kazuo kawasaki's official blog

Archive for 5月, 2013


「大きなヒントだ!『危機とは、何が危機か』」


   


     5月 7th, 2013  Posted 12:00 AM

「March.11.2011」を体験した私自身の運命。
私はデザイナーという天職である幸運があり、しかも車倚子生活。
自分の生涯でこの国難と真正面に対峙しなければなりません。
そして、大学を退任しましたが、
「までい-Project」=東日本大震災の復興デザイン計画と、
それをさらに大きな視野で捉え直す「危機管理」へのデザイン。
これが私にとって最期の仕事になると常に言い聞かせています。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を率いています。
しかし、危機管理学・危機管理工学、
さらに、危機に対するデザイン、プロダクトデザインの学際化。
この学際化で「危機への臨機応変なデザイン」と、
その「産業化」をめざしています。
問題は、「危機とは何か」ということ、
私の定義づけの言い換えは、「何が危機か」です。
おそらくこれからも、このFBで、
その「応答・回答・解答」デザインを記述していくでしょう。
資料を読み込んできましたが、
最近、この「危機とは何か」について、
真正面からしかも冒頭で、
この考察を「ことば」にした本にやっと出会いました。
とても大きなヒントです。
というよりも、私の人生でこうしたことは度々起こります。
それは、常にこの「問題提起」を掲げていれば、
誰かにささやかれたように、思考のヒントを目前にするのです。
まず一回読んで、さらに私が読みあさった資料から、
この考察のままでいいのだろうか、と再思考します。
結論は、
まだ浅薄過ぎると言うのはこの学者への反論のようですが、
それは、私がデザイナーであり、大学人として、
しかも「危機管理デザイン賞」を選別する責務での判断です。
さらには、「危機管理を成就する産業そのもの」に、
プロダクトデザインで主導していくことだけに、
私は、これだけの定義では無いと明言しておきます。
危機管理学と工学とプロダクトデザイン、
この三つの学際化によって、
この天災と人災、日常が「危機状況」に対して、
わが国の産業化をと考えています。


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5月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 6th, 2013  Posted 8:50 PM

5月6日 己卯(仏滅)

私は現在のデザイナーの就職事情は
まったく間違っていると思っている。

なぜならば、
四年生になるとすぐに
就職戦線に出向かなければならないからだ。
結局は、
大学での三年間分しか評価されない。

『デザインの極道論』すがしい


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「位相空間で『ドッグボーン空間』という想像力」


   


     5月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

トポロジー=位相空間という訳語に違和感がありました。
米国のRH Bingは、そのトポロジー的な対象を
様々に考え出しました。
彼のビイングズ・ハウスという、
二つの部屋がある家と名付けられた空間の家があります。
これは図で見ていても、その証拠立ては難しいと感じました。
この感覚に、いわゆる漫画的には、ドッグボーンがあります。
これは空間に穴が空いていますが、その穴のある空間の内部に、
さらに、ランダムなパイプがあるわけです。
そこで、これを「光造形」出来ないだろうか、
ということを名古屋市立大学時代に、
当時のEWSで試みました。
しかし、この形態が出来たのはたった一人でした。
あくまでも、RH Bingのトポロジー思考対象でしたが、
「ドッグボーン」という印象がまったく無くて、
それなら、まさに漫画に登場する形態にしたいという想い、
その想いをかなえるには、本当に、まず空間があるべきです。
それなら、「光造形の途中で、水を入れる」という無茶です。
そして、その水の中にパイプがあるわけです。
これが出来たのもたった一人しかいませんでした。
この二人が苦労したのは、
当時すでにEWSでは、
あるソリッドな空間を支えるサポートまで出来てしまうのです。
そこで、この二つのモデルも、
中空の中のパイプはソリッドです。
正直、このパイプ内を空洞にすることは出来ていません。
しかも、位相空間の「ドッグボーン空間」ですから、
デザイン的には、空間の中にある形態・言語・空間が造形。
私のイメージは、そこから「トポロジー」的な思考を空間に、
あるいは言語にしていく装置として、
空洞に穴があっても、その空洞にまた空洞のパイプが出来れば、
そんな想いが今、3Dプリンターの素材そのものに、
新たな期待があるのです。
それが「出来れば」!・・・
コレが可能になると想像しているのです。


