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Archive for 1月, 2013


1月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 5th, 2013  Posted 9:30 AM

1月5日 辛未(仏滅)

アーティストである音楽家、演奏者、
作家、画家、そしてデザイナーと
音楽の関係は、
美学的にも最大の課題として、
人類が解答を準備する
必要があると考えている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』17 リトルネツ口論とエキスパンドメタル


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1月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 4th, 2013  Posted 9:30 AM

1月4日 庚午(先負)

リトルネツ口論とエキスパンドメタル

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』17 リトルネツ口論とエキスパンドメタル


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「17年間という時間は『私・きもち時間』だと思っている」


   


     1月 4th, 2013  Posted 12:00 AM

人間には、
なにかしらをやり遂げるにはそれなりの時間が与えられているようです。
そんな「私・きもち時間」があるということを幾たびか体験してきました。
・鯖江市で社会人向け講座も17年、
・MacPower誌での連載も17年、
・ふるさと福井でのデザイン活動も17年、
・名古屋市大と阪大にて大学人17年間だった。
「私・きもち時間」はそれぞれの活動期間が、
3年、7年、17年、21年が私の時間帯だとつくづく思う。
この17年、
私が心血を注いできた一つに
「PKD=Peace-Keeping Design」という提案があります。
この具体的な製品開発はまだ連続しています。
最初は、経皮タイプのシリンジでしたが、
現在では国内のシリンジ針生産拠点が失われて海外になりました。
だから、経鼻タイプ=鼻からミスト状ワクチン接種のシリンジと、
ワクチンは「結核」に絞り、結核感染の検診も
遺伝子検査を極めて短時間システム開発が終わっています。
なんとしても、今年はその具現化をめざしたいと考えています。
そして、アフリカの子ども向けの栄養状態検査システムは、
糖尿病検診システムの応用が出来そうです。
2004年に、私はPKDというコンセプトを文章で発表して、
阪大に来てから、
具体的なワクチン接種方法や検査システムをデザイン主導で始めました。
それは、阪大の医学史的には、適塾から医学校の系譜があります。
つまり、緒方洪庵が日本で最初の牛痘を幕府にも容認させ、
橋本左内などがワクチン接種を始めていたことからも、
この歴史性を引き継ぐ意義があるわけです。
再生医療や、こうした医療技術へのデザイン適用は、
今後、日本は世界的に
「尊敬される危機管理産業」の一つとして重要課題だと思っています。
それだけに「私・きもち時間」をより短縮させたい思いで一杯です。


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1月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 3rd, 2013  Posted 9:30 AM

1月3日 己巳(友引)

「時計」に「死」を与えたのが、
クラマタの最後のだったと
私は見つめている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』16 時の経過と瞬間


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「この日からの再出発、再認識」


   


     1月 3rd, 2013  Posted 12:00 AM

年末年始、多分、大学人としては最終の論文作成をしています。
国外向けは、いつもながら英文の文字数調整に苦しみました。
国内向けは、なんとしてもこの正月休みに書き上げたいと念じるほどです。
国外向けも、アブスト査読は昨年夏に合格しましたが、
やはり、3.11が及ぼしていることについての論説が求められました。
今世紀に入って、
経済的には多大なグローバルな変動に人類すべてが翻弄されていますが、
とりわけ、私たち日本人にとっては、多くの同胞を失いました。
そして、政権交代によっての政治的な指導力の欠如は甚だしいものでした。
私自身、被災地や内閣、
大企業の復興姿勢には怒りと落胆と情けなさを存分に味わいました。
よって、今度の自民党政権には大きな期待を持っています。
公共投資の方向性など決して間違わないでほしい限りです。
大企業の被災地支援も間近で体験しましたが、
企業トップの指導力や理念など大疑問ばかりでした。
たかが、デザイナーに何が出来るのか、という声が明確に聞こえています。
しかし、私は、来春阪大を退官と同時に、
自分のミッションは決定しています。
私は、2011年1月から5月までの、この映像を見る度に、
日本列島のコンニャクのような脆弱さを再認識させられます。
したがって、今年の4月からの活動こそ、
わが人生、その最期の「行学の実践」にしたいと意気込んでいます。
3.11直後に、大きな活動をしながらも、
ほとんど匿名的な活動も紹介していくつもりです。
それは、昨年8月に創設した「危機管理デザイン賞」の対象にしています。
私たち日本人は、すぐに醒めきってしまう民族性が残っていますが、
もし、自分たちが、この時代との共時性を共有するには、
どこまで、復興と再興に、
自分のプロフェッションを差し出せるかということでしょう。
そんな気持ちに、
この画像は決定的なプライミング・エフェクトを与えてくれています。


