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「希望を企望に」



成長の限界に至れば、
その成長は
突然破壊されることが起こりうることがあります。
あるいは偶発的なのか必然なのか災難に見舞われます。
それが人間、社会に対してであれば、
これほど人間をそして社会を
悲しみのどん底に落とし込むことはありません。
そんなとき、その悲しみゆえ「絶望」に囚われるのです。
私は数度そのような体験をしてきました。
しかし、「絶望」の哲学的意味を知っていました。
つまり、「死に至る病」とは、
それは「絶望」でした。
実存主義哲学者・キルケゴールのことばです。
だから、絶望などしていられません。
歩けないことや、いつ心臓発作がくるかもしれない、
そのような不安と対決する圧倒的な力が必要でした。
ある意味では簡単な発想をすればいいのです。
絶望の反照を見つけて
自分に言い聞かせることです。
自分に言い聞かせるというのは「祈り」です。
そして反照は「希望」です。
絶望と希望は対称性があります。
希望というのは、「希」という漢字に意味が明確です。
布を織っていくとそこにはかすかな隙間ができます。
その隙間から覗いてみると
余りにも遠くてたどり着けそうもないところが見えます。
それでもその場を望むのです。
見続けることです。
それが「希望」です。
希望にはよりそってくれる言葉がいっぱい出てきます。
夢・跂望です。
こうしたことばが絶望を抹消してくれるのです。
特に、希望より跂望です。
「跂」という文字は、
つま先立ちして身体を支えながら
到達したいという夢を望んでいる形象です。
私はデザインという営為を身体化してきました。
踝からつま先立ちするもう一つの漢字が企画の「企」です。
だから、祈望・跂望・希望をさらに強化する「企望」は、
まさしくデザインだったのです。
デザインは絶望を抹消させることができます。


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This entry was posted on 金曜日, 4月 1st, 2011 at 12:00 AM and is filed under 祈望から企望へ. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. Responses are currently closed, but you can trackback from your own site.