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Archive for 12月, 2014


『医薬品業界の誤った市場認識と経営方針・大錯誤』


   


     12月 14th, 2014  Posted 1:04 AM

酒や煙草企業が市場拡大をめざせばめざすほど、
アルコール依存症や癌発症患者が増加することは明らかです。
酒・煙草企業の市場認識には社会学的な倫理性が制度化されるべきです。
同様に、病気患者の治療や療養には医療機器や医薬品は大量に不可欠。
よって、患者は購入者やユーザーであり、医薬品業界では、
企業利益獲得のために患者数の増加が期待視されることも分かります。
それならば、患者獲得のために医薬品企業の進歩があるのでしょうか。
そうなれば、ディスポーザブル=使い捨ての医薬品・医療機器部品が
と当たり前の企業方針がそのまま企業理念になります。
ディスポーザブルなモノの破棄処分性など、その制度は、
患者あるいは人間主眼なものであるべきです。
しかし現状の制度では、企業擁護的なことが多いと判断しています。
たとえば、人工透析、ずばり人工腎臓であるダイアライザーなどは
すべて使い捨て使用のモノばかりになっています。
しかも人工透析を必要とする患者は増加する一方です。
そしてディスポーザブルなモノが商品となり、
人工腎臓の進化は、市場占有率の競合だけになっています。
人工透析だけにかかわらず、医薬品企業の方針は、
あらためてユーザー認識の大変更が確約されなければなりません。
つまり、あくまでも人間中心主義であり、社会保健学的な認識です。
医薬品企業は、極論すれば使い捨て商品を生産しないこと。
万が一にもそのような商品は、リサイクル性や廃棄制度の一新です。
医薬品業界のために患者が存在しているわけではないこと。
患者の存在があるから、医薬品業界には消費構造をさらに進化させる
購買・使用・廃棄・回収・リユースの新制度化です。
この新制度化と医薬関連商品のモノづくりは同次元だと考えます。
私は、この社会保健学性を医学・薬学・工学の学際化を
「コンシリエンスデザイン看医工学」と定義しています。


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12月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 14th, 2014  Posted 12:00 AM

12月14日 己未(友引)

壊れない自分になるという
決心
決意
その行動こそ、
自己防衛の本能にするべきだ。

自己防衛の本能に、
組織の正当性を
自らが創るということだ。


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『メディア・インテグレーションを追いかけた経験作品』


   


     12月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

ちょうど日本がバブル真っ最中の頃には、マルチメディアが喧騒。
福井にいる私にまで多大なデザイン依頼が連続して来ました。が、
福井から東京を傍観していて「これは変であり自分は加わらず」。
その時に私はApple本社で「メディア・インテグレーション」を学び、
その具体的なsweet-pea開発に従事していましたが、
このコードネームがすっぱ抜かれて、popeye開発になりました。
Apple180万台+IBM80万台+東芝40万台の開発に関わっていました。
私は福井とクパティーノ、時に東京の東芝、
米国からはシャープ(Newton開発)帰りが福井でミーティング。
だから、マルチメディアの不足を知り、東芝に届かないGUIまでを
存分に知り尽くすことが出来ました。これがインターラクション、
特にPCと人間の使い勝手の基本になったと思っています。
メディア・インテグレーションだと未だに言い続けているのは私だけ。
しかし、明確にインターネットだクラウドだというのは、
情報の統合化が進行していることにすぎません。
もっと、明確に言えば、クラウドやインターネットの次世代まで、
それは統合化を超えた新たな概念が必要だということです。
ちょうどsweet-pea(モデル写真)のCDとポップアップメニュー、
とりわけ、このメニュー構造のシンタックスは知られていません。
私は、今、メディア・インテグレーションでの体験からの進展方向を
コンシリエンス=consilienceに持ち込む計画に入っています。
つまり、情報の統合では、元来の「学際」化が必然であり、
それこそシンタックス可能な領域の設定と統合だけの不備さをさらに
焦点化と拡散化を狙っていくことだと考えています。
その実例が、このポップアップメニューに含まれています。
これまでのApple製品にもこのシンタックス性は未登場です。
これからの私のデザインでは、
コンシリエンスとシンタックスを
具体的なこのポップアップメニュー(プログラム有)を
参考に展開していくつもりです。

