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『タケフナイフビレッジ、恩人を見送った。』





越前市(元・武生市(国府))には、紫式部がいました。
彼女の父親が国司であったためですが、京に帰りたいという、
その切なさの歌しか遺さないのに銅像があるのです。
武生市で私は小学校5年から中学2年まで過ごしましたので、
かつてNHKの「ようこそ先輩」は武生西小学校で収録放映しました。
当時、父は警察大学校を出ると、市警察の刑事課長をしていました。
家に帰らない父には着替えをよく持って行っていましたが、
必ず、警察の隣に市の工業試験場があり、私は立ち寄りました。
ちなみに、武生市工業試験場は日本でも最初の工業試験場の一つで、
今はどこでも工業技術センターと呼ばれています。
その試験場の木工場の木っ端をくすねいて(無許可でいただき)、
それで、モーター付きの潜水艦や自動車模型を造っていました。
当然のこと、木っ端を黙っていただくのですから、
試験場の若い職員さんには何度も怒鳴られて逃げていました。
やがて、福井に車イスで帰っていた私は、武生市工業試験場に、
木工でコンペ用の模型制作依頼に行きました。
しばらくして、試験場長と次長が来宅されて、越前打刃物の窮状を
思い切り知らされて、武生市打刃物工業組合の若者たちと出逢い、
彼らにデザインを導入して、タケフナイフビレッジを創りました。
あるとき、その次長(後に場長)と話をしていたとき、
彼こそ、木っ端をくすねる私を怒鳴っていた人でした。
すでに30余年経ち、彼が病気で寝込んでいましたから、
逢いたくても会えなくなっていましたが、彼が一昨夜逝きました。
すでにタケフナイフビレッジの第二世代は彼を知りません。
彼の霊前には、タケフナイフビレッジ最初の展覧会案内が飾られたと
聞き、とてもやるせない去らぬ別れになりました。
今年は創立のメンバーでナイフ作家にまで成った同志が逝きました。
小学生の私を怒鳴ってくれた彼がデザイナーになった私に、
越前打刃物の窮状を語り、メンバーに逢わせてもらったからこそ、
私はタケフナイフビレッジを率いることができたのです。
私は第2世代を鍛えて、この産地を残したいと彼に伝えています。


『 ひとりの親方が逝った・・・ 』
『伝統工芸産地第二世代の新製品テーマ』
『30年前のデザインを伝統工芸産地で商品化して今なお・・・』


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One Response to “『タケフナイフビレッジ、恩人を見送った。』”

  1. Kazuo KAWASAKI's official Blog | 企望を「までい」実現へ
    12:14 AM on 5月 2nd, 2016

    [...] *『 ひとりの親方が逝った・・・ 』 *『タケフナイフビレッジ、恩人を見送った。』 *「鎌倉時代名刀と江戸時代名刀を語り合う」 tag: 60, 62, さざ波, [...]


This entry was posted on 金曜日, 12月 19th, 2014 at 12:00 AM and is filed under 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務, 祈望から企望へ. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. Responses are currently closed, but you can trackback from your own site.