kazuo kawasaki's official blog

Archive for 6月, 2014


6月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 5th, 2014  Posted 9:30 AM

6月5日 丁未(赤口)

バブルの時期には、「知」の体系として
デザインには「文化としてのデザイン」、
その自覚を強固に求めていた。
これはバブルが気づかせてくれた
デザインのひとつの進歩であったと認めている。
が、その経験を語れるデザイナーは数少ない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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『Macの進化と自分の進化は使い分けるべきでしょう』


   


     6月 5th, 2014  Posted 12:00 AM

iOS7はジョブス氏の置き土産だったと思っています。
私はこれが画面表示技術の進歩が裏付けであり、
それこそカリグラフィーに表れていたことを言ってきました。
MacOS Xも進化してきましたが、
この二つのOSには棲み分けはもともとありません。
iPhoneとiPad、そうしてMacbookそれぞれの使い勝手でした。が、
私の期待はiOS8で進化したかも知れませんが革新は起こらずです。
折角、米国から最新状況を届けてもらえる方々には、
この評価と判断の基盤は知りつくされているのでしょうか?
無論、マイクロソフトには無関心であればあるほど、実際は、
iOSとMacOS Xがなぜこれら二つのOSが必然であったのかは
分かっていると私は判断しています。
基本は、XcodeでのJohn the Ripperを読み解く能力を
果たしてどれほど進化させているかが私は問題だと思っています。
根本は遠隔操作とその回線、パスワードファイル管理です。
私は次世代デザイナーによって不可欠なこととして、
Mac上でのプログラミング能力養成を言い続けてきました。
しかし、プログラミング能力はデザイン能力にはなりません。
これだけは強調しておきます。
なぜなら、このことを勘違いしている輩をやたら見かけるのです。
プログラマーはデザイナーには決して成り得ません。
デザイナーがプログラマーを基盤にしたところで、そんな輩には
決して、コンピュータの中に美を創出することは不可能です。
私が主張していることは、デザイナー能力にプログラミング能力、
この教育養成が必要だということです。
したがって、iOS8と新たなMacOS Xから革新的なディバイスと、
ネットワーク、特にパスワードファイルが生まれることです。
それが果たしてApple社からかどうかはまだ未明なことでした。
まず、MacユーザーもiPadユーザーもKeynoteを使うことです。
それをiOS8が支えてくれることを私は評価しています。
なぜなら、それが遠隔操作の表示インターフェイスでは、
この想像力がこれからもMaxと自分を分別していくでしょう。

『1984年からMacintoshとの付き合いが私の重大経験』
『Programmingが整ってきたのはMacの世界になったから』


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6月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 4th, 2014  Posted 9:30 AM

6月4日 丙午(大安)

「つくられていない」ランプである、
ということの強さをあらためて見つめて
みなければならない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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『「空港ゲート」に象徴されている持ち物検査』


   


     6月 4th, 2014  Posted 12:00 AM

まず、私はこの空港ゲートは通過不可能です。
それを証明するカードも持参していますが、
国内では使用したことがありません。
そして、特に国内の空港ゲート通過後の身体検査は適当です。
持ち物検査は確かに小学生の頃経験したことがありますが、
何の思い出もありません。しかし、空港ゲートでは、
嫌な思い出や、冗談を言いすぎて別室検査も受けました。
とても厳しくしかも嫌らしいほどだったのは、ワシントンでした。
ワシントンでは在日大使館参事が同行していたことなのか、
あるいは、日本人だったからなのか、
すでに過激な喧嘩寸前にまで私は激昂したことまであります。
ともかく、この持ち物検査をしなければならないほど、
国際関係では地球人全てが「性悪説」人間だということです。
最も「性善説」人間として国外に存在することは無謀過ぎます。
ともかく、このゲートは全く進化していないことは確実です。
私がこのゲートを通過してはいけないのは、
ICD(体内植え込み型除細動器)をしているからです。
しかも車倚子で、最近はリチウム電池電動車ですから、
空港ゲートに象徴されている持ち物検査は耐えきれない厳重さに、
私はいくつかのいたづらをついつい思いついてしまいます。
いけないことですが、この「性悪説」オンリー現代への
呪い返しなのかも知れません。
デザイナーとして、いつも思うのは、なんとか「性善説」という
そのようなゲート装置デザインと持ち物検査制度を望みます。
電動車椅子がこれから増加するでしょう。
体内への人工物埋め込みも増えてきますから、
このゲートそのものが一新されるデザインは不可欠です。
そして何よりも「性善説」地球人に人類は成長すべきですが、
これはほとんど不可能だと思っています。

「除細動器埋め込み入れ替えより生還」
『そろそろ電動車椅子デザインの時期=一人称デザイン』


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6月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 3rd, 2014  Posted 11:10 AM

