kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘お金’


『フクロウと言えば、思い出す先輩がいた』


   


     3月 13th, 2019  Posted 12:00 AM



私はアクセサリーが大好きです。
その中でもピンブローチは、大学人になってから
フクロウを集めています。
例のごとく約100個以上ぐらいはあります。
「エゾフクロウ」には、先輩との思い出がいっぱいです。
先輩は北大の土木学科から金沢美大の彫刻にきました。
彼のエゾフクロウはおとなしい方でした。
そして、自分は食わないのに
肉を調達してはそのフクロウにやっていました。
自分はキャベツばかりが主食でした。
山岳部をつくって、先輩でしたから、彼の言う通りに動いていました。
山で、昼まで寝ていて、出発となると酒が抜けないから・・・
「今日はここまで」とかで、これが美大だぞ!でした。
ともかく、仕送りのお金を部屋でばらまいて掴んだ金で一日を過ごす、
「川崎、今日は飲みにいくぞ」と言われると、犀川を越えて=そのまま、
向こう岸のスナックで飲みました。
先日、都心にミミズクが出てきて、
結局、車にひかれたニュースがありました。
その時には、やたらその先輩を思いました。
学生の頃、フクロウと行き当たりばったりの生活をしていた先輩、
まだ、彫刻家にはなっていません。


目次を見る

『小説の「龍馬ブーム」は、歴史の中で肥大化している』


   


     3月 11th, 2019  Posted 12:00 AM



小説での「坂本龍馬」と坂本龍馬ブームに対して
明治維新史学会が論理的に史実としての「坂本龍馬」を検証し、
やっと教科書からも省くこととなりました。
坂本龍馬ブームは、彼の姉への手紙があったことから小説化され
それが一般化されました。
一方、橋本左内は400の漢詩を読んでいます。
安政の大獄で捕らえられ、そのうちの300が牢獄でつくられ
26歳で斬首の刑、(武士なのに)、に処せられました。
小説化や大河ドラマ化も難しくブームにはならなかったのです。
ただ『啓発録』は福井の小学中学のバイブルと言えます。
私は、「龍馬は新婚旅行しかやってない」と講演でズーッと言ってました。
武士を斬首するほどに、
橋本左内は当時の江戸幕府の政敵だったということです。
「なぜ、龍馬が暗殺されたのかは今も謎です」。
龍馬は何度か、松平春嶽 福井藩にお金を借りに来ています。
松平春嶽に見い出された人物こそ、橋本左内と由利公正。
福井藩(90万石)の藩札は由利公正(福井藩のちに東京府知事)が、
明治維新の時にはこれを使ったけれど、大失敗で終わっています。
歴史は、常にその時々、政権によってつくられます。
私は、龍馬の肥大したブームに対して、
笑われながらも正直な意見を言ってきました。
やっと、龍馬は明治維新の偉人ではないことが、
学会で認定されました。


目次を見る

4月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

4月9日 大安(辛酉)


発想には「儲ける」という
お金欲望や
儲け話が入っていたら、
発想は必ず失敗する。
儲けるというのは、
発想しているモノ・コトに
「信頼」と「信用」が
発想者にあるかないかである



川崎和男の発想表現手法


目次を見る

『十日恵比寿の種銭を大国主命からもらう』


   


     1月 11th, 2015  Posted 12:00 AM



日本神話の神は古事記、日本書紀に描かれています。
日本の神話は、この国づくりの祭神であり、国護りの神です。
出雲大社にはじまるこうした神社は、日本各地に神道として、
日本人にはきわめて穏やかに残っています。
幸い、私の自宅近くにある大国主神社は十日えべっさんという呼称で
商売繁盛が今もっとも神道信仰につながっているようです。
目覚めるとワイフとそのお母さんが初詣もかねて出かけており、
商売繁盛で笹持って来い、とかの種銭をもらいました。
あらためて自分の持っている財布を取り出してみると、
この3つがありましたが、ほとんど持ち歩いた気がありません。
単純にモノとしての出来映えでしか、選んでこなかったようです。
しかも、お金と私の人生はきわめて遠くであり、
そのことを思い知ったのは、二つあります。
まず、私は交通被災で手術入院中に、紙幣のデザインが一新され、
車イス生活になって、紙幣デザインが今もよく分かっていません。
ともかく、今も一番価値があると思えてならないのは 500円硬貨。
また、お金を持ち歩くということも諦めました。
一人で行動することは全くありませんから、
誰かに支払ってもらっています。幸運だといえば幸運です。
もし私が大金持ちでそれこそビル・ゲイツ程の大金持ちでも、
一番望んでいることをお金の力で賄うことは不可能です。
それは「歩けない体をお金があるから歩けるようにはなりません」。
それ以来私には財布も単なるファッションの一部でしかありません。
しかし、私が最も驚いているのは、内村鑑三の名作である、
「後世への最大遺物」には、生きて最後に残すべき最大の物は、
「お金」であるべきと書かれています。
したがって、お金儲けをすべきとは思いますが、
最も私には不得手なことであり、お金持ちになっても歩けないなら、
むしろ、私には神社の配置=神道における自然神の護り方が
とても興味があります。
だから、種銭を今年は財布ともども持ち歩こうかと思っています。


