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「グローバリズムは冒涜的な思潮だと思う」




ひょっとすれば、現代人、
つまり、20世紀後半を共時共有してきた全ての人間は、
重大な過ち、いや過ちと言うべきではなく、
生命の根源と、それを授けてきた「神」なる存在、
それは民族それぞれの信仰神への畏敬を勘違いしてきたのかも知れません。
私はここで宗教論的見解を記そうとは考えていません。
もっと簡潔に歴史における様々な「神」なる存在を、
オイコノミアを再読することで再思考したいと思っています。
それは「王座」、すなわち権威と権力は元来は「神」にあって、
その代行者である政治的なリーダーや、
さらにマクロな世界=業界や国際構造での指導者では無いということです。
わが国において、八百万の神は自然であり自然神を象徴化してきました。
あくまでも象徴です。
それはミッシェル・フーコーも読み解こうとした「印徴」=signatureです。
それはまさに、designareというdesign の原語と結びついています。
すなわち、今、designがその本質において、
復興と復活をさせなければならない問題が明確になってきます。
私は「オイコノミア」という
原始キリスト教の教典というより問題仮定書に心惹かれます。
それは、「権威」も「権力」も「神」への賞賛と喝采であり、
賞賛は、キリスト教ゆえの三位一体への畏敬となり、
「生きていること」への感謝が「神」への喝采になります。
やや短絡的な言い方をしてしまえば、
資本主義への清教徒的禁欲主義は忘却されたか、
あるいは廃棄されてしまったのかもしれません。
資本主義的な世界観・国際観である「グローバリズム」こそ、
「神」への冒涜行為だったかもしれないと、
私は考えるようになっています。
すなわち、世界の「王座」は唯一、経済活動の優位者、
その国家中心主義にしたことが冒涜だったのかもしれません。
しかも、それはもっと私たちを
大きな幻覚に引きずり込んでいたのでしょう。


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2 Responses to “「グローバリズムは冒涜的な思潮だと思う」

  1. Kazuo KAWASAKI's official Blog | 企望を「までい」実現へ
    1:55 AM on 4月 22nd, 2017

    [...] * 『日本人の根本的な倫理観、その原点を見つめ直す』 * 「グローバリズムは冒涜的な思潮だと思う」 tag: 三位一体, 不在, 不在性, 事物, 仏教, 円, 制御, 反応, 図像, 多角形, [...]

  2. Kazuo KAWASAKI's official Blog | 企望を「までい」実現へ
    12:28 AM on 8月 17th, 2017

    [...] * 『健常者を差別することで社会暗部を照射する』 * 「グローバリズムは冒涜的な思潮だと思う」 * 「松岡正剛という『ち』の出発同位点は隠坊ゆえ」 tag: 3×3, あの世, [...]


This entry was posted on 水曜日, 1月 4th, 2012 at 12:00 AM and is filed under 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. Responses are currently closed, but you can trackback from your own site.