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「幸不幸の連鎖の中で」




日常性が忘却させてくれること、
それは、生きていることが死にむかっていること。
そして自分には起こらないであろう不幸さと歴史観です。
3.11は私たち日本人に、3万人の同胞の死と、
被災した人たちそれぞれの多様なる不幸な事件性でした。
ひょっとすると、いや実は、
人類は不幸さを引き込み始めているのかもしれません。
2012年には、世界的に「政治的な指導者」が不明です。
もっともわが国には政治的指導者を失ったままですが。
昨年9月に私は東芝の原子力研究所を見学しました。
「貿易立国日本は、20年は安泰」という確信しました。
つまり、私の生涯は安泰な日本国民という認識でした。
しかし3.11はこの思いを粉々にしてくれました。
幸運であることと幸福であることは、
中国の古典どおりに「幸不幸」の狭間にあることを、
あらためて再確認させられたのです。
28歳で車椅子生活になった私が、
東京を離れる決心をしたのはジョンレノン暗殺でした。
「青春が終わった」という自覚を自分決着させたからです。
3.11以後、東芝にて「復興計画デザイン」に参画しています。
1000年に一度など自分の生涯に重ねたくもありませんでした。
この哀しみの想いにずーっと引きずられてきました。
「復興計画・25のプロジェクト」を書き上げました。
声高な脱原発論でこうしたプランが進行するわけがありません。
東京中心主義を離脱した「日本再生プラン」こそ、
「復興計画から未来デザイン計画」であるべきと考えています。
「幸」とは元来、両手を縛られた不自由さを意味しています。
しかも、私は「電池切れ」、「節電」どころではなく、
ようやくあと5年の「生」が最低保障されたところです。
1000年に一度の「幸不幸」の狭間をしっかりと体験すること。
これこそ「幸運」なことと考えるようになりました。
父母・恩師の死から、ジョンレノン、そしてジョブズの死、
私の生涯での「幸不幸」を、
大津波の廃墟写真を見つめながら勇気を抱いて、
慎重大胆に自分の生涯に引き込んでやろうと考えています。


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4 Responses to “「幸不幸の連鎖の中で」

  1. Kazuo KAWASAKI's official Blog | 企望を「までい」実現へ
    12:01 AM on 4月 21st, 2014

    [...] その根本は「不自由さ」=「幸」と考えるべきでしょう。 「幸不幸の連鎖の中で」 「災難犠牲=幸不幸の原則なり」 [...]

  2. Kazuo KAWASAKI's official Blog | 企望を「までい」実現へ
    12:01 AM on 10月 25th, 2014

    [...] これはまったく暴力ではないということです。 「幸不幸の連鎖の中で」 「あらためて『幸』文字の意味をかみしめる」 [...]

  3. Kazuo KAWASAKI's official Blog | 企望を「までい」実現へ
    12:41 AM on 11月 21st, 2016

    [...] * 『日本人の根本的な倫理観、その原点を見つめ直す』 * 「幸不幸の連鎖の中で」 * 「あらためて『幸』文字の意味をかみしめる」 [...]

  4. Kazuo KAWASAKI's official Blog | 企望を「までい」実現へ
    12:46 AM on 9月 9th, 2017

    [...] * 『日本人の根本的な倫理観、その原点を見つめ直す』 * 「幸不幸の連鎖の中で」 tag: GPS, ミサイル発射, ミサイル誘導, ムーンフェイズ, 不吉感, 不幸, [...]


This entry was posted on 木曜日, 10月 27th, 2011 at 12:00 AM and is filed under 祈望から企望へ. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. Responses are currently closed, but you can trackback from your own site.