kazuo kawasaki's official blog

Archive for 3月, 2015


『Consilience Design Phenomenaの形態・制度設計の効用』


   


     3月 22nd, 2015  Posted 12:45 AM

私がデザイナーとして、大学人として辿り付いているのは、
形態設計と制度設計による安全と安心の未来社会の創出です。
しかし、その前に、日本人には天災人災での福島復興が前提です。
この前提には、自然と人間、地球と人類の問題があります。
その問題解決には、私が主張している「ち」という
日本語が理念構造に配置した「血液から、知性、土地など」全てへの
デザイン記号論があると認識しておかなければなりません。
デザイナーはForm=かたち=形態設計を成し遂げ、
そのFormに突き動かされた感性と感情=きもち=Emotionが、
社会と時代のFrom=社会形式の制度でEmotionを制御するのです。
結果はデザイン効用としての命=いのち=Lifeを繋いでいくのです。
そのためのデザインは、学術でのデザイン工学や、
芸術でのデザイン技能に押し込められてきたことから解放が必要です。
私は学術の文科系+理科系に対して、さらに芸術から学術を
もう一度引き離すことを「コンシリエンスデザイン」と定義します。
これまで、大学での文理融合が複合学術領域では制限があり、
芸術を専門的な機関で呪縛していることからも解き放ちます。
かつて、大学は、宗教と医学と法律から出発しました。
その時には、医学はアート=芸術領域でした。
わが国の科学研究の系統・分野・分科の細目を見直しました。
やっとこの中には、これまでのデザインは美術から解放され、
デザイン学が複合領域にあります。
また、設計学は摩擦学→トライポロジーから派生したままです。
当然ながら、医学の細目からは人間学は保健学に含まれています。
私は、もう一度この系統・分野・分科からの統合学として、
明確な看医工学を配置し直しました。
コンシリエンスデザイン看医工学が、危機解放学の基盤であり、
結局は、「かたち」・「きもち」・「いのち」を
デザイン記号学として、造形言語と形態言語に具体的に整理します。

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3月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 22nd, 2015  Posted 12:01 AM

3月22日 丁酉(仏滅)

私は攻撃的な性格だ。
納得している私の性格だ。
デザイナーなれば、
絶対に、攻撃的でなければいけない、
私は確信している。

攻撃性の無いデザイナーは
必ず、デザイナーにはなれない!

川崎和男Design 図鑑


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3月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

3月21日 丙申(先負)

デザインは私にとって、
武器であり鎧であり、
そして
自分自身の肉体である。

川崎和男Design 図鑑


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『人工腎臓のFirst Model15年後現在・ここからまた出発』


   


     3月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

私がCG研究で米国で出逢った光造形の原型を忘れられなくて、
結局、名古屋市立大学での教授になり、光造形システム装置から、
私はトポロジー(位相空間論)さらに、空間・形態論としました。
そのトポロジー空間論は今も批判する輩には、
すでに人工心臓は3つのモデルと実働モデルを動物実験しています。
そして、人工臓器の中でも腎臓のネフロン単体の人工化は、
すでに15年この考察を続けていて、この5月には本格的に
医療機器メーカー・ショールームにて展示計画が進行しています。
その最初の人工腎臓初期モデルがようやく、
現在のダイアライザーを変革するものと確信しています。
当然、ここに掲載した造形言語はあくまでもデザイン意図形態ですが
この造形言語に対して、新素材アイディアを具体化していきます。
先般も、放送大学の「産業とデザイン」最終回では、
これからのデザイン方向として、私の人工臓器が事例でした。
デザインにとって、これまでは人体外部の製品・商品でしたが、
私は人体内部の臓器そのもののデザインを対象化しています。
まだ正確ではありませんが、この人工腎臓の素材も私なりに、
その素材メーカーのアプローチに入っています。
いわゆる人工透析という医療システムはすでに私は破綻していて、
その原因は「使い捨てのダイアライザーとその一式」です。
すべてが医療廃棄材であり、それはゴミにすぎません。
私のコレまで15年とこれからの研究開発も私世代では、
とても完成には至らないかもしれませんが、
すべてを書き残し、次世代デザイナーに残しておく覚悟です。
しかし正直には、なんとしても私自身でここからの人工腎臓も
すでに人工心臓はじめを完成させたいと考えています。
そのためには、これまでのデザイン教育の限界を打ち破る、
「コンシリエンスデザイン看医工学」、その講座と
産学協同プロジェクトを開始しています。