『コンシリエンスデザインの認識に向けて』


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12月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

12月13日 戊午(先勝)

壊れる自分性を護るには、
組織と対峙し、
組織そのものを壊す
対決心と、
その手法を持てるように、
自分を常に鍛えて実行することだ。

それが実績というものだ。

川崎和男「強い人間弱い人間」


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12月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 12th, 2014  Posted 12:00 AM

12月12日 丁巳(赤口)

人は、個人性をすぐに壊すものだ。
個人性を壊すのは、
「組織」にいるときに、
その保全に懸命になる。

壊れていく自分存在を否定して。
それは、
自分を壊すだけで無く、
周囲、家族までを壊している。

川崎和男「強い人間弱い人間」


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『スマートな人とスタピッドな(前頭葉不能な)人々』


   


     12月 12th, 2014  Posted 12:00 AM

「プレゼン」という言葉はいつ頃だろうかという後輩の大学人から質問。
私は社会人になってから「プレゼ」だと回答をしました。
さて、19人がパワーポイントユーザー(前頭葉不能者)であり、
1人だけがキーノートユーザーであることを確認してきました。
パワーポイントユーザーは、
PCに使われているバカだと主張してきました。
バカ発言はいけないので、スタピッド=前頭葉無し人間とします。
さて確実な経験が私にはあります。資料もそろって保有しています。
PowerPoint1.0は白黒表示時代に、福山市でのデザイン会議で使用。
PowerPoint2.0でカラーになり、マイクロソフトに買収されて以後、
何も進化していないソフト=スライドショー的なプレゼン資料です。
PowerPointに至る前は、IdeaProcessor、MORE、Magicという進化。
NeXTでジョブズは、LightShowを創作しました。
私はApple Japan 10周年記念講演時に、digital equipmentの
ノートパソコンでこの講演会プレゼンにはこのソフトを使いました。
LightShowがKeynoteに進化してきたと明言できます。
現在、PowerPoint使用禁止している大企業が出てきてちょっと安心。
クライアントからは、私たちのプレゼンを見ると、
是非当社もKeynoteプレゼンをと希望されて指導が増えました。
が、Macが扱えずに結局手伝うことになります。
要は、Keynoteで作成すれば、動きは制限されますが、
紙芝居的なプレゼンのPowerPointにすぐに移行できます。
ムービーはKeynoteなら8画面すべてコントロール可能ですが、
PowerPointは3画面で不動失敗例を随分見てきたものです。
そこで、PowerPointで企画書作成ともなれば、
実は前頭葉が働いていないことは分かりきった事実です。
PowerPointユーザーはスタピッドな人々、つまりバカ達集団です。
いうなれば、19人のバカ達の企画やプレゼンなど無意味で「変」!
私は、激しく、彼らをスタピッドな人たちと非難しておきます。
なんなら、PowerPointでKeynote表現を超えてください。
私に見せてください。Keynoteも使えずに、
ジョブズのプレゼン真似事はますます、スタピッドな人々です。
当然ながら、ワイフはiPhone6 PlusでKeynoteを講義に利用しています。

「Media Integrationへのプレゼンテーションツール・4」
『「iPad Air」で講演が可能になりました!』
『ワイフのたったこれだけの授業講義プレゼン道具』


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12月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 11th, 2014  Posted 12:00 AM

12月11日 丙辰(大安)

正眼の構え、
このことが最も人間の器量を表している。

瞳の濁った者は
正眼の構えなどできるわけがない!

