kazuo kawasaki's official blog

「ロボットが『心』を持っている?かどうか、ということ」





私は二つのロボットデザインをしてきました。
「舞」(昨夜アップ)とこの「踊」です。
「踊り」をコンセプトにしたのは、
私のロボット形態論+身体論に基づいて、
「踊り」ゆえに足裏を見せて跳ね回る動きの実現でした。
それは、
まだ飛び越えるという動作の実現をするロボットが無かったからでした。
階段を上り、移動はキャスター的な回転運動をしますが、
飛び上がるときは、
足裏を地面にしっかりと着地姿勢から飛び上がる機構です。
そして、障害物を飛び越えた感情表現=心の動きは、
表情に表れるようにと
頬を赤らめさせる(LED発光)仕組みになっています。
まさに、自分の動作への満足感を表すことで、
そのロボットを見ている人には、
満足感や緊張感を心の動きとして捉えることが可能です。
ということは、「心」ということは、
本人よりも周囲が、「あの人には心がある」という他者観察であり、
その他者的な「心存在」を
認識しているにすぎないものなのかもしれません。
極端な言い方をすれば、
殺人者を見て、
「あの人があのような心ないむごいことをするとは思えなかった」、
ということに通じています。
M. ミンスキの「心の社会」での考察は、
心の働きをnomeという概念で分類・分析しています。
しかし、
心の働きの部分をまとめれば
「心」という全体ができあがるわけではないでしょう。
結局、「心」をロボットに仕組むことは可能かもしれないということと、
人間の心というのも、
自分自身で認識する以上に
周囲の認識論に乗っかっているものなのかも知れません。
石黒教授が、彼のアンドロイドでの演劇は、
演者であるロボットにも感情表現=心表現があるからこそ、
観客は感動を覚えていると断言しているほどです。
心・感情と感性の構造は、ロボットを創造していくことでこそ、
もう一度、「人間って何なのか」を
突き詰める大きな手法だということは成立しています。
人間とロボットとのインタラクション以前に、
人工物であるロボットにこそ「心」を埋め込んでいく、
まさしく造形言語・形態言語・技術言語(=機械語というプログラム言語)の統合化が、
ロボットデザインの基礎学として必要になることは明確になってきました。
そして、人工物であるロボットにとっても、
エネルギーをどうやって自己発電していくかということが、
次の問題になっていることも明らかです。


tag: LED, M. ミンスキ, nome, アンドロイド, エネルギー, キャスター, コンセプト, ロボット, ロボット形態論, 分析, 分類, 創造, 回転運動, 形態言語, , 心の動き, 心の社会, 心存在, 感性, 感情, 感情表現, 技術言語, 殺人者, 演劇, 移動, 緊張感, 自己発電, , 認識論, , 身体論, 造形言語, 階段, 障害物


目次を見る

3 Responses to “「ロボットが『心』を持っている?かどうか、ということ」”

  1. Kazuo KAWASAKI's official Blog | 企望を「までい」実現へ
    12:27 AM on 2月 2nd, 2014

    [...] 私のロボットは「舞」と「踊」があります。 [...]

  2. Kazuo KAWASAKI's official Blog | 企望を「までい」実現へ
    12:02 AM on 4月 8th, 2014

    [...] ようやく、 この「ロボットデザイン基礎学」を主張できるようです。 「ロボットが『心』を持っている?かどうか、ということ」 「心を持つロボット表現として、『泣き出す表情』 tag: [...]

  3. Kazuo KAWASAKI's official Blog | 企望を「までい」実現へ
    12:07 AM on 12月 24th, 2016

    [...] * 「心を持つロボット表現として、『泣き出す表情』」 * 「ロボットが『心』を持っている?かどうか、ということ」 * 「基本はトポロジーの形態が出来るかだった」 [...]


This entry was posted on 水曜日, 12月 12th, 2012 at 12:00 AM and is filed under 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. Responses are currently closed, but you can trackback from your own site.