目次を見る

「翻弄停止せよ、自己決定意欲の再設定」


   


     6月 3rd, 2013  Posted 12:00 AM



5年3ヶ月ぶりの平均株価化で現政権は安定しました。
「March 11, 2011」は決定的に前政権が素人集団だと露呈。
わが国の政治異変時にはどういうわけか、
天災を受け国家は破滅して国難になります。
さて、政権は一応安定をしてくれましたが、
「アベノミクス」とまで呼称される経済活動の再興は、
このところ、大変な株価変動を起こしています。
「株高・円安」で、景気感はまさしく躁鬱病の繰り返しです。
私の経験実感では、日本の日経平均株価は13500円が順当です。
13500円の景気が、日本人全体に「中間層意識の安定」と、
保守性あるグローバル経済下での鬱病でも安心状態を維持。
これが私なりのデザイナーとしての経済不安感の抹消策です。
ところが、TVなどで見かける経済評論家の二分された、
アベノミクス肯定派と否定派の論説は下品な受け取りに終始だけ。
かつてのニューディール政策そっくり真似事だと言えばいいのです。
したがって、経済動向には確実な二つの読解能力が必要です。
  ● 平均株価の政治策略的な支配
  ● 平均株価の自然景気的な支配
この二つで、経済動向、経済動乱の距離感測定を
自己決定できる能力の養成プログラムが必要だと思っています。
比して、素人判断は政策餌食にすぎません、しかもです。
この動向・動乱に、知恵無きマスコミは扇動報道しか出来ません。
私は、デザインクライアントの経営方針と自社株変動には、
この二つの支配感覚と自社株との距離感測定能力を見詰めます。
つまり、
政治策略的な支配は明らかに「選挙資金の蓄積」だと割り切り、
自然景気的な支配は「国債持ち株の企業内戦略」の再整理が必要。
「お金のスピードと株売買スピード」、この速度ある流動感は
デジタル制御により「経済学」は慣れ不足と学域は破滅してます。
 ・選挙が近い、
 ・国難はさらに厳しい、
 ・待ち受ける天災には予知不可能、
 ・慣れすぎた鬱病国家経済体質は変わらない
 ・解放不可能な国家観意識は二分対立性を明確
こうした見方で平均株価の動向と動乱を自己意識で決定していく、
まさに「保守安定」の求め方、
そのシナリオデザインだと認識しています。


目次を見る

「大風呂敷という喧嘩手法、その肝心要」


   


     8月 28th, 2012  Posted 12:00 AM



祖父は誰からも信頼され、大きなリーダーでした。
そして裏切られても棟梁であることを護り抜きました。
裏切りというのは頼まれるとすぐにお金を貸し実印を押しました。
そして、莫大な借金を背負っていましたが、
私にはその片鱗も見せなかったので、
祖父は大金持ちだと高校生になるまで信じていました。
母から、
「なんでもおじいちゃんに買ってもらうことはやめなさい」
と言われました。
「おじいちゃんは破産しているから」
当時は全く意味がわかりませんでした。
確かに、幼稚園児の頃、
福井市から見える山の名前をすべて教えてもらいました。
そして、
「あの山からあの山まで無くしてしまった」と言われて、
「大丈夫だよ、僕が買い戻してやるから」
と答えていたことを思いだします。とても買い戻せないけれど・・・。
お祖母ちゃんが言いました。
「おじいちゃんは、大風呂敷を広げてみんなを庇ってしまうんだよ。
だから、あなたは大風呂敷を広げても肝心なことを忘れてはいけない」、
と教わりました。
「男は、いつでも大風呂敷を広げても喧嘩して護ることがあるけれど、
その風呂敷は必ず畳んで持ち帰られる大きさにしておくことが要」、と。
「おじいちゃんは大風呂敷を広げすぎてでもあんなに他人を庇うけれど、
畳めないほど大きすぎるから騙されるんだよ」。
デザイナーである私はプレゼンでは、
それこそ、大風呂敷を広げているなー、と自覚することがあります。
しかし、
その大風呂敷は必ず畳んで持ち帰られる大きさにしようと心掛けています。
大風呂敷で喧嘩をしますが、
すぐに、畳めて、
すぐに、立ち去れることを目指しています。
そうすれば、その大風呂敷は必ず、
大きな夢や相手を風呂敷でくるんでしまえば、
喧嘩相手をすっぽりと包んでしまいます。
大風呂敷という喧嘩手法には、
この重大な落とし前の付け方があるということです。
写真はワイフの風呂敷を借りました。


目次を見る

「日本が貧乏になっていく、と思うのは・・・」


   


