kazuo kawasaki's official blog

Archive for 4月, 2014


『有朋自遠方来不亦楽』


   


     4月 6th, 2014  Posted 12:00 AM

山梨・京都、そして大阪に。
友、遠方より、超楽しく!
「有朋自遠方来不亦楽」この漢詩、吉田首相の現物が浮かびます。
この現物があるところは存分に知っていますから、
学生時代だったら、拝借して部屋に置くかもしれません。
さて、舞踏は死んだ、という田中泯氏、石原淋女史二人が、
京都での仕事後に自宅に見えました。
来訪を連絡ありから存分に期待していました。
最後に自動シャッターで写真を、と。
しかし、二人は背後に佇み過ぎで、幾たびか撮り直しました。
どうしても私はデザイン界や学界の人たちと話が偏重し過ぎます。
二人の来訪では、舞踏界もデザイン界もで共通項話が多くて、
結論、田中氏も私も、長生きをすることにしました。
なんといっても、出逢いは「松岡正剛氏の編集力の具体化」です。
今年の24日に、松岡正剛氏の誕生日会で出逢ってから、
手紙やメールそして等々の付き合いから来訪をしてもらいました。
様々な話題では、
お互いの「主観性、客観性、作品、芸術の取り違え」余りに多く、
結局、この出逢いには松岡正剛氏編集術に囚われている快感有り。
著作にサインをもらったり、
私のメガネフレームを強制的にかけてもらうと決めました。
だから、私が気に入っている人物には、これからは、
絶対にモデルになってもらおうと思ってしまった次第です。
世間話の核心には、松岡氏との対話でも同じ結論が生まれます。
この結論にこそ真実があることは間違いありません。
それは「存在」そのものの確認と認識が明確に残ることです。
人は生きて。いるから、命の前に、「存在」の共有観の有無、
それを確かめられる直感ある人物はやっぱり限られています。
だからこそ、二人の来訪は、不亦楽、です。

『この男に惹かれる・舞踊と舞踏がテーマになってきた』
『男に嫉妬あり、田中泯と松岡正剛の間に割り込む』
『人生70暴走古来稀・松岡正剛氏』
『「知とちの急行」松岡正剛氏と大阪で対談講演』


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4月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 5th, 2014  Posted 9:30 AM

4月5日 丙午(友引)

ノスタルジーに回帰するかたちの提示を、
私は決してデザインとは呼びたくない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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『捕鯨は日本文化である・絶対的な文化保護を!』


   


     4月 5th, 2014  Posted 12:00 AM

日本は「敗戦」によって、日本人のアイデンティティを、
なぜ国際関係論や人権維持に大間違いをしたのでしょうか?
「敗戦」で文化を投げ出すことはありません。
とりわけ、捕鯨することに日本人らしさをなぜここまで、
私たちはこの文化の素晴らしさを断言していかないのでしょうか?
先般日本の「調査捕鯨」すら、国際的な禁止を言い渡されました。
私には、日本の捕鯨こそ、食文化もさることながら、
捕獲した動物を、その全てにわたって有効利用している文化を
投げ出す必要はありません。
日本は積極果敢に鯨の生息を「調査」している国です。
その調査すら食文化と同一視されているのは生真面目過ぎます。
結論は、商業捕鯨をあの団体を脱退して取り組むべきです。
鯨肉は美味しいですがこのことだけを訴訟されることは皆無です。
日本の捕鯨は、鯨油だけしか獲らなかった国々とは違うのです。
たとえば、鯨皮革、鯨髭などを超えるバネ素材はありません。
鯨髭でのゼンマイ機構が「からくり人形」、ひいては
ロボットの根本にもなっているのです。
確実に鯨は増加しています。それも日本の調査結果です。
絶滅種は、この写真にある哺乳科のヨウスコウカワイルカだけ?
したがって、批判しているオーストラリアのように、
私たちはカンガルーは食べないのです。
決定すればいいのです。
国際捕鯨委員会IWCを脱退するべきです。
そうして、日本海沿海での日本流の捕鯨は護り抜くべきです。
鯨やイルカは知能動物とされていますから、殺さない食べない、
だとするなら、低能動物は殺して食べるのはOKなのでしょうか?
商業捕鯨をしたところで、日本の捕鯨文化の正当性こそ、
本来の「生きるために食べるが、それ以上を創る技=文化」を
私たちは明快に国際化するべきです。


