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Archive for 3月, 2015


『人工腎臓=やっと実現の時期が見えてきた!』


   


     3月 6th, 2015  Posted 12:00 AM

これは私が名古屋市立大学大学院博士課程の頃、
最初に試みようとしていた人工腎臓の最初の光造形モデルです。
私は光造形がどうしてもやりたくて、恩師に相談、
そして、新設される名古屋市立大の芸術工学部で教員になりました。
学部が完成し、博士前期課程、そして博士後期課程になり、
その時には、人工臓器の腎臓を人工化するために、
現実の腎臓を模式的にそのまま光造形でモデリングをしました。
21世紀に入ってすぐに人工腎臓は、このモデルからスタートでした。
その時から、人工腎臓を追いかけてきました。
光造形は元来は日本の発想であり、
現在の3D-プリンターではここまでの造形はまだ無理です。
今現在は、人工透析でダイアライザーで人工腎臓が可能です。
しかも人工透析患者は年々拡大しダイアライザーも進化しました。
この進化を私はずーっと見てきました。それだけに現状の欠点を
デザイナーとして発見してきました。
この4月に医療機器専門企業のショールームデザインを監修します。
当然、現在、ダイアライザーとこれからの人工腎臓を展示します。
先般人工腎臓の展示を私は、現在実際の腎臓模式モデルにしました。
それは、ダイアライザーを進化させていくためには、
この模式モデルが最も腎臓のことを観客に知ってもらう方が、
とても好都合だと考えたからでした。
それは現在のダイアラザーを進歩させる未来性を
デザイン実務で問題可決させる最適な方法だと判断しました。
腎臓は両目や鼻腔のように左右対称の臓器であることも
私はとても大事なことだと考えています。
そして、ダイアライザーでの性能素材はセルロースであることも
とても未来を誘因していると私は判断しています。
私が人工腎臓に気づいてすでに15年も経過しています。
もし、私自身が人工腎臓が出来なくても、
基礎理論とデザイン実務は必ず残しておきたいと考えています。

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『乾燥を制御するために・ヒュミドールの必要性』


   


     3月 5th, 2015  Posted 12:00 AM

出張すれば必ず「加湿器」をホテルに要求しますが、
海外ではhumidifier=ヒューミディファイアーという発音になります。
自宅の加湿器は、進化するのとデザインの優れたモノが出れば、
ついつい買い求めてきてしまいました。
要は、部屋が乾燥することに最近、私は敏感になっています。
特に、オーディオ機器では気にしていますから、
加湿器の性能の進化をデザイナーとして気にしています。
当然、医療や入院ともなれば、その病院や病室の乾燥度はもっと
真剣に考えられるべきだと思っています。
昨年は、そのこともあって自宅をリニュアルしました。
簡単なのはどこかに水を張って湿度計で確認をすればいいわけです。
ところが、私がかなり真剣にそれも精製水を自分で薬局にまで行って
買い求めました。びっくりしました。500mlで157円でした。
なぜここまで真剣になりしかも、湿度計でともかく69%の湿度保持、
これはヒュミドール=葉巻入れボックスのためでした。
なにしろ、葉巻はモノによっては1本9000円程度のものもあるのです。
毎日のごとくヒュミドールに湿度計で確認をして、
この精製水で乾燥度を制御しています。
そんな時に、若手の家具製造の専門家と話をしていて、これは
絶対に語り継ぐべきだということがあります。
例えば、船箪笥は必ず浮いているはずですが、現代のモノは
船箪笥風に過ぎず、絶対に沈んでしまいます。
桐箪笥も本来は火事の時に水をかければ燃えないと言われますが、
現代は環境が異なり、可燃性でかなり高温になるために燃えます。
おそらく、医療用ではメディカルコードという電線やタップがあり、
これに等しい、ヒュミドールの発想が自宅環境内には絶対に必要。
このことを私は精製水を見ながら、
機器類と自然との最適性=乾燥度を考えてしまいます。

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3月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 5th, 2015  Posted 12:00 AM

3月5日 庚辰(先負)

昔、年配・先輩にあたる
有名デザイナーの批評に
若かった私は、
その評論というより非難に
喧嘩を売りました。

最近、なぜ非難までされたかが
充分に分かる気がします。

「君もいづれ分かる」
しかし、
今の時代は喧嘩を望んでこないで、
それが陰口、悪口になっている。
これは喧嘩相手だ!