川崎和男「強い人間弱い人間」


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『この実例に世の中の無責任でいいかげんさが表れている!』


   


     12月 11th, 2014  Posted 12:00 AM

駅舎の屋根裏に、それなりに機能実装をしていることですが、
まるで、やっつけ仕事であり、
この設計担当者には確実に教育を受けたはずですがやりきっています。
確かに、必要な現代性的技術表現はかなっているだろうし、
ホームを利用している人間も気づいて無視を決め込んでいるのです。
せめて、コード類のカラー表現ぐらいするべきでしょう。
この配線などどうでもいい人間には、無視で構わないでしょうが、
私には許せない。絶対に許せないのダ!と叫びたいほどです。
電柱の電線もこれに等しく、ただ張り巡らせばいい、それが賃金仕事。
それで「構わない」仕事だ、という風潮が間違っていると思います。
この風潮を正すことは、重い仕事だと思っていて、疲れ果てました。
経済とは経世済民を略した、いい加減さがあり、
経営とは、経世済民運営をもっと略して経営なのでしょうか?
いえ、経営とは金儲けの手段にしてしまった貧しさにしたのです。
そんな経営者ばかりが脱税など才能と言い張っています。
貧しさとは、この屋根に取り付けられた配線函そのものです。
日本には、武士道があり、食わねど爪楊枝の真意、極意にまで、
我々が生涯を賭し近づくために生きのびて死を迎える哲学でした。
この哲学に貧しさこそ美学、美学ゆえ貧しさは誇れることでした。
さて、この配線函は貧し過ぎるはずです。これが象徴なのです。
これは「フツウ」なことでしょうか?
フツウが美しいわけはないのです。
フツウの取り違えは、平気で盗作を行います。そんな制度は許せません。
いい加減な連中が、ブームだ、流行だと喧騒化を仕掛けています。
こんな仕事を選ばなかったことは本当に幸運でした。
私は躊躇無く、正視することができます。
正視できる幸運さがあるから、この配線函すら許せません。

『私の大疑問は電力というエネルギーへの不配慮』


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『変だ! おかしい、狂っている、それは・・・私か?』


   


     12月 10th, 2014  Posted 12:00 AM

私は歩けなくなったときにこの時代と私はもう共時できない、
そう思ってきました。
だから正直に言えば、現代は「変」になることをめがけて進んでいます。
駅と新幹線、列車。=列車の進化に駅ホームは不適合!
空港と飛行機。=エアポートという駅に飛行物体は不適合!
港と船舶。=港は何も変わらず、船舶の工夫進化に不適合!
この組み合わせには何の疑いもありません、が、「変」です。
高速になった列車とホーム、ホームの危険度は柵程度では駄目です。
新幹線も、これまでの汽車座席がただそのままの形式が進歩しただけ、
それが、まともだと思っていること自体がおかしいのです。
だから、列車のデザインにホームの設計要素が必要であり、
飛行機への乗降者にエアポート=駅形式は大間違いであり、
現港の沖合まで新しい港は建設し直せば、
船舶の形態デザインも変わるはず。
これが私、デザイナーとしてのアイディアです。
極論すれば、歴史の進化がすべてバラバラのままに、何が進化?
歴史的な実例をひっくり返してこそ、本当の進化のはずです。
景観の哲学に、景気も病気も「変」に除外されてきました。
景気も病気も哲学にその項目がないからこそ、「治せない」から「変」。
景気に向かう、経済と経営ではもう無理なことは明白です。
病気に向かっている医学、看護学では無理なこと分別がつきます。
前例をつくればもう前例以外はこぞって進めてはいけないらしいのです。
こんな「変」な時代、このような社会構造と共時していくには、
気づいてしまった、この不適合性を明確に問題解決する手法、
その具体化実務=デザインしかありえません。
そろそろ、「変」さを除外していく私には、
この不適合さの景観を傍観するだけの無常論に
生き着いていくそんな気がしてなりません。


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12月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 10th, 2014  Posted 12:00 AM

12月10日 乙卯(仏滅)

正視できる人になるべきだ。
まっすぐに見ることが出来るには、
正直さが必要であり、
瞳は生理的にも濁っていない。

川崎和男「強い人間弱い人間」


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