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Archive for 8月, 2014


8月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

8月16日 己未(先負)

先端的でありたいと言いながら、
「情報化装置」すら
時代遅れで、
何が出来るというのだろう。


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『「Consilience」概念定義のための書籍はここから』


   


     8月 15th, 2014  Posted 12:53 AM

「先端的」、「医工連携」、「融合化」、「統合化」とは、
企業や大学では当然のごとくタイトル化され、いかにも未来性とか、
これは明白な大嘘です。
「先端的」に、先端性など見たことがありません。
「医工連携」で確実な「商品」など存在していません。
「融合化」は絶対にしなければなりませんが、概念不足甚だしく、
「統合化」の困難さを知れば知るほど、無理難題が浮かびます。
企業デザイナーから出発し、身体障害・心臓障害を認定された私は、
絶対に「嘘つき」にはなりたくないことを信念にしてきました。
しかも、大学環境でなければ生きられない人間を沢山見てきました。
大学が輸出産業に寄与しているコト皆無も確認したでしょうか。
不必要な大学だらけのわが国です。
そして、財団法人とか社団法人には、税金逃れと天下りを一杯知り、
こうした学府や組織が、国家形成をしているとは全く思えません。
かって「焚書坑儒」というコトがありましたが、
私はその心境にならざるをえない書籍も山ほど見てきました。
だから「勉強」することこそ「人格を形成する」というこの盲信性、
勉強すれば人格形成できたと思える人物には、まるで実績皆無です。
いい加減なデザイン、デザイナーには「喧嘩」を恐れません。
これから、「コンシリエンスデザイン」で、
真の先端性・医工連携・融合・統合を再整理します。
それは、明らかに「実績実務」をこの世界に差し出すためです。
1603年アカデミア・デイ・リンチェイ=Academia Die Lanceが、
最初に「見えざる大学=invisible college」を提唱し、
専門分化された領域が提示した融合と統合による「パラダイム」。
これはまだ未完のままゆえその画期的な概念やデザイン方法論こそ、
「コンシリエンスデザイン」に成るものと確信し、
その定本的な書籍から勉強ではなく、認識力を獲得します。


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8月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 14th, 2014  Posted 12:00 AM

8月14日 丙辰(赤口)

未来は目の前にある、と
思い込んでいる人がほとんどである。
これは大間違いである。

未来は背中にある。
「Back to the Future」
この真意は、
すでにギリシア時代から語られている。

「川崎和男 強い人弱い人」


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『メガネフレームに取り組んで30周年、その記念モデル』


   


     8月 14th, 2014  Posted 12:00 AM

Vividusというラテン語は英語ではVividになります。
日本語では簡単にVividカラーと呼んでいますが、
元来「V」には生命力という意味がヒエログラフとしての象形が
秘められていますから、Vividにはもっと深遠な定義があります。
さて、気づいてびっくりですが、すでにメガネフレームデザインは、
「Kazuo Kawasaki」ブランドでシリーズ化されて30年になります。
当初、メガネフレームのデザインでは、
かつてヘッドホンデザインに取り組んできた経験が役立ちました。
しかし、日本にはメガネ加工士=オプティシャンと、
眼鏡鑑定士=オプトメトリスト(大学で医師教育と同等6年)という
眼鏡医師=日本なら眼科医の制度がありませんから、
無資格であっても簡単に眼鏡店経営が出来てしまいます。
私ブランド商品販売は訓練された加工士と鑑定士能力のお店だけです。
しかも、今では3プライスの廉価店が無知識なTV-CMを放映して、
常識操作まで行っている有様です。この宣伝にはあきれます。
私が産みだした、「アンチ・グラビティ」という体感軽量さや、
「アンチ・テンション」構造のレンズ応力無負荷は模倣されてます。
さらに、最近ではモニター対応のPCメガネなどは、
青色カットだけを広告訴求していますが、まったく無謀です。
モニター対応は「ドライアイ対策」が肝心ですから、
私の「ウインクグラス」が唯一の製品です。
いづれにしてもメガネフレームのデザインは牽引していくつもりです。
だから、この記念モデルは、カラーイメージではスポーツ的な
いわゆるデュアルVivid Color=二色組み合わせと、
確実な「アンチ・テンション」構造を実現しています。
これだけのカラーに対して、もう一つのカラー製品がありますが、
それは店舗毎の販売キャンペーン対応を準備しています。
Vividusゆえの「生命力」がなぜ二色カラー組み合わせなのかは、
この30周年記念での物語りデザインにしていくつもりです。


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8月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

8月13日 丙辰(赤口)

