kazuo kawasaki's official blog

Archive for 6月, 2014


『大阪の子ども達に、このような給食では能力不足当然です』


   


     6月 12th, 2014  Posted 12:00 AM

大阪市に住まなければならなくなったときに、
まず街が貧しくなり、犯罪が格段に多いことにびっくりしました。
そして、必ず年1回は講演を要請されましたが、
気づいたらそれは2月末の予算消化だと思えるようになりました。
行政の力量は、救急救助システムであり、救急車に表れています。
大阪の小中生徒の学力やスポーツ能力が極めて低いことも知り、
ふるさと福井は、学業も体力も全国ではトップクラスでした。
さて、私の時代にも給食がありましたが、
私は大嫌いでした。米国からの脱脂粉乳なんて飲めませんでした。
それこそ、東芝で新人研修の時に、
「食堂のメシがまずいなんて話はしないこと」と言われ、
上司に噛みついたことがあります。
それこそ、名市大病院の病院食にもかなり文句を言っていました。
しかし、改善がかなってかなり美味しくなっていると思います。
そういう意味では、中学性の給食がかなり不味いという報道を知り
びっくりどころか、これで何が政治勢力主張かと思うほどです。
給食業者が学校で保健のために冷蔵庫保管し、
その冷えた昼食は見るからに不味そうです。
こんな給食なら、私は登校拒否します。それこそ、
市議会でも生徒達から弁当をとの提言まであったとかです。
日本という国は2800Calも国民は消費し、そして捨てています。
大阪の中学性給食は850Cal程度らしいのですが、
不味くて残飯で終わるなら、それこそ税金の無駄使いです。
一時期は知事から市長への転身、その選挙のために帰阪しました。
しかし、今では、何が新たな野党づくりだと私は思います。
まず、生徒たちが大事でしょう。それなら給食は美味しくです。
そして救急救命システムもなんとかすべきだと思います。
かつて浪人時代の大阪は面白かった街でしたが、
いづれ、名古屋が大阪以上になるという予測はあたっています。
具体的には、「.tokyo」と「.nagoya」がすでにあります。
「.osaka」は首長の指導力不足ゆえありえません。

『行政サービスの力量は救急システムでわかる!』


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『ワールドカップは人類の驚喜構造が今なお連続している』


   


     6月 11th, 2014  Posted 12:00 AM

日本流呼称には「サッカー」があります。
今ではスポーツ競技が資本主義経済を背景とし、
資本主義経済国家でなくても、
この競技には地球人すべてが驚喜します。
その驚喜は好戦性と民族性を歴史的にも、
根強い心理構造をため込んできた、今はスポーツ競技です。
サッカー、絶対に手を使わない足だけでの競技は、
元々の歴史的な動機や系譜は抹消せざるをえないほどの好戦性を
見事に資本主義経済での商業化を成功させたと言えるでしょう。
おそらく、日本中の子ども達にはこの選手になる夢があります。
私世代では、小中時代は野球であり、高校あたりから、
このスポーツ競技を知りました。
私は、野球やサッカーのプロ選手たちはすべからく、
修練と精進を重ねているスゴイ人たちだと思っています。
そういう意味では、好戦的でフリーガンと呼ばれる連中が、
歴史的な系譜での驚喜の構造をいまだに残しているからこそ、
私は人類が驚喜性・狂気性までを閉じ込めたのは知恵だと思います。
間もなく、開催地そのものが超犯罪都市でワールドカップです。
願わくば、観戦に出かけた同胞には何の犯罪も無いことを祈ります。
このような犯罪都市に日本人が居るならば、
自衛隊員が守備すべきだとさえ思ってしまいます。
日本人は自国で国民を護り抜く、そんな国家であるべきです。
この競技で選ばれた選手たちは各国の商業チームのヒーロー達です。
このゲームの驚喜の構造こそ好戦的傾向を資本主義ゆえに、
進歩させた人類の方策として私は賛同しています。
Best8にまで到達し、観戦客の無事を祈るばかりです。