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staffblog 4月4日


   


     4月 4th, 2014  Posted 12:43 PM

4月4日

MASUNAGA+KazuoKawasaki
コレクション展示について
お知らせいたします。

日本橋三越本館7階のメガネサロンにて、
三越伊勢丹の催しである
・三越伊勢丹 大誕生祭
(三越ライオン像100歳記念)
・ジャパンセンスイズ
(三越伊勢丹の社会貢献のための取組み)
の企画の一部として、展示を行っています。


増永眼鏡の献上品フレームから
kazuokawasakiの最新作まで、
ご覧になられる本展示に
ご興味のある方はぜひお越し下さい。

本展示会は
上記催し終了後も引き続き、
4月30日まで展開いたします。

・開催:4月1日?4月30日
・場所:
日本橋三越本店本館7階メガネサロン


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4月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 4th, 2014  Posted 9:30 AM

4月4日 乙巳(先勝)

時代を先んじる提案、
これこそ創造であるが、
一般性からの遊離はまぬがれない。
しかし、
デザインには常にこの姿勢を保持する堅固さが
不可欠である。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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『Segwayの指導は忘れた人馬一体感を思い出す修練』


   


     4月 4th, 2014  Posted 12:00 AM

私の教え子=スタッフたち(カーデザイナーも)乗りました。
まさに、Segwayは体幹の歩行状態をそのまま反映しています。
それは乗馬して馬とのコミュニケーションそのままです。
下半身の歩行感覚が活かされている乗物は在りませんでした。
日本のカーメーカーやバイクメーカーは、
このシステムを勘違いしているようです。
それがそのまま道交法にも見合っていないために、
まだこの乗物が市民権を得ることは困難なようです。しかし、
「Segway Smile」という言葉が生まれたように、
馬力と身体関係、道路は車道・歩道よりも馬道の発想が必要です。
自動車の構造がどれほど身体との関係を破壊したでしょうか。
少なくてもワイフは最初のSegway乗車経験がありましたが、
スタッフたちの個性がそのまま反映していて笑いました。
自分の体幹感覚をインストラクターに導いてもらうこと、
それはそのまま、指導を素直に受ける、聞く耳を持っているかなど
とても個性に見合っていて面白い限りでした。
自分の身体と指導の受け入れ方などは反省を余儀なくされてました。
そして、最も重要だったことは自動車ではなく、
人馬一体が人間には最適な乗物であるという確認が取れたことです。
自動車と石油資本での車社会こそ都市の体幹感覚であり、
「楽しい移動」は人体が受け入れられる速度性があることでした。
Segwayはまだまだ都市社会・田園社会とのあり方制度変更が
なんといっても望まれますが、そのためにデザインが可能なコトも
とても明快になってきたと私は断言できます。
私にとって、これまでそれなりの車を所有し使用してきました。
すべて障害者運転装置に改造してきた経験も大きいのです。
もっと大事なコトは、「歩けなくなった私の移動ツール」です。
私は胸椎脊損をしていますから「腰・体幹」でのコントロール、
この新たな発想をSegwayに仕掛けるデザインが必要です。
スイスやオランダで実現されているSegway車椅子を
私の車椅子を超えているモノが無いだけに、
早く開発をしたいと思っています。
それは車椅子というモノを超えた新たな街づくり、路づくりという
コトのデザイン=制度デザインです。
Segwayを参考にした新たな乗物が移動空間の制度を創るはずです。

「石畳の街、その文明と文化」
「新幹線ホームのエレベーターは再デザイン必要」


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4月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 3rd, 2014  Posted 12:50 PM

4月3日 甲辰(赤口)

機能性、または機能主義は、
ソクラテス、プラトン、アリストテレスから
論じられ、西洋では特に建築の世界での
論議がデザインに波及している。

日本では「用と美」で語られる挟間に
機能主義があった。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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『Segway=人馬一体感こそ未来の乗物』


   


