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Posts Tagged ‘やさしい’


『正三角形でのデザイン発想で造形言語と形態言語』


   


     8月 4th, 2018  Posted 12:00 AM



江戸時代から「絵図をえがく」というのは、
泥棒が使い、刑務所用語となって、今でも警察用語になっています。
絵や図が発想の起点だと考えていいでしょう。
だから、デザイン発想の一つのやり方だ、と私は考えてきました。
ところで、「絵」は難しいけれど「図」ならやさしいと言うこと。
「絵」は誰かが「下手」と言えば、「絵」は性格的に苦手になるものです。
だから誰でも「絵」や「絵画」を否定的に批判することは駄目です。
「図」はたとえば地図をかけばそれなりにコミュニケーションができます。
そこで、正三角形は四つの配置があります。
右の各図にともかくA・B・C を三角形の頂点におけば、
いわば、「木」があって「林」なり、それが「森」になる、とか
「森」は「林」からなって、それぞれが「木」であるという、
このようなシナリオが書くことができます。
そこから、A・B・Cはコンセプトという要因や要素になります。
これが、発想での正三角形の応用だと考えることができます。
もし、「造形言語」といってコンセプト3つでシナリオを描けば、
今度はさらにシナリオによって「形態言語」が生まれます。
三角形での「造形言語」は「用途」のコンセプトを決めて、
「形態言語」として「内容」をシナリオ化できます。
正三角形の発想、その一つを論理化したいと望んでいます。
これは発想方式として私は書籍化することを考えているのです。


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『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』


   


     11月 15th, 2016  Posted 12:00 AM



「やさしい」という日本語には観自在性があります。
それは「優しい」と「易しい」であり、
この峻別が曖昧にされていた時代がありました。
これは道元的な「四句分別」が必要と行き着いたことがありました。
観自在=思考闊達な想いと思いに、ある意味ではYesかNoかについて、
日本人にはどちらか明確にという世界的な風潮がのりかかりました。
しかし、私はこれを日本の仏教、特に禅宗的な道元思想の中で、
観自在に潜む曖昧性への積極化を「的」という表現に込めたことがありました。
その当時には、思想界においてもこの論理を中村雄二郎先生に
徹底的教えていただいたという幸運がありました。
安全だけども安心はできないことと安心だけど安全だとはいえないこと。
信頼はできるけど信用はできないことと信用はできるけど信頼はできないこと。
主観的だけど客観性があること、客観的だけど主観性が入り込むこと。
私は日本の、YesだけどNoでもあることは、NoではあるがYesということ。
おそらく、日本独自の哲学だから、白か黒かと迫られても、
グレーが存在すること。
こうしたことから、「やさしい」ということにおいては、
優美という決して目立ってはならない優しさある美と、
容易だから易しいだけで美も無視されていることにおいても、
日本人にはこの思考思潮、この重要性を見つけました。
自分の生涯での思考だと、未だに迷っていると言わざるをえません。
けれども「四句分別」で乾坤の生と死を見詰めていると判断しています。


* 『ロボットという玩具?・ロボットはおもちゃか?』
* 『わが哲学の恩師・中村雄二郎先生』
* 『デジタルな火と水を傍らに置く重大さ』
* 『思考の「考」は思うことを経験が判断する』
* 『コンセプトから逃走してほしい・・・』


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12月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 6th, 2014  Posted 12:00 AM

12月6日 辛亥(赤口)


やさしい、というコトが
とても価値高く語られる。
が、
やさしい、といういい加減さがある。

やさしいとは、
優しいと易しいがあり、
これらは元来は相反する概念である。

川崎和男「強い人間弱い人間」


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11月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 26th, 2014  Posted 12:00 AM

11月26日 辛丑(友引)


「やさしい」という言葉が
市民権をもっている。
しかし、
この言葉には、社会の曖昧性が取り憑いている。

「やさしい」とは、二つの意味がある。
「優しい」と「易しい」である。

つまり、
「優しい」=優美さと
「易しい」=容易さには
反対的な意味合いがあることを知るべきだ。

川崎和男「強い人間 弱い人間」


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「サービスの勘違い・地球に『優しい』?」


   


     11月 3rd, 2011  Posted 12:00 AM

商業主義でのサービス?
サービスの勘違い=「優しい」という言葉意味の誤謬!

どれほど資本主義は商業主義を小利口に運用させるのでしょう。
私は、「サービス」とか「地球にやさしい」、
しかも「やさしい」を「優しい」と表現する無知さ。
このようなことにあまりにも無頓着で、
無知性にはいつも喧嘩を売ってきました。
これは名刺に「リサイクル紙を使ってます」、
こんな流行がありましたが、
それと同様の商業主義的な小賢しさを感じてなりません。
そんな企業には本来の企業理念という哲学などありません。
写真はあるホテルでの「リネン取り替えサービス」を
小細工している表現です。
「サービス」が経済主義で経営用語化したこと、
「やさしい」ならまだしも、
「優しい」では日本語の表現意味も大誤謬という無知、
もっともどうでもいいと言えばそれまでですが、
「地球に優しい」ことをうたい文句にすることには
人間のこの淺智恵さには笑いたくなってしまうのです。
地球上にはすでに70億人が住み着いて生きています。
一日に20万人が増加ということでは、
想像以上に早くて、100万人になるのはいつでしょう。
2050年には93億人と予想されています。
最も、私はその頃はあの世に逝っているでしょう。
ともかく、「サービス」とは宗教術語であり、
経営用語化させて資本主義の広告手法でしかありません。
このブログでもしっかりと書いてきています。
そして地球環境へのあたかも「やさしさ」というテーゼ、
まして、やさしいには優しいと易しいとが日本語にはあります。
したがって、このリネン再利用サービスを
あたかも「地球に優しいこと」を企業理念だから、
さあ、お客のあなたも賛成でしょうって、
ベッドメーキング無しのサービス放棄にすぎませんから
やはり笑ってしまいます。
私は「とても静かなる憤り」を持っています。
一応書きとどめておきます。


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