「絵画に惚れることの重大さ」
「なでしこJAPANと国民平等意識」
「新たな日本ブランド・なでしこJAPAN」


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『「里山」テーマのアマチュア写真・小さな展示』


   


     6月 10th, 2014  Posted 12:00 AM

大阪大学医学部附属病院の廊下には、小さな展示があります。
時折、私はしみじみと見入ることがあります。
小学生の絵画だったり、中学性のポスターなどには、現代っ子の
色彩感覚が見事に表れていることが多くて、面白いのです。
かつて、小学生の絵画コンクールで審査委員をしていたときには、
描かれた絵画には大きな特徴がありました。
入賞作品は、決まって、街の子ではなくて山奥や海岸の村でした。
それは街ほど、想像力の欠如や色彩にTVの影響が大きかったのです。
もう一つは、暗い表現を描いた子たちの父母は離婚家庭だったり、
絵画表現に、そのまま子ども達の環境が表れていたことです。
病院の廊下には「里山」をテーマにしたアマチュア写真です。
それぞれにテーマがありました。
忘れていた自然、生命の始まる場、護り抜く自然など、
今では、里山に住めなくなった動物たちが街に出てきます。
だから、人間と動物が共生できる山=里山で感じる写真でした。
山林関係地方の行政長賞や、里山賞などがありました。
名古屋市立大学時代には、「里山」関連の学会がありました。
その学会の主要メンバーの名前には、岡、山、村、森など、
まさしく里山を印象づける名字が余りに多くて、その研究内容や
川崎という名前では入会できないのかと学会誌が興味深く、
そして、なんだか嬉しく一人ほくそ笑んでいたことが思い出です。
廊下にあるこのささやかな展示は、
デザイナーとしてはもっと展示方法をとか考えてしまいますが、
入院患者さんや病院内の人がこれまでになく沢山見ていました。
こうした情景を見ると、きっと、みんながどこかで里山、
その大切さを胸の内に抱いていることがわかります。
それは、日本人ならおそらくほとんどの人が、
アマチュア写真でつたない展示であっても心が動いていたのだと
私はしっかりと受け止めることができました。


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『「新聞紙」というメディアが消える日が近づいている』


   


     6月 9th, 2014  Posted 12:00 AM

この写真は現代彫刻です。
まさに固められた新聞紙束ですが、報道の死の表現でしょうか。
私自身、新聞紙購読を止めてもう数年になります。
情報としての報道、NewsなどはPC・iPad・iPhoneで充分です。
新聞紙上の論説などにはもうほとんど興味がありません。
元来、新聞の効能は、偏向したイデオロギーであり、
下手すれば「羽織ゴロ」的な情報であれば私は無視してきました。
情報化時代は、
information・acknowledgement・consciousness・intelligenceで
時代と社会が人間の常識・知識・認識を取り囲んでいます。
そのための情報が、記事となって伝達されるメディア自体が
技術によって大きく変貌してきているということです。
そのメディアの一つである新聞紙は、新聞という形式のメディアは
消えて行くのかもしれません。
確実に、私の環境にはこのメディアは不要になっています。
新聞紙に限らず、商業出版の雑誌も消えつつありますが、
私は、特に、紙を形式としたメディア全てが無くなることには
大きな寂しさも感じます。無念ながら残したい雑誌でも消えます。
「情報の形式」を技術と時代が決定づけていくことは、
我々の基底的な要望なのかもしれません。
よって、その発行企業である新聞社という企業そのものの効能が
あらためて社会的な位置づけ変更を求められているのでしょう。
その企業系列にあるTV企業も同様に大変革されるでしょう。
しかし、新聞紙やTV番組が時代的な検証によって、
私たちが必然と考えるモノ=メディアは残って欲しいのです。
けれども、商業主義のこれも時代検証の結果、
消滅が見え始めているメディアも出てきました。
私は、デジタル化される情報の新たなメディア予想論を
デザインからも見いだしていきたいと考えています。