勉強、
生涯が勉強、
勉強をするから全人格的に成長する私?
という考え方をしている人がいます。
勉強することは、
それはある種の宗教的盲信です。

勉強などは、
生徒・学生であるための行動条件に過ぎません。

成長する自分のために、
あるいは
全人格性を修練と精進させるには
勉強することではありません。
それが「何か」が見えない知性から
智恵は生まれないのです。

「川崎和男 強い人弱い人」


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『「コンシリエンスデザイン」名詞格を接頭語にした新概念』


   


     8月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

ユニバーサルデザインからHCD、そしてインクルーシブデザイン。
design for allという概念の変化とともに、
デザイン活動の背景論理をその表現意図と内容にしてきました。
「障がいは否定的なものでない。新たな解釈であり、
わくわくするものである。」という帯文の
「インクルーシブデザイン」の書籍を読むと、障害者としての自分は、
障がいとは否定的どころか、なんとしても肯定することを言い聞かせ
新しい解釈などが、出来るわけがありません。
まして、わくわくする?・・・ふざけた発想だ!と怒りが走ります。
本来、インクルーシブとは、エクスクルーシブとの対立概念と、
比較し、その差異性を会話形式で位置づけることが基本です。
それはエクスクルーシブ=排他・排除として対立概念にしないこと、
この知性が根本的に大欠落していることであり、
あたかも「インクルーシブデザイン」という嘘つき構造に気づきます。
したがって、昨夜は「コンシリエント(形容詞)デザイン」を、
これからの活動タイトルにしてきましたが、
阪大で論議をして、名詞+名詞(動詞)に決定しました。
かつて、エコロジカルデザイン賞をGマーク賞にするときも議論し、
エコロジーデザイン賞にした概念検討を思い出しました。
[正直、現在のGマーク審査は根本原則を喪失しています]
[応募し、審査するだけの審査委員能力の欠落を断定します]。
それまでは「地球にやさしい賞」にエコロジーへ変換した話です。
それはエコロジーとは何か?だから形容詞接頭語を辞めて、
「何がエコロジーか?」というデザイン、この意味と問いかけでした。
したがって、「インクルーシブデザイン」という概念間違いではなく、
「コンシリエンスデザイン」こそ、自然科学+人文科学の融合を
さらに、「医工学」では何も実現出来ないがゆえに、
看護学・保健学でさらに強化をして、融合から統合化する実務こそ
「デザイン看医工学」を「コンシリエンスデザイン」に決定しました。
それは、看医工学という学術性を産業実績的な効果と成果のために、
「何がコンシリエンスデザインなのか?」を基礎概念にしました。
その専門家をこれから阪大が人材育成していくということです。

consilience
agreement between the approaches to a topic of different academic subjects, especially science and the humanities.


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『「コンシリエントデザイン」・・・新しいデザイン定義』


   


     8月 12th, 2014  Posted 4:56 AM

デザインは問題解決の実務手法として、
今、流行中の「インクルーシブデザイン」ではとても間違いが多く、
そのことに書かれた本では、実感が皆無だと感じていました。
そこで、医学系研究科の看護学と保健学から、
「自然科学系と人文科学系の融合への位置づけ」という提案があり、
早速、そのことを追いかけ直して、資料を作成しました。
それは「人材育成」を危機解決のために、
基礎工学・工学・医学系の医学・看護学・保健学を融合し統合を
来春、阪大から発信するための準備資料づくりでした。
造形言語(デザイン意図)意味すること、と
形態言語(デザイン内容)意味されることは、
すでに博士号学位論文として公認されていることですから、
新たに「コンシリエントデザイン」はデザイン文理学を母体にした、
デザイン理工学・デザイン医工学・デザイン政経学を整理できます。
間違いだらけの「インクルーシブデザイン」では解釈不可能なことを
信頼する教授から、その基礎学も指導されて辿りつきました。
「インクルーシブデザイン」で語られる排他主義では無い、
包括デザインなどという訳語認識にこそ実感の無い著述があります。
私が正式に大学側に差し出すことで悩んでいたことがすっかりと
解消されたことになりました。
この資料づくりから、提示されることでこそ、なんとか、
大学での学術的な融合と統合を背景にして産業経済でのデザインを
議論に持ち込むことが見えてきたようです。
これからさらに「デザイン」の奪格頭語として「コンシリエント」を
持ち出すことが可能になってきたようです。
今後は、この論理構築を形態設計から制度設計に拡大していきます。
これからのデザイン学の焦点化が出来ました。

consilience
agreement between the approaches to a topic of different academic subjects, especially science and the humanities.
形容詞は consilient


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『PCモバイル性は充電池とそのコネクターで護る』


   


