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Posts Tagged ‘ことば’


7月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 28th, 2011  Posted 11:30 AM

7月28日 甲申(先負)

なんとしてもそのときどきの形態を
ことばから「かたち」に、
かたちから「ことば」に
結実させたいと思ってきたからだった。

『デザインの極道論』あとがき


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7月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 14th, 2011  Posted 1:03 PM

7月14日 庚午(先勝)

私の信念は、
「かたちは、ことばに必ず敗北する」
とさえ、
自己嫌悪することもしばしばである。

『デザインの極道論』あとがき


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7月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 6th, 2011  Posted 11:42 AM

7月6日 壬戌(大安)

常に
「かたち」と「ことば」は相対論的な
関係にあると考えてきた。

『デザインの極道論』あとがき


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3月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 19th, 2011  Posted 10:00 AM

3月19日 仏滅(癸酉)

ことばはすでに武器である。

武器とは
武器を持たないことを象徴した
モノでもあるわけだ。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


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3月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 8th, 2011  Posted 10:00 AM

3月8日 大安(壬戌)

「ことば」が「かたち」を
一言でぶちこわしてしまうことは
常にある。

その対象が自分が
デザインしたものであるならば、
なんとしても、
せめて自分のデザインが、
一言の「ことば」で
その価値を壊されるのは絶対に堪え難い。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


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2月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 3rd, 2011  Posted 10:00 AM

2月3日 先勝(己丑)

自分を追い込みに追い込むことで
故倉俣史朗氏の創造した
「かたち」から
「ことば」を紡ぎ出している。

連載開始を決心した時点で、
第一回の内容は固まっていた。
彼の製作した、
まさに機械仕掛けの
キューピー人形の話である。

『デザイナーは喧嘩師であれ』辺福修飾


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『資本主義からの逃走』
    「2010年・『ことば』への行学」


   


     12月 27th, 2010  Posted 12:00 AM

「ことば」とかたちの相対論
私の行学は、「ことば」ありきです。
「行学」としての私のデザイン、
まっすぐに「ことば」と「かたち」、
その相対的な構造性・関係性を修練研磨する学域として求めています。
「かたち」に私の美意識を希求する基盤はなんといってもことばです。
そして、ことばではとても表現仕切れないこと、
それこそコンセプトになりきらない造形が極値造形と呼んでいます。
これは「言語道断」(道元)への修練ゆえ行学目標です。
今年は、いくつかのことばの再考と定義確約、さらにあらたなことば定義を求めています。
これを私は、「ことばの行学」だったと考えます。
とりわけ、このブログで使用する語彙がサーチワードとして一日200語近くなったことは、
一つの成果だったものと判断しています。
いくつかの言葉がありますが、なんといっても、「名詞+名詞」という英語表現、
「情報」がやっと整理できました。
「アプロプリエーション」を徹底検証しました。
これをデザイン用語に持ち込み法学への提示になったことは成就成果だったと自負しています。
また、今年は、わが国日本の政権交代にどれほど、
現政権はじめ、政治という「制度」に落胆したことでしょうか。
この落胆から自らを解放するにも、「ことば」の問題がありました。
私は、島国日本を「花綵の国」と呼んでいます。
一言語一民族ながら資源無き国家の歴史観はすべからく「言語体系」に依存してきました。
したがって海外語が邦訳されてこそ、
日本の文化観から文化感が形成されてきたものとさえ認識することができます。
「情報」も「情勢報告」であったり、
「経済」も「経世在民」であったりという邦訳が正確だったのかは、再確認が必務です。
特に、歴史観でのことばの曖昧さに気づいています。
この語彙集編集が最も重要かもしれません。
「明治維新」の「維新」というのは正しい表現用語だったのだろうかという疑念があります。
そのまま「維新」を引きずれば、226事件「昭和維新」を想起します。
だとするなら、「平成維新」という言葉表記には、
相当の甘えと曖昧さがあることを指摘しておかなければなりません。
そんな中で数学術語も、私にとっては「かたち」への近接手法ですが、
いくつかの邦訳自体の誤訳かもしれないことをを見つけていることを告白しておきます。
来年は「ことば」の行学を、デザイン実務の下敷きにしていく所存です。


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12月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 1st, 2010  Posted 10:00 AM

12月1日 大安(乙酉)

文学とは、
恋愛の情景を学び取るために
ことばでその知恵を磨く
術なのかもしれない。

そしてこの知恵は
ほとんど体系づけることが
できないものなのだ。

これこそバーチャルな人間景観なのだ。
このバーチャル性を超えるゲームは
創造できないだろう。

『デザイナーは喧嘩師であれ』会者定離


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11月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 16th, 2010  Posted 10:40 AM

11月16日 友引(庚午)

新しい「ことば」や
「キャッチフレーズ」、
いわゆる現代用語なることばを
産出することでマーケットらしき
知識産業とやらができてくる。

これに翻弄されることなく生きるには、
洞察力という知恵が必要である。

『デザイナーは喧嘩師であれ』器量相発


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11月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 13th, 2010  Posted 11:01 AM

11月13日 大安(丁卯)

イメージは、言語世界の中で
モルフェーとなっていくものである。
言語世界を超越する修証として、
道元の言語道断という公案こそ、
ことばとかたちの中で
人間が生きる手だてだと
私は自分に言い聞かせてきた。

『デザインは言語道断』あとがき


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