 


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3月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 20th, 2015  Posted 12:00 AM

3月20日 乙未(友引)

喧嘩に勝敗は無い。
喧嘩をするならば、
「勝つ」ことしかありえない。
それは
自らに喧嘩を売って「克つ」ことだ。

負ける喧嘩は絶対にしない。
克つ自分が整ったのち、
同じ土俵で「勝つ」のだ。

川崎和男「喧嘩道」


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『昨日大先輩は旅立たれた・栄久庵憲司氏から私の評価文』


   


     3月 20th, 2015  Posted 12:00 AM

日本のインダストリアルデザインを創った人は2名。
その一人である栄久庵憲司氏の公的葬儀も終わりました。
葬儀には献花をさせていただきました。
これは私が毎日デザイン賞1990年に授賞したときの評価文です。

川崎和男の「身障者用具へのデザイン的視点」・栄久庵憲司

川崎和男は情熱家であり、なかなかの硬骨漢だ。
今どき希有な存在と言ってよい。
若いころ大企業で未来を嘱望されたスターデザイナーだったそうだ。
不幸にして自動車事故に遭い半身不随となった今は、
車椅子の人となってしまった。しかし彼と会っていると、
1点の同情すら寄せつけない迫力が伝わってくる。
同情する側が同情されるハメになってしまう。
つまり、豊富な思考とスピードのある行動力がそうさせているのである。
加えて、デザイン希求の烈しさはもって生まれた天性もさることながら、
事故以後更に涵養された感がある。

彼は言う。「ノーマライゼーション(Normalization)」、
正常化ということだ。
人は誰でも普通に暮らしてゆけることこそ肝要。
事故に遭遇しようが年をとろうが普通で当たり前に
暮らせるように社会がつくられていなければならない。
特別というのはよくない。
「僕は今車椅子に乗っているが、それは2本足で歩くのと同じこと。
車椅子の人という特別な目で見られるのは真っ平だ。
むしろ羨ましがられる人間になることこそ本領というものだ。
それにはこの車椅子をデザインするに限る。
「My own rainbow wheel chair」。
デザインは人間の実体から生まれてこそ真のデザインというものだ。
いい車を見たら、人は欲しいと思う。
当たり前のことではないか。僕は人々をそんな気持ちにさせたい」

気の強い男だが、それが彼の魅力でありまた人を圧倒しもするのだ。
強い美意識が常に彼の胸の中で爆発している。
インダストリアルデザイナーたるものは生活を実感し、
その中からかたちを創り出すことを業としている。
川崎和男にはそれがある。
線密な観察と周到な計算、
それに生き甲斐を感じさせる妄想的な造形力、
それが遂に自らの車を自らの手でものにしたのである。
私も何回か彼と一緒する機会があったが、
何時も彼の入場は絢爛としている。
それは身体障害というレッテルがそうさせるのではなく、
それを克服した証としての車椅子に乗ってやってくるからだ。
美しく彩られ、軽やかに移動する彼の車椅子を見ると、
大袈裟な言い方だが、瑞雲に乗った川崎がやって来るようで思わず
手を合わせたくなるというものだ。
時代を先駆するものは皆そうであるといってよい。
川崎も例外ではない。
しかしだれにとっても、その前に自己との闘いの克服がある。
川崎の精神の到達境地を測る術もないが、1つだけは分かる。
人間は1つの接面で生きているということだ。
皆同じなのだ。自らの接面を世界化して見せる
「Design For Normalization」この念仏は、実に説得力がある。

©毎日新聞社「毎日デザイン賞」事務局

1988年にNewYorkでの栄久庵先生の表彰式には私も出席。
まさかその後、この評価文をいただくとは思いませんでした。
だから、受賞後も先生の評価を大事に生きてきたと思っています。

 

「誤解されたデザイン=デザインは意匠とともに問題解決」


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3月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

3月19日 癸巳(仏滅)

喧嘩とは、
非暴力性の攻撃性を
存分に考え抜く
二つの力量が必要である。

結果ユーモア性のある攻撃と
喧嘩後の
信頼と信用性の確立である。
これに至るには高度な知力だ。

川崎和男「喧嘩道」


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『自宅地下の駐車スペースは?!』


   