6月3日 乙巳(仏滅)

むしろアニメーション・キャラクターには
子供たちなりの「知」あるいは「智」への
刺激が備わっている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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『「左手の論理」は左右利きを誘発する才能だと思う』


   


     6月 3rd, 2014  Posted 12:00 AM

左利きは生まれながらにして決まっていたらしい。
私が生まれると何でも左を使うということで、
左利きを矯正するために祖母は、
私の左手を着物と一緒に結わえていたと聞いていました。
ところが、私は直ぐにそれを懸命にほどいてしまったと聞きます。
幼稚園(どういうわけか私は幼稚園も転園?)時代は、
「周りがみんな左利き」と言い回っていたらしいのです。
その頃から、私は左右利きになり始めた記憶があります。
それは絵を描いて着色していくときに右手で塗ると早い!のです。
次には、英語を黒板に書くときに、
ハッと気づいたのは、英文は左手が便利で、漢字は右手でした。
美大では、自分の手を描く練習をさせられましたが、
なんと、これは私が教授になった最初の大学、
名古屋市立大学芸術工学部の最初の実技試験問題に成りました。
第一期生入学の倍率は40倍だったので、その実技採点では、
素晴らしい作品がありましたが、その数作は不合格でした。
印象に残っているのは、指紋のパターンで描かれた表現でした。
彼もしくは彼女に、私は才能を感じましたが不合格。
理由は、学科試験の点数倍率が高くて実技試験は付け足しでした。
学科と実技で、デザイナーの才能を分別することは不可能です。
それ以来、私は自分が左利きから左右利きになってきたことを
とても強く意識するようになり、仕事知識のために、
結局徹底的に知るようになったのは、手の筋肉と腱の構造でした。
なぜ、左利き?、理由は明快でした。
左手の腱には生まれついた強靭さがありました。
これがなぜ先天的なのかは不明ですが、反対に、右手で筆記、
特に漢字を書くことが右手の腱を鍛えたように感じています。
私にとって、両手の腱こそ、手の器用度を決定している能力、
すなわち、手にこそ才能が息づいていると確信しているほどです。

「私の教授室にはドラフターは2台」


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6月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 2nd, 2014  Posted 7:12 PM

6月2日 甲辰(先負)

私は、
「つくる」という作業には、
プラスとマイナスがあるという
分析と解説をしている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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staffblog 6月2日


   


     6月 2nd, 2014  Posted 2:23 PM

6月02日

Fole「フォーレ」
2014年6月 No.141


釈徹宗のだから世間は面白い 第18回
「命を支える医療にも
「デザイン」が必要だ。」

釈徹宗先生とボスの対談が
掲載されました。
詳細はこちら>>


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『隣国から必ず取り戻すべき「拉致被害者」の人々』


   


     6月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM

日本が正当な民主主義法治国家であるとするなら、
国民はその生命と財産は国家によって護らなければなりません。
しかし、私たちの同胞は、隣国の独裁国家によって、
「拉致」されたまま、救出することすら出来ません。
日本にとって最大で一番の問題だと私は考えています。
「隣人を愛せよ」とは隣人を愛することの不可能さへの戒厳です。
現政権にとって、様々な政策の最大目標への取り組みが
新たな進展を遂げようとしています。
ところが、この国家的なあり方を喪失している独裁政治の企み、
国民を独裁制で縛り付け、私たちには不可解過ぎる「拉致」へ
本当に「解放」をしてくれるのでしょうか。
拉致被害者の両親たちの方々もすでに高齢であり、
拉致された親子関係を壊された方々もいっぱいおられます。
私は単なる市井の人間にすぎず、この「拉致問題」には、
何もすることができません。
その無念さを書き留めなければなりませんが、同胞の生命が、
独裁国家の政治的な策略で失われることはあってはなりません。
拉致被害者をなんとしても解放と帰国を祈念しています。
拉致被害者を取り戻すためにこそ、国家・国民として、
この独裁国家へは、正当な防衛対策が昂じられるべきです。
もし私の親族であったとするなら、どれほどの苦しみでしょうか。
一日も早く、ではありません。
即刻、彼らを解放し、拉致かもしれない膨大な不明者を
なんとしても取り戻すべきです。
「隣国を愛せよ」とは、隣国の荒唐無稽さを仕方無く、
彼らの生命のために、堪忍せざるをえないということでしょうか。
拉致されたかも知れない人たちの膨大さに無念さは拡大します。

「拉致問題解決が先決、現代問題解決は不可能を表徴」
「同胞を救出せよ=わが国の最大的政治問題である」


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6月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 1st, 2014  Posted 9:30 AM

6月1日 癸卯(友引)

「知」への観察力と批評力は、
次世紀への新たな「知」を
体系化してくれないのでは
ないかと想像してしまう。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』8脱構築という命題


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