「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」
「記号はNetworkとServerと私たちのimageに存在する」
「情報化への入り口は記号論or記号学だった」
「日本語・『情報』はなぜ曖昧になってしまったのか?」


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6月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 8th, 2014  Posted 9:30 AM

6月8日 辛亥(仏滅)

何かのかたちに「成る」というのは、
まさしく、
子供たちのそれこそ
アニメーション・キャラクターたちが
ヒーローでいることの
証ではないだろうか。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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『進化していないクーラーとその工事・現場知らずの製品』


   


     6月 8th, 2014  Posted 12:00 AM

自宅をリニュアル工事=これで実態を把握しました。
クーラーを新製品取り付けになりましたが、私が立ち会いました。
最大の理由は、工事店が最も良いとの評価でしたが、
取り付け位置を大間違い、ゆえ詳細を知る私が見届けました。
工事店の現場の人は大変なことだったでしょう。
かって、Gマーク審査委員長時代に、応募クーラー全てを選ばず、
大問題になったことがありました。やり直しが必要でした。
それは建築関係審査委員たちからも「これは製品ではない」と。
私自身、製品を分解して、全企業全製品が不完全と判断しました。
それからやや進歩?していたのかもしれませんが、
結局、今回工事を見て全く駄目と評価しました。
現在のGマークは選別制度が審査委員自体が無知的をみかけます。
審査委員に選ばれたことを驚喜する作品無しの審査員が増え、
製品知識が大不足審査ゆえ海外への賞応募が増加している有様です。
Gマーク制度の批判は一応控えますが制度の腐敗が進んでいます。
さて、クーラー製品の技術もデザインも設計は遅れています。
現場で再度取り付けのための作業を残し、水平垂直も出せません。
日本の造船と日本の文具を審査した私の本分として見逃せず、
すべての作業を見届け、指示せざるをえなくなりました。
この実態は、マンション業者も、ましてクーラー製品会社も、
社長は知らないでしょうが、「やり直しは必然」のはずです。
クーラーは相変わらず室外機デザインは未熟であり、
単に競合企業同士の「装飾デザイン」はデザインにあらずです。
取り付けの誤魔化しや、子細な取り付け位置間違いなど、
立ち会ったのが私ですから、業者さんは大変だと自覚しながらも、
私は、クーラー全企業、その全社長に提言します。
この製品は「日本のモノづくり」にはなっていません。
所詮、中国での大量生産での儲け主義がはびこっています。
ユーザーは「サイレントユーザー」になっているのでしょうが、
私は厳しく非難しておきます。
当然、取り付け位置間違いはやり直してもらうつもりです。
だれかユーザーが明確に発言提言をしなければならない日本です。
いづれ、日本のGマーク制度は大批判しなければなりません!

『これはデザインの大きな問題である!』
「*貿易国策の一つがGマーク賞制度、その審査委員資格*」


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6月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 7th, 2014  Posted 9:30 AM

6月7日 庚戌(先負)

何かのかたちに「成る」というのは、
まさしく、
子供たちのそれこそ
アニメーション・キャラクターたちが
ヒーローでいることの
証ではないだろうか。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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『3Dプリンターブームは「軽薄な流行」にすぎない!』


   