     8月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM



私の移動、その大半は飛行機です。
そして、プレミアムシートでは軽食が出ます。
その軽食の種類、量、
パッケージが段々とコストダウンをしていくのを見ると、
「貧乏になっていくなー」と感じます。
敗戦後、日本は「豊かな国、国民になろう」と考えました。
結果は、貧乏だというのはお金が無いこと。
お金があれば「豊かになれる」と思ったのが、気がつくと、
それは「豊かさ」とは全く違うことがやっと分かったのでしょう。
最近は、格安航空券ブームです。
したがって、この軽食の質も格段にコストダウンをしています。
シャンパンがまずブランド品から格下げになり
スパークルワインになりました。
最も明解なのは、ファーストクラスの食事など、
「これが?」というほどになっています。
無論、それは一部のことだと言えますが、
「貧しい」ことの解釈が「豊かさの勘違い」を引きずったままだからです。
航空機会社ではファーストクラスを廃絶したところもでてきました。
世界的な傾向でしょうし、
それがスタンダードになっていくのだと思います。
私には未体験ですが、客船でも1等客室も2、3等客室でも、
食事は平等になりつつあり
それなら3等客室で十分という話を聞いたことがあります。
つまり、「貧乏」というのは、
「贅沢」との格差、その感じ方だと思います。
「贅沢さ」=「豊かさ」ではありません。
「貧乏」=お金が無いことではありません。
今、私たちに問われているのは、可処分所得の高低が貧乏さを決定したり、
贅沢・豊かさ・貧しさ、ということへの、
自分自身がどのレベルで「心」を満腹に出来るかということです。
ちなみに、「心」とは武士道では「腹」にあり、
よって、「切腹」とは、
腹の清らかさを確認する自死行為だったということです。
だから「腹づもり=心構え」こそ、
貧乏も贅沢も切り捨てた美学だと思っています。


目次を見る

「私の財布はネットワーク・マネーとでも呼ぼう」


   


     7月 16th, 2012  Posted 12:00 AM



車椅子生活になって以来、
私はお金を持ち歩くということが全く無くなったのです。
これがいいことか、悪いことかというと、
金銭感覚が無い私には最悪のことだと自覚しています。
買い物は大好きだから現代は「便利な時代」になっています。
最も買う物というのは、「本」です。
フリーになったとき、赤坂でデザインスタジオを持ちました。
その時、「私バブル期」だったと思い出します。
一度100万円を持ってすべて使ってやろうと思い銀座に行きました。
結局、丸善で思いっきり本を買ったら10数万円でしかなく、
「お金」ってそのようなモノと割り切れたことがあります。
もし、私が世界一の大金持ちになったとしても、
私は「歩ける身体にはなれません」し、
もうあの世の「父母には逢えません」から、
これがお金というモノの限界です。
今、とりあえずはedyを使っています。
写真のedyは二種類あって、
プラスチックカード入れで最高5万円、edyカードで3万円です。
ともかく、8万円は使えます。
それも一ヶ月に一度程度、コンビニで使うぐらいであり、
大抵はスタッフたちや学生にこれを渡して、
飲み物や軽食を買ってきてもらう程度です。
「貨幣」とは、資本主義社会における重大なメディアであり、
経済システムの要です。
クレジットカードにしても、
「貨幣」の形式と形態はネットワーク・マネーと呼んでもいいでしょう。
ただし、こうしたネットワーク・マネーが日常的な価値、
すなわち、コンビニやファーストフードで使う場合と、
企業M&Aにてビリングシステムではツールです。
この差異性こそ、新たな経済学、あるいは経済システム、
この再設定制度とする論理は見つかっていないと思っています。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
  「貨幣価値の再確認は、ちょっとうれしい」


   


     12月 11th, 2009  Posted 10:00 AM


私は、28歳で車倚子。
入院中に、お札やコインのデザインが変わったのです。
だからまったくお札のデザインでの価値判断不能です。
それで、それから30代になってから500円硬貨を見て、
なんだかとてもうれしかったのです。
幸か不幸か、
私はまったくお金を持ち歩いたことがありません。
世間離れ甚だしいと思います。

ところが、
金銭感覚というより財務感覚では、
「企業や産地や行政」の収支決済と市場性について
デザイナーとしての予測値反応は鋭いと自負しています。
しかし、
私の日常の金銭感覚はまるで駄目だと自覚しています。

コインは、1949年モノ、
私の生年のコインが大好きなので時々持ち歩きます。
500円硬貨もなかなかいいです。
それはモノとして魅力的なだけなのです。
先日から、
私は「日常的なお金」を持ち歩けるようになりました。
それがたまらなくうれしくてうれしくてたまりません。
とても、資本主義から逃走なんてできない!と、
言われそうですが、まったく違うのです。
091211edy2
edyカード付きのマイレージのクレジットカードです。
もう使うことのできないモノとしてのコインと、
プラスチック貨幣であり、
「サービス産業」メディアとしての価値貨幣カードです。
ここがポイントです。
「資本主義」に入り込んでしまっている産業、
すなわち「サービス産業」に立ち入ることです。
そこでの人間関係・業態関係・価値体系関係は、
社会と時代の関係が連鎖系であることを一変させます。
ここから、「逃走する逃げ道」への交換体系を、
デザイン」出来そうな気がしてなりません。
edy・マイレージ・クレジットカードも、
私にはうれしい日常的なモノですが、
そこからも、資本主義の消失、
その要因が変容どころか喪失していく予感がします。


目次を見る