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1月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 2nd, 2013  Posted 9:30 AM

1月2日 戊辰(先勝)

「時計」というモノの持つ力を、
クラマタが信頼したとするなら、
それはやはり、
「瞬間」の「配置」を視覚的に
認識する人間と時間の対置関係を
包み込んでいる正体を
見つめようとしていたのだろう。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』16 時の経過と瞬間


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「わが研究室は今年から重要拠点にしていく覚悟あり」


   


     1月 2nd, 2013  Posted 12:00 AM

昨年7月には、防災大臣と大企業の姿勢に大落胆。
私の復興デザインと南海トラフ対策デザインは停止しました。
けれども諦めずに、
8月に「危機管理デザイン賞」を創設しました。
それは、
わが研究室のこれからのミッションを
意識したプライミング体制づくりでした。
わが国は、天災大国です。
そして広島・長崎、そして福島と原子力の大被害国家になりました。
脱原発・卒原発では済ませられない現実と、
我々は対峙していかなければならない国家です。
ならば「公共政策としての危機管理産業の創成」を
国際的に求められています。
私は、脱原発でも卒原発よりは
「範原発」を目指すべきという見識と良識を蓄積してきました。
プルトニウムは、人類が扱える元素ではありません。
U239、U240は自然界には存在していないのに、
今回の福島では確認されてしまいました。
それなら、
原子工学の対象元素をさらに明確にするべきだというのが、
私が提示する「範原発」です。
正月早々、おそらく大きな反感を買うと思っていますが、
それを乗り越えるべき、
新たな「危機管理工学へのデザイン主導」
そして「公共政策グランドデザイン」が必至です。
原子力工学の対象は、原発だけではありません。
放射能への新たな科学的見識や公共政策での
政治的、産業的、経済的、さらに文化的胆識が必要です。
あの「はやぶさ」は放射能の宇宙界で電子機器は確実でした。
JAXAの安全工学的な経験が必要になってきたということです。
3年3ヶ月の政治的悪夢を終焉させるには、
同胞を失ったこの経験を必ず、
日本の復興や危機管理体制づくりを世界に提示していくことが大事です。
活断層の報道だけでは済まされないことは多大にあるはずです。
もう一度、
プライミング・エフェクトを思考見識に取り入れるべきでしょう。
もう家電も、情報も、車輌交通も、
すべからくエネルギーへの依存から解放されないならば、
日本の産業構造を大きく変革すべきでしょう。
私は4月には、デザイナーに立ち戻って、
わが国には
「危機管理産業の創成」を大きなテーマに掲げていくつもりです。
この開設準備室で、春を迎えたいと考えています。


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1月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 1st, 2013  Posted 9:30 AM

1月1日 丁卯(赤口)

壁にある
「時計」を眺める「瞬間」に、
何を視覚として訴えるべきなのかを
彼は、
自然物そのままを
造形要素として取り入れる。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』16 時の経過と瞬間


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「2009年からのこのブログ5年目、今年もよろしく!」


   


     1月 1st, 2013  Posted 12:00 AM

あけましておめでとうございます。
このブログは5年目に入ります。
そして、私は今春17年の大学人生活を終えます。
3月2日に大阪大学発祥の豊中キャンパス・大阪大学会館にて、
「最終講義」をします。
その後は、これまでどおりデザイン活動は続けていくでしょう。
大阪大学の私の研究室が新たな拠点になります。
いくつかのミッションが今年からのデザインテーマになります。
なんといっても、
3.11以後のわが国は、3年3ヶ月の政治的な悪夢の中にいました。
先般の選挙も、
日本の選挙制度が
民主主義の根本ではありえない制度だということを露呈しました。
私は、政治よりも、
デザイン実務が理想主義を日常的に構築する本質だと確信しています。
徹底的に、また自分の中にある「美学」と対峙していくつもりです。
基本的に、このブログは「毎日書くこと」ですが、
時には、「休筆すること」も勘弁して下さい。
私はデザイナーですから、「かたち」が表現主体ですが、
「ことば」との相対論化をめざして生きてきましたから、
書き続けることは約束します。
脳内では「ことば」から「かたち」を創出しますが、
「かたち」も言葉的な言語性を持っています。
昨年から、
私は「造形言語」と「形態言語」の両輪にデザインを乗せてきました。
おそらく、この思考を一旦、大学人を離れ、大学という場の研究室から、
まだまだ国難の最中にあるわが日本の復興と再構築で、
私なりの行学に身を投じる覚悟は
さらに強化されているものと自負しています。
読者諸兄の皆さんの幸運と幸福をここから願っていることを伝えます。


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