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5月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 5th, 2013  Posted 8:49 PM

5月5日 己卯(仏滅)

私は現在のデザイナーの就職事情は
まったく間違っていると思っている。

なぜならば、
四年生になるとすぐに
就職戦線に出向かなければならないからだ。
結局は、
大学での三年間分しか評価されない。

『デザインの極道論』すがしい


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「たとえ『市松模様でも』デザイン戦略の妙技」


   


     5月 2nd, 2013  Posted 12:00 AM

これは単純には市松模様にすぎません。
しかし、著名ブランドがしたたかに商品シリーズに加えると、
それですっかりそのブランドの決定的な商品価値、
いや記号価値になってしまいます。
私自身もこのブランドのこの記号価値を日常に取り込んで、
どこまで自分のアイデンティティと重ねられるのだろう、と、
取り組んで使ってみています。
もちろん、それは弱点も少なからずありますが、
現代の流行現象に覆い被さっていて、
元来は「市松模様」であったことが、
すっかりこのメーカーのオリジナリティに変化しつつあります。
しかし、日本刺繍での「市松模様」とは
明確な違いには至っていません。
私の祖母は日本刺繍を教えていました。
刺繍というのは世界各国にありますが、その国独自の手法です。
その手法は、中東・アジア・オセアニアに根付いたモノです。
とりわけ、わが国は自然界と幾何学系に独特の図柄があります。
祖母が残してくれたとても分厚い見本帳が見つかりません。
ほとんどが私の記憶の中にあります。
したがって、刺繍のそれも幾何学模様で、
「市松模様」には常に注目をしてきました。
そしてこの市松模様が、
実は現代テクノロジーで見事に開花したのです。
それはコンピュータ・モニターの液晶での
ピクセルであり、2009年には英国でついには、
「Bits from Bytes」で、これは点から線になりました。
私が、光造形で発見した、
「点(ピクセル)はやがて正方形に至る」というのは、
実際上は、この「市松模様」だったわけです。
私がこの模様をデザインで現代に持ち込んだのは、
一人のインテリアデザイナー、デザインチームと、
このブランドだったと思ってます。
このブランドのシリーズを日常化のモノに適用するたびに、
次世代にもこの「模様」そのものが、
新技術・新素材・新記号になると思っています。


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「関西海事教育アライアンス・6年目」


   


     5月 1st, 2013  Posted 12:00 AM

私は阪大を定年退官しましたが、
特任教授(名誉教授)として研究開発に従事します。
そして、正式な教育授業としては、
「海洋デザイン戦略論」を担当します。
大阪大学・院、神戸大学・院、大阪府立大・院、
この三つの大学院院生に「海事とデザイン」の学際性を講義します。
最初この授業時には「デザイン」の全学生の理解度は世間的でした。
3年目当たりから伝統的な授業受講の意欲のつながりが出てきました。
私は「Ship of the year」の審査委員にもなりましたから、
懸命に、海事・港湾・船舶・造船について、
ほとんど書籍で「海事とは・・・」当たりから読破しましたが、
最大の知識獲得は審査委員になって、
特に造船企業のプレゼンから毎年学ぶことと、
審査委員会での会議談話は書籍読破を乗り越えています。
最初の頃は、「船は見ただけでも船酔い」と言っていました。
しかし最近は海事産業は本当にわが国の重大産業であり文化です。
これまでの講義内容は毎年進化させてきています。
時には社会人=企業専門家も聴講しますから、
専門性では、彼らに現実を聞き出すことも可能です。
一番の問題は、
私は海洋関連では日本が主導力を持っていたことが、
スポーツ競技のように日本が定めた事が禁止されだしています。
したがって、これから海洋国家で領海が大きいことからも、
日本が主導力を取り戻す「若い力」に期待するばかりです。
「海」はシュメール語(スメル語)でもUMIであり、
UMI=Umuは、このままMarineの「m」と深い関わりがあります。
Marine・Music・Material・Motherすべてに、
「母のごとく」に「生まれるため」の羊水から振動という意味、
この意味の深みがしっかりと宿っていることです。
したがって、MarineとDesignはここから始まります。


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