
あくまでも素材は陶磁器であり、
無論、セラミックという先端技術が陶磁器に応用には至っていません。 
欧州の紅茶文化や、食卓文化、料理との相互性などにおいて、
私は、まず、「創意工夫」が尽くされてきたとは思えません。
これは、陶磁器デザイン=工芸デザインは、相変わらずに、
「装飾主義」がデザイン・意匠に結びついているからです。
せめて、伝統を裏切り、新しい食器文化を問題意識において、
「問題解決」としての陶磁器を超えてくるべきだったと思います。
すでに、水はペットボトルに、
コーヒーメーカーから缶コーヒーがあり、
紅茶のシステムも変化しています。
文明の再構築は「器」への問題意識なのかもしれません。
陶磁器デザインは「絵付け」にありとするなら、
その絵付けなどは、
パソコン、インターネットなどで自由に、
自宅で絵付けと焼成ぐらい出来て当然です。
今年早くも、
イタリアの名門陶磁器ブランド・リチャードジノリの倒産を知って、
私は、インダストリアルデザインの立場からの発言を決心した次第です。
まったく形態デザインの問題解決がほとんど見られません。


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1月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 20th, 2013  Posted 9:30 AM

1月20日 丙戌(友引)

結局、
デザイナーには、
モノという分子あるいは音素が
音を発していることを、
聞き分ける能力が必要である。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』17 リトルネツ口論とエキスパンドメタル


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「シリンジの問題解決・2006年から取り組んできた」


   


     1月 20th, 2013  Posted 12:00 AM

2006年は、様々なことが起こりました。
金沢21世紀美術館で35年間のデザイン活動発表の機会と
作品が永久収蔵されました。
あれだけ大きな国内での「個展」は二度とできないでしょう。
だから、本当に命がけで取り組みました。
それは身体に大きな影響を受け、「敗血症・多臓器不全」にて、
重篤状況にまで追い込まれました。
三度も「あの世」への道を往復したことになります。
運良く帰還したときに直感で、
「ワクチン開発をやろう」と研究室に告げました。
PKD=Peace-Keeping Designの具体的活動は、ワクチン接種でした。
そこで、シリンジの開発に向かいました。
現実案とアドバンス案(画像写真)を発表し、
国立循環器センターからある医療機器メーカーを紹介されました。
現実案は米国の大手医療機器メーカーにもその情報は届き、
シンガポールの開発室が大学に訪ねてくるほどでした。
ところが大問題に直面することになりました。
それは、もはや国内では
いわゆる注射針=ニードルの製造生産ラインが
無いということになりました。
これは、日本にとって大問題です。
いわゆる注射針での接種は、「経皮接種」です。
したがって、経皮・経肺・経鼻などの研究も研究室のテーマになり、
博士後期課程では、この問題に深く関わって、
一人、工学博士号取得者も生まれました。
ドライパウダーでのワクチン開発がまだまだ時間を要することも
次第に明らかになってきました。
そこで、
「経鼻」=鼻から吸い込むというシリンジ開発が目標になりました。
これはより具体的には
「結核ワクチン接種」をテーマにすることに至りました。
そのためには、結核かどうかの検診を遺伝子検査と、
そのシステム開発もともないながら、
その検査システムや検査機器の開発まで及びました。
そして、同時に「経鼻吸引接種」のシリンジが具体化してきたわけです。
昨日ようやくメーカーから、
そのシリンジがデザインどおりに
モックアップモデルが出来上がってきました。
5年かかりましたが、
結局は電動シリンジなどまでが開発アイテムとして拡大しました。
アドバンスからのスタートでも時間が加わって「造る」こととは、
しみじみと実感しています。
そして何よりも「ワクチン開発」は、
適塾・緒方洪庵の牛痘接種の歴史を
阪大は系譜として連続してきた伝統だと言うこともできます。


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1月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 19th, 2013  Posted 9:30 AM

1月19日 乙酉(先勝)

「How High the Moon」のリズム感が、
「How High the Moon」のイスを
取り囲んでいるのではない。
このイスが「How High the Moon」を
演奏しているわけだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』17 リトルネツ口論とエキスパンドメタル


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「最近の実装設計に問題あり」


   


     1月 19th, 2013  Posted 12:00 AM

ここ数年、回路設計と機構設計に関与しながら、
私は日本の工学設計での大きな失望感を禁じ得ません。
回路と機構を私は「実装」と呼んでいると同時に、
日本の工学技術から生まれた素晴らしい表現だと
日本人として誇ってきました。
かつてApple本社で仕事をしていたときも、
ConfigurationチームとLayoutチーム毎のミーティングを
同時にする提案をして、
それをConfiguration Layoutと名付けました。
ところが、
最近ではこの「実装設計力」が相当に低下していると判断しています。
理由は三つあります。
まず、

・本社設計機能を下請けに発注すること。
・パソコン設計に委ねていて、3Dソフトに頼っているために、
    その大きさや重量配分などの実体験が欠落していること。
・自分でハンダ付けやメカ製作を「手」でやる経験を
    教育システム自体徹底させていない風潮が蔓延していること。

これは、
わが国の「モノづくり」力を具体的に失ってきているということで、
私は大変に危険な傾向だと指摘しておきます。
図面で、29.351なんて寸法表示を見ると、
それこそ、気分まで悪くなります。
30.0かもしくは、29.0なら、
なんとしても25.0にすべき設計でなければなりません。
そして、
企業の設計部隊の中間管理職=課長や部長も見逃していることです。
これでは、
デザインによる外観=スタイリングは甚だ最適なデザインは不可能です。
私はオーディオからスタートしているので、
実装がそのまま音質にも多大な影響がある、
そのことを熟知しています。
だからこそ、今、わが国の工学設計においては、
実物部品、回路設計を手づくりすることを
教育カリキュラムに入れることを再検討すべきでしょう。
私は、常に回路図や機構図にも手を入れます。
そして、そのテクニックを若いスタッフや学生にも、
しつこく語り継ぐことに徹しています。
回路図には必ずセンターラインがあり、
電子部品の配置では重量バランスなどを、
徹底的に身体で覚え込むテクニックが必要です。
若いエンジニアには、engineeringの意味は、
「合理性で無駄を排除すること」これが定義であることを、
しつこく語っています。


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1月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 18th, 2013  Posted 9:30 AM

1月18日 甲申(赤口)

現代の家具に最も欠落しているのは、
存在性のモチーフの造形、
その消化である。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』17 リトルネツ口論とエキスパンドメタル


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