     6月 7th, 2014  Posted 12:00 AM

光造形システムを真にやりたいと思ったから大学人になりました。
名古屋市立大学芸術工学部の新設とともに、
私の研究室には、当時最高ランクのステレオリソグラフィが入り、
それから、3D-CADはほとんど使ってきました。
本来日本の発明が公的な認可がとれずにすっかり米国主導でした。
そして、今や、3Dプリンターが「流行」です。
しかし、その内容はほとんど見えていないことは事実です。
現にプリンターメーカーは手をこまねいてこのブームを見ています。
それは企業もしかり、行政もしかり、その親元の省庁に至っては、
質問をうけるたびに私は(・・・またきっと日本は負ける・・・)、
流行現象のガイドブックもあきれ果てる内容が膨大です。
今、海外製の新しい3Dプリンターは輸入が出来ません。
理由は簡単です。日本人の能力がこれを運用すれば、
3Dプリンターは「日本の産業」にしてしまうと疑っているのです。
当然です。今度は国外にこの技術と展開=3D-Printingを絶対に
彼らには私の理想は委ねないつもりでします。
大学人になってすぐ、新設のある大学院大学に行きました。
そこには皇太子殿下も見学された最新の光造形研究室がありました。
ころがっていたのは、ゴジラ=フィギュアです。「これに未来が?」
同行してもらった工学博士専門バリバリの教授が私に言いました。
「川崎、まさか光造形でフィギュアづくりはするなよ」と。
「光造形がフィギュア程度で終わるなら未来は無い」と叫びました。
なるほど、その後、光造形でフィギュア(=今ならiPhoneケース)、
私自身も3D-Printingでケースとブレスレットを創ってもらいました。
しかし、iPhoneケースの限界、その最高がはっきりしました。
3Dで、真のモノづくりをいよいよ私はこの仲間づくりを開始します。
具体的な展開とはこういうモノだ!そろそろ披露していきます。
3D-Printingをベースに、この産業化は日本が主導しましょう。
このグループへの参画を募集しますから私に連絡をください。
展開の具体化を見れば、これは日本だから「出来る」と
必ずわかってもらえると考えています。

『光造形から3D-Printingまでをプレゼン』
「3D-PRINTING阪大イベントで間に合わせてもらいました」


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6月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 6th, 2014  Posted 9:30 AM

6月6日 己酉(友引)

デザイナー、
われわれは今、
ことばとかたちの
「再・脱構築」が
必要なのかもしれない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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『本日も審査だが、日本の船舶デザインをデザイン対象に』


   


     6月 6th, 2014  Posted 12:00 AM

この審査委員になり、しかも「関西海事教育アライアンス」で、
「海洋デザイン論」もすでに担当してから、
海事工学・港湾・船舶・造船などにも慣れてきました。
海洋国家である日本の海事産業から漁業・海洋開発・海事流通など、
日本人としての自覚はさらに明快になってきています。
日本の海事関連が今や産業としては困難な立場にあります。
だから、Car of the Yearはとても有名になってきていますが、
Ship of the Yearが存在していることを知ってもらいたいのです。
悲しいかな、遠洋漁業は国際ルールで、
これまで日本が培ってきた技法は全て使えなくなってきています。
オリンピックで日本選手がメダリストになると、
その競技ルールを変えて、日本人をメダリストにしない、
そんなことを海事産業で今年も強く感じました。
さらに、どれだけ世界の海には「海賊」が多くて、
その対戦技術が認められていないばっかりに、泣き寝入りか、
あるいは放棄せざるを得ないかなど、
審査会での審査プレゼンで聞くことができます。
今年度のグランプリは、いづれ発表されるでしょうが、
日本人のモノづくりは、そのような逆境をバネにして、
新たな造船を試みています。
私は、なんとかデザインの対象に造船をと望んできていますが、
この審査会でも「厳しい人」に見られているようです。
国際ルールに閉じ込められてしまう海事関連産業の革新性を
ともかく私は見つけ出したいと思っています。
いづれグランプリ造船や各分野の部門賞造船に注目して下さい。
いずれにせよ、海洋国家はもう一度、海洋関連産業には、
私は大きな夢がまだまだあると確信しています。
つまらないモノづくりには、やはりデザイナーの本音は守ります。 

「Ship of the Yearの審査員になって知ったこと」
「関西海事教育アライアンス・6年目の演習課題プレゼン」
「関西海事教育アライアンス・6年目」


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