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Archive for 2月, 2014


2月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 18th, 2014  Posted 1:14 PM

2月18日 庚申(先勝)

商品という形式が、
デザインに対する眩惑と錯覚を
強化することはあっても、
人間のモノづくりの姿勢を
赤裸々に、その内容までをも
発散させてしまうことはない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』2ワイングラスのインジケーター


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『流行の安易なデザインを全否定する正当なデザイン』


   


     2月 18th, 2014  Posted 12:00 AM

私はもう一度書き残したい。
PCメガネと呼ばれる安易で科学性の無いメガネがヒットしました。
私は脳天から怒りがありました。
可視光線でのブルー系色がモニターから過剰に発光してるから、
このブルー系をカットするレンズのあるメガネが安価で登場。
案の上、これはホンの一時、流行現象になりました。
それこそ100円ショップにこのメガネが登場したのです。
このブルー系色カットレンズは、全く目の生理現象に無知でした。
PCモニター、TVモニターから発光される視覚生理で最も重要なこと
それは、「ドライアイ」=角膜が乾燥することこそ、
実は目の生理現象を正常さを狂わせるということです。
決して青色カットすれば、
モニターへの視覚生理を保護するわけではありません。
最重要なことは「ドライアイ」を防ぐことになります。
そこでメガネとモニター、両方のデザイン経験から、
私は、ドライアイ防止のために、液晶膜を10秒間に1or2回遮断、
この回路を込めた正当なドライアイ解決メガネを商品化しました。
この商品デザインは当初は、なかなか理解されませんでしたが、
結局、角膜の三つの油層・水層・ムチン層それぞれが、
ドライアイになることこそ、最悪の視覚細胞を痛めるわけです。
もし、端的に青色カットというのなら、
それは紫外線防止と同等のガラスレンズよりプラスチックでも、
十二分の可能になります。
このことをデザイナーは知っているでしょうか?
流行とまでなったPCメガネはかえって視覚に無理を与えています。
デザイン=問題解決の目標はドライアイ防止が正解だったのです。
メガネフレームデザインは視覚の問題解決であるべきです。

「本当のモノは信じられることにつながる」
「PCメガネはドライ・アイ対策でなければいけない」


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2月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 17th, 2014  Posted 1:11 PM

2月17日己未(赤口)

現在のようにいきなり
「商品デザイン」をしてしまうことが、
デザインの本質を狂わせてしまっている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』2ワイングラスのインジケーター


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『装飾はデザインにあらず、されど装飾はデザイン可能』


   


     2月 17th, 2014  Posted 12:00 AM

デザインが装飾と受け取られていることを最も嫌悪しています。
従って、芸能人が「デザインしている」ということに、
最もデザインの本質が最大誤解をされていると主張してきました。
それはデザイン=問題解決の手法であり、
問題解決無関係にスタイルだけの装飾はデザインでは無いのです。
単なるデザインという一般的解釈はデコレーションに過ぎません。
一般的にデザイナー=デコレーターがほとんどだと断言します。
装飾家はデザイナーではありえないのです。
しかし、装飾をデザインすることは出来ても、
装飾だけをデザインされたということは不可能だということを、
多分私は生涯をかけて言い続けることになると考えています。
装飾されたことが経済的な付加価値を持つことは可能ですから、
「装飾」の本質を常に確認することが必要です。
装飾をデザインするその肝心な意味意義を明化することです。
その一例に私が日常使っているモノで「装飾」を視ると、
これらは私がスケッチだけのツールですが、装飾されたモノです。
これらの装飾に一貫しているのは手造り=工芸性があることと、
素材への工芸的な加工性が最高の水準のモノに装飾性を認めます。
スケッチツールとしての「性能性」は、
それこそ100円のボールペンでも一向に構わないのです。
一般的に「機能性」が完備されている設計をデザインと言いますが
これは間違いです。
重大なコトは、日常の使いここちにモノの「効能性」があります。
私の気分でモノの使い勝手に「ここち良さ」を与えてくれるモノ、
それは気分が感情よりも感性を制御するほどの美的影響性です。
つまり性能+機能をさらに効果向上してくれる効能に、
「装飾」されたデザインが加わるということです。
言い変えると、工芸デザインは「装飾」の本質、
それは「これまで感じ取ることが出来なかった」程、
その素晴らしさ=美しさを創出したモノのデザイン=解決値です。


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2月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 16th, 2014  Posted 9:30 AM

2月16日 戊午(大安)

癒されるメディアとして、
キャラクターグッズや
マスコット的なガゼットの
氾濫がある。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』1 クピトが放とうとした矢


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『もう一度セルロースを、これからのセルロースを』


   