     8月 11th, 2014  Posted 12:00 AM

いち早くMacintoshを道具にしてきた私にとって、
いつでもPCの携帯性では電源を72時間は確保することにしています。
そして、現状ではMacbookAir11とChrome11を使い分けしています。
USBコードは自分用はDIYもしています。
最近OSは、MacOS XとChromeOSの併用が面白いと思っています。
ともかく、「情報装置を最新にする」ことはリーダーの基本です。
日本の技術は何でも最高だと思い込んでいる人が多すぎます。
もうそんな時代に日本の存在感は薄れていることも理解すべきです。
HPのChromeOS with Googleは未来を捉えているPCかも知れません。
ソニーがVAIOを事業から手放した企業戦略は、AIBOさえ辞めたことは
間違い無く、日本の存在感を失ってきている証拠かもしれません。
急速充電バッテリーの容量は増強されてきていますが、
今なお、発電・送電・変電が電力会社に統轄されていることや、
再生可能エネルギーで、ソーラー発電、風力発電では無理なこと。
その十分な知識がマスコミ・ジャーナリズムには大欠落です。
PCの携帯化を支えているのは、スマートフォンとパッドがあります。
したがって、これらの電源確保には智恵を使う必要があります。
既製品も徹底的に自分用は自作しなければならないほど、
パソコン周辺機器メーカーにはその発想も欠落しているほどです。
その上にウェアラブルPCの登場、3D-PRINTER、PCメガネまでも
一般的には相当の知識不足を私は感じていますから、ついつい、
どうも上から目線になってしまいますが、結局は、
PC周辺の携帯性を支える電源というエネルギーと全ての使い勝手に
私は一般的なマン・マシン・インターフェイス思想の貧弱さを
感じ取ってしまうからです。
だから、駄目なコトにはいつでも喧嘩を仕掛けなければ、
いつまでたっても日本はますます貧しくなっていくのでしょう。


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8月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 11th, 2014  Posted 12:00 AM

8月11日 甲寅(仏滅)

自分の能力・知識は「情報力」と、
「歴史経験力」で智恵が生まれる。
そのためには、
自分の情報装置と
自分の歴史認識を元にする経験則には
常に新鮮さと最新性への姿勢が要る。

果たして、
そこまで自分を追い込んでいる人は
本当に僅かだと感じてならない。

「川崎和男 強い人弱い人」


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『新ブランドのイニシャル商品「大袱紗」の歴史に思う』


   


     8月 10th, 2014  Posted 12:00 AM

絹織物の歴史は奈良時代から養蚕=繭から生糸の智恵が進化します。
明治期には生糸の輸出では、限界がきますが、
由利公正は、橋本左内と横井小楠から学んだ殖産製造制度から、
欧州視察で絹織物の実際を見聞して、織物職人3名を派遣します。
彼らは、富岡製糸場を指導し、西陣織りを再興して、
その技術に、経糸を二本に緯糸一本で「羽二重」という光絹技術が
やがて人絹となって、現代のポリエステル産業につながっていきます。
明治期が始まる大きな要素は、適塾・ペリー来航・安政の大獄、
ここから、咸臨丸の渡航1860から、1870年代にようやく、
わが国の文明開化の中軸は織物産業が輸出経済となったことです。
私は1800年代の歴史は徹底的に暗記するほど、
この頃の産業全体を関係づけてきたと思っています。が、
いつも、幕藩体制の維新が決して無血革命ではなく、
安政年間のあまりにも悲惨なこと、安政の大獄と安政の大地震が
現代への歴史起点だったと何度も確認しています。
小説では坂本龍馬や福澤諭吉に焦点があてられていて、それこそが、
あたかも歴史の体裁になっていますがこの大誤解に対抗しています。
わが最大の敬愛者・橋本左内は26歳で斬首され、龍馬も暗殺、
横井小楠も大誤解のなかで暗殺されてしまうのです。
生きのびたことが歴史に燦然と輝いてしまいます。
由利公正(藩士・三岡三郎)は五箇条のご誓文=船中八策原本と
銀座がレンガづくりの都市計画になりますが、
やはり、私には、日本が明治期を迎えて、文明開化の華やかさには、
一方で、大獄と大飢饉があり、斬首と暗殺の歴史哀情に悲嘆します。
特に橋本左内は16歳で「啓発録」を書き26歳までのたった10年間に、
凝縮された思想と行動に限り無い敬意を抱いています。
新ブランドの最初「O-FUKUSA」は彼へのオマージュです。

「蚕・繭・絹・・・観察が『技』を決める」
「『SILK』Projectが示唆している重大さ」
「芸術という技法が引用したことから」
「憧憬の人物、その実筆書状を探す」
「会えずとも、誤解されようが・・・私は語り継ぎます。」


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