     4月 3rd, 2014  Posted 12:00 AM

Segwayが日本にやってきた最初にワイフは試乗しました。
私は、車椅子のためにまだ乗ったことがありませんが、
電動車椅子を使用し始めて、Segwayの進化を追いかけてきました。
海外の車椅子、特に、Segwayを車椅子にしたモノが最高と判断。
そこで、本格的にまず「自分用」を開発しようと、
Segwayjapan社と連絡し合って、いよいよ試乗のトレーニング、
そして、わが国のSegway普及についてA氏と議論をしました。
彼自身がIT企業出身なので、パソコンそしてロボティクスとしての
将来象を質問し、確認することができました。
私は産業革命とともに自動車産業が20世紀を形成してきましたが、
石油資本との経済関係での世界支配は、米国本土ですら、
この革新的な乗物を大誤解させていると見てきました。
わが国ではさらに日本に登場以来もっと大誤解があったようです。
今、Segwayは欧州で、特にこの車椅子使用は優れています。
ジョブスが「Flying Carpet」としてApple製品化を狙ったことや、
この進化技術は、とりわけ国内の車メーカーは気づいていません。
話は変わりますが、
わが祖父は福井県で最初に自転車に乗ったことを自慢していました。
私はsegwayに未来の乗物のあり方を見つけることができます。
これこそ体幹とモノ=人馬一体をコンピュータが可能にしました。
私には、日本独自にこの考え方をさらに進化させる発想を
是非ともデザイナーとして可能にしたいと考えています。
なんと言っても、Segwayに乗る、その指導を受けることには、
「指導される、人の意見を素直に受ける」ということが大事です。
まさに、A氏は、まだ「マウスのようなモノ」と断言しましたが、
私は彼の未来づくり発想を知り、私の全体計画を伝えました。
正直、つまらないプロダクトが増えています。
駄作などを創ってはならない職能観すら喪っているデザイナーを、
私は自分の真正直で美しいデザイン活動を語って、
批評非難し、大論破していくつもりです。
なぜなら、もう私の活動時間は死に向かっているからです。

『そろそろ電動車椅子デザインの時期=一人称デザイン』
『これは最適ではない・誤った車椅子対応車輌デザイン』
「デザインは皆無だ!・・・誤りのデザイン」


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4月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 2nd, 2014  Posted 12:49 PM

4月2日 癸卯(大安)

変形とは、
単純にかたちに変化を与えただけにすぎない。
ところが、
変型というのは、
もっと、根元的で
アーキタイプ=原型を変容させたことになる。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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『「瞬間から瞬感」の連鎖と停止を製品開発に向ける』


   


     4月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM

「瞬間」を最初に考えついた人物はプラトンであるらしいのです。
確かに、飛んでいる矢の一瞬一瞬を停止していると見なして、
それが、力学、微分と積分の考え方を生みました。
微分積分は動きの停止点の最小を無限に追いかけています。
無限そのものの感覚へ自分を近づける唯一の方法なのでしょう。
つまり、この考え方は、生死と動止という矛盾を包括しています。
生まれることは死んでいくこと。
動いていることは止まっていること。
このことこそ、実はアポリアの本質だと思ってきました。
そこで、この「瞬間」を製品に、やがて商品に、と考えています。
それが私のデザインするどの商品分野になっていくかは、
多分、モノを見つめる瞬間であり、瞬きそのものの感覚です。
私は、見つめるという行為は、確かにジーッと見入る感覚ですが、
本当は、いや真実は「瞬き」の一瞬に視覚に飛び込んできたこと。
「瞬き」に、最終のコミュニケーションがあります。
もし、しゃべれなくなったら、
声を使う事が出来なくなったら、
おそらく、私は瞬くことだけが人間には残っているはずです。
だから、死んでいくために生きているのに、
動いているというのは停止していることが連続しているのに、
こうした矛盾を一瞬にして瞬きの瞬間にしか確認できないのです。
結局、私の人生、いや人間の人生そのものが「瞬間」でした。
生きていくことが死んでいくのにという矛盾だらけゆえにこそ、
瞬間をどれだけ確認できるかがアポリアの無限さを知るのです。
しかも、瞬間は瞬く一瞬ゆえに認識さえ不可能なのでしょう。
私は、この人生の「瞬間」を「瞬感」として受け止めます。
この受け止めた「瞬感」のシンボルを創りたいと思っています。

「アーティスト、デザイナーにだけ降りてくること」
「生きることの模範・範疇・範囲として」


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