川崎和男「喧嘩道」


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3月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 4th, 2015  Posted 12:00 AM

3月4日 己卯(友引)

喧嘩することとは、
想像力が無ければならない。
なぜなら、
喧嘩というのは、口喧嘩、
ディベートが基本である。

再確認をしておこう。
想像力が喧嘩の基本である。

川崎和男「喧嘩道」


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『アナログスケッチからデジタルスケッチへ・・』


   


     3月 4th, 2015  Posted 12:00 AM

手描きスケッチはもう半世紀描いてきました。
だから、私の想像力は常にスケッチという手法で鍛えられました。
美大受験時は、日本中から絵に自信のある連中が実技試験受けます。
美大でもう一度、スケッチや石膏デッサンは再教育になり、
受験時にしか鉛筆デッサンと水彩デザインを初めて描いた私には
基礎デッサンは、クラス30名でも最低の成績でした。
しかし、なんとか卒業して入社した東芝では、
また徹底的にスケッチとレンダリングをアナログで鍛えられました。
すでに大学でももう20年、スケッチは時折気づいたことを教えます。
しかし、今ではほとんどがパソコンとタブレットで描きますし、
図面は直ぐに3Dレンダリングにもなりますが、
それらは誰が描いても同じです。そしてアナログ=手で考えることを
私は見事に奪われていると思っています。
手=紙と鉛筆やボールペンから、スタイラスでPad上で描きます。
そのために、私はあくまでもアナログのトレーニングが必要だと
私は確信しています。
それはスケッチがアナログであろうがデジタルであろうが、
「手」の想像力を訓練する一番の方法だと思っているからです。
この連鎖性を断絶させる「厳罰の刑」を再熟考という文章を。
先日、想像力の欠如をブログアップしたところ、
想像力はもはや特殊能力という書き込みがあり驚愕しましたが、
次々と思い当たることが大学人になって相当にあります。
特に、名古屋市立大では、デザイナー職を訓練していましたが、
大阪大学では偏差値は高いですが発想は格段に低いと思っています。
その根本の一つにはスケッチトレーニングが全くありません。
最も、名市大でも実技試験が無くなったと聞いて驚いています。
だから、デザイナー専門職の就職率が低くなっているのです。
デザイナーで生きてきた私は、
「スケッチが描けない」のはデザイナーではないと断言しています。
そのためにも、まだまだアナログのスケッチ技法の書籍ばかりですが
私はアナログからデジタルスケッチはもっと訓練して
教える立場でいたいと思っています。

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『こうした連続事件には共通性の闇がある』


   


     3月 3rd, 2015  Posted 2:11 AM

まだ幼い小中学生が殺されたり、
大学生が「人を殺めたい」と事件を起こします。
そして、この報道はひとつひとつが話題になります。
決まって、事件をマスコミは「消費」だけしてマスコミ批判。
それぞれの事件性にはたとえない悲しみを国民全てが抱きます。
しかし、次々と起こる事件は、消費されて忘れられてしまいます。
私は、殺された被害者側の視線がマスコミの消費だけで終わること、
これが日本のマスコミ批判そのものも同罪だと言わざるをえません。
「人を殺める」こと、その加害者への厳罰は当然だと思います。
加害者は「想像力を大欠落した」社会存在性を放棄した
社会性から隔絶されるべき人間、まして彼らも若人ゆえに、
もっと大きな悲しみと哀しみに苛立ちます。
もし、この人を殺めれば、周囲がどれほど悲しむかという
この想像力があれば、こうした罪を犯すはずがないはずです。
だから、社会的な想像力が環境あるいは生得した能力の問題は
厳罰であり、死刑はさすがに認めがたくそれなら人体実験の刑です。
手術や治験の刑がふさわしいと思っているくらいです。
もし、この刑で死に至れば、それは英雄の死とすることであり、
もし、助かれば恩赦でもいいのではと思ってしまいます。
ともかく、社会的な想像力を無くして、人を死に追いやることは
決して社会は許してはならないものと考えています。
なぜ、死刑と無期懲役、ひょっとすれば直ぐに解放されることは
認めることはできません。
特に10代の子が殺められることは少年法や精神異常でOKはダメです。
加害者の両親が弁護士で護ることは、分からないではありませんが、
そのような小賢しさこそ、「想像力を奪った環境」も厳罰でしょう。
悲しくて哀しい事件があまりにも連続しています。
この連鎖性を断絶させる「厳罰の刑」を再熟考すべきだと思います。

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『エッ! 延期!・・・やっぱりナ〜・・・』


   