     2月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

地球、人体のほとんどは水です。
そして地球上の自然界の植物のおおよその繊維素というのが、
炭水化物で高分子のセルロースです。
私はセルロイドという物質=メガネフレームで親しみがあります。
さらにメガネのデザインをしている人たちが最も気配りしていない
その素材こそセルロイドです。
日本製のセルロイドとは30年も親しみ見て選んで来ましたが、
全く私には使い物になるとは思っていません。
そして未だにメガネフレームの選び方を知らない人類ばかりです。
もっとも、セルロイドのことを書きたいと思ったのではなく、
繊維素=セルロース、たとえば綿はほとんどがセルロースです。
セル=細胞、ロース=壁あるいは面と考えると、
炭水化物の細胞壁という素材と考えていいのかもしれません。
今私にはこのセルロースといういわばもう一般化している素材に、
これから地球環境にとって、大きな役割があると思っています。
もちろん、そのような素材紹介の話が色々と聞こえ始めたのです。
私がデザインに取り組む時、時折、その素材の話が、
様々な所から私の所にやってくるのです。
「共時性のある素材」、それがセルロースだったわけです。
そういう意味では、メガネフレームのデザインでは、
私は30年もその素材と顔との関係を結晶構造で確かめるように、
今、私には地球環境、特に、放射能で破壊された事と同値で、
次の天変地異に対する防災デザインとしての素材、セルロース。
間もなく、私は繊維の感性評価をデザイン表現します。
これは繊維そのものの性質・7項目ですが、
もう一方で、繊維素であるセルロース素材の新たな展開を
「コトからモノ」のデザインとして準備するつもりです。

「易しそうなテーマだが難しそうなデザイン解」
『布の感性評価はこれまで無かったからこそ』


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2月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 15th, 2014  Posted 9:30 AM

2月15日 丁巳(仏滅)

デザインは、
商品になる前にまず
制作品であり、
製作品であり、
製造品であり、
産品であり、
製品である。
それは、デザイナーの作品でなければならない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』2ワイングラスのインジケーター


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『最も嫌いだった著作からこれを始めた』


   


     2月 15th, 2014  Posted 12:00 AM

「デザイン」という専門職能には「ことば」が無いと思います。
このことは美大生時代から今日まで抱いてきました。
それゆえに、この40余年デザインに関わりながらも、それなりに、
著作も何冊か書き、ヒット作や代表作もあります。
そして、現代の特に経済的な思想を混乱させてきた「資本論」は、
私にはある種の宗教論の譬話論にすぎないからこそ読破という、
そんな想いがあることから、このブログを2008/2/13からです。
そこで改めてもう一度初心に戻ろうと考えました。
最大の理由は、今年に入る前には、体調のことや、
時には書かないですまそうと考えてきましたがそろそろなのです。
そろそろというのは、間もなく私は65歳になります。
人生最終の段階で、「人は何をなすべきか」を決定する時期です。
その時期ゆえに、今ではマルクス全集この全集執筆にあたって、
エンゲルスに著作思考の原点を当時の数学論を紹介しています。
私が最も重大だと思うことは、
自分の思考拡大のために友人は苦手だとしても、
参考思考論をしっかりと肝心な人物に伝えるということです。
私には、すでに、同じ職能家である「デザイナー」に対しても、
分別と区別を明確にしています。
理由は簡潔です。つまり、デザイナーを自称している8割には、
何も学べることが無いのです。
まして多少の世間評価程度でデザイナーぶる人は認めていません。
その判断も簡単です。
もし、私が理想とする他のデザイナーあるいは大学人の思考、
本来の思考を支援する参考思考までを紹介してくれる人、
そのような人物こそ「敬愛する同業者」です。
そういう意味では、マルクスとエンゲルスの間にある著作は、
私にとってとても大切な存在です。
そして最近は、とてつもない仏教経典を教えてもらっています。

金融工学の始祖はマルクスだった_01
金融工学の始祖はマルクスだった_04
金融工学の始祖はマルクスだった_06


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2月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 14th, 2014  Posted 9:30 AM

2月14日 丙辰(先負)

デザイナー自らが、
自分だけのイメージのなかで、
自分を射る矢の材質を
決定しなければならない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』1 クピトが放とうとした矢


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『公式ロゴタイプのデザイン仕様を検証』


   


     2月 14th, 2014  Posted 12:00 AM


オリンピックのデザインはその国のデザイン力を示しています。
現代オリンピックのデザイン表現にはかつての日本デザインが、
大きく貢献していることを、美大生時代に知りました。
このところ、日本の各種スポーツ選手たちの活動を観るため、
寝不足が続いています。
しかし、4年間以上も彼らの果たしてきた自己修練を知る度に、
彼らがメダリストでなくても心から敬意をはらいます。
オリンピックという最高の場面に出場出来る鍛錬された能力、
この素晴らしさを人生の姿勢にした、
そのことは、明らかに思想の一つでしょう。
彼らの存在をデザインが取り囲んでいます。
開催地毎の「オリンピックロゴタイプ」には、
そのオリンピックに選ばれたフォントスタイルと、
デザイン仕様としての形態設計・レタースペース・カラー仕様で、
私はその大会デザイン全体の美配慮レベル検証が可能です。
ソチ五輪のロゴタイプは、ハーバート・バイヤー的なレタリング、
したがって直線とR曲線との視覚的整合性は「ややマトモ」です。
「ややマトモ」というのは、レタースペース堅持を要素として、
その表現だけの拘りを認め、革新性は避けています。
したがって「ややマトモ」な表現では正当性確認だけが可能です。
決して、新たなデザイン表現要素を見いだすことは出来ません。
それは情報時代に即した表現傾向がこの国のデザイン界能力です。
しかし、このロゴタイプで徹底されたデザイン表現を
未だに知らない企業がわが国には随分あることが、
私はとても問題だと指摘しておきます。
おそらく、このオリンピックのロゴタイプデザインを
とりわけ、企業幹部が感じ取れないのだとしたら、
それこそがわが国のデザインへの企業感性だと私は思っています。
私はこのロゴの美も現代性確認として企業は熟知すべきです。

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