     3月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

元々、ある大手企業の大阪本社ビル跡に、
私の自宅集合アパートがあり、地下4階までに各家別に自宅所有の
地下駐車場があります。
おそらく高層の集合アパートにこれだけの地下駐車場は建設困難。
私は車イスで車移動をする場合に、雨天の日などは、
屋外駐車場では、ずぶ濡れになってしまいます。そこで、
大阪では地下駐車場の完備しているところを探していました。
運良く、この地下4階までが自宅所有あるいは賃貸の駐車場、
これらが完備している所を見つけました。
しかもそれは耐震構造がどこまで整備されているかです。
地下4階まで掘り下げていることと、この建物は32階建てゆえに、
建設許可は国土交通省大臣許可が法的に必要とされています。
正直、これは稼働的な耐震構造ではありません。
構造材としての柱構造材はこの地下4階すべてで一応確認できました。
3.11以後には、可動式の耐震構造が商品化されていますが、
今回ゴム材製造大手企業のデータ改ざんを見ると情けなくなります。
わが国はいつ大地震が発生するかは全く不明です。
そこにつけ込んだこの構造素材のデータ改ざんはまさに儲け主義。
この企業トップがTV報道で、
自社企業社員の個人的作業とは言い訳にすぎません。
私は、最近、5000億企業志向と2兆企業志向へのデザイン導入を
図っていますが、企業トップの力量を存分に知ってしまいます。
つまり企業トップにしてしっかり、それぞれの企業社員にしての差異を
明確に見抜いてしまいますから、
耐震構造体でのデータ改ざんは正しく企業オーラがあるとするなら、
誤魔化しだらけの儲け主義企業の顔=イメージがあまりに明快です。
ところで、私の自宅はこのビルの32階トップにありますが、
もし、南海トラフになれば8階まで大津波が来るという予測です。
そうなると地下4階も水没します。
どうすれば?、というのも私のデザインテーマです。

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3月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 18th, 2015  Posted 12:00 AM

3月18日 癸巳(仏滅)

感性は常に鋭利でなければいけない。
「丸くなった」というのは、
感情の動きが鈍化しているだけだ。

感情は、汚れた気持ちが
一層に蓄積していくだけの穏やかさである。

喧嘩するには、
感性の鋭利さを決して失わないという
覚悟の大切さである。

川崎和男「喧嘩道」


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『JBL4343のメインテナンスは5.5回目、まだ10年はOKとか』


   


     3月 18th, 2015  Posted 12:00 AM

自宅には各部屋毎にオーディオ装置をシステム化しています。
私のオーディオ空間には、音像と音場を配備することにしています。
特にそのメインである音像空間にはJBL4343であり、
JBL4343の正面ブルーバッフルではありません。
この4Wayスピーカーシステムは、なんといっても、
オーディオからデザイナーになっていった私には不可欠のモノです。
東芝で、JBLのスピーカーユニットは相当にコイルや特に、
アルニコとフェライトの保持力などは若い頃には鍛えられました。
特に、JBLのコイルの巻き方を見ると、コレは絶対に超えられない、
というのが、私の率直な感想を今も引きずってきました。
フリーランスデザイナーになって、最初に無理して購入した
このJBL4343は私の車イス生活でのデザイン活動の傍らにありました。
それだけに、おそらくこれが私の人生で最期のメインテナンスです。
ところが、もう修繕を含んだメインテナンスであり、
スピーカーユニットのエッジはウレタンから一新されてしまいました。
ようやく、その専門家を見つけて、アッテネーター清掃から、
新たなエッジ貼りを試みてもらっています。
アンプジラのパワーアンプの力量は私が最も認めているのですが、
この作家も逝ってしまいましたが、これ以上の組み合わせは、
絶対に無いとすら思っています。
前回のメインテナンスもプロ中のプロだった形跡を初めて見ました。
今回のプロの方も、エンクロージャー(スピーカーBOX)と
ユニットの留め方を見てこんな手法だったのですかと言われました。
メインテナンスが終われば、私はまた布団でくるんで、
ホワイトノイズから、ベース、ピアノ、ヴァイオリン、などで、
また新たな「私の音づくり」をしていくつもりです。
確認するのはボロディンであり、
ブライアン・ブロンバーグの低音だと今は思い込んでいます。
メインテナンス後には、私の「音づくり」を書き残すつもりです。

 


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