kazuo kawasaki's official blog

Archive for 11月, 2014


『知財権は意匠権によってコンシリエンスデザインとなる』


   


     11月 30th, 2014  Posted 12:00 AM

「知財権」が日本に上陸してきてから、企業と大学でブームです。
しかし、知財権とは、あくまでも契約が、
司法社会そのものを変更し、あたかもそれがグローバル戦略という
信頼性社会を破壊してきたと言うことが可能です。
特に日本の大学での知財権運用には、
まだまだ経験も無く、さらに中国社会への対抗策もないままに、
私は、無論理な担当者だけが増えていると明言しておきます。
日本における、知財権の源は五つの権利があります。
かねてより、私は意匠権を中心にして、権利位置を確認すると、
文科系と理科系、人文科学と理工科学、文系と理系が分断されますが
デザイン、すなわち、誤りだらけの意匠権を中心にすれば、
学際性の権利は、デザインが中核になって学際性がはっきりします。
しかし、グローバル的には、著作権、商標権には、
国際的な協定や議定書がありますが、肝心の理系・理工科学系は、
世界的にも暗闇に置かれたままであることを知るべきです。
これをいい加減にしているのが、なんとか規格やなんとか認定です。
あたかも国際性を盾にしているだけであり、
私はこの知財権というあたかも利己権利を解放すべきだと考えます。
大学人になって、デザイナーと兼務しながら、
私はあくまでも、産業的かつ経済的を基盤に文化的実績創りを
目指してきましたから、知財権をまともに語るならば、
それは、文化と技術、それこそ学術性の結合・融合・統合だけです。
したがって、私が提言し提案する「コンシリエンスデザイン」は、
ようやく、この知財権そのものを修正していく手法につながります。
契約社会という利己的権利主張も解放されるべきでしょう。
パブリックドメインという提示とその具体化は、
すでに情報社会の基盤にさえなっているのですから、
「コンシリエンスデザイン」での学術性の分解こそ、
新たな統合化での司法的な制度設計をも
可能にすると予知しているのです。

「未構築・非構築な『知財権』と制度設計」
「知財権・意匠権改変の対象となった商品開発」


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11月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 30th, 2014  Posted 12:00 AM

11月30日 乙巳(赤口)

もっと明確な消失点を
いくつか打ち直すことが
想像を絶する
あの天災と対峙した私の
「生きていく」、最後の糧である。

川崎和男Design 図鑑


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『「ブランド」論を語る無知なコンサルタント信ずるなかれ』


   


     11月 29th, 2014  Posted 12:00 AM

「ブランド」を語る、書籍、TV教育、企業・行政指導が流行です。
いわゆる「ブランド論」が盛んに、いや喧騒に語られています。
ところが、肝心な原意を語らずして、
なぜブランドは商業主義風的、経営主義風的な言説が可能でしょうか?
元来は、焼焦げた跡を意味していました。
それが、酪農での牛の烙印になることから、ブランドが始まります。
ところが現在は、酪農で、烙印を押すことは禁止されています。
それはよくわかるはずです。
烙印を押すというのは火傷をさせて「持ち主」を確定することです。
現在は牛の耳にラベルを付けることになっています。
このラベルのデザイン、この考え方はデザインから生まれました。
すなわち、ブランドはラベルになってしまったということです。
したがって、烙印からプラスチック製のラベルというコンテクストを
「ブランド論」では二つの文脈的な解釈が必要だということです。
烙印→ブランドは、その所有者がものそのものに目印をつけて、
明らかに区別していたということになります。
もう一つはラベル→ブランドは育成者がモノづくりに目印をつけて、
明確な分別をつけているということです。
そして最も重大なことは「アイデンティフィケーション」、
自己同一性という心理学で、すでにこの区別と分別は論理的にも、
デザイン手法として決定していたことです。
このことの断片も知らないブランド論は勘違いと大間違いなのです。
このことを語るコンサルタントは詐欺師と断言できます。
決まって、彼らがブランド論で「差別化」を発言します。
生産者を、商品を、企業存在を差別論で語り出せば、それは間違い。
なぜなら、ユーザーを差別化したところにブランドの区別と分別は
消滅しているということです。
ブランドを判別することを差別しているブランドこそ、
区別され分別されて、その差異性で決定付けられていることです。

「C.I.デザインの源流としての思想」
「ブランドを語る前に、ブランドマーケッティングの大欠点」


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11月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 29th, 2014  Posted 12:00 AM

11月29日 甲辰(大安)

ことばとかたちは、
ははとちちである。

はは、
ばば
おば、

ちち
ぢぢ
おぢ

ことばは女性詞であり、
かたちは男性詞である。

川崎和男「強い人間弱い人間」


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『「アノニマスデザイン」の代表例に選んだモノが消滅』


   


     11月 28th, 2014  Posted 12:00 AM

そういえば、かつてある雑誌の企画で、
「アノニマスデザイン特集」というのに寄稿と代表例を出しました。
市販される弁当の類には醤油が魚鯛と呼ばれる容器に入っていました。
私は最もアノニマスデザインの実例として最適だと思っています。
その雑誌の特集でも、私が選んだモノの良い評判がありました。
ところが、最近はタレビンと呼ばれて、形態も単なる、
ミニチュアの形に変わってしまっています。貧しい表現です。
これはもはやアノニマスデザインと呼べるモノではありません。
アノニマスデザインについては、美大時代に、故・柳宗理先生から
徹底的な講義を聞き、それは就職後も先生のセミナーでも受けました。
先生はすでに有名でしたが、アノニマスデザインについて、
それこそがデザインの本質という講義を聞かされました。
正直、私は若いときには、やはり、有名性を求めてきましたが、
デザインの本質ではアノニマスデザインには、問題解決があって、
形態言語には必ず審美性が造形言語=デザイン意図、結果=美、
この方程式が成り立っています。
魚鯛と呼ばれていたモノを見かけなくなってきたことは、
ある意味では、デザインの本質が遠のいているとさえ思います。
今では、少なからず、デザイナー名を商品の背後に求められますが、
もはやそのようなことはどうでもいいと考えています。
したがって、本当は私のデザインであっても、
その企業がつまらない存在であれば、無名性、匿名性にこそ、
私は大きな意味があると思う年代になってきたように思います。
しかし工業デザインという職能そのものが社会的評価がありません。
したがって、そういう意味では、アノニマスデザインでは
モノの存在にデザインの意味性が無くなってしまいます。
その実例に、現在のタレビンでは、デザインは無いのです。
やはり魚鯛こそが弁当の問題解決と審美性があったということです。


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