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「仮設という無能な制度設計の住宅」


   


     11月 21st, 2011  Posted 12:00 AM

大震災に被災した人にとっては一大事なことです。
それを一刀両断的に「無能なる住宅」と断言します。
この表現は被災者の方々には失礼極まりないことですが、
やはりこの被災地の対応制度政策を評価するには、
こう言わざるをえません。
「仮設住宅」の制度は、全く知られていませんが、
これほど工業住宅が進歩した中で、呆れることが多すぎます。
この制度の入り込んでいる住宅対価詳細から、
この住宅建設の仕組みをもっとマスコミは報道すべきです。
パネル工法とガルバリウム鋼板の屋根材は低安価ながら、
きわめて一見合理的な印象がありますが、行程は省略工事です。
すなわち、防音材・断熱材・基礎工事の行程が省略されています。
明言します。手抜き工事ゆえに、
夏は相当に暑く、雨音はうるさく、この冬の寒さは当然です。
なぜ、私はこのことをほぼ告白として書くかと言えば、
中越地震の前にある住宅メーカーと、
「災害用住宅のデザイン」計画を進めていました。
ところが、そのメーカートップが病気で倒れてしまい、
この計画推進のリーダーを失いました。
結果、実に残念なことながらプロジェクト中断でした。
私は現在、復興計画では、建築や都市計画ではなくて、
「インダストリアルデザイン手法」の導入による、
特に「インクルーシブデザイン」としての計画を進めています。
いづれその詳細は、もし実現しなくとも「発表」する決意です。
基本は「仮設」ではありません。「佳設住宅」ですが、
「住宅」という概念も変更するつもりです。
「佳設」とは「美しい設備」が万端であり、
復旧でもなく、復興でもなく、
未来住居としての「佳設」が、「まち・みち・きち」、
すなわち、私のデザイン定石「いのち・きもち・かたち」が基盤です。
私は、現状の「仮設住宅」という制度、市町村と県の関わり方、
さらには、「仮設住宅」が工業生産される既得権、
これが建設族議員との関係を明らかにすべきと言っておきます。
やはり、日本のシステムがどれほど壊れているのかは、
「仮設住宅制度」が象徴しています。

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「日本の都市構造が壊れていくだろう」


   


     5月 25th, 2011  Posted 1:01 AM

都市要素を三つ上げます。
銀行・百貨店・書店は代表的要素です。
そしてこの三つが消えていくと考えます。
21世紀は「情報社会都市」の進展進化は、
都市景観を変質させています。
そしてこうした代表的要素が、
「情報進展」に追随不能になってきているのです。
銀行は、合併するたびに大型化しますが、
銀行ビルがあれほど権力的威圧性なのは時代遅れです。
都市内にあってほしいのは銀行ビルではなくて、
ATMが街角にあれば情報交換装置は充分でしょう。
百貨店も合併し大型化していますが、
すでに通販総額は百貨店販売総額を上回っています。
百貨店は商店街の代替装置になっていくだけでしょう。
書店もチェーン化してまさに情報販売装置ですが、
都市内での存在は、ショーウィンドーに過ぎません。
レコード店が消え、CDショップが無くなっています。
都市という「まち」は、町・機能と街・機能が変化、
ビル存在や店舗形式が変貌し景観を変えていくのです。
しかも、銀行・百貨店・書店の企業経営者たちには、
「情報化」の進展が読み取れなくなっているのでしょう。
それは、明らかに都市機能と都市文化の構造が、
時代変貌スピードに追随出来ていないことの反射です。
こうした都市要素は、
お金・生活用品物質・情報形式が、
すべからく「情報」が有する文明性と文化性自体を、
大きく変化しその反映として都市構造に関与しています。
しかも都市機能から分断され始めているのです。
コンビニがあります。
ケータイ販売店舗があります。
チェーン化するコーヒー喫茶があります。
町のたばこ屋さんが無くなりました。
八百屋さんや魚屋さんが商店街から消えていきます。
もし、そうした存在が残ったとしても、
それは観光都市機能の景観要素になっていくだけです。
東日本の町・街が全滅しました。
私たちはさらに高密度化する新しい「まちづくり」を
日本全体が創造しなければなりません。
その景観が日本の景気を生み出していくのでしょう。

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「『きれい』にすることが『美しい』こと」


   


     5月 13th, 2011  Posted 12:00 AM

美しいかたちのデザイン。
私の職能デザイナーの大命題です。
かたち=形式・形体・形態です。
このところ製品開発から商品化まで、
やっとたどり着いた商品のかたちは、
美しくあってほしいと願いを込めてきました。
もう40年も「かたち」にこだわってきました。
そして美しいということは本当に難しいことだと悩んできました。
そこで、私の方法論は、まず、「きれい」かどうかです。
サングラスは、顔の表情をさらに綺麗にしてくれるモノだろうか。
キーボードは、打鍵している指先やユーザーにとって、
本当に、大げさに言えば「働きがい」から「生きがい」、
その周辺に存在しているかたちになっているかどうかです。
いつも説明してきたのは、「きれい」と「美しい」には
ある隔たり・近さの概念が明確に横たわっているのです。
「きれい」は形容動詞ですが、
「美しい」は形容詞です。
これを距離感覚、近さという概念で検証し直してみることです。
まず、「きれい」にしないと「美しく」はなりません。
だからまず「きれい」なサングラスを創ります。
最近は「かわいい」という形容動詞が氾濫していますが、
私はあくまでも「きれい」なサングラスです。
具体的には、いくつかの目標を立てて、
目的である顔の表情はもちろん愛用してもらえるかたちです。
キーボードは素材開発が叶った時に、
素材の鏡面がすでに綺麗でした。
問題はここから実装です。
実装という日本語そのものが美しいことばです。
米国で私はConfiguration Layoutと言っていました。
筐体や機構設計では、Configurationになり、
回路設計や回路配置では、Layoutでしたから、
Configuration Layoutがデザインの主目標と説得していました。
さらに綺麗であることの基本は清潔であることです。
キーボードはそのまま、衛生的な清潔性を実現できました。
「きれい」の基本は掃除をすることです。
それこそ、女性が綺麗になるためにお肌の手入れということです。
ところで、「かたち」ということばから、
私は「いのち」・「きもち」・「ここち」の「ち」、
この語源から、さらに拡大することばに注視し集めてきました。
「まち」=町・街や「とち」=土地などがあります。
ともかく、今回の被災地は片付けや掃除や除染をして、
「きれい」にすることから始めなければなりません。
新しい「まち」を「きれい」にしてから、
それが必ず「美しいまちづくり」になるはずです。

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