     3月 2nd, 2015  Posted 12:30 AM

私の自宅は大阪市中央区谷町4丁目です。
いわゆるあのタニマチ=力士のパトロンが住んでいたという、
大阪城や、大阪市の官庁街も控えている中心街です。
3年前から地下鉄駅の改装、エレベーター設置工事が始まりました。
夜間工事も何度か見かけましたが、地表から切堀工事。
工事ぶりを幾度か眺めていました。
行政の工事というのは、かくもダラダラと不効率な仕事ぶりでした。
私が監督なら、とても許しがたい工事です。
工事をする人たちに若者はまったくいませんから、ベテラン?
絶対にプロの動きではない!怒鳴ったら、とかを何度か考えました。
大阪に来て、大阪市、大阪府、市役所も府庁も職員の人たちで
熱心な人たちとは正直、一人も出会ったことがありません。
こんなことでは、大阪は最悪になっていく!
ともかく、この国は東京一極集中の激烈さは地方都市も全て
その文化性まで破滅させてきたと言っていいでしょう。
18歳の時、一年間私は大阪市内阿倍野筋で浪人をしました。
当時、大阪は人情の街であり、確実に笑いの街だったと思います。
まさか、私が2006年・57歳になってこの街の住人になるとは、
しかも、浪人時代最後に地下鉄谷町線が出来た思い出があります。
だから、エレベータで地下鉄の駅づくりに期待をしていました。
平成27年3月完成だったのです。アレ〜、看板には紙が貼られて、
7月完成予定になっているのです。
おそらく、この完成予定延期は見逃されていると思います。
あのような工事作業で延期するのは当たり前でしょう。
突貫工事がいいとは決して思っていませんが、まさしく、
あのダラダラした作業ぶりは、この7月完成は予定にすぎません。
大阪市は都構想などで、市長や府長の政治指導力が、
スキャンダルになるほどですから、7月完成を待ってみましょう。

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3月2日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 2nd, 2015  Posted 12:30 AM

3月2日 丁丑(赤口)

子どもを護れない、
そんな日本になっている。
幼気な子どもが
彼らなりのSOSに
答えられない、そんな日本・・・

悲しくて哀しい国家だ。
悲しくて哀しいことには
喧嘩を挑むべきだ!

川崎和男「喧嘩道」


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『表裏一体の共時性は呪われているのか!』


   


     3月 1st, 2015  Posted 12:00 AM

いつの時代も、その時代を牽引しているかのような、
それは、宗教と経済論にあたかも大勢の知性と野性を狂わします。
すでに世界は130余年前に、いや最古の闘争十字軍の時代に、
その時代からも共時しなければ生きられなかった世界に放置されます。
十字軍を今更持ち出しても、イスラミック・ステイトの凶暴凶悪性は
知性社会すべてが許すわけがありません。
あたかも現代文明を根底から破滅している十字軍と対照的な、
表裏を成して、資本論をも超えるとかの論理にすら疑念があります。
私は、この時代との共時感覚は呪われているとしか言えません。
未だに、資本にこだわり、その裏側には石油文明を剥奪する
その裏付けとなる宗教への狂気しか私には見えません。
資本と納税、人口の流動性での統計で果たして現代文明の背景は、
語り切ることができるのだろうか?とこの論理を疑います。
私は、資本の塊の停止が現代を経済=税務と一神教の差異性対立を
一方はテロと呼び、一方は新たな文明の分断からの構築と呼びます。
が、この二つは常に表裏を繰り返しているだけの呪いにすぎません。
共時と共有性は、まさに情報時代に両方が寄りかかっているのです。
そして私はこの時代の呪われた非人間性=性悪説にまみれた
全ての事象、事件の象徴だとさえ思わざるをえません。
おそらくデザインとの反事象は犯事件そのものがこの表裏一体です。
決して、人類の偏向を呪縛してきた資本論の方が単純でした。
歴史をいつまでも連結してきた十字軍の方が狂気を排除していました。
私はこの二つの情報は、呪われた事件の表裏回転体だと思います。
したがって、
この表裏性を断絶するには、この回転動態の遮断的な事象を
衝突させることしかありえない気がしてなりません。
この衝突を起因させる思考を余儀なくされている悲しみこそ、
現代の呪いに他ならないと思っています。

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3月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 1st, 2015  Posted 12:00 AM

3月1日 戊申(赤口)

宗教の誤りが、
真であり、善ではないことは
今世紀に明らかになるだろうと
私は予言しておかざるをえない。
それこそ、
未だに、十字軍と連呼している
歴史が「宗教」を
宗教哲学に変容させない限り
人類の進化は不可能。
ゆえに
私の喧嘩対象は
「宗教」の信奉者達である。

川崎和